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 荒れ果てた大平原を過ぎると、まるで油でもひいたように見える広い野原に出た。
「トール、ヤギが滑って、前へ進まないぞ」
 ロキが不思議そうに叫んだ。
「本当だ! よしっ、こうなったら、歩いて行こう」
「車はどうする」
「ここに置いていこう。帰りに、また要るからな……。いいか、待っているんだぞ!」
 ヤギに命令すると、トールは先に立って歩きだした。つるつるっと滑る。
「これは怪しいぞ? ロキ、油断をするなよ」


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 四人はつま先に力を入れて、ペタ、ペタッと、足を地面に押し付けるようにして、ゆっくり、ゆっくりと歩いて行った。しかし、一歩行くと二歩後ろへ下がっているような気持ちがした。
 辺りがだんだん暗くなってきた。
「トール、あれを見ろっ! 岩だ。岩と岩の間に、細い道があるぞ」
 ロキがふいに叫んだ。
「どうやら助かったようだな。よし、それでは、あの道を行こう」
 つるつる滑っていた足の下が、ざらざらしてきた。
「トール、あんなところに赤い門があるぞ?」
 ロキが、また大きな声をあげた。すると、岩の間からバタバタッと真っ黒い鳥が十五羽飛び立った。
「きゃー」
 女の子がトールにしがみついた。
「大丈夫だよ、ロスカ!」
 兄のチアルフが、ロスカの手をぎゅっと握った。
 辺りがますます暗くなってきた。星も見えない。
 ホー、ホー、ホー。
 と、フクロウのような声が闇の中から流れてくる。
「怖い……」
 ロスカが今にも泣きだしそうな声で言った。
 道は次第に上り坂になっている。風が冷たくなってきた。その風に乗って、ゴーゴーと不気味な音が聞こえてくる。
「そらっ、お化けだ!」
「きゃー」
「あはは、は、は、嘘だ! あの白く見えるのは、滝だよ。あはは、は、は」
「ロキ! そんな悪戯はよせ! 弱い者いじめをすると、今に自分が酷い目に遭うぞ」
 四人はいつの間にか、大きな滝つぼの前に来ていた。ゴーゴーと音を立てている滝が、闇の中に白く浮かんで見えた。
 それから道は、下り坂になっていた。その道の中央に、ぽつんと小さな火が見えた。
「あれは何だ?」
 刀を抜いて、トールが一歩、一歩、近づいて行った。
「何だ、たき火のあとじゃないか?」
「すると、人が近くにいるという事だ」
 頭のいいロキがすぐに叫んだ。
「あっ、月が出てきた」
 チアルフが、空を見上げて指さした。
「おやおや、おかげで素晴らしい家が見つかったぞ。ほら、あんなに大きく、ぽっかりと口を開けて待っているよ」
 いたずらのロキの神が、ぴょんぴょんと跳ねて前へ飛び出していった。
「待てっ! 油断をするな」
 トールは刀を構えて、口を開けている大きな洞穴に近づいて行った。ひやっとする、冷たい風が流れてくる。
 洞穴に一歩入ると、右と左に幽霊が座っていた。
「あっ、ゆ、幽霊だ……」
 ロキもチアルフもロスカもぶるぶるっと震えたが、幽霊の方もがたがた震え出した。鉛のような歯がカチカチと音を立てている。
 右は男で、左は女の幽霊だ。
「お、お前たちは、ど、どこから、どこから入ってきたのだ」
 男の幽霊は、死人の骨で作った槍のようなものを持っている。女の幽霊の頭には、カラスの羽が何本もついている。二人とも、青い光の鎧を付けていた。
「お前たちの血は、まだ温かい……。いま戦場で死んだばかりかな……。ああ、あの恐ろしい戦争が、まだまだ続いているらしいな」
 冷たい、冷たい声だ。
 女の幽霊が、かすれた声で言った。
「お前さん達は、何が欲しくてここに来たの……。夜が食べたいの……。それとも、あの恐ろしい魔女に食べられたいのかい」
 ひ、ひ、ひ、ひと笑った女の幽霊は、
「お帰り、さあ、早く、早く……」
 と、不意に大きな声を出した。その声が、大きな洞穴の中で不気味に響いて広がった。
 チアルフとロスカは目を固くつぶって、両手で耳を押さえていた。その二人を、ロキは母親のようにしっかりと抱きしめていた。
「ト、ト、トール……か、帰ろう」
 ロキも歯をカチカチと鳴らしだした。
「ロキ、喜べ! ここは地獄らしいぞ。お前の、死んだ娘と会えるんだぞ!」
「えっ、じ、地獄! 嫌だ、嫌な所だ。こんなぞくぞくする穴ぐらから、早く出よう」
「なに、早く出よう? ロキ! 馬鹿な事を言うな! うっかりした事を言うと、それこそ、ここから出られなくなるぞ」
「トール、おどかすなよ」
「女のようにくよくよするな! それでも戦士か」
「よし、それじゃ、どこまでも行くよ!」
「それでこそ、本当のロキだ! こういう所に来ても、いたずらをするようでなければ、本当のいたずらの神と言われないぞ」
「そうだ、お前たちも、元気を出せ!」
 ロキは歯をカチカチと鳴らしながら、チアルフとロスカに力を込めて言った。自分では力を込めて、堂々と言ったつもりだが、その声はかすれて震えていた。
 トールが歩き出した。ロキもすぐその後に続いた。足音が不気味に響いている。
 ロスカはいつの間にか、トールの太い腕にしがみついていた。
 二人が肩を並べて歩くのがやっとというほど、洞穴の岩と岩の間が狭くなってきた。その岩の壁が青く光っている。
 水がちょろちょろと音を立てて流れている。その水に触るとひやっとした。
「あ、生暖かい風が吹いてきたぞ!」
 不意に叫んだロキの声が、頭の上でがんがんと響いた。
 目の前が急に、ぱっと広がった。天井の高い、大きな洞穴に出たのだ。
「あ、あんな所に幽霊が……」
 洞穴の両側には、がたがた震えている幽霊たちが、数えきれないぐらい立っていた。その何百という冷たい目が、四人に集中した。
「おい、あそこを見ろ!」
 トールが不意に叫んだ。
「きゃ……」
 と、ロスカの悲鳴が上がった。
「ロスカ! 大丈夫だよ」
 兄のチアルフが、ロスカの身体をしっかりと抱いた。
「あ、あれは……」
 ロキの震える声が、ひゅうっと唸った風の音に吹き消された。
「幽霊の王座だ。見ろ、ロキ! あそこに座っているのは、お前の娘、ヘルじゃないか!」
「えっ!」
 ロキはびっくりして、洞穴の中段の正面を見た。
 王座は、人間の骨と骸骨でできている。その上に胸を張って座っている女の身体は、上が真っ青で、下が真っ赤だ。


