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 今日もアメブロの方を更新しました。最近恒例、デートエピソード+αですが……。(^ ^;)

 こちらの方は、オランダの民話『小人の作った鐘』でいきます。


 ではスタート!


小人の作った鐘



 むかしむかし、オランダにまだキリスト教が伝わらなかった頃、人々はキリスト教とは違った宗教を信じていました。
 けれども、その内、外国のキリスト教の宣教師たちが、
「お前さん達は、悪い宗教を信じている。お前さん達が有難がっている神様は、お前さん達に悪い事ばかり教えていて、ちっとも偉いことは無い。早くそんな神様を拝むのはやめて、キリスト教を信じなさい」
 などと言い出しました。
 そして、
「私達キリスト教の神様は、それはそれは私達を愛して下さり、貧しい者も、病気の者も、みんな幸せにして下さるのじゃ」
 と教えていました。
 この宣教師の中には、悪い人がいて、オランダ人たちが神様のように大切にしている木をわざと切り倒してしまったり、有難がっている井戸や泉を、
「何て馬鹿馬鹿しい……」
 とあざ笑ったりしました。
 また、三羽のカラスを連れているフライアという神様を、オランダ人たちは敬ってお祈りをささげていましたが、悪い宣教師たちはそれを見ると、
「そんなものは神様なんかじゃありゃしない。そんなくだらぬものにお祈りしても、石ころにお辞儀をするのとおんなじさ。もしも効き目があったなら、わしの首をやってもいいよ」
 と悪口を言ったりしました。
 そんな様子を見たり聞いたりして、酷く怒ったのは小人たちでした。小人たちは、神様が世界の始まりと同時に作ったのですが、身体が小さく、その上姿がとても見にくかったので、恥ずかしくてたまらず、いつも地の中に隠れているのです。そして、土の中に含まれている金や銀や銅、錫などを、せっせと掘り出して働いていました。
 小人たちは、悪い宣教師たちを憎んで、ある日、地の底で会議を開き、
「まったく、けしからん宣教師だ。ひとつ、懲らしめてやろうではないか」
「だが、宣教師全部が悪いというのではない。中には良い宣教師もいるのだから、良い宣教師には良い事をしてやり、悪い宣教師には散々な目に合わせてやる事にしたらいいだろう」
 と相談しました。
 そう決まってからというもの、悪い宣教師たちには、毎日、毎日、悪い事ばかりが起こりました。パンを食べようとすると、一面にカビだらけで食べられませんし、牛乳を飲もうとすると、葉のように苦いのです。家の中にはバラバラと砂利が降ってきます。ベッドはひっくり返されるし、服や帽子が無くなってしまいました。
 悪い宣教師たちは、頭から湯気の出るほど怒りましたが、どうしてこんな事が起こるのかさっぱり分からないで、地団太踏んで悔しがりました。
 それに引き換え、良い宣教師には、毎日、毎日、嬉しい事ばかり起こりました。パンや牛乳が無くなったと思うと、いつの間にか食べきれないほどたくさんのパンや牛乳が、ちゃんと置かれているのです。
 ベッドの敷布や肌着などは、いつも真っ白に洗濯されていますし、庭に出ると、色とりどりの綺麗な花が知らぬ間に植え付けられていたりします。また、教会を建てようと思うと、材木や釘などが、どこからか、さっと山のように運ばれてきたりしました。
 教会が出来上がると、良い宣教師たちは、
「教会には鐘がないといけない。鐘は、森の中で迷った旅人に場所を教えたり、神様にお祈りをするため、人々を呼び集めたりするのに是非必要なものだ。ところが、このオランダには鐘を作れるものが居ないから、遠い国から取り寄せなければならない。そうするにはたくさんのお金がいるが、我々にはお金がないから、そんなことは出来ないし、困った事だ」
 と、毎日ため息ばかりついていました。
 それを知った小人たちは、また会議を開いて、
「良い宣教師たちは鐘を欲しがっているが、ひとつ、オレ達の力で鐘を作ってみたらどうだろう。オレたちは、人を殺す刀や槍を作るために金属を掘り出すのはごめんだが、鐘は人々のためにとても役に立つもんだから、オレ達が金属をどっさり掘り出して、たくさんの鐘を作って贈ろうではないか」
 と相談したところ、みんな喜んで賛成したので、そうする事に決まりました。
 それから小人たちは、さっそく金槌やノミやツルハシやてこなどを使って、昼も夜もせっせと鉄や銅の入っている岩を砕き始めました。
 鉄や銅がたくさん集まると、今度は日を真っ赤に燃やしてそれを溶かしました。膝までの、つんつるてんの短い服を着て、サンタクロースのお爺さんみたいに、天辺に房の付いている赤い帽子をかぶった小人たちは、火を燃やしたり、鉄や銅を投げ込なんだり、あっちこっち走り回って大活躍です。
 顔は煤で真っ黒になるし、身体は火の熱で焦げてしまったほどですが、小人たちはじっと我慢して、溶けた鉄や銅で、鐘を一つ一つこしらえていきました。
 その甲斐あって、何か月の後には、大きいのやら小さいの、丸い物や長い物、いろんな型の百以上の鐘が、ずらりと地の中に並びました。
「うわー、出来たぞ、出来たぞ! もう、この位でいいだろう」
 小人たちは鐘造りをやめて、出来上がった鐘を鉄の棒につるしました。それから顔や体を洗い、服を着替えてさっぱりしてから、鐘の下にみんなが並びました。
 すると小人の頭が一本の短い棒を持って、みんなの前に立ち、
「さあ、みんな、鐘が出来たお祝いに、鐘の音に合わせて歌を歌おう。だが、はじめにちょっと練習しなければいけないな。わしが調子をとるから、みんな、歌ってみてくれ」
 と言いました。
 そこで小人たちは、頭が棒を一振りすると、みんな一斉に声を張り上げて歌い出しました。
 けれども小人たちは、男や女ばかりでなく、年寄りや子供たちも一緒だったので、なかなか調子が揃いませんでした。
 銅鑼声を出す者もあれば、耳をふさぎたくなるようなキンキン声を出す者もいます。
 小人の頭はがっかりして、
「そんな低い声で歌っちゃだめだよ」
 とお爺さんを注意したり、
「おい、おい。そんな獣の吠えるような声を出したら、他の者が困るじゃないか」
 と若者を叱ったり、
「いいぞ、いいぞ、その調子!」
 などと子供たちを褒めたりしている内に、どうやら、やっと、揃うようになりました。
 そこで本番となり、小人たちは百以上の鐘を一斉に突き鳴らして、その音に合わせて合唱し始めたのです。
 ちょうどその頃、人間界では、一人の宣教師が出来上がった教会を眺めながら、
(ああ、鐘が欲しいなあ。鐘が無いと、なんだか魂が抜けているみたいだ)
 と思いました。
 日が暮れてから宣教師は、
(どうしても鐘を手に入れたいが、この国では金が作れないから、とにかく、ライムズまで行って何とかしてこよう)
 と考えて、それから寝床に入りました。
 すると、なんだか鐘のような音と、歌声のようなものが聞こえてきたように思いました。
(おや、おかしいぞ。この国には鐘なんか無いのだから、私があまり欲しがるので、空耳かな……)
 宣教師はそう思って耳を澄ますと、確かに美しい鐘の音と、歌声とが聞こえてくるのです。
(なんて不思議な事だろう。この国では鐘の音など聞かれる事が無いはずなのに……。しかも、あんなに綺麗な鐘の音が……)
 宣教師は不思議に思いながら、じっと鐘の音に聞き入っていました。


 小人たちは合唱が済むと、
「さあ、それでは鐘を教会へ配って歩こう。みんな、急がなくちゃだめだぞ。
夜が明けたら、人間の世界にはいられないんだから」
 と言って、鐘を全部地上へ運び出しました。それからみんなで手分けして、あちらこちらの教会へ金を吊るして歩きましたが、みんな大急ぎで働いたので、夜が明けないうちに、すっかり仕事が終わりました。
 小人たちはほっとして地の中へ潜り込むと、
「鐘を見て、宣教師たちはどんなに驚くだろうね」
 と言って嬉しがりました。
 この日から、オランダの国にも、美しい鐘の音が響き渡るようになったのです。




~おしまい~

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 サイトを更新しました。

 今日は『ホビー雑誌コーナー』に、シャドーパンサーとドリルビットを追加しています。


 昨日、Googlechromeで書いた記事、二つほど画像を更新したんですが、InternetExplorerだと更新後の画像が出るのに、Googlechromeだと、いくら更新しても修正前の画像のままなんですよねぇ……。

 他のお客様からだとどう見えてるのか気になるところですが……。


 さて、本文の方は、『ほら男爵』の最終回です。


 次回からは、また別の連載企画を考えています。

 では、スタート!


 さて、最後に、月世界旅行と同じような、いや、それに輪をかけた不思議で珍しい吾輩の冒険談をお聞かせしましょう。
 ある日吾輩は、たとえ命にかかわろうとも、という硬い決心のもとに、シチリア島のエトナ山火口の内部の作りを調べようと出発した。
 およそ三時間も険しい道を歩き続けて、やっと山のてっぺんに着いた。
 その頃、山は荒れていて三週間も荒れ続けた後だった。吾輩は火口の周りを三度も回ったが、そんな事では内部の様子はわかるはずも無いので、思い切って、えいとばかりに火口に身を躍らせた。
 吾輩の身体は、吹き上げる真っ赤に焼けた炭火のためにたちまち焼けただれて、それでもどんどん落ちて、ついに火口の底に着いた。
 ほっとした途端、向こうの方で恐ろしい物音と叫び声が聞こえてくるので行ってみると、どこかで見た事のある足の悪い神と、一つ目の巨人が大げんかをしているではないか。
 吾輩は頭をひねって、やっと二人の正体が分かった。いつか、昔話で読んだことのある、火と鍛冶の神ブルカーンと家来のサイクロプスだった。やれやれ、こんな連中が火口の底で暴れていては、山も荒れるわけだ。
 しかし、吾輩の姿を見ると、二人はたちまち喧嘩をやめた。そしてブルカーンは、親切にも油薬を塗って吾輩の手当てをしてくれたばかりか、酒まで飲ましてもてなしてくれた。
 ブルカーンは、エトナ山の起こりについて説明してくれた。
 何のことは無い。ブルカーンの鍛冶場から投げ出される灰が積み重なって出来た山だそうだ。つまりブルカーンは、ときどき家来に罰を与えるために真っ赤な炭火を投げつけるのだが、度重なるうちに、家来はよけ方が上手くなった。そこで外れた炭火は地上へ飛んで灰になって積み重なってエトナ山になったという訳だ。
 ブルカーンはなおも語り続けた。
「我々の喧嘩は二、三か月も続くことがあり、その事から地上に起こる騒ぎを、あなた方は爆発と言っているようです。ご存知のベスビオ山の大爆発も、我々のせいで申し訳ないと思っています」
「なるほど、なるほど」
 吾輩は、正直なブルカーンがすっかり好きになって、もっとこの地下の宮殿に居たかったが、ままならぬは世の、いや地底の常だ。
 口うるさい奴が、ブルカーンに吾輩のつまらぬ告げ口をしたらしく、お人よしのブルカーンはかんかんに怒って、訳も言わずに、
「この恩知らずめ、お前が来た、元の世の中へ帰っていけ」
 言い訳をする暇も有らばこそ、吾輩は底なしの深い井戸に投げ込まれた。
 吾輩の身体は深く深く、どこまでも吸い込まれて、次第に気を失っていったが、やがて我に返ると、眩しい太陽の輝く海の上に浮かんでいた。
「やれやれ、助かったぞ」
 吾輩は、ほっとしたがそれもつかの間の喜びで、どこを見回しても陸地らしいものは見えない。いささか心細くなっていると、小山のような氷山が流れて来た。吾輩は得たりと、それによじ登った。
 腹がペコペコだし、また白熊でも仕留めて焼肉にでもあずかろうと、方々探してみたが、足跡一つ見つからない。
 ガッカリしていると、なんという幸運だ。はるか彼方から、一艘の船が走って来るではないか。
「おーい、助けてくれえ」
 吾輩は夢中で叫んだ。
「今行くぞ、待ってろ」
 向こうも答えて、船はぐんぐんスピードを加えた。
 吾輩は、もう嬉しくて船の来るのが待っていられず、ざぶんと海中に飛び込むと、船に泳ぎ着いて、やっと引き上げてもらった。
 船員から、ここが南太平洋の真ん中だ、と聞かされた時にはからかわれているのかと思った。船員の言う事が本当だとすれば、吾輩はエトナ山の火口の底から地球の中心を突き抜けて、南太平洋の中へ落ちたことになるからだ。
 しかし、それは間違いのない事実だった。そして、それは吾輩以外のどんな人間も通った事のないコースだった。こんな事なら、気など失わずによく観察すればよかった、とつくづく後悔した。
 吾輩は、船員の手厚い看護ですぐ元気になった。そして聞かれるままに、今までの冒険のいきさつを細かに話したが、誰も信用しないばかりか、腹を抱えて大笑いした。
 吾輩は、自分の正直を疑われるのは我慢ならない性質だが、相手が命を助けてくれた恩人であっては仕方がない。煮えくり返る胸を押さえてこらえた。
 次の日の朝、我々の船はオーストラリアのボタニー湾へ着いた。ここは非常に自然に恵まれて上天気で、イギリス政府はここへ罪人を送ってよこすようだが、むしろ手柄のあった人をご褒美に連れてきた方が良さそうに思われた。
 我々は、ここに三日だけとどまってまた出港したが、その四日目の事だった。恐ろしい嵐のために、帆と言う帆は引きちぎられ、船首の斜めの帆もばらばらにされ、おまけに大きなつぎ帆柱が羅針盤の上にぶっ倒れて、羅針盤の箱もろとも無残に打ち砕かれた。
 さあ、大変。
 船に羅針盤が無くなったら、盲目が杖をなくしたのとおんなじだ。方角が分からなくなる。
 間もなく嵐は静まったが、我々の船は、あっちへふらふら、こっちへふらふら、あてどの無い航海を続けなければならなかった。
 そして三か月後の事だった。苦あれば楽あり。
 ある日、吾輩は何とも言えない良い香りに目を覚ますと、甲板の方で、
「ミルクだ、ミルクだ」
 と、船員たちが大騒ぎだ。
 何事かと行ってみると、これは驚いた。海の水が真っ白に変わっている。
 舐めてみると、なるほど、舌のとろけそうな甘いミルクだ。おまけに陸地も広い。
 我々は大喜びで、ミルクの海を突っ切って上陸した。すると、さらに驚いた事に島全体がチーズで出来ている事だった。
 島の住民は、このチーズを食べて生活している。しかも便利な事にいくら食べても、一夜のうちに元通りに生長しているから、ちっとも減らない。
 見事な実のついたブドウの木もたくさんあったが、食べて見るとこれもミルクの味だった。
 お化けキノコのような穂のついた麦も生えていたが、この実の中には、すっかり焼けて食べられるばかりのパンが入っていた。
 我々は、この島を歩き回っている内に、七つのミルクの川と、二つのぶどう酒の池を発見した。
 こんなわけだから、背丈が二メートル七十センチ、足が三本、手が一本、額に角が一本生えている奇妙なこの島の住民は、いつも働く必要もなく、飲んだり食ったりミルクの海で遊んでいる。平地と同じで絶対沈まないのも便利だ。
 このチーズ島で、我々は目と目の間に一本の角の突き出た二匹の野生の牛を仕留めて、焼肉にして舌つづみを打った。しかし、あとでこの牛は住民が乗り物に使うのだと聞いて、悪い事をしたと思った。
 いくら不思議な島でも、牛の骨に一夜で肉がついて生まれ変わるという事は無いからだ。
 また、ある時、吾輩は三人の男が高い気に吊るされているのを見た。
 一体この三人が、どんな悪い事をした罰かと聞いてみた。
 すると役人は、
「この連中は外国旅行をして帰ってきたのだが、出鱈目な冒険談を触れ回ったから厳罰を与えているのだ」
 と答えた。
 吾輩は、なるほどと同感した。
 いや、もっと酷い罰を与えてもいいと思った。旅行者としては、いつでも正直に本当のことを話すより大切な事は無いのだ。
 吾輩は、もっとこの島に居たかったが、船員に怠け癖が付くと困る、という船長の言葉に従って、再び出港した。
 羅針盤の無い船は、相変わらずあてずっぽうに海の上を走ったが、その内に、海は白から緑に、そして真っ黒に変わった。舐めてみると、なんとこれは世にも素晴らしいぶどう酒だった。
 と、その途端だ。我々の目の前に、一軒鯨のような巨大な怪物が現れた。船の中のありったけの望遠鏡をつなぎ合わせて覗いても、尻尾の方はかすんで見えないくらいだった。
 あっと言う間に、そいつは我々を船ごとぱくりとやると、がぶがぶ海水を飲んでのどから胃袋の中へ流し込んだ。
 我々の船は、胃袋の中でぽっかり浮かんだ。周りにも、怪物に飲まれた沢山の船が並んでいた。
 奴は時々水を飲む。その度に、船は水をかぶって沈没しそうになるので、ポンプで排水作業をするのだが、その大変な事ときたらありはしない。
 とにかく、この怪物ときたら、周りが数十キロメートルもあるジュネーブ湖の水よりも、さらにたくさんの水をがぶ飲みするのだ。
 誰も生きた顔色は無かったが、いつか怪魚の腹に駆け込んだ経験のある吾輩だけは、落ち着いていた。奴らの体内の地理には明るいことだし、船長や二、三の士官を励まして、松明を頼りに船を降りて、胃袋の中を視察に出かけた。
 すると隅の方で、一万人近い人が、どうすればこの怪物の腹の中から逃げ出せるかと、真剣に会議を開いていた。
 我々も仲間に加わって、討議が一段と活発になった途端、


 ドドドドドッ!


