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 戦の支度をしていた神々の国に、再び平和が訪れた。
「そうだ、お前が無事に帰って来たらお祝いをしたいと、海の神イーギルが行っていたぞ」
 と、一人の神様がトールに言った。
「そうか、ではさっそく、イーギルの城へ出かけよう」
 神々はわいわい騒ぎながら、海の底へ降りて行った。
「おう、よく来てくれた」
 イーギルの神は喜んで神々を迎えた。ところが酒を飲み出すと、神々は急に不機嫌になった。
「どうも、こんな小さな貝の盃では酒がまずいな」
「そうだ。もっと大きな器は無いのか」
 その話し声を耳にしたイーギルの神が、
「いや、悪い悪い! 食べる物はいくらでもうまい物はあるが、確かに、その小さな貝ではまずいな」
 と言った。
「では、どこからか大きな器を手に入れてきたらどうだ」
 頑固者のトールがすぐ叫んだ。
「しかし、どこから……と言っても」
 海の神イーギルは、いかにも困ったような顔をした。すると、チルという神様が、
「そうだ」
 と、不意に大きな声を出した。
「私の親父の家に素晴らしい大きな釜があるんだ」
 チルの神は目を輝かせて、さらにしゃべり続けた。
「それは素晴らしい大釜だ。親父は釜を集めるのが好きで、見事な釜がいっぱいある。だが、その大釜は深さが一キロもあるのだ」
 一キロと聞いて、トールの顔色が変わった。
「お前の家は、確かエリファガル川の近くだったな」
「そうだ。エリファガル川の東の、地と天の境だ。だが、親父のヒメルが問題だ」
「知っている。千人力で気が荒いと聞いている」
「他の釜なら、きっと分けてくれるだろう」
「いや、わしはその大釜が欲しくなった。チル、行こう! 必ず親父と仲良くなって、もらってみせるぞ」
「そうか、では、出かけよう」
 二人は空飛ぶ魚にまたがると、海の中から飛び出した。
 抜いたり抜かれたり、空飛ぶ競争を楽しんでいる内に、美しい夕焼けに染まったエリファガル川が見えてきた。ヒメルの城は、その河口にあった。
「お前の親父は、よほど釜が好きなんだな」
 釜を逆さまにして、ぽんと置いたような城を見て、トールはお腹を抱えて笑い出した。
「トール、変な笑い方をするな! もし、親父の耳に聞こえたら、それこそ大変なことになるからな」
 チルの真剣な顔を見て、トールの胸もキュッとしまった。城の側の水面に降りると、二人は裏口からこっそりと中へ入っていった。
「まあ、チル! いつ帰ってきたの」
 チルを見つけたお母さんが、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「お母さん、あの大釜をもらいに来たんですよ。ええ、神々に差し上げるのです」
 綺麗な若いお母さんは、ちらっとトールの神を見た。そして、暗い顔をした。
「でも、今日は駄目だよ。とても荒れているの。うかつな事を口にしたら、それこそ殺されてしまうわ」
 お母さんは、二人を大きな部屋の中に案内した。部屋の周りに、大きな釜がいくつも並んでいる。
 その大きな部屋を見回していたトールはびくっとして、目を止めた。そこに、九百の頭を持った、醜い、醜いお婆さんがいた。
「お婆さんは、もう、動くことも、口を利くことも出来ないんだから心配はいらないよ。でも、荒れているお父さんには困ったね」
 と、お母さんが言った。
 その時、ドシン! ドシン! と、地響きが伝わってきた。
「あっ、お父さんが海から帰ってきた! 早く早く、あの大きな釜の後ろに隠れて……。お母さんがきっと、ご機嫌を取ってあげますよ」
 二人が釜の後ろに飛び込むと、ヒメルの神が入ってきた。
「う、う、う……人間臭いぞ!」
 ぎょろっと部屋の中を見回した。
「チルが帰ってきたんです! 人間の味方で、悪魔の敵と言われている、一人の神様をお連れして」
 お母さんは必死に叫んだ。
「うるさい! あの釜の後ろだな」
 ヒメルが真っ赤な顔をして、ぐっと睨むと、並んでいる八つの釜が木っ端みじんに砕けて飛び散った。
 トールとチルが隠れている前の大きな釜だけが、ポツンと残った。うひゃひゃひゃーと、物凄い笑い声が上がった。
「出てこい!」
 チルが先に出た。続いてトールが姿を現した。グワォ、グワォとトールのお腹から物凄い音がしている。それを聞くと、ヒメルがまた笑い出した。
「牛を三頭ばかりひねりつぶしてやろう! 火をたけ、火の用意だ!」
 今まで青い顔をしていたお母さんが、ニコッと笑った。
「トール、良かったな」
 チルが嬉しそうに小さな声で言った。
 牛がこんがりと焼けると、トールは二頭も食べてしまった。これがまた、ヒメルには気に入ったらしい。
「よし、明日の朝は、大きな大きな魚を捕って来てやろう」
 と言って、酒を飲むとごろりと寝てしまった。
 朝が来た。
 ヒメルが海辺に来ると、そこにトールが立っていた。
「よし、乗れ……」
 二人は海へ乗り出した。舟の中には、昨日ひねりつぶした牛の頭が転がっている。それが餌だ。
「ここらでいいだろう」
 と、ふいにヒメルが叫んだ。
「ダメだ、こんなところで何が捕れる!」
 トールは、まだぐんぐん漕いでいる。青い海が黒くなってきた。
「ここらで良かろう」
 トールは舟を止めると大きな錨に、ぶつっと牛の頭をさして、ドボンと海へ放り投げた。間もなく、ぐ、ぐっと太い綱が引いた。
「それっ……」
 グイっと引くと、クジラが水面から飛び出した。
「すごい獲物だ。トール、もういい、帰ろう」
 何故かヒメルはそわそわしている。
「いや、一匹では足らん! もういっちょうだ」
 ドボン! ぐぐっときた。
「やあ……」
 トールの鋭い掛け声に、クジラが跳ね上がった。これで二つだ。
「トール、もう帰ろう! 危険だ」
「何が危険だ。こんな面白い事が他にあるか」
 ぶつっと、牛の頭を錨に叩き込むと、トールはまたドボン! と海へ投げこんだ。これが最後の餌だ。
 急に生暖かい風が吹き出した。真っ黒な海鳥が何百羽と集まってきた。