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「あっ、ヘ、ヘル……」
 ロキはふらふらっとして、その場に倒れかかった。
「ロキ! しっかりしろ」
 ロキの背中をどんと叩いたトールは、鋭い声で叫んだ。
「臆病者! お前はびくびくするために生まれてきたのか。 びくびくして死ぬ運命を自分で作ろうとしているのか! みっともないぞ」
 ロキは目を開けた。だが、何も言わなかった。
 トールは青い光を放っている王座の前へ近づいて行った。
「幽霊の女王! 我々は、自分から好んでここに来たのではない。道が一つしかなかったのだ」
 女王は黙っていた。
「我々は、巨人の国へ行く途中、道に迷っただけだ! もし、巨人の世界に行く近道を知っていたら教えて欲しい!」
 上が真っ青で下が真っ赤の幽霊の女王は、たくましいトールの身体を舐めるように見つめていた。
 突然、女王のヘルが叫んだ。
「ああ、あなたの、その、その健康な身体を、私は、私は見ていられない!」
 真っ赤な口が耳まで裂けて、不気味な声が大きな洞穴の中に響いた。
「頼む! すぐ、すぐ、ここから出て行って欲しい! 巨人の国へ行く道は、この下の細い道を行けばすぐだ! 早く、さ、早く!」
 幽霊の女王が苦しそうに胸をかきむしった。すると、洞穴の両側に立っている幽霊たちが、しくしくと泣き出した。耳が痛くなるぐらい騒がしくなった。
「ロキ! 行くぞ」
 トールは、震えているロスカを抱き上げて歩き出した。
 チアルフはその後にすぐ続いた。
 二、三歩歩きかけたロキは、足を止めて王座を見上げた。
(あ……あれが、私の娘なのか!)
 思わず顔をそむけた。
 生きている時は、悪い事ばかりしていた娘だ。
 かわいい小鳥の羽をもぎったり、家に火をつけたり、子供の顔に火を押し付けたりして、神様たちを困らせたり、怒らせたりしたものだ。
 その娘が、物凄い所に、物凄い姿をして座っている。ロキは顔を伏せると、一気に駆けだした。走りながら、涙をぼろぼろとこぼしていた。苦しくて、苦しくて、喉が詰まる思いがした。しばらく走ると、頭の上に、月がぽっかりと見えた。




~つづく~

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