 頭の上から滝のように海水が流れ込んできた。怪物が意地悪く水を飲んだのだ。
「わあ、助けてくれ」
「溺れるよう」
 みんな、あっぷあっぷの大混乱だ。しかし、そこは海を友とする船乗りたちばかりだから、どうにか危険を逃れて会議は続けられた。
 今度は吾輩が議長に選ばれた。
 そこで吾輩は、
「帆柱を二本継ぎ足して、怪物が口を開いた途端につっかい棒にして、その隙間から逃げる方法はいかが」
 と提案すると、
「なるほど、いい考えだ」
「賛成、賛成」
 たちまち可決された。
 そこで、百人の勇敢なものが選ばれて、二本の帆柱をつなぎ合わせてチャンスを待った。
 やがて時は来た。
 怪物が大あくびをしたので、
「それっ、今だ」
 わっしょ、わっしょい、力を合わせて頑丈な帆柱が怪物の上あごと下あごの間にしっかり立てられた。怪物は大口を開けたまま、目を白黒させている。もう、こっちのものだ。
「ばんざい」
 我々は、凱歌を上げると、胃袋の中の三十五艘の船で一艦隊を編成して、威風堂々、怪物の口から抜け出したのである。
 輪が舟の羅針盤は、うまく怪物のヘソの辺りに他所の船のが引っかかっていたのを頂戴した。
 例の帆柱は、怪物の口の中へ立てっぱなしにして、今後、他の人々が二度と我々のような目に遭わないようほったらかしておいた。
 噂によると、その後、この怪物は飲みたくなくても胃袋に水が遠慮なく流れ込み、ついに腹が膨張して、大爆発を起こして死んだと言われる。
 天罰覿面というものだ。
 さて、我々は死地を首尾よく逃れたのだが、今、どこにいるのかさっぱり分からない。
 しかし、吾輩は今までの行く先を色々と考え併せて、カスピ海らしいと思っていた。
 だが、よく考えてみると、カスピ海と言えばすっかり陸に囲まれていて、どの海にも続いていないから、船が陸を渡って来ない限り、我々がこんな所にいるわけがないのだ。
(おかしいぞ)
 と思っていた。
 そして、吾輩がチーズ島から連れてきた男が、
「なあに、ちっとも不思議じゃありませんよ。あの怪物が、私達を胃袋に押し込めたまま、地下を潜ってこのカスピ海まで来たんですよ」
 と、もっともらしい説明をした。
 さてある陸地に着くと、久しぶりに土を踏むことのできる喜びに、吾輩は真っ先に船を降りたが、途端に待ってましたとばかりに一匹の太った大きな熊が飛びかかって来た。
 吾輩はそれを歓迎と解釈して、
「お出迎え、ご苦労様」
 と言いながら、熊の前足を一本ずつ捕まえて、力いっぱい握手した。


 ウーッ!


 熊は変な声を出して唸ったが、あいにく熊語の分からない吾輩は、熊が喜んでいると思い込んで、何日も手を放さずにいたら、とうとう、熊は腹を減らして伸びてしまった。
 吾輩は、そこからロシアの都ペテルブルクへ行った。そこで、ある古い友人を訪ねると、記念に一匹の猟犬をくれた。狩りの話で、諸君ご存知のあの素晴らしい奴の血を引いた子供だ。
 あの猟犬は、へたくそな猟師に貸してやったばかりに、そいつに撃ち殺された。折角犬がシャコを追い出してくれたのに猟師は間違えて、犬を撃ってしまったのだ。全く、可愛そうなことをしたものだ。
 吾輩は、記念のためにその猟犬の毛皮でチョッキを作った。今着ているこのチョッキだ。このチョッキさえ着ていけば、猟に行くにも犬はいらない。忠実なる吾輩のチョッキは、黙っていても獲物のいる場所へ足を向けさせてくれる。
 射撃の出来る近くまで来ると、吾輩の足はひとりでに止まり、チョッキからボタンが飛んで行って獲物のいる場所へ落ちる。そこを狙って吾輩は引き金を引くという訳だ。
 吾輩の狙いは少しも狂わず百発百中、どんな猛獣だって逃れることは出来ない。御覧の通り、吾輩のチョッキにはもう、ボタンが三つしか残っていない。だが、猟の季節になったら、さっそく二つのボタンをつけ足して、野山へ飛び出すつもりだ。
 その時は、また尋ねてきたまえ。もっと面白い話もある事だろう。じゃあ、さようなら。




~おしまい~

2021.01.04 三人の占い師

 今年最初の通常記事は、『文庫本コーナー』で行こうと思います。

 今日はメキシコ伝説から、『三人の占い師』です。


 では、さっそくスタート!


三人の占い師



 トルテック族が最も栄えたケツァルコアトル王の御代のことです。
 畑にはトウモロコシが豊に実り、木々には数知れぬ様々な果物の実が、枝もたわわにかぐわしい香りをまき散らしていました。
 山と言う山からは、金、銀、宝石などがザクザク出るというこの世の楽園で、トルテックの人々は幸福感に満ち溢れていました。
 面白くないのは、貧しいアズテック族の人々でした。中でもテトラカファン、テズカトリポカ、トラカフェパンの三人の占い師は、妬みの挙句、折あらばトルテック人の幸福を分捕ってやろうという悪い計画を立てていました。
 今日も三人は、
「何にしても、邪魔になるのはケツァルコアトル王だ」
「そうとも、王さえ何とかすれば……」
 と、頭をひねっていました。すると、
「それなら良い考えがある。オレに任せろ」
 テズカトリポカが笑って、二人にささやきました。
「なるほど、それは名案だ」
「うまくやれよ」
 どうやら計画はまとまったようです。
 さて、あくる日、テズカトリポカは白い髪を振り乱した老人に化けて、トランの都にあるケツァルコアトル王の宮殿にやって来ました。
 門番に、
「どうか、お目通りをさせて下さい」
 と、丁寧に頼みました。
「お目にかかって申し上げたいことがありますので……」
「せっかくですが、王様は見知らぬ方にはお会いしないことになっていますから。それに、王様はただいまお身体の具合が悪いのです」
 と、門番は素っ気なく断りました。
 それを聞いて、テズカトリポカはしめたと思いました。でも、何食わぬ顔で、
「それは、それは。実は、私はどんな病気もたちどころに治る妙薬を持って参ったのですが、お目にかかれないのでは仕方ありません。では、王様に宜しく」
 と、残念そうに帰ろうとすると、
「ちょ、ちょっと、お待ちを」
 門番は慌てて呼び止めて、奥へ入って行きました。
(しめ、しめ)
 テズカトリポカが、狡い笑いを浮かべて待っていると、今度は美しい侍女が現れて、
「王様がお目にかかるそうです。どうぞ、こちらへ」
 と、王様の居間へ案内してくれました。
 ケツァルコアトル王は、深々とした椅子にもたれて青い顔をしていましたが、テズカトリポカの顔を見るなり、挨拶も聞こうとせずに、
「妙薬とやらを早く飲ませてくれ。このままではわしは死んでしまう」
 と急き立てました。
「はい、はい。ただいま」
 テズカトリポカは、懐から恭しく水薬の瓶を取り出すと、
「もう、ご心配には及びません。これを召し上がると、すぐお元気になられます」
 と、盃に次いで差し出しました。
 王様は一口飲んで、
「なるほど、なんだか少し気持ちが良くなってきたぞ」
 と、ニコニコしました。
「では、もう一杯」
 テズカトリポカに勧められるままに、王様は二杯から三杯、それから四杯と続けて飲んでいる内に、次第に眠くなり、やがて、ぐっすり寝込んでしまいました。それは薬とは真っ赤なウソで、ブクルエという強い酒に眠り薬を仕込んだものでした。
「ふふふ。うまくいったぞ。どうせ目を覚ますのは二、三か月先のことだ。さて、その間にウエマックの奴をちょろまかしてやろう」
 テズカトリポカは、薄気味悪い笑いを残して宮殿から消えていきました。



 ウエマックとは、トルテック族の頭で、ケツァルコアトル王の手助けをしている人でした。
 ウエマックには、チャチューネチンという美しい娘がありました。
 数々のトルテックの若者たちが、我こそはと結婚を申し込みましたが、お父さんのウエマックは片っ端からはねつけたばかりか、若者たちに近づかぬよう、チャチューネチンを屋敷から一歩も外に出しませんでした。
 チャチューネチンは可哀想に、いつも部屋の窓からぼんやり外を眺めて暮らしていました。
 ところがある日、窓の下を一人のインド人の若者が、チャチューネチンに優しい微笑みを送りながら通り過ぎていきました。
 男らしい濃い眉、きりっとした口元、チャチューネチンは、この若者がいっぺんに好きになりました。
 それがまさか、占い師のテズカトリポカの変装とも知らず、日夜、物思いにふけるようになったのです。侍女にそれとなく聞いて、若者の名前がトウエヨと分かったものの、その思いを誰にも打ち明ける事も出来ず、とうとう重い病気にかかってしまいました。
 お父さんのウエマックが心配して、医者に見せましたが、
「どこも悪い所は無いようですが……」
 と、首を傾けるばかりです。すると、侍女の一人が、
「何か、人にお話の出来ないお心のわだかまりが元になっていられるのでは……」
 と、申し上げました。
「なるほど、それについて何か心当たりは無いか」
 ウエマックが聞くと、
「そう言えば、いつぞや、窓の下を通るインド人の若者の名前を私にお聞きになりましたが、お姫様のご病気はそれからの事で……」
 侍女は、言いにくそうに答えました。
「うーん。それで分かった」
 ウエマックは眉を険しくしかめると、
「すぐ、その若者を召し連れて参れ」
 と、家来に言いつけました。
 まもなくトウエヨが引き立てられてくると、
「おのれ、不埒者。お前だな。わしの娘を誘ったのは」
 ウエマックは、真っ赤になって怒鳴りました。
「と、とんでもない。私はインドから来た絵の具の行商人で、たまたま、お屋敷の窓の下でお姫様にご挨拶しただけで……」
 トウエヨはしゃあしゃあと答えました。
「でしたら、お姫様が勝手にお好きになられたのでしょう」
「いいえ、言うな。お前のような奴は……」
 ウエマックは怒りのあまり、思わず剣の柄に手をかけましたが、
「私の首を斬るとおっしゃるのですね。どうぞ、どうぞ」
 トウエヨはせせら笑って言いました。
「でも、私が殺されたら、お姫様ももっと病気が重くなって、もしかすると……。それでもいいのですか」
「うーん」
 ウエマックは悔しそうに剣の手を放しました。そして、
「ああ、わしはどうしたらいいのだ」
 と頭を抱え込むと、
「それなら簡単です」
 トウエヨが言いました。
「私達の結婚をお許しください。そうすればお姫様の病気も治ってうまくゆくではありませんか」
「うーん、忌々しいが、姫の身体のためには代えられん」
 とうとうウエマックは、二人の結婚を許しました。
 インドの若者に成りすました占い師テズカトリポカは、こうして首尾よくチャチューネチンと結ばれました。
「しめ、しめ」
 テズカトリポカは、腹の内でほくそ笑みました。
(オレがウエマックの婿となったと聞いたら、きっとトルテックの奴らは騒ぎだすだろう、そうなったらこっちのものだ)



 テズカトリポカが思った通り、トルテックの人々は、この結婚のニュースに騒ぎ出しました。
「ウエマック様もウエマック様だ。何も得体の知れないよそ者などと、大切なお姫様を結婚させなくても良さそうなものじゃないか」
「全くだ。どこの馬の骨ともわからぬものに、我らの大切な宝を横取りされて黙っていられるか」
 不平不満の声は、日に日に高まっていくのでした。
「これはまずい。ほっておいては一大事になる」
 驚いたウエマックは、色々と考えた挙句、人々の気を他所へ逸らせるためには隣の国コアテペックに戦争を仕掛ける事にしました。
 人々は、
「よし、こうなったら、敵の手でトウエヨをやっつけてもらおう」
 と示し合わせて勇ましく出陣しました。そしてコアテペックの国に侵入すると、
「お前さんも、我らの頭のお婿さんとなったくらいなら、さぞかし武勇優れた侍だろう。先頭に立って敵を打ち破って下さい」
 と、トウエヨをおだて上げました。
「いいとも、手並みのほどを見せてやる」
 みんなの企みを知ってか知らずか、トウエヨはただ一人、敵の真っただ中に突き進んでいきました。そして槍を振るって、あたるを幸いなぎ倒し、素晴らしい手柄を立てました。
 軍隊が敵を降参させてトルテックに帰ってくると、ウエマックは、
「よくやった。あっぱれな働きだ」
 と、トウエヨを誉めそやして、この国で最も高い位を与えました。
 馬鹿を見たのはトルテックの人々でした。
「おい、変なことになってしまったな。オレ達は奴をやっつけるどころか、かえって偉くさせちゃったじゃないか」
「本当にそうだ。こんなことになるんだったら、奴の代わりにオレ達が先頭に立てばよかった」
 と、ぶつぶつ言い合いました。
 トウエヨという英雄に成りすましたテズカトリポカは、
「オレも大した人気者になったものだわい。どれ、最後の目論見に取り掛かるとするか」
 と、悪魔のような笑いを漏らし、何と思ったか、トランの町中の人を招いて盛大な野外パーティを開きました。
 トランの人々はもちろん、近くの村々の人たちまで集まって、酒を飲み、肉を食い、そして、トウエヨの叩く太鼓の音につれて、踊ったり歌ったりしました。
 その内にトウエヨが、
「さあ、みんな、私の歌に調子を合わせて足拍子を取って下さい」
 と言って、奇妙な歌を歌い始めました。それにどんな企みが隠されているかも知らず、一杯機嫌のお客たちは、我も我もとトウエヨの歌に合わせて足踏み鳴らして踊り始めました。
 歌の調子はどんどん早くなりました。それにつれて人々の足拍子もいよいよ急になり、やがて、くるくる回り始めました。そして、不思議な歌声に取り憑かれて、踊りを止めることも出来なくなってしまいました。そうこうしている内に、疲れ果てて、よろめいた何人かが高い岩から足を踏み滑らして谷底に転げ落ちたかと思うと、それを追うように他の者も雪崩を打って転げ落ちて、一人残らず石になってしまいました。あとには、
「はっはっはっ、脆い奴どもめ」
 と叫ぶテズカトリポカの高い笑いが山にこだまするだけでした。