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「なんだ?」
 ぐっと空をにらんだトールは、鉄の手袋をはめて、不思議な刀をしっかりと握った。
「ミッドガルドだ……」
「ミッドガルド? 何だ、それは」
 と言った時、太い綱がぐっと引いた。
「それ、もういっちょうだ!」
 トールが素早く綱を手繰ると、海中に真っ赤な血が噴き出した。引いてあった綱が、急に緩んだ。
「トール、危ない!」
 ヒメルは舟の底に身体を伏せた。頭の上が真っ暗になった。熱い風がトールの顔に当たった。
「あっ、大蛇だ……」
 と叫んだ時、ヒメルが、
「ミッドガルドだ!」
 と、き○がいのように叫んだ。
「えいっ……」
 その時、物凄い声がトールの口から火のように噴き出した。
 と同時に、不思議な刀がキラッと光った。
 ギャオ――。
 不気味な声が頭上で光った。その上から生暖かい血の雨が、夕立のように降ってきた。赤い海に、ミッドガルドの大きな大きな頭が落ちてきた。
「トール」
 ヒメルはぽかんと口を開けたまま、水面に浮かんでいる大蛇の巨大な頭を見つめていた。
「お前ほど強い男を、わしは見た事が無い。強い、全く強い」
 と、独り言を言っていたヒメルが、何を思ったかふらふらと立ち上がって、腰に巻き付けてある汚い帯をほどきだした。
「恐ろしいミッドガルドがいなくなった今は、もう、この力帯にも用はない。お前にやろう。……そうだ、あの大釜も担いでいくがよい」
「有難う!」
 力帯を締めたトールの神は、元気よく舟をこぎ出した。物凄い力である。二頭のクジラと大蛇の巨大な頭を引いているのに、すいすいと進む。
 朝の太陽を一杯に浴びた、エリファガル川の河口が見えてきた。




~つづく~


 因みに今回出てきたミッドガルド蛇、別名は『ヨルムンガンド』で、前回トールが持ち上げられなかった猫の正体だった「大地を取り巻いている大蛇」だったりします。


 ではでは。

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