 さて、悠々と仲間の所へ引き上げて来たテズカトリポカは、得意になって自分の働きを報告すると、
「いよいよトルテックの奴らを叩き潰す最後の仕事だ。お前たちの力も借りるぞ。うまくいけば、奴らの黄金も宝もこっちのものだ。しっかり頼むぞ」
 と言って、何やら策を授けました。それから間もなく、再びトランの町に現れました。そして、人通りの多い町かどで、掌にちょこんと座ったチトラカファンの化けた豆粒みたいな赤ん坊を見せびらかして、
「さあ、さあ、皆さん。よくご覧なさい。これなる豆男がステキな芸当をお目にかけますぞ」
 と、ふし面白く呼び立てました。
 たちまち辺りは黒山の人だかりになりました。
 それを見ると、テズカトリポカは口笛を鳴らし始めました。
 すると、待っていましたとばかり、赤ん坊に化けたチトラカファンが掌の上に立ち上がって、飛んだり跳ねたり、滑稽なダンスを始めました。
 あまりの面白さに、みんな夢中になって、
「よく見えないぞ。ちょっとどいてくれ」
「うるさい。後から来ておいてなんだ」
「痛たたた。足を踏んだのは誰だ」
 と、押し合いへし合いのいがみ合いを続けている内に、とうとう怪我人まで出る大騒ぎになりました。
 見物人たちは自分のことは棚に上げて、
「これと言うのもお前たちのせいだ」
「この始末をどうつけてくれる」
 と、テズカトリポカと豆男のチトラカファンに激しく詰め寄りました。
 すると、さっきから見物人の中に交じって様子を窺っていたトラカフェパンが、かねての計画通り、
「構わないから殺してしまえ」
 と煽り立てたからたまりません。見物人は、
「それっ」
 とばかり、一斉にテズカトリポカとチトラカファンに飛びかかって、踏んだり蹴ったり、とうとう二人を殺してしまいました。
「ざまを見ろ」
「いい気味だ」
 見物人たちは、口々に罵りながら引き上げようとした瞬間、突然、二人の死体からむかむかするような悪い臭いが立ち上りました。
「ひ、酷い臭いだ」
「わあ、息が詰まりそうだ」
 みんな鼻をつまんで逃げだそうとしましたが、もう遅く、きりきり舞いして大地に倒れ、そのまま息が止まってしまいました。
 この有様を見て、驚いて駆け付けた人たちも、手の付けようも無くぽかんとしていると、トラカフェパンが言いました。
「ぼんやりしていないで、速く死体を片付けないと、あなた達も同じ目に遭わされますよ」
「どうしたらいいでしょう」
「谷底に投げ込んだらいいでしょう。他に方法はありません」
 そこで人々はトラカフェパンに言われた通り、二つの死体に綱を付けて引っ張りにかかりましたが、不思議やびくとも動きません。
 町から村から、数千の力自慢の人を駆り集め、やっとのことで山に引っ張り上げ、さて、二つの死体を谷底に投げ込もうとした時でした。
 突然、人々の足元の岩が崩れて、みんな谷底に落ちて死んでしまいました。
 すると、今まで大地に転がっていたテズカトリポカとチトラカファンがむっくり起き上がりました。そして、トラカフェパンに言いました。
「やれ、やれ、死んだ真似も楽じゃなかったぞ」
「ご苦労様。これで、どうやらトルテック国もオレ達のものだぞ」
 トラカフェパンは嬉しそうに言いました。



 一方、こちらはトルテックのケツァルコアトル王です。長い眠りから目を覚まして、
「さては、アズテックの何者かに眠り薬を飲まされたのだ」
 と気づきましたが、その時はもう遅く、人民のほとんどが三人の占い師の企みにかかって死に、国は寂れかえっていたのです。
「ああ、光栄ある我が帝国もこれが最後か」
 王は悲しげにつぶやきました。
 そして、トランの都を立ち退いてトラパランに移る決心をしました。
 トラパランは、昔ケツァルコアトル王がメキシコの国に新しい文明を広めようと思い立った懐かしい土地でした。
「しかし、ここを立ち退く以上、ここまで育て上げた美しい国を、このままの姿で敵に引き渡してなるものか」
 と、王は家来に命じて数々の宮殿を惜しげもなく焼き払わせ、金銀でこしらえた沢山の宝を隠させ、トウモロコシを引き抜き、果物の木を枯れさせ、山野で美しく歌う小鳥たちもトラン地方から追い払ってしまいました。
 こうして、この世の楽園とうたわれたトルテックは見る影もなくみすぼらしくなりました。
 これを聞いて驚いたのはアズテックの三人の占い師です。これでは、せっかくトルテックを分捕っても何にもなりません。
 そこで、ケツァルコアトル王の出発する日を調べて、行者に身を変えて、途中で待ち伏せしました。
 やがて、王の一行がやって来ると、まず、テズカトリポカが素知らぬ顔で、
「私達は神に仕える身ですが、どちらへ行かれるのですか」
 と訊きました。
「トラパランだ」
 王は答えました。
「太陽の神が私を呼んでいるのだ」
「それでは、お別れのしるしに、宝石の在処を教えて下さい。私達がきっとお守りしますから」
 チトラカファンが言うと、
「その必要はない」
 と、王ははねつけました。
「では、宝石に細工する術や、絵を描く術や、羽細工の方法だけでも……」
「駄目じゃ」
 王は強く首を振ると、
「こんな物のために、私は不幸を招いたのだ」
 と叫んで、身に着けていた宝物をことごとくコズカーパの泉に投げ込んでしまいました。
「では、トウモロコシや、果物をよく実らせる方法を……」
 最後にトラカフェパンがしつこく頼みました。
「知らんな」
「せめて、鳥を呼び返す方法でも……」
「それも知らんな」
 王は冷ややかに答えると、
「お前たちが本当に神に仕える身なら、わしなどに訊くより神に訊いた方が早かろうに」
 と言って、悠々と歩きだしました。三人の占い師は、もうどうする事も出来ず、ぼんやりとその後姿を見送りました。
 やがてタバスコの海岸まで辿り着いたケツァルコアトル王は、そこに待っていた蛇のいかだに乗って、遥か東、トラパランに向かって消えていきました。




~おしまい~

 今日はアメブロの方も更新しました。

 昨日のサクラギア絶を組んだので、その記事を……。


 最近あぶら超人さん倉麻さんが夢の話をちょこちょこされていますが、私も今日は奇妙な夢を見ました。


 何か外観は原のイオンっぽかったんですが、中は大きな病院の受付みたいな感じで、さらに地下に降りて行くと、トイレみたいな空間で明らかに頭がおかしそうな中年男が男女の小さな子供をガラスみたいに透き通った、波打った刃に模様が入ったダガーみたいなので襲ってて、女の子の方は頭のてっぺんを刺されたものの、出血しただけで二人して逃げ出して(さすが夢)、私はと言うと、男に後ろから忍び寄って、腕を男の首に巻き付けて絞め落とそうとしたものの、反撃されて右腿の後ろを刺されるという。

 で、結局男はお縄になったんですけど、その後、地上階の売り場(衣料品売り場だったかな?)では、見知らぬ髪の長いおばさんが首を吊ってたという……。


 その後も何かあったんですが、さすがにそれは忘れちゃいました。(^ ^;)


 と、戯言はこれくらいにして本題に。

 今日は『ほら男爵』の続きでいきたいと思います。

 ではスタート!


 吾輩は、すでに銀の斧を取り返しに月に登った話を諸君にしたが、あまりに慌ただしい旅だったので、その内また行って、月世界の様子を詳しく調べたいと思っていた。折も折、吾輩の遠い親戚にあたる男が、ガリバー大人国で発見したような大きな体の民族が月に住んでいるらしい、と思い込んで、吾輩にその民族を捜しに一緒に行ってくれと言いだした。
 吾輩がガリバーの大人国の話など信じるわけがないが、その人は吾輩に遺産を受け継がせてくれることになっていたから、吾輩は愛想をよくしておく義務があった。もちろん、承知した。
 さて、問題はどうして月に登るかである。インゲン豆のつるでは懲りているし、風船で登るのも、いつか失敗した例を見ているし、色々考えた末、暴風に頼るのが最上の方法だと結論した。
 そこで我々は、暴風で名高いオタヒチ島さして船を進めた。
 すると、果たして十八日目にものすごい暴風が起こって、船を千六百メートルも高く吹き上げてくれた。船は帆をはらませてぐんぐん、雲の上を走った。
 そして六週間後に、輝く丸い陸地に着いた。
 ここが目指す月だったのである。
 下を見下ろすと、町や木や山や川や湖水などのある陸地があったが、よく考えてみると、これが我々の去ってきた地球だった。
 月の世界では、人間はハゲタカにまたがって走っていた。そのハゲタカには、どれも頭が三つあった。また、大きさも大変なもので、船の帆綱の六倍もあった。
 大きいと言えば、食卓の上を飛ぶハエが地球の羊ぐらいあるのにも驚いた。こいつを鉄砲で撃ち落としながらする食事は楽ではない。
 折も折、月世界の王様は、太陽と戦争をしていた。
 吾輩の豪遊ぶりは月世界まで聞こえているらしくて、王様は味方になってくれと頼んだが、今回は学者として調査研究に来たのだからと丁寧にお断りした。
 月世界の人の船倉に使う主な武器は大根で、これを投げ槍代わりに用いるが、一突きで敵を殺すことが出来る。大根の季節が過ぎるとアスパラガスの茎を使う。盾はキノコで作られている。
 商用で来ているシリウス星の住人もよく見かけた。彼らはブルドッグのような顔をしていて、目は鼻の下の両側にあり、まぶたは無くて眠る時は舌を目にかぶせる。身長は六メートルもあるが、ここではチビだ。
 何しろ月世界の住民は十メートル以下の者は居ないのだから。
 月の住民の名前がまた変わっている。
 彼らは人間とは言わず、“煮炊きするもの”と呼ばれる。
 それは人間と同じく、食物を煮炊きして作るかららしい。しかしそれを食べる事にかけて人間より簡単で便利に出来ている。口に入れて噛むなどと言う面倒くさいことはいらない。お腹をちょっと開いて、胃袋の中へ料理を詰め込んでおけば一か月は食べなくてもいいのだ。だから、彼らの食事は一年十二回で事足りる。
 月世界では“煮炊きするもの”つまり、地球で言う“人間”は木に実る。
 その木は他の木よりずっと美しく、真っ直ぐな枝と肉色の歯があり、その実はクルミのように固い殻に入っていて、長さは二メートルもある。
 熟した頃にこれを摘み取って、大きな鍋でぐつぐつ煮ると、人間が飛び出してくるという塩梅だ。
 月世界の人は年をとると、死なずに空中で分解して煙のように消えてなくなる。だから、ここには火葬場は無い。とにかく何もかもが便利に出来ているのだ。
 身体はどこでも取り外しが出来る。散髪の時は床屋に頭を預けておいて、胴の方は風呂に入っている。目も、鼻も、口も自由に外せるから、気に入らなくなったら取り換えればいい。
 そのために交換する店もたくさんある。
 旅行するにしたって、重い鞄をぶら下げていく必要はない。さっき言ったように、お腹が開けられる仕掛けになっているから、要るものは何でも入れていけばいい。とにかく胃袋の他には何にもないがらんどうだから、何でも入るといった具合だ。
 少しでも疑わしいと思う人は、どうぞ一遍、月世界へ行って御覧になるといい。そうすれば、吾輩が本当の話どころか、少し控えめに物語ったことがはっきりするに違いない。




~つづく~

 はい、という訳で、『西遊記セレクション』の今回の話を書き上げたので、今日は久々にそれで行きたいと思います。


 では、さっそくスタート!


第一七回 鳥かごの中の子供



 苦難に負けず、苦労を乗り越えて、四人は励まし合い、助け合って一歩一歩進むうちに、天竺はようやく近づいたと見えて、ある日、またもにぎやかな都に着いた。
「ここは何という国だろう。ちょっと聞いてみよう」
 悟空は引いていた馬の手綱を話して、道端の日向に体を暖めている一人の老人に尋ねた。すると、こんな答えをした。
「へい、へい。ここはもと比丘国(びくこく)といって、坊さんの国と呼ばれましたが、今は子供の国になりました」
(国の名前を変えるとは珍しい。きっと坊さんの王様が亡くなって、その子供が王様になったんだろう)
 悟空達はこう考えながら町へ入って行くと、どこの家の門口にも、五色の幕をかけた鳥かごが伏せてある。
 よくよく見ると、ガチョウを入れる籠である。
(変わったことをする。ガチョウのお祭りでもあるのかな?)
 悟空は首をかしげながら、入り口ごとに置かれてある鳥かごを見つめていくと、籠の幕が風にはためいた。何気なくその下を除くと、のけぞるほどに驚いた。
 どの鳥かごにも、可愛い男の子が入れられている。
「こりゃ、どうしたことだ?」
 走って行って、一つずつ鳥かごを調べると、五歳から七歳ぐらいまでの男の子だけが入れられてある。
「もしもし、これは一体どういう訳ですか?」
 悟空は一軒の家へ飛び込んで尋ねた。すると、その家の主人は鳥かごの中の子供の頭を悲しそうに撫でながら、涙声で話し始めた。
「実は、この国の王様がご病気なのですよ。千百十一人の男の子の肝を食べれば、その病気が治ると言うのです。それで、子供たちが逃げ出さないように、鳥かごに入れておけとおっしゃるのです」
 悟空も三蔵法師も、そのむごい話に身が縮まった。
「悟空、なんという哀れな話だろう。法師の身として、これを見過ごすことは出来ない。経を取りに行くのも大事な仕事であるが、人の命はそれよりも尊い。ああ可哀想に。どうしたら幼い命を救うことだ出来るだろうか?」
 三蔵法師は涙を浮かべて考え込んだ。
「お師匠様、わたくしが助けましょう。しかしこれには、何か怪しいわけがありそうですね。あるいは王様の側に悪い化け物でもついていて、人を絶やして国でも乗っ取ろうという考えではないでしょうか」
「恐ろしい事です。私は、明日、王様にお会いして、諫めましょう」
「とにかく、一刻も早く子供たちの命を守らなければなりません。よしきた。山の神や風の神の手を借りて、今夜中に子供たちを山深い所にでも隠してもらおう」
 悟空はいきなり天へ飛び上がった。山の神、風の神などを急いで呼び集めると、哀れな子供たちの身の上を話して頼み込んだ。
「今夜の内に、町中の子供を一人残らず安全な場所へ隠してくれ」
「承知しました。隠しましょう。そして王様には、よく効く天の薬をあげましょう」
 神様たちはしっかり約束をすると、長生きできる天のナツメの木の実を三個、悟空に渡した。
 悟空は喜んで、その夕方、三蔵法師たちと役所の宿泊所に泊った。
 日が暮れて、夜になった。星空に真っ黒い雲があわただしくいくつも走って、間もなく町は大嵐になった。
 街路樹は吹き倒され、屋根瓦は木の葉のように吹き飛んで、その内に、どの家からも子供を入れた鳥かごがピュウピュウと空高く舞い上がっていった。
「王様、大変で御座います。昨夜の大嵐で、町の子供たちは、一人残らず天へ吹き飛ばされてしまいました」
 次の朝になると、家来たちが続けざまに走ってきて、こう知らせた。
「ああ、私の病気はどうなるのか?」
 王様はおろおろして部屋の中を歩き回っている所へ、三蔵法師が案内されて入って来た。
 悟空はミツバチに化けて、三蔵法師の帽子にとまってついて行った。見れば王様は、やせ衰えて身も心も疲れ切っている。そして、声も細く、目にも全く力が無い。
 三蔵法師は王様にお願いした。
「どうぞ、子供の命をとることはおやめ下さい」
 銅頼んでも、王様と、そばに控えていた一人の仙人が受け付けない。三蔵法師は情けなくなり、困り切っていると、ミツバチに化けた悟空がささやいた。
「あの仙人は魔物です。わたくしは、もう少し様子を探って参りますから、先に宿泊所へお帰り下さい」
 三蔵法師は力なくしおれて、宮殿から出ていった。
 すると、仙人が王様をそそのかした。
「子供がいなくとも、ご心配には及びません」
「何故か?」
「ただいまの和尚は、修行を積まれたなかなか優れた人相をしております。その者の肝を煎じて飲まれたら、子供の肝に比べて万倍も効き目が御座います」
「なぜ、それを早く言わん。帰ってしまったではないか」
「町の四方の門を閉ざして、兵士たちに宿泊所を取り巻かせて、ひっ捕らえてくれば宜しいと存じます」
 王様は、息を弾ませて喜んだ。
 悟空はこれらの話をカーテンの陰にとまって聞いていた。大急ぎで宿泊所へ飛んで帰って知らせた。
「お師匠様、一大事です。宮中にいた魔物の仙人が、王様をそそのかして、ここへ軍隊を差し向けてきます」
「その理由は?」
「お師匠様の肝は、一万人の子供の肝よりも効き目があると、仙人が王様を焚きつけたからです」
「悟空や、どうしよう?」
「まあ、落ち着いて下さい。八戒、熊手で少し土をかき集めてきてくれ。悟浄は少し水を持ってきてくれ。オレに上手い考えがあるんだ」
「ほいきた、ほいきた」
 二人は土と水を持ってきた悟空はそれをこね回して、泥んこの塊を二つ作った。
「お師匠様、しばらくの間、あなたとわたくしの顔を変えて下さい。わたくしはお師匠様に成りすまして、仙人の化けの皮を剥いでまいりますから」
 悟空は自分の顔にぴたりっと、泥んこをかぶせて、猿のお面を作った。続いてお師匠様の顔にもぴたりっと塗りつけて、三蔵法師のお面も作った。
「このお面を、お師匠様とわたくしが取り換えてかぶるのです」
 二人は被った。悟空は、
「変われっ」
 と叫んで術を使うと、三蔵法師の顔は悟空になり、悟空の顔はお師匠様に変わった。
 二人は着物を取り換えていると、銅鑼や太鼓をけたたましく叩き鳴らして、刀や槍を握った三千人の兵士が押し寄せて来た。
「唐土大唐国の和尚。国王がお召しである」
「はい、はい」
 三蔵法師に成りすました悟空が、兵士たちに囲まれてお城へ向かった。間もなく王様の前へ引き出された。すると王様が玉座から見下ろして、厳しい声で命令した。
「私の病気を治すために、和尚の肝を頂く。さよう心得よ」
「はいはい。では腹を断ち割りますから、刀をお貸し下さい」
 家来が、牛を切る大きな刀を持ってきた。
「はい、これで結構です。肝はいくつも御座いますが、何色に致しましょうか。赤、青、黄色、宜しい色をおっしゃって下さい」
 横から仙人が怒鳴った。
「真っ黒い肝を取り出せ」
「承知いたしました。ええいっ!」
 にせ三蔵法師は腹を切って、肝を取り出した。赤、青、黄色、紫、緑の肝が、ぞろぞろと出てきた。
 王様は青くなって震えあがった。
「もう、よい。収めてくれ。収めてくれ」
 仙人がずかずかと、にせ三蔵の所へ寄って来た。
「黒い肝が無いが、どこにあるのだ?」
「慌てなさるな。これから取り出すところだ。王様に申し上げます。大人の真っ黒い肝で宜しければ、この化け物仙人の腹の中にあります。さあ、取り出してお見せしましょう」
 にせ三蔵の顔が悟空の顔に変わった。仙人は驚いてたじたじと後ろへ下がると、雲を呼び起こして逃げ出そうとした。
「逃がすものか。我が棒、喰らえっ」
「ぎゃあっ!」
 仙人は気味悪い叫び声をあげると、悟空が振り下ろした鉄棒の下で、年をとった一匹の白い鹿に変わってぶっ倒れた。王様は、仙人が鹿に変わったり、三蔵法師が猿に変わったりしたので、鹿の死体を飛び越えて逃げ回った。
「王様、どうぞお静かに願います。御覧の通り仙人は、白い鹿の化け物出御座います。わたくしは三蔵法師様の一番弟子である孫悟空で御座います。ちょっとお師匠様の身代わりになって参りました。さあ、ここに天の神様から頂いた長生きの出来るナツメの実が三つ御座います。どうぞ召し上がって、ご病気を治して下さい」
「ああ、私は鹿の化け物などに騙されて、子供たちの肝を食べていたのか。何という恐ろしい事だ」
 王様は恥ずかしさと悔しさで、頭の毛をかきむしって泣き始めた。
 間もなく王様の病気は、天の薬の効き目でさらりと治ってしまった。
 治ると同時に、天へ吹き飛んでいた子供を入れた鳥かごが、赤く、青く、黄色く、五色の幕をひらめかして、花のように美しくゆらゆらと、どの家にも舞い戻って来た。
 町中は大喜びである。鳥かごは踏み砕かれ、捻じ曲げられて、溝や空地へぽんぽん投げ捨てられた。
「王様のご病気は治るし、子供たちの命は助かるし、こんなめでたいことは無い。これも、あのお坊様とお猿さん達のおかげだ。どうぞ、ご馳走を食べて下さい」
 あちらの家でも、こちらの屋敷でも、三蔵法師たちの袖をつかんで離さない。
 大飯食いの八戒は、お盆と正月とお祭りと誕生日がいちどきに押し寄せてきたような喜び方である。
「お師匠様のお供をして、こんなに食べられるのは初めてだ」
 と、身体の周囲にご馳走を山のように置きならべて、その真ん中でぐるぐるとコマのように回りながら、片っ端から平らげていた。とうとう四人は、三十日もご馳走攻めにあって、この街から逃げ出すことが出来なかった。
「大事な用事がありますので、これで失礼致します」
 三蔵法師たちは手を取り合って、逃げるようにして町から離れた。八戒は名残惜しそうに、その後ろから肉まんじゅうの山を両腕に抱えて続いた。
 丸木橋を渡って谷底を覗きながら、いくつも険しい道を通っていくうちに、またもいくど目かの夏が巡って来た。
 行く手の山にも、過ぎてきた山々にも、青葉若葉がきらきらと風に翻ったり、ある時は五月雨が絹糸のように細く降り注いで、馬も人も濡れながら、森や谷の奥へかすんでいったこともあった。
 ある晴れた日の夕暮れ、四人は滅法国(めっぽうこく)という国が見下ろせる山の頂上に着いた。すると、一人のお婆さんが子供の手を引いて、太い柳の陰から現れた。
「もしもし、坊さん方。お前さん達は、これから滅法国へ降りて行きなさるようだが、早く馬を引き返しなさい。とんでもないことになりますぞ」
 三蔵法師は、馬の上から身を乗り出して尋ねた。
「何故でしょうか?」
「滅法国の王様は、とても坊さん嫌いなんだよ。二年前から一万人の坊さんを殺そうという誓いを立てて、今日までに九千九百九十六人を殺したんだ。あと四人で一万人だよ。その四人の坊さんが、これから滅法国へ入ろうとしているんだから、注意しないわけにいかないじゃないか」
「なるほど、お知らせ下さって有難う」
 四人は町へ入る前に、どうしたら良いかを相談するために、山の洞穴に入った。そして悟空は、町の様子を見てくることになった。
「この姿で行っては危ない、火取り虫になって行こう」
 と言って、洞穴を出た悟空は、蛾に化けて飛んで行った。
 見れば城門はすっかり夜になっていて、町は軒ごとに吊り灯籠に火を灯して賑やかである。行き交う人の列が影絵のように美しい。
 悟空は蛾になったまま、一軒の宿屋の軒下から吊り灯籠をかすめて家の中へ入り込んだ。広間には十人近くの旅人たちが、着物や頭巾を抜いて肩を揉み合ったり、足をさすったりして、旅の疲れを休めている。
 宿屋の主人が部屋に入って来た。
「皆さま、お疲れで御座います。近頃物騒ですから、お持物にご注意願います」
 客の一人が答えた。
「それは困ったね。私は眠ったら最後、火事があろうが地震だろうが、絶対に目が醒めない寝坊助なんだ。着物も頭巾も、明日の朝まで預かっといてくれないか」
「私もそう願いたい」
「オレも頼むよ」
 宿屋の主人は承知して、宿泊人たちの品物をまとめて奥の部屋へ運んで行った。
 悟空は蛾から元の姿にかえった。
「これは有難い。皆さんには少しお気の毒だが、頭巾や着物を四人分借りていこう」
 間もなく三蔵法師たちは、坊主頭を頭巾で隠し、衣を脱いで町の人たちの着物に着替えた。そして洞穴を抜け出して町へ入った。
 悟空が頭巾をしっかりと被って、一軒の宿屋の店先に立った。
「我々は馬市へ馬を売りに来た馬商人だが、明日の朝、仲間の者が百十頭の馬を連れてくるんです。今夜、先に来た我々四人を泊めてくれませんか」
「はいはい、どうぞお上がり下さいませ。一番明るい上等なお部屋にご案内いたしましょう」
「ところがこの四人とも、暗い部屋でなければ眠れない癖があるんです。どこか、真っ暗い部屋を頼みます」
「ちょっと待って下さい。調べてみましょう」
 主人が奥へ引っ込んでいった。
 悟浄が悟空の尻をつついて尋ねた。
「兄貴、何だってそんな部屋に泊まるんだ?」
「しっ、黙ってろ。もしも寝ている内に頭巾でも脱げ落ちて、坊主頭が出たらどうする」
「成程、暗い部屋に限る、限る」
 主人が出てきた。
「ちょうど良い部屋は御座いませんが、この下の部屋に大きな長持ちが一つ御座います。その中なら、六、七人は寝られますが」
「それそれ、そこで眠る事にしよう。誰も覗けないように、外から錠をおろしてくれ。馬も長持ちに結んでおいてくれ」
「馬をつなぐのなら、長持ちを庭へ出しましょう」
「よろしい。出してくれ」
 四人は夕飯をすますと、庭へ持ち出された長持ちの中へ入り込んだ。外から錠がぴいんとおろされた。
「うわあ、これは暑い、暑い」
 三蔵法師たちはうめき声をあげた。
 暑いはずである。むんむんと蒸し暑い夏の夜に、風も通さない長持ちの中へ入り込んで、しかも頭には頭巾をしっかりと被っている。
 とうとうやりきれなくなって、揃って裸になった。頭巾を脱いで、団扇代わりにパタパタと汗まみれの身体を仰ぎ出した。その内に昼間の疲れで三蔵法師も八戒も悟浄も、ぐっすり寝込んでしまったが、悟空だけは馬商人に見せかけるために、わざと声を上げてありもしない金の計算を始めた。
「ええと、資本金が五千両なり。昨日売った馬の金が三千両なり、明日の馬市で売れば、また三千両入る。ほいほい。随分儲かるわい」
 この独り言を、近くの部屋に泊っていた三人の泥棒達が聞き込んだ。
「大変な大金が、庭に転がっているわい」
 と、急いで二十人ほどの仲間を連れて宿屋へ押し込んできた。足音を忍ばせて長持ちを担ぎ出した。けれども町を囲んだ城門を出ようとした時、番兵にとがめられた。
「怪しい者ども、待て、待て」
 待ってはいられない。泥棒達は番兵に襲い掛かった。たちまち泥棒と番兵の凄まじい戦いになったが、その内に泥棒達は、長持ちを放り出して逃げ散った。番兵たちは馬と長持ちを取り囲んで、長持ちを開こうとしたが錠がかかっていて開けられない。夜明けを待って王様の所へ運ぶことに決めた。
 その騒ぎに三蔵法師たちは長持ちの中で目を覚ました。震えながらささやき合った。
「さて、大変なことになったぞ。王様の前に引き出されれば、首がすっ飛んでしまう」
 悟空が胸を叩いて、みんなをなだめた。
「お師匠様、心配なさらずに静かに眠っていて下さい。素晴らしい事を考えましたから」
 悟空はアリに姿を変えると、長持ちの隙間から外へ這い出した。そして元の姿になると、雲に乗って王様の城へ飛んだ。
 左の腕の毛を全部引き抜いて、千も万もの眠り虫に変えた。そして土地神を呼び出した。
「この眠り虫を、宮殿の中へまき散らしてくれ。役所の中へも、役人たちの屋敷へも、全部まき散らしてくれ」
 土地神はさっそく眠り虫をまき散らした。
 悟空は、次に右腕の毛を全部引き抜くと、分身の術を使って千も万もの小さな悟空の姿に変えた。その悟空達に、剃刀を一つずつ持たせて、宮殿や役人たちの家へ飛ばして、眠っている者の髪の毛を全部くりくり坊主にしてしまった。そしてまたアリの姿に身を変えて、長持ちの中へもぐりこんできた。
 次の日の朝になった。宮中も役人の家も、うろたえ騒ぐ人の声で大騒動である。
「ぎゃあっ、王様のおつむはどうなさいましたか?」
「うわあ、妃。お前こそ、長い髪の毛は一本もないぞ」
 王様もお妃さまも、官女もおつきの者も、役人たちも、一夜のうちに一人残らずつるつる坊主になっていて、泣くやらわめくやら、頭を抱えて走るやら、おさまりが付かない。
 王様はおろおろしながら、大臣たちに告げた。
「一夜のうちに、千も万もの人間が髪の毛も無くすという事は、私が坊さんを殺した報いであろう。今後は坊さんを大事にするように、国中へ知らせなさい」
 王様が後悔の涙を流している所へ、丸坊主になった大勢の兵隊たちが、頭を帽子で隠して、恥ずかしそうに長持ちを担ぎこんできた。そして、昨夜、どうした事か、大将も兵隊も坊主にされてしまった事や、泥棒が置いて逃げた長持ちの事などを報告した。
 王様も、つるつる頭を布で隠しながら、長持ちを開かせた。
 中から三蔵法師はじめ、四人の坊さんたちが揃って現れた。
 王様は驚いた。恐れおののいていた坊さんたちが、四人も揃って、思いもよらない長持ちの中から現れたので玉座から転がり落ちた。三蔵法師たちの前に、がばりっとひれ伏した。
「どうぞ今までの罪をお許しください。命だけはお助け下さい。これからは皆さま方の弟子になって、しっかり教えを受けたいと存じます」
 三蔵法師は頷いた。
「では、王様、私達がこの国を無事に通過できる手形を書いて頂きましょう」
「かしこまりました」
「それから滅法国などという仏を粗末にした名はよろしくない。今日からは、仏の教えを敬うという意味の欽法国(きんぽうこく)という名にしなさい」
「有難う御座います」
 八戒が、横から口を出した。
「ただちに喜びの大宴会を開く。ご馳走を作れ」
「はい、ただいま、ただいま」
 しばらくの後に大宴会が開かれた。
 三蔵法師たちは、今まで罪もなく殺された気の毒な坊さんたちの霊を厚く弔って、欽法国を出発した。




~つづく~

 なんか、SoftBank Airの接続がすっげぇ悪いんですが、何でだろ……。


 それはさておき、今日はアメブロの方も更新しました。

 今更ながら『シージ』のギャラクシーアップグレードオプティマスプライムを買ったので、その簡易レビューを……。


 本文の方は『ほら男爵』で行こうと思います。今回は割と短めです。

 本当は久々に『西遊記セレクション』を更新したかったのですが、職場の今年の振り返りと来年の目標を書いてたら時間が無くなり……(苦笑)。


 それはさておき、スタート!


 その後、吾輩はキャプテン・ハミルトンと一緒に、イギリスからインドに向かって航海した。
 吾輩はその時、一匹のポインターを連れて乗船したのだが、その犬は、全く、いくら金を積んでも買えないような素晴らしい名犬だった。
 ある日の事、陸地まではまだ五十キロもあるというのに、我がポインターが猟師の獲物が近くにいると、吠えだした。
「どうです。こいつの獲物をかぎつける感覚は大したものでしょう」
 吾輩はさっそく自慢すると、みんな笑い出した。
「馬鹿馬鹿しい。獲物が近くにあるなら陸地が見えそうなものじゃないか」
「犬のいう事など信用できるものか」
 吾輩は憤然とした。
「じゃ、君たちの目とポインターの鼻と、どちらが正しいか、百ギニーの賭けをしよう」
「面白い。気の毒だが百ギニーはこっちのものだね」
 しかし吾輩は、ポインターの鼻を信じ切っていた。それでなければ、百ギニーなどという大金で賭けをするわけがない。
 すると、果たして、果たして。
 まもなく船の後ろに結わえ付けられたボートで釣りをしていた水夫が、とてつもなく大きいサメを仕留めて船に引き上げた。
「ポインターの嗅ぎつけた獲物はこれかね」
「君は、陸の獲物と言ったはずだが」
 みんなは相変わらず吾輩を馬鹿にしたが、いざ、サメの腹を開いて見ると、どうだ。サメの胃袋の中から生きたシャコが六羽も羽ばたきして出て来たではないか。
 こうして、吾輩は忠実なるポインターのおかげで、賭けに勝って百ギニーの大金を手に入れることが出来た。




~つづく~

 サイトを更新しました。

 今日は『テレビ雑誌コーナー』です。


 さて、記事の方はこれまた十日ぶりに『ほら男爵』で行こうと思います。

 では、スタート!


 諸君は、キャプテン・フィップスの北国探検旅行の事をお聞きになったことがあるだろう。その時、吾輩もキャプテンのお供をした。
 我々がかなり北方に進んだ頃、吾輩は獲物を探して望遠鏡であちこちを見回した。
 すると、いたいた。行く手、およそ八百メートルの所に浮いている高い氷山の上で、二匹の白熊が組討ちして遊んでいるではないか。吾輩は直ちに銃を抱えて、その氷山に登り始めた。鏡のようなつるつる道を一歩一歩踏みしめて、やっと天辺にたどり着いた。
 そんな事は知らずに、白熊たちは、盛んにふざけていた。吾輩は、しばらくは奴らの毛皮の美しさに見とれていたが、時は良しと、銃の狙いを定め、今まさに引き金を引こうとした瞬間、なんと不覚にも足を滑らせて、あおむけにひっくり返ったばかりか、硬い氷に頭をぶっつけて気を失ってしまった。
 しばらくして、やっと気が付くと、なんとたまげた事に先ほどの白熊の一匹が、吾輩のズボンのベルトに手をかけて引きずって行こうとしているではないか。
 吾輩は素早くポケットからナイフを取り出すと、奴の後ろ脚の指を三本切り落とした。途端に、


 ウォーッ!


 白熊め、恐ろしい唸り声を立てて足を引き引き逃げ出した。もうこっちのものだ。吾輩は、ズドンと一発、白熊を倒して、
(ざまを見ろ)
 と胸がすっとしたが、まさかこの一発の銃声が八百メートル四方の氷山に眠っていた何千と言う白熊を起こしてしまおうとは思いもよらなかった。そいつらは仲間の仇とばかり、猛然と雪を蹴立てて走って来る。
 ひと時もぐずぐずしてはいられない。吾輩は咄嗟に倒れている白熊の毛皮を剥いで、その中に身体を隠した。つまり、白熊に化けたのである。
 そこへ、白熊の大群がやって来た。だが死んだと思った仲間が、生きて立っているので、みんな怪訝な顔をした。だが、まだ疑い深く匂いをかがれた時は、さすがの吾輩も生きた気がしなかった。だから、
「やあ、元気で良かったね」
 と言うように、親方らしい白熊に肩を叩かれた時の嬉しさときたら……。
 我々は、すぐ仲良しになった。吾輩は、白熊の仕草を眺めて真似をした。吠えたり唸ったりすることは苦手だった。それにいつまでも熊と遊んでいる訳にもいかない。
 すると白熊たちは、あちこちで組打ちをおっぱじめた。吾輩にも、一匹が、
「さあ、来い」
 とばかりに大手を広げた。
 しめた。これこそ、こっちの思うつぼだ。吾輩は、熊に組み付くと見せかけて、隠し持った右手のナイフで両肩の間、つまり首筋を突き刺した。そいつが呆気なく、ころりと倒れると、
「じゃ、オレが相手だ」
 と、また次の熊が向かってくる。こいつもナイフでまた、ころり。吾輩は、この方法で次から次へと白熊を仕留めた。
 さて、足の踏み場もないような白熊の死体を乗り越えて船に戻った吾輩は、乗組員を総動員して白熊の皮をはぎ、もも肉を船に運び込んだ。
 そして、不思議にイギリスに帰ってきたのだが、航海の途中、毛皮と肉の重みで船が沈没しそうになって困った。
 おかげで吾輩の名声はイギリス中に鳴り響いたが、気の毒なのはキャプテンだった。誰も相手にしてくれないので、吾輩を逆恨みして、なんだかんだとケチを付けようとした。中でも、
「ミュンヒハウゼン君が熊の皮をかぶって熊を騙したのは感心できない。私なら、そんな変装などしないで熊の群れに入って行き、それでいて、自分を熊だと思わせることが出来たのに」
 と言ったのには吹き出した。
 なるほど、キャプテンの髭だらけのご面相なら……。いや、やめよう。騎士たるものは、みだりに他人の悪口を言うべきでない。




~つづく~

 今日は約十日ぶりに『ほら男爵』でいこうとおもいます。

 ではスタート!


 さて、この間の話の続きにかかりましょう。
 吾輩の古い友人エリオット将軍の護るジブラルタル要塞が、フランスとスペインの軍隊に囲まれたと聞いて、吾輩はロドニー卿の率いる食料船の一隊と共に応援に出かけた。
 将軍は、百万の味方を得たように喜んで、まず、要塞内部を案内して守備の状況やら敵の様子を説明してくれた。
 しかし、論より証拠である。吾輩は、かねて望遠鏡作りの名人ドロンドから買っておいた素晴らしい反射望遠鏡で敵の陣地を偵察すると、敵は今まさに我々の方に向かって、三十六ポンド砲を放たんとする一瞬だった。危ない、危ない。
 そこで吾輩は、将軍にわけを話して兵隊に四十八ポンド砲を持って来させて、敵が撃つと同時にこっちもぶっ放した。


 ドッカーン!


 両方の弾は、恐ろしい音を立てて空中で衝突したが、何しろこっちの弾は敵の弾より十二ポンドも違うから、たちまち跳ね返した。


 ブーン!


 弾は敵の陣地に逆戻りして、撃った砲手の首を跳ね飛ばし、アメリカ海岸を越えてバーバリ地方まですっ飛んだ。
 ちょうど、港内には三艘の船が泊まっていたが、その大マストを折り、最後には農家の屋根を撃ち抜いて、お婆さんの二、三本の歯を欠いて、弾は気の毒に、お婆さんの喉につかえてやっと止まった。
 びっくりしたお爺さんは、お婆さんの喉から弾を引っ張り出そうとしたが、どうしてもだめなので、磁石を使って引き寄せて、やっと命を救った。
 一方、敵の弾をはじき返した我が四十八ポンド砲は、我が方に向けられていた敵の大砲を台座もろとも吹っ飛ばし、軍艦の船倉に叩き込んだからたまらない。軍艦は大穴をあけて、千人に余る乗組員もろとも沈没した。
 将軍は吾輩の素晴らしい功績に対して、将軍の位を与えると言ったが、吾輩は硬く断った。半分は怪我の功名だったからである。
 後で分かったことだが、吾輩は味方の四十八ポンド砲に、間違って二回分の火薬を詰めたのだった。それだからこそ、あんなにすごい威力を発揮したのだ。
 吾輩は、その晩の祝賀会で将軍が将校全員の前で吾輩に感謝の言葉を述べた事だけで満足し、このうえは、さらにもう一つ手柄をあげて置き土産にしたいと考えた。そのチャンスは三週間後にやって来た。
 偵察の役目を引き受けた吾輩は、牧師の服装をして真夜中に要塞を抜け出し、敵の目をごまかして、まんまとその陣営深く潜りこんだ。
 そこではフランスの将軍アルトワ伯爵が高級将校と共に作戦会議を開いていた。あくる朝、一斉に突撃して要塞をせん滅しようというただならぬ相談だった。
 変装のおかげで、吾輩は誰にも怪しまれずにこの話を聞くことが出来たばかりか、コーヒーまでご馳走になった。
 やがて彼らがベッドに入り、陣営が寝静まると、吾輩は直ちに行動に移った。
 まず、三百に余る大砲を片っ端から台座から引きずりおろすと、五キロメートルも遥かな海上へ放り込んだ。
 次には大砲の台座と車を、陣営の真ん中にジブラルタルの岩ほどの高さに積み上げて、拳骨固めておでこを一発、お得意の手で、目から飛び出した火花で火をつけた。そして、延々と燃え盛るのを待って、頃はよしと、
「大変だ、大変だ」
 と騒ぎ立てた。
 もちろん、敵の陣営は大混乱に陥った。だが、まさか、吾輩の仕業と思うはずがなく、吾輩は咎められないどころか、
「あなたが見つけてくれなかったら、武器どころか我々全員まで焼け死ぬところだった」
 と感謝された。そして、おそらく要塞から七、八連隊の精鋭が密かに上陸してやったのだろうと結論した。
 かの有名なドリンクウォーター氏は、この時のことを本に書き表しているが、敵の陣営に起こった火災の原因については触れていない。知らなかったからである。知らないはずだ。吾輩は誰にも、エリオット将軍にも話していないのだ。これしきの手柄でちやほやされるのは、むしろ迷惑だと思ったからである。
 そんなことがあってから、約二か月の事だった。
 ある朝、吾輩がエリオット将軍と一緒に朝食のテーブルに向かっていると、突然、窓から一発の爆弾が飛び込んできた。将軍は肝をつぶして逃げ出したが、吾輩はびくともしない。
「こしゃくな」
 とばかり、それが破裂しない内に拾い上げて、岩のてっぺんに駆け上がった。さて、どこへ捨てようかと辺りを見渡すと、敵陣に近い丘に十人ほどの人影が見える。
 何をしているのかと例の望遠鏡で覘くなり、吾輩はドキッとした。
 夕べ、敵陣にスパイとして潜り込んだ味方の将校が捕まって、今まさに縛り首の刑に遭おうとしているではないか。
「これは好都合だ」
 吾輩は爆弾で将校を助けようと思ったが、素手でそこまで投げるには距離が遠すぎる。その時思いついたのは、ポケットの中の石弓だった。
 家を出る時、何かの時にと父がくれた石弓で、昔ユダヤのダビデが巨人ゴリアテを打ち倒したという、いわく付きの物だ。
 吾輩はそれに爆弾を挟んで、えいとばかりに岩の人だかり目がけて投げ込んだ。


 ドッカーン!


 爆弾は破裂して敵の奴らを吹き飛ばした。もちろん、首吊り台もろとも味方の将校も空に吹っ飛んだが、運よく、海上に浮かんでいた味方の船のマストに引っかかって危なく命拾いした。
 この時の石弓は、今でも我が家の書斎に永遠の記念として、大切に飾ってある。
 やがて、どうやら戦局も落ち着いたので、吾輩はエリオット将軍に別れを告げてジブラルタルからイギリスへ帰った。
 吾輩は、ハンブルクの友人たちに贈る土産物が船に積まれるのを見るためにウォッピングまで行ったが、その帰りの事だった。
 タワーウォーフまで来ると、ひどく疲れた。暑さは暑し、一休みしようにも木陰が一つも無い。するとそこに大砲があったので、その中に潜り込んだ。吾輩は、大砲の中がこんなに涼しく居心地のいい物とは知らなかった。いい気持でぐっすり眠ってしまったが、ちょうどその日がイギリス国王の誕生日で、一時になると祝砲が鳴らされるなどとは夢にも思わなかった。
 撃つ方だって、大砲の中で人間が眠っているなどと思う訳がない。正一時になると、遠慮なく大砲は発射された。
 人間大砲、つまり吾輩の身体は、野越え、山越え、川越えて、バーモンゼイとデッドフォードの間のある土地管理人の中庭に落ちた。と言っても、そこは大きな干し草の山で、気を失った吾輩は、そこで三か月も眠り続けた。
 その内に、辺りがあまり騒々しいので目を覚ますと、五百台もの荷車で、干し草の積み出しが始まっていた。だが、眠りがまだ抜けきらず、どこにいるかも気が付かない吾輩の事だ。
 驚いて逃げ出そうとすると、そのはずみに足を滑らせて、干し草の持ち主の頭に転げ落ちた。ところが大変な事が起きた。
 吾輩はかすり傷一つ受けなかったが、相手は打ちどころが悪かったか、そのまま死んでしまった。
 吾輩はどうなる事かと青くなったが、かえって村人から感謝されたのには驚いた。
 後で聞くと、この男は大変な悪い奴で、よその干し草を盗んできては売り飛ばし、またその金を高い利息で貸し付ける憎い鼻つまみであったことが分かった。まあ、天罰というものであろう。
 さて、吾輩の冒険談は……。おっと、喉が渇いた。お茶を飲んでからにしよう。




~つづく~

 今日は『ほら男爵』の続きでいきますが、今回はちょっと毛色が違います。

 早速スタートです。


 ミュンヒハウゼン男爵は、立ち上がると、さっさと寝室に行ってしまった。
「惜しいな。もっと聞きたかったのに」
「全くだ」
 一座がガヤガヤし出すと、
「では、私が男爵の代わりに続きを話そう。ただし、この事件は男爵があまり話したがらない事だから、絶対に内緒だよ」
 と念を押したのは、ミュンヒハウゼン男爵のお供をしてトルコ旅行について行った男だった。
「話は回り道になりますが、まず、『トット男爵の回想録』という本の中にこんな事が書いてありますから聞いて下さい。
――トルコ人は、都からほど遠からぬシモイス川の岸辺にばかでかい砲台を据え付けていた。それで、少なくとも五百キログラムの大理石の弾を発射するのだった。
 私(トット男爵)は、それを発射してみたくてたまらなかった。しかし、それを聞くと、みんな身震いした。城も町も吹っ飛んでしまうと思ったからだ。だが、私は実行した。
 発砲には百五十キログラムの火薬を使った。弾は、先ほど言ったように五百キログラムだ。砲手にはとびきり肝の太い男を選んだ。
 私は砲台の後ろの砦から発砲の合図をしたが、地球が爆発したかと思われるような響きで、三百メートル離れたところで、破裂した弾は三つになって、向かい側の山に跳ね返った。
 そして、海峡全体が物凄い嵐になった――
 という訳ですが、この事件は、ミュンヒハウゼン男爵がこの地方を訪れる直前の事で、町はトット男爵の勇気と冒険の話でもちきりでした。
 ミュンヒハウゼン男爵は負けず嫌いな方ですから、
『それぐらいの事で騒ぐとは、ちゃんちゃらおかしい』
 と、よせばいいのに、その大砲を肩に担いで海中に飛び込み、向こう岸に泳ぎ着きました。もちろん、見物はやんやの喝采です。
 ところが、すっかり調子に乗った男爵は、今度は大砲を元の場所に投げ返そうとしましたが、うっかり手を滑らしたからたまりません。


 ドボーン!


 大砲は海底深く沈んで、もう、どうする事も出来ません。今頃は魚どもの住処になっている事でしょう。
 男爵がトルコ王と仲が悪くなった本当のわけは、これだったのです。大切な大砲をなくされた王はかんかんになって男爵を打ち首にしようとしました。
 しかし、男爵は情け深い女王に匿われ、ある夜、ベネチア行きの船に逃げ込んでやっと助かりました。
 これで、この事件をミュンヒハウゼン男爵があまり話したがらないわけがお分かりになったでしょう。試みは失敗したし、おまけにすんでの事で一命まで失う所だったからです。
 それを、まことしやかに成功した、などと吹聴しない所が男爵の偉いところです。
 ミュンヒハウゼン男爵の辞書には“うそ”という字はありません。それほど正直な方です」




~つづく~

 今回は二日連続で『ほら男爵』で行きます。

 一応、昨日の話とは前後編的な感じ……かな?


 ではスタート!


 吾輩が、滞りなく重大な使者の任務を果たしてきたので、トルコ王の信頼は一段と厚くなった。
 片時も吾輩を側から離さず、吾輩がいなくては生きてはいられないという有様だった。
 ある時トルコ王は、こっそり別室に吾輩を呼ぶと、戸棚から一本のぶどう酒を取り出して言った。
「ミュンヒハウゼン、君たちキリスト教徒は、いつも美味いぶどう酒を飲んでいるそうだが、こんなに美味い物にありついた事は無いはずだ。まあ、飲んでみたまえ」
 そして、コップについでくれたぶどう酒は、飲んでみるとなかなか美味かったが、吾輩は王の自慢たらたらが気にくわなかったので、
「大変結構な味ですが、いつか私がウィーンで、カール六世陛下にお呼ばれして飲んだぶどう酒に比べると……」
 言い終わらない内に、王は見る見る顔色を変えた。
「ば、馬鹿な。これより美味いぶどう酒が他にあってたまるか。これはハンガリーの貴族が家宝にしていた物を特に私にくれたものだぞ」
「陛下は騙されたんですよ。あのけちんぼなハンガリーの貴族が、そんな上等なものをくれるわけがないでしょう。陛下にはぶどう酒の善し悪しが分からないのです。何なら、一時間の内にウィーン皇帝の穴倉から、一瓶取り寄せて飲んでみて頂きましょうか」
「ふざけるな。この大ぼら吹きめ。そんな事が出来るものか」
 王はかんかんになったが、正直を誇りとしている吾輩を、大ぼら吹きと罵られてはこっちもかんかんだ。
「出来るか出来ないか、やってみましょう。出来なかったらこの首をちょん切って下さっても結構です」
「面白い。その言葉を忘れるな。では、もしもお前が約束を果たしたら、お前は私の宝物蔵から担ぎ出せるだけの宝物を取って宜しい」
「本当ですね」
「くどい。わしはお前のようなほら吹きではないわい」
 売り言葉に買い言葉、吾輩は、大変な賭けをしてしまった。
 吾輩はさっそく、マリア・テレサ女王宛に、次のような手紙を書いた。


 陛下には、ご相続者として、先帝の穴倉もお受け継ぎあそばされた事と存じます。つきましては、私が父君のお側でしばしば頂きましたあのぶどう酒を一瓶、使いの者を通してお恵み頂ければ幸いと存じます。あれが無いと、私の命にかかわるので御座います。ご慈悲の程、伏してお願い申し上げます。


 そして、いつか雇った足の速い男に使いを命じた。
「では、ひと走り」
 と男は、例の足の重りを外して、風のように駆けだしたが、どうした事か、ニ十分経っても三十分経っても帰って来ない。その間にも、時計の針はどんどん回って、約束の時間まであと五分。ああ、王の命令で首切り役人はぎらぎらする刀を磨き始めたではないか。
 吾輩はいてもたってもいられず、早耳男に使いの男がどの辺を走っているのか調べさせた。
「おやすい御用です」
 と、早耳男は地面に耳を当てていたが、やがて、
「いくら待っても来ないはずです。はるか遠くで奴のいびきが聞こえますよ」
 と、呆れた顔だ。
「そんなバカな」
 吾輩は驚いて、目のいい射手を木に登らせて偵察させると、
「います、います。奴は、今ベルグラードのはずれの樫の木の下で眠っていますよ」
 という訳だ。しかし、そこは射撃の名手のこと。
「よし、くすぐって目を覚まさせてやろう」
 と、ご自慢のクーヘンロイター銃で、木の梢目がけて引き金を引いたので、顔にパラパラ降りかかるドングリや小枝に、さすがの寝坊助男も目を覚まして、一散に駆けて来た。そして、
「おまちどおさまでした」
 と、吾輩の目の前にマリア・テレサ女王からもらってきたぶどう酒の瓶を差し出したのは、なんと、三時五十九分五十九秒、あと一秒遅れたら、吾輩の首と胴はお別れを告げるという訳だ。
 王は大変な喜びようで、
「こいつは美味い。だが、お前は以前、ウィーンでたらふく飲んだのだから、もう飲むことはなかろう」
 と、そのぶどう酒を独り占めにしてがぶがぶ飲み始めた。しかし、吾輩は文句を言わなかった。
「ではお約束通り、宝物蔵から担げるだけの宝物を頂戴します」
 王にしてみれば、たかが宝物の一担ぎと思ったろうが、そうはいかない。吾輩は例の森ごとロープで縛って引き倒した怪力男を使って、蔵の宝物を縄で縛って洗いざらい引っ担がせた。彼は、
「軽すぎて物足りないから蔵も一緒に」
 と言ったが、それは騎士道に背くからやめさせた。
 これを見てたまげた門番は、さっそく王に知らせたが、その時は、もう、とっくに吾輩は宝物を船に積み込ませて、部下と共に海上を涼しい顔だった。
 ところが、我々の船がまだ三キロも進まない内に、けちな王は海軍司令長官に命じて、全艦隊を率いて宝物を奪い返しに追いかけさせていた。みるみる距離は縮まる。
「これはまずいことになったぞ」
 と思った時だ。例の風男が、
「閣下、私に任せて下さい」
 と進み出たかと思うと、右の鼻の穴をトルコ艦隊の方に、左の鼻を我々の船の帆にと、それぞれ向けて、
「ふーっ!」
 たっぷり鼻風を吹き起こすと、驚くべし、艦隊はあっと言う間に港へ逆戻りし、反対に我々の船は鉄砲玉のようなスピードで前進した。もう、トルコ艦隊は追ってくる元気もない。我々の船は数時間と経たぬうちに、無事にイタリアに着くことが出来た。
 おや、吾輩の寝る時間が来たようだ。諸君もゆっくり休みたまえ。




~つづく~

 今日は『ほら男爵』の続きで行きます。

 では、さっそくスタート!


 吾輩は、ロシア大使とフランス大使にトルコ王を紹介されたが、王はひと目で吾輩がお気に召したらしい。
 そして、非常に重大で、また永久に秘密にしておかなければならない任務を果たすために、吾輩をカイロに派遣した。
 吾輩は、大勢の家来を連れて出発した。
 コンスタンティノープルから数キロばかりやって来た時だ。向こうから、ちっぽけなやせ男がすごいスピードで走って来るのに出会った。ところがなんと、その両足には五十キロもあろうかと思われる鉛の重りを付けているではないか。
 吾輩は不思議に思って、
「きみ、そんなに走ってどこへ行くのかね。わざわざ、重りを付けて走りにくくすることはなかろうに」
 と聞くと、男は答えた。
「私はある身分の高い人に仕えていたんですが、今日、暇をもらって、十五分前に、ここから千キロほど先のウィーンを出て来た所でさあ。これからコンスタンティノープルへ行って、飛脚でもやろうと思っていますが、急ぐ必要もないし、少し速さを緩めようと思いましてね」
 吾輩は、この男がすっかり気に入った。
「どうだ。これから私に仕えないか」
「へえ、お世話になります」
 この男を加えた我々は、さらにいくつかの町や村を過ぎて前進した。すると今度は草原に寝そべって、耳をピッタリ地面につけ、何か聞いている男に出会った。
「きみ、そこで何を聞いているのかね」
「暇つぶしに、草の伸びる音を聞いているんでさあ」
「君はそんなに耳がいいのか」
「自慢じゃないが、百キロ先で針の落ちる音だって聞こえるね」
「よし、私が雇ってやる」
 また、一人供が出来た。
 それからいくらも行かない内に、ある丘の上で、一人の猟師が何も見えない青空にズドンと発砲しているのに出会った。吾輩が思わず吹き出すと、
「何がおかしいかね」
 と、猟師は憤然とした。
「お前さんにはわからんだろうが、私はここから千五百キロ先のストラスブールの大寺院の屋根の雀を一羽撃ち落して、新しい銃の具合を試したところだ」
「うーん、気に入ったぞ」
 名人は名人を知る。この吾輩がこんな鉄砲撃ちの名手をほっとくわけがない。
「高給で召し抱えてやろう」
 これで供は三人になった。
 さて、リバノン山のふもとを通りかかると、杉の大森林の前で、一人の逞しい男が森全体にロープを巻き付けて引っ張っていた。
「きみ、そこで何を引いているのかね」
 と、吾輩が声をかけると、
「主人に材木を切り出すように言いつかってきたんだが、斧を忘れて来たので、まあ、うまくいくかどうか」
 そう言いながら、その男は吾輩の目の前で、二平方キロの森をそっくり、よいしょ、よいしょと引き倒した。
 もちろん、吾輩はこの怪力男をも家来の一員にした。
 我々は、さらに進んでエジプトのある土地までやって来ると、にわかに恐ろしい風が吹きまくって吹き飛ばされそうになった。
 道の左手にある七台の風車の羽も、うなりを生じて回っていたが、その少し離れたところに一人のがっちりした体格の大男が人差し指で右の鼻の穴を押さえながら、この嵐にも平気な顔でいる。
 しかし、我々がよろよろしているのを見ると、申し訳なさそうに振り向き、ぺこりと頭を下げた。
 するとどうだ。さしもの物凄い嵐が、ぴたりと止まってしまったではないか。
 吾輩は驚いて、その気味悪い男に声をかけた。
「これは一体どういう訳かね。君の身体には悪魔でも住んでいるのかい」
 すると男は答えた。
「とんでもない。ちょっと鼻息が強いだけですよ。主人の粉屋のために、ちょっぴり風を作っているんですが、風車がひっくり返っては大変と、片方の鼻だけ使っていたんですよ」
「な、なあるほど」
 吾輩は、この男にもほれ込んだ。またも雇ったのは言うまでもない。
 そうこうしている内に、我々はエジプトのカイロについた。そこで吾輩は無事に使者の役目を果たすと、余計な供の者たちに暇を出して、新たに雇い入れた五人のつわもの達を従えて、さっそうとコンスタンティノープルに帰ったのである。




~つづく~

 サイトを更新しました。

 今日は『ホビー雑誌コーナー』です。


 記事の方は、『ほら男爵』でいきます。今回は微妙にあり得そうな……。

 では、さっそくスタート!


 吾輩が、まだトルコにいた頃よくマルマラ海で遊覧船を浮かべて楽しんだものだ。そこからは、トルコ王の宮殿のあるコンスタンティノープルの町全体がひと目で見渡せた。
 ある朝、吾輩は大空の美しさに見とれている内に、妙なものを発見した。空中高く、玉つきの玉ほどの丸い物が浮かび、それに何かぶら下がっているのだ。
「鳥にしてはおかしいが……」
 不思議に思った吾輩は、さっそく一番上等の鳥撃ち銃を取り出して、弾を込めて発射したが駄目だった。二発、三発と撃ったが、てんで手ごたえがない。イライラした吾輩は、次に五発まとめて発射すると、やっと当たったか、丸い物はふわふわと落ちて来た。
 だんだん近づくにつれて、吾輩は目をみはった。何と、玉つきの玉のように見えたのは、教会の丸屋根ほどもある大風船で、その下に金色の馬車が吊るされているのだ。それが岸についたのを見極めると、吾輩はさっそく船から降りて飛んで行った。すると、馬車からフランス人らしい男が、大きな羊の焼肉を抱えて降りて来た。
 胸のポケットには贅沢な時計の鎖が二、三本ぶら下がり、どのボタン穴にも金のメダルが輝き、指と言う指にはダイヤモンドの指輪がはまり、おまけに上着の左右のポケットは、お金がいっぱい詰まった財布がはみだしているという豪勢ぶりだ。
 それはともかく、空から落ちてきたこの男は、気分が悪くなったか、口もきけないのでぶどう酒を飲まして落ち着かせると、やっと元気になって話し始めた。
「私はありとあらゆる遊びをし尽くした男ですが、空だけは飛んだことがありません。そこでこんな物を作って一週間ほど前にイギリスのコーンワルの岬から飛び立ったという訳です。そして、大口開けて見上げる何千と言う人間に、大空の上から芸当をやってみせようと、羊まで乗せていったのですが、思うようにはいかないものです。風船が登り始めた途端に風向きが変わって、私が着陸するつもりだったエクセター市とは反対の海の方へ押し流されたのです。海の上で芸当をやって魚に見せても仕方が無いので引き返そうとすると、運の悪い事に、風船の空気を抜く弁のひもが切れてしまったのです。それで、ずっと空中をさまよい続けていたという訳です。月よりもずっと高い所に登り、さらに十六時間も登った時には、腹がペコペコになって、可愛そうでしたが連れて行った羊を太陽の光で焼き肉にして食べました。これはその時の残りです」
 そう言って、その男は持っていた焼肉を海へ放った。
「あなた様は私の恩人です。もし、鉄砲で風船を打ち落として下さらなかったら、私はいつまでも、いつまでも、空中をふんわかふんわか飛び続けることになったでしょう。これは、私のお礼の印です」
 と言って、気前よく吾輩に馬車をくれて立ち去った。




~つづく~


 ちなみに私の原本の挿絵では、馬車と言っても気球につるされた、ちょっと大きめの椅子みたいな感じで描かれてました。


 と言ったところで、今日はこの辺で。

 どうも。ではでは。

 という訳で、本日も短めの『ほら男爵の冒険』といきたいと思います。

 ではスタート!


 ある時、吾輩は地中海でもう少しで命を落とすところだった。
 ある夏の午後の事だった。吾輩がマルセイユの近くで、いい気持ちで泳いでいると、一匹の名も知れぬ大きな魚が全速力で襲ってきた。
 こっちは裸で武器は無し、逃げようにも泳ぎは肴の方が上手いに決まっている。進退窮まった吾輩は、両ひざを曲げ、両腕を腹につけ、出来るだけ体を小さくすると、こっちから魚の口の中に飛び込んだ。
 そして、噛まれぬうちに、喉から胃袋へ滑り込んだ。胃袋の中は真っ暗闇だが暖かく、居心地はなかなかよろしい。
 しかし吾輩は、退屈になって来たので、飛んだり跳ねたり、スコットランド風の踊りを踊り始めたが、驚いたのは魚だ。腹の中で暴れられる痛さに、変な叫び声をあげ、白い腹を半分も水の上に出してばたばたした。
 そのために、折から通りかかったイタリア商船に発見され、たちまち銛を撃ち込まれてお陀仏になった。ところが、それからが大変だった。
 乗組員たちはその魚を甲板に引き上げると、さっそく料理を始めるではないか。まさか魚の腹の中に生きた人間が入っているとは知らないから、ところ構わず包丁でぶすり、ぶすり。
 そのたびに吾輩は肝を冷やしながら、右に左にと身体をかわした。それでもくたくたになった頃、身体のほんの一部からほんのりと外の光をさしてきたので、
「助けて下さって有難う」
 吾輩は夢中で外に飛び出した。乗組員たちがたまげたのなんの……。
「きゃーっ!」
「ば、化け物だ!」
 みんな揃って腰を抜かした。
 吾輩は手短にわけを話すと、着物を置いてある海岸へ泳ぎ帰った。
 後で調べて見ると、吾輩はあの怪魚の腹の中に二時間も閉じ込められていたのだった。




~つづく~

 サイトを更新しました。

 今日は『文庫本コーナー』に、『にせ王子』を掲載しています。


 記事の方も『ほら男爵』の続きで行きます。今回と次回はちょっと短めです。


 ではスタート!


 一七六六年、ポーツマスで、吾輩は北アメリカへ行く、大砲百門と乗組員千四百人を乗せたイギリスの第一級軍艦に乗り込んだ。
 セントローレンス川の沖合、約五百キロの所まで来た時だった。
 船は突然岩らしいものにぶつかって、危なくひっくり返るところだった。舵は無くなり、船首のマストは真っ二つになり、帆は上から下までずたずたに切られる、という騒ぎ。いや、そのマストに登っていた水夫はもっと災難だ。約五キロもすっ飛んで海に落ちた。その水夫だけではない。他の甲板にいた水夫は、天にはね上げられた弾みに月の角に頭をぶっつけて、しばらくは気が変になった。それはさておき、ぶつかった岩を調べるために重りを降ろしてみたが、何の手ごたえも無い。そのはずだ。海は五百メートルよりもっと深かった。
 だが、その内に、やっと原因が分かった。
 岩だと思ったのは鯨が水面で日向ぼっこをして眠っていたのだった。
 ところがこの怪物め、船に昼寝の邪魔をされたのを恨みに思ったか、甲板の一部と周りの廊下を尻尾でたたき潰したばかりか、船の大錨を歯の間に銜えて、ぐんぐん船を引っ張って泳ぎ出した。時間にして十時間、一時間十キロの速さとして、約百キロも我々は引きずり回されたことになる。
 幸い、錨の綱が切れたので、我々は助かったものの、そうでなかったら地球の外へ出されたかもしれない。
 ところが、それから六か月後、我々がヨーロッパへ帰る道すがら、あの場所からほど遠くない所に、あの鯨が死んで浮かんでいるのが見つかった。なんと、それは全長八百メートルの大鯨だった。
 銜えて行ったままの錨を取り戻そうと水夫が十人がかりで鯨の口をこじ開けてみたら、なんと左側の虫歯の穴に引っかかっていた。
 これがその時の航海の、たった一つの変わった話である。
 いや、おっと待った。面白い話を一つ忘れるところだった。
 話は元に戻るが、鯨の乱暴で、船底に穴があけられて、そこからどんどん水が入り込んだので、水夫たちはありったけのポンプを使って汲み出したが、とても駄目だ。このままでは船は沈没してしまうと、みんな青くなったが、とっさに吾輩は世にも巧い思い付きで、この美しい船と乗組員の命を救ってやった。
 吾輩は、船底にお尻を当て、しっかり塞いだ。これでもう、水は入って来なくなった。こうして吾輩は、やがて大工が来て穴を繕うまで、お尻の冷たいのを我慢していた。




~つづく~

 今日から『ほら男爵』の冒険も、第二部に入ります。

 それでは、さっそくスタート!


第二部 海の冒険



 吾輩が海の旅に出たのは、これまで話したロシア旅行よりずっと前の事だ。たまたま、母方の親戚の者がセイロン島へ旅行すると聞いて、矢も楯もたまらず、両親の反対を押し切って同行させてもらったのである。
 吾輩たちは、オランダ国王並びに政府の重い任務をもって、アムステルダムを出港した。航海は平穏無事だったが、一度だけすさまじい暴風雨にぶつかった。
 その時、我々は、薪や水を積むためにある島に泊っていたのだが、その嵐の物凄さと言ったら、何しろ重さ数万キロもある無数の大木が根こそぎにされて、地上八キロの空中に吹き飛ばされたのだ。
 ところが嵐が収まると、木はそれぞれ元の地面に落ちてきて、根を生やしたのには驚いた。ただ一番大きい奴は例外だった。この木が嵐に引き抜かれた時には、貧しい農夫とその妻が枝に登って、キュウリをもいでいる最中だった。この地方では、キュウリは木になるのだ。
 二人は大木にしがみついたまま空中旅行をしたわけだが、その重みで、やがて木は水平になって地上に落ちてきて、島の住民たちの怨みの的の暴悪酋長の頭にぶつかったからたまらない。酋長はあっさり死んでしまった。
「これで、島に平和が来る」
「みんな、お前たち夫婦のおかげだ」
 住民たちは大喜びで、偶然ではあるが、島のために大変な手柄を立てたキュウリ取り夫婦を酋長の後釜に据えた。
 この夫婦は大木もろとも空中に吹き飛ばされた時、あまり太陽の近くまで行ったので目が悪くなったが、非常によく島を治めて、住民たちから慕われ、後で聞いたところによると、住民たちは、
「神よ、酋長を守りたまえ」
 と祈ってからでないと、誰もキュウリを食べなかったそうだ。
 この嵐で傷んだ船を直したわれわれは、再び航路につき、六週間の後に無事にセイロン島へ着いた。
 ある日、総督の息子に狩りに誘われたので、吾輩は大喜びでついて行ったが、ひどく暑い所へ持ってきて、相手が大男で足が速いと来ているから、吾輩はたちまち取り残された。
 仕方なしに川の岸に腰を下ろして一休みしていると、おう、なんと、向こうの方から一頭のライオンが吾輩目がけて走って来るではないか。
(しまった)
 吾輩の銃に中にはウサギを撃つ散弾しか入っていないのだ。しかし、ぐずぐずしていればライオンの餌食にされる。
(えい、どうともなれ)
 吾輩は運を天に任せて引き金を引いたが、恐ろしさに手が震えているので一発も当たらない。そればかりか、これがライオンの怒りに油を注ぐ結果になって、


 ウオーッ!


 猛り狂って飛びかかって来た。もう、逃げるよりほかに道はない。吾輩は咄嗟に身をひるがえして駆けだそうとすると、
「ひゃーっ」
 なんと、目の前二、三歩の所にものすごいワニが大口開けて待ち構えているではないか。しかも、後ろにはライオンが……。
「もう、駄目だ」
 吾輩は恐ろしさと絶望に頭がくらくらして、そこにぶっ倒れた。気を失ってしまったのだ。
 やがてふと気が付くと、吾輩は、そこに凄まじい光景を見た。ワニの口の中にライオンが入り込み、お互いに離れようと死に物狂いでもがき続けているのだ。
 なんという幸運だったろう。ライオンが飛びかかろうとした瞬間に吾輩が倒れたので、頭の上を素通りしたライオンは、勢い余ってワニの口の中に飛び込んだのだ。
 吾輩はすかさず跳ね起きて、銃の台尻で滅茶苦茶に殴って、ついに二匹の怪物をやっつけた。
 そして総督の屋敷に運ぶと、毛皮屋を呼んで、ライオンの皮で煙草入れを作らせて、世話になっている人たちに配った。
 ワニははく製にして、今ではアムステルダム博物館に飾られて、最大の名物になっている。最後に決まって、二つ三つおまけを付け加えることは、吾輩にとって迷惑この上もない。
 例えばこんなことを言う。
「ライオンはワニの口から体の中を突き抜け、お尻から首を出したところを、男爵はワニの尾一メートルと共に切り落とした。すると怒ったワニは向き直って男爵を飲み込んだが、途端に男爵の刀が心臓に突き刺さってワニは死んだのである」
 こんな見え透いた嘘を聞かされては、吾輩を知らない人は、吾輩のした本当の行いまで信じなくなるに違いない。こんなことは、名誉ある騎士を傷つけ、侮辱するものだ。




~つづく~

 今日は『ほら男爵の冒険』の続きと行きます。

 今回で、第一部となる陸の冒険は終了です。


 とは言え、次回からの『海の冒険』の方がボリュームはあったりしますが……。


 では、さっそくスタート!


 トルコ戦争で、吾輩はかくかくたる武勲に輝いたが、ある日、連戦の疲れで居眠りしている所を敵に襲われて、捕虜にされてしまった。
 全く、油断は禁物である。
 ああ、昨日に変わる今日の我が身、吾輩は奴隷に売られて、トルコ王のミツバチの世話をさせられることになった。
 毎朝、ミツバチを野原に運び出して、一日中見張りをし、夕方になると、また箱に追い返すのが吾輩の日課だったが、ある晩、ミツバチが一匹いなくなった。気が付くと、おや、物陰で二頭の熊が、そのミツバチを捕まえておもちゃにしているではないか。
 昔の吾輩ならたちどころに銃で一発と言うところだが、悲しいかな、奴隷の実には武器としては銀の斧が一本あるきりだ。
 とても熊と戦える代物ではない。
 そこで吾輩は、脅かして追っ払うつもりで、熊たちにその斧を投げつけた。
 熊は這う這うの体で逃げた。ミツバチも助かった。ところが、ほっとする間も有らばこそ、大変なことが起こった。吾輩の投げ方があまりに強かったので、斧は空高く飛んで、あれよあれよと思う間に、とうとう月の中に落ちてしまった。
 途端に吾輩は、トルコのインゲン豆は非常に育ち方が早く、しかも、たいそう丈が高くなる事を思い出した。
「ようし、物は試しだ」
 そこで、さっそくインゲン豆をまくと、なるほど、伸びるわ伸びるわ、あっという間にそのつるは月の中の山のてっぺんに巻き付いた。
 しめたとばかりに吾輩は、そのつるをグングンよじ登って、無事に月の中から斧を拾い上げることが出来た。
「やれやれ」
 吾輩はほっとして降りようとすると、またまた一大事。いつの間にか、豆のつるは太陽の熱で干からびているではないか。絶対にすがって降りる事は不可能だ。
 さすがの吾輩も青くなったが、髪は見捨てるようなことはしなかった。やがて吾輩は、足元に落ちている二、三束のわらを見つけて、
(しめたっ!)
 吾輩は、そのわらで出来るだけ長い縄をなって、それを月の端に結び付け、それにつかまって降り始めた。
 長いと言っても縄の長さは知れているから、途中まで下りると、上に残った部分を切り取って、下に結び足した。こういう事を何べんも繰り返して、吾輩はやっとの思いで地上に帰ることが出来た。
 このつらい経験に懲りた吾輩は、その後もしばしば、ミツバチを襲って来る熊たちをやっつける巧い方法を考え、すぐさま実行に移した。
 ある夜の事、吾輩は農場で使う車の梶棒に蜜を塗りつけて、近くで待ち伏せしていると、思った通り、蜜の香りに誘われて一頭の熊がのこのこやって来た。そして棒の先をぺろぺろ舐め始めたが、どんどん舐めていくうち、棒は喉から胃、腸を通ってお尻へ抜けた。
 そこで吾輩は、さっと駆け寄って、熊がもう後ずさりできないように、棒に長い木釘を打ち込んで、一晩中さらし者にしてやった。熊の奴は、
「くまった、くまった」
 まさか……。
 その後まもなくトルコ戦争も終わって、吾輩は他の捕虜と一緒にペテルブルクに帰された。
 しかし、吾輩は故郷のドイツが恋しくなったので、そのままロシアに別れを告げた。ちょうどその年は全ヨーロッパに厳しい寒さが遅い、太陽までがしもやけにかかるという有様だったから、吾輩のドイツへの旅は、先にロシアへ来た時以上の苦労の連続だった。
 吾輩のリトアニア馬はトルコに置いてきたので、郵便馬車に頼ることにした。
 馬車が両側に高く茨の茂った狭いでこぼこ道に差し掛かった時、前方から来る馬車に気が付いた吾輩は、
「あの馬車と行き合って、この狭い道で立ち往生しないように、角笛で合図した方がいいぞ」
 と、御者に注意してやった。
 御者はさっそく、言われた通り角笛を吹いたが、おや、どうしたことかさっぱり鳴らない。顔を真っ赤に、頬をフグのように膨らましても、ピイともスウとも。
 その間に向こうの馬車がやって来て、思った通り二台とも立ち往生だ。
 角笛で合図さえ出来たら、相手の馬車を広い道で待たせて楽々すれ違うことが出来たのに、今となってはもう遅い。そこで吾輩は、日ごろの怪力を振るうのはこの時と、車から飛び降りて馬を外すと、四輪馬車を肩に担ぎあげ、
「やーっ!」
 鋭い気合もろともジャンプいちばん、相手の馬車の上を飛び越えて、向こう側の地面にぴょんと立った。
 そして、また元の所に戻ると、今度は二頭の馬を左右に抱えて、再び馬車の屋根を飛び越えた。かくして二台の馬車は無事に左右に分かれて走り去ることが出来た。さて、その夜は宿屋に泊って昼間の冒険の疲れを休めたわけだが、吾輩と御者が暖炉の前で世間話をしていると、実に不思議な事が起こった。
 暖炉の横にかけてあった御者の角笛が突然、テトテトテトと鳴りだすではないか。ところが、御者に訊いてみたら不思議でもなんでもなかった。寒さに凍り付いた角笛の音が、暖炉の温かさに解けて鳴りだしたのだった。これで、昼間御者がいくら吹いても鳴らなかったわけが飲み込めた。さて、吾輩のロシア旅行の話はこれで終わった。
 いよいよ、もっと驚くべき吾輩の船の冒険の話に入るが、吾輩の今までの冒険談に少しでも疑いの気持ちのある方は、お聞きにならずに帰る事をお勧めしたい。




~つづく~


 今回はまた、『ほら男爵の冒険』の続きといきます。

 では、さっそくスタート!


 我々が戦地に出かけた主な目的は、前にピョートル大帝に率いられて、プルート川のほとりに出征した時、少しばかりの損害を受けたロシア軍の名誉を立て直すためだった。
 ある時、我々は、トルコ軍をオツァコフという町へ追い込んだが、その時吾輩の例のリトアニア馬は、吾輩をもう少しの所で地獄へ連れ込みそうになった。
 吾輩は、見張り役を務めていた。すると、敵が近づいてくるのが見えたが、それがもうもうたる土煙に包まれて、その数も分からなければ、何を目指しているかも全く見当がつかない。最も吾輩の方も、土煙のおかげで敵に発見される心配はなかったが、これでは何のための見張り役か分からない。
 そこで吾輩は、部下の兵士を左右に分散させ、
「敵に負けずに、出来るだけ土煙を巻き起こせ」
 と命令するが早いか、敵情を確かめるために、まっしぐらに突進した。
 それが見事図に当たった。敵は思いもかけない吾輩の出現に、びっくり仰天。そこへ、
「わーっ」
 と、後から兵士たちが襲い掛かったので、たちまち蜘蛛の子を散らすように退却を始めた。
「それっ、一兵も逃がすな」
 吾輩の命令に、兵士たちはさらに突撃すると、敵は肝心な要塞までほったらかして逃げて行った。
 わが軍の完全な大勝利である。
 吾輩は、悠々と城内の広場に馬を止めると、兵士たちを集合させようと、
「集合ラッパを吹け」
 とラッパ手に命令したが、一向に返事がない。
 変だと思って振り返ると、おやおや、ラッパ手どころか、ただ一人の兵士もいないのだ。リトアニア馬の足が速すぎて、置いてきぼりにしてきたらしい。
(なあに、すぐ追いつくだろう)
 と思った吾輩は、はあはあ息を切らしているリトアニア馬を広場の井戸に乗りつけて、
「ご苦労だった。さあ、たっぷり飲んでくれ」
 と、優しく労った。
 馬は喜んで、やたらにがぶがぶと水を飲んだ。よっぽど喉が渇いていたと見えて、いくら飲んでもきりがないのである。
 その内に、後ろの方でザアザアと音がするので、振り返って見ると、
「ひゃーっ」
 何たることだ。
 吾輩の愛馬の後ろ半分、つまり、腰と尻の部分が、すっぽり切り落とされたように無くなっているではないか。そして、そこから飲んだ水が音を立てて流れ出しているのだった。
 気の毒に、これではいくら飲んだって体の足しになるわけがない。
(それにしても、どうしてこんな事になったのか)
 と考えているよ、そこへ、やっと馬丁が駆け付けた。そして物語ったところによると……。
 吾輩が逃げる敵を追って城内に押し入った時、急に城内の吊り戸が落ちて、馬の後ろ半分が切り落とされたのだそうだ。
 ところが、切り離された後ろ半分は、群がる敵を散々に蹴散らして、恐ろしい損害を与え、それから意気揚々と近くの草原へ歩いて行ったという事だった。
「それが分かっていながら、ほったらかしにしてくる奴があるか」
 吾輩が怒鳴ると、
「へへへ、馬の輪切りはどうも気味が悪くて、それに、どこへ手綱を付けていいのか分かりませんので」
 と、馬丁は頭をかいた。
 こんな男にかまっていられない。吾輩はさっそく、元来た道を戻ることにした。
 馬の前半分は、後ろ半分に会えたことがよほど嬉しいらしく、勇んで駆けだしたが、何しろ身体が半分しか無いので、乗っている吾輩は不安定で落ちそうになって困った。
 さて、草原に来て見ると、よかった、よかった、馬の後ろ半分は、もうたくさんの馬たちと仲良くなって元気にふざけ回っているではないか。
 吾輩は、直ちに獣医を呼び寄せた。
 獣医は、
「馬の胴体をつなぐ手術なんて初めてだ」
 と、初めの内はぶつくさ言っていたが、ちょうど持っていた月桂樹の若枝で、両半身を見る見るうちに継ぎ合わせてくれた。
 傷口は、上手くふさがった。そればかりではない。一頭で二頭分の活躍をする不思議な名馬だけあって、まもなく月桂樹の若枝は、馬の身体に根を張り、すくすく伸びて美しい葉を付けた。
 おかげで吾輩は、どんな暑い日でも涼しく戦場を駆け回ることが出来たし、また、不意に敵に襲われた時も、馬をしゃがませるだけで敵の目をくらませることが出来た。
 やっこさん達は、
「こんなところに月桂樹が生えているぞ」
 と通り過ぎていくからだ。
 ついでだが、この戦闘で、吾輩はすこぶる厄介な事に悩まされた。
 それと言うのは、吾輩はあんまり長い間、疲れも知らずに敵に打ちかかっていったものだから、しまいには敵が逃げてしまってからも、右腕を上下させる動作をやめることが出来なくなった。
 寝ても覚めても右腕を上にやったり下にやったりしたが、とうとう、これが元で大失敗をやらかした。
 部下の一人が手柄を立てたので、
「偉いぞ、褒めてつかわす」
 と言ったとたんに、右腕がひとりでに動いて、部下の頭をぽかんとやったのだ。
 これに懲りた吾輩は、戦場に出るとき以外は、右腕を身体に縛り付けてこの癖を治した。
 諸君は吾輩がリトアニア馬のような荒馬を乗りこなせるくらいだから、もっと変わった曲乗りでも出来ると思うだろう。
 その通りだ。
 曲乗りと言っても、馬だけとは限らない。それと言うのは、ちょっと作り話のように思われるかもしれんが、こんなことがあった。
 何という町だったが、もう分からなくなったが、我々はある町を取り囲んだ。将軍は、城内の敵の様子をしきりに知りたがった。
 しかし、たくさんの見張りのいる城壁をくぐって中に入る事は、非常に難しい。いや、不可能な事に思われた。仮にうまく忍び込んで偵察しても、帰りにはきっと、敵に捕まるだろう。そうすれば命はない。
 だから、誰もしり込みした。しかし、ぐずぐずしているうちに敵の援軍でも来たら一大事だ。
 そこで吾輩は、
「それがしが参りましょう」
 と、この難しい役目を買って出た。もちろん考えあっての事だ。
 さて、吾輩は敵に向かって大砲を一発ぶっ放すが早いか、さっと弾に飛び乗った。あっと言う間に吾輩は敵の城の真上に達した。そして、玉の上から小手をかざして中の様子を細かく観察し終わると、折から敵側が、吾輩の味方の陣地目がけて撃った大砲の弾にさっと乗り換えて帰って来た。
 吾輩が詳しく探ってきた情報は、大いに役立って、その日の内に敵城は陥落した。吾輩は将軍から頭の良さを褒められたが、吾輩はあまりいい顔はしなかった。
 考える事は誰にでもできる。それを即座に実行に移すところに、吾輩の英雄としての価値がある事を忘れては困る。
 話は馬の事に戻るが、ある時吾輩は、馬で泥沼を飛び越そうとした。ところが飛び上がってから、その沼がばかに広い事に気が付き、慌てて空中で回れ右をして引き返し、今度は一段と弾みをつけて飛んだ。
 ところがそれでも駄目で、吾輩は馬もろとも沼に落ちた。
 しまった、と思ったが、瞬間、吾輩は馬の腹を両ひざに挟み、自分の腕で自分の襟髪をぐっとつかんで、馬もろとも泥沼から引っ張り上げた。吾輩の怪力もさることながら、事に当たっての落ち着きがものを言ったのである。




~つづく~

 今日はアメブロの方も更新しました。

 昨日、博多駅で観光列車を見かけたので、その写真を少々……。


 本ブログの方は、オランダの民話『石にされた小人』でいきたいと思います。

 ではスタート!


石にされた小人



 オランダにはずっと昔、小人がたくさん住んでいました。身体はとても小さく、おまけに体中真っ黒でした。でも、目は緑色です。足の先は二つに割れていて、頭にはみんな赤い帽子をかぶっていました。
 この、赤い帽子をかぶっていると、自分の姿が人間には見えないので、それをいいことに、小人たちは人間に悪戯をしては面白がっていました。人間たちは、小人を憎らしく思いましたが、何しろ姿が見えないので、どうする事も出来ないのです。
 ある晩、一人の小人が、人間の家の中に乗そりと入り込んできました。その家には、年取った女の人が病気で寝ていましたが、小人はその女の人を脅かしてやろうと、赤い帽子を脱ぎました。
 突然、目の前に真っ黒い身体の醜い小人が姿を現したので、女の人はぎょっとして、
「あっ、小人……出ていけっ、さっさと出ていけっ。私は神様を信心しているんだよ」
 と喚きました。
 けれども小人は、そんな事を言われても平気で、にやにやと笑っていました。女の人は気味が悪くてたまらず、大声で娘のアリダを呼びました。
 母親の声に、アリダが急いでやって来ると、母親は小人に聞かれぬように、アリダの耳に口を付けて、
「小人を追い出すんだから、私の木の靴を持ってきておくれ」
 と、そっと頼みました。
 アリダが靴を持ってくると、母親はそれを受け取るが早いか、さっと床(とこ)の上に起き上がり、小人目がけて投げつけました。いきなり物を投げつけられて、びっくりした小人は、慌てて部屋から逃げ出そうとしました。
 この時、アリダが素早く小人に追いついて、手に持っていた赤い帽子を取り上げたうえ、針でチクチクと脚を刺したので、小人は泣きながら部屋を逃げ出していきました。
「いい物が手に入ったわ。今までも散々あいつらに悪い悪戯をされたけど、これさえあれば小人どもをおびき出して、みんな石にしてしまう事が出来るわ」
 アリダは赤い帽子を見ながら、嬉しそうに言いました。
 次の日、アリダは村中の家を回って、
「私は小人どもに仕返しをするいい方法を思いついたのです。この次の月夜の晩に、私が取り上げた小人の帽子を餌にして、小人どもを沼の側におびき出しますから、みなさんも小人の帽子を奪い取って下さい。帽子は小人どもに無くてはならない物ですから、小人どもは取り返そうと夢中になって、私達と帽子の取りっこをするでしょう。そうしている内に太陽が出て、光が小人どもにあたると、たちまち小人どもは石になってしまうでしょうからね」
 と言いました。
「それはいい。それはいい事を思いついた。きっとうまくいくでしょう」
 と、みんなも大喜びでした。
 アリダはよるになったら、昨日の小人が帽子を取り返しに、必ずまた自分の家に来るだろうと思ったので、紙に、
『あの赤い帽子を返してあげるから、今度の月夜の晩に、お前たちみんなして沼地の所まで取りにおいで。必ず夜中に来ること。そうしたら、藪の上に赤い帽子が乗っているのが見つかるでしょう』
 と書いて、戸の隙間に挟んでおきました。
 さて、いよいよ月夜の晩になりました。
 村の人達は、木の枝を持ったり、魔物よけのおまじないを書いた紙を手に握ったりして、どんどん集まって来ました。
 みんなは色々と相談して、
「アリダさんが夜中に、藪の上に赤い帽子を引っかけるという事だから、私達はやぶの周りに隠れていましょう。そして、アリダさんが帽子を乗せたらそれを合図にみんな一斉に飛び出して、小人どもの帽子をつかみ取ろうではありませんか。もっとも、小人どもが帽子をかぶっている間は姿が見えないわけだが、そこらを滅茶苦茶に手あたり次第掴み回ったら、きっと取れるに違いない」
 と、話がまとまりました。
 そこで村人たちは、アリダと一緒に沼地までぞろぞろと歩いて行き、そばにあるやぶの周りに隠れて、真夜中になるのをじっと待っていました。
 やがてアリダが藪の側へ行き、その上に赤い帽子を乗せたので、人々は。
「それ、始めろっ」
 と、ぱっと飛び出しました。何しろ小人は、たけが三十センチしか無いので、みんなは這うようにして、地面から三十センチばかりの所を両手で目鞍めっぽうつかみまわりました。
 すると手ごたえがあって、人々は間もなく、何百と言う赤い帽子を手に入れました。それと一緒に、何百と言う小人の姿がはっきりと見えてきました。帽子を取られた小人たちは、みんな泣き叫んでいます。
 この頃にはもう、東の空がうっすらと白んできました。
 太陽がまだ出ていないこの時に、小人どもが帽子などを諦めて逃げ出してしまっていたら、みんな命だけは助かっていたのです。
 ところが小人どもには、帽子を取られたままで帰ったら、かしらに酷い目に遭わされるだろうと思ったのです。それで小人は逃げるどころか、帽子を取り返そうと、必死になっていました。帽子を取られない小人も、仲間を置いて自分だけ逃げだすわけにもいかず、やはり夢中で村人たちに飛びかかって行きました。
 その内、とうとう太陽が東の空に昇り、さっと明るい光が小人どもの身体を照らした途端、小人どもはたちまち石に変わってしまいました。
 それからは、小人どもは二度と出てくる事は無くなりました。そして、小人どもの変わった石は、今でも人気も無い荒れ野に、ごろごろと残っているという事です。




~おしまい~

 という訳で、今日は昨日投稿しようと思ってた、『ほら男爵の冒険』の続きと行きます。

 では、さっそくスタート!


 諸君、今までお話したように、吾輩はいつも運よく危険を切り抜けたが、それは、みんな偶然のおかげである。吾輩は勇気と落ち着きを持って、偶然を上手に利用したのである。
 世の中には、いつも偶然や運命に頼って腕も磨かず、必要な道具も揃えず、のんべんだらりとした人間がいるが、こういう奴らは狩人にしろ、何にしろ、決して成功するものではない。偶然や運命は、待っていても来るものではない。自ら招き寄せるものだ。
 その点、この吾輩は、自慢するわけではないが、常に馬、犬、鉄砲と、狩人の修練を怠らないから、何度危ない目に遭っても偶然と運命に助けられるのだ。
 いや、理屈はこれくらいにして、この機会に吾輩のために特別よく働いてくれた二匹の愛犬の事を話そう。
 一頭はポインターで、いくら働いても疲れを知らず、用心深く、注意深い犬だったので、誰でも羨ましがったものだ。吾輩は、この犬のおかげで夜でも狩りが出来た。何しろ尻尾に提灯を付けて、野山を駆け回ってくれるのだから。
 ある時、故国からはるばるとやってきた妻が、狩りをしてみたいと言うので、
「よかろう」
 吾輩は、日ごろの腕前を見せるのはこの時と、妻に先立って獲物を見つけるために馬を走らせた。犬も続いた。
 やがて、吾輩と犬は週百のシャコを見つけた。
 仕留めるのはたやすいが、妻の来るまでは我慢をしなければならない。吾輩はうずうずする腕をなでて、後から副官と馬丁の案内でやって来るはずの妻を待ったが、さっぱり姿が見えない。
 とうとう吾輩は心配になり出して、元来た道を急いで引き返した。
 およそ半分ぐらいまで来た頃だ。どこからか聞こえてくる酷く哀れっぽい声に、吾輩はぎくっとして、辺りを見回したが、人っ子一人いない。
(おかしいぞ)
 と、もう一度耳を傾けると、どうやらその声は足元から響いてくるようだ。
 吾輩は、慌てて馬から降りて地面に耳を当てて見ると、おう、聞こえる聞こえる。地面の底から響いてくる鳴き声は、妻と副官と馬丁の物だとはっきりわかった。
(はて、人間がめり込むほど柔らかい地面は無いはずだが)
 吾輩は、キツネにつままれたようにぽかんとしたが、やがて目に映ったものはほど遠からぬ炭坑の入り口だった。
(さては、あそこから落ちたのだな)
 やっと気が付いた吾輩は、
「じきに助けてやるぞ」
 と地面に向かって叫ぶが早いか、馬に一鞭くれて、全速力で近くの村から坑夫を連れて来た。
 坑夫たちは、長い事散々骨を折って、なんと九十メートルの深さの縦穴から、やっとのことで妻たちを救い上げた。
 幸い、誰も怪我は無かったが、もう狩りどころの騒ぎではなく、這う這うの体で我が家に引き上げた。全く、だらしのない話である。
 あくる朝、吾輩は公用で旅に出なければならなかった。そして半月後に帰ってきたのだが、いつも元気で出迎える犬のダイアナの姿が見えない。下男に訊くと、
「ダイアナは、旦那が旅に連れておいでになったのではなかったのですか」
 と怪訝そうだ。
 もちろん、吾輩の知った事ではない。
 さあ、大変だ。吾輩は、さっそく部下たちに手分けして八方捜させたが、ダイアナはどこにも見つからなかった。
 考えてみると、あの生き埋め事件の時、もうダイアナはいなかったらしい。もし、いたとしたら、あの賢い犬は吾輩よりもっと早く妻たちの在処をかぎつけただろうし、穴から救い出す時も大いに手伝ってくれているはずだ。とすると……。
 やがて吾輩は、
(ひょっとすると、あの犬はまだシャコの見張りをして頑張っているのではないか)
 と考えた。
 そこで、さっそくあの野原に飛んで行ってみた。
 するとどうだ。やっぱりいた。半月前に置いてきぼりにしておいた同じ場所で、吾輩の愛犬ダイアナは、相変わらずシャコの群れを睨んでいるではないか。吾輩は、その主人思いのいじらしさに涙がこぼれた。
「ダイアナ」
 吾輩はしっかりと犬を抱きしめると、この犬の好意に報いるためにと張り切って、たった一発の弾で二十五羽のシャコを仕留めた。
 しかし、ダイアナは歩くことも出来ないほど腹を減らし、疲れ果てていたので、吾輩は自分の代わりに馬に乗せて、手綱を引いて家に帰った。
 数日の間の吾輩の手厚い看護に、ダイアナは元通り元気になり、数週間後にはこの犬がいなかったら、おそらく永久に解けなかったであろう一つの謎さえ解いてくれた。その話と言うのは……。
 吾輩は、丸二日間ぶっ通しで一匹のウサギを追い回した。犬は何べんも吾輩の方へ追い戻してくれたが、ウサギはすごくすばしっこくって、どうしても狙いが決まらない。今までに随分変わった奴にぶつかっているので、魔物の仕業とは思わないが、この時ばかりはさすがの吾輩も自信を失いかけた。
 しかし、やっとのことで、ダイアナが弾の届くところまで追ってくれたので、どうにかして仕留めることが出来た。ところが、ダイアナが勇んで銜えて来たウサギを見て、吾輩はたまげた。
 そのウサギは、腹の下の四本の足の他に、背中にも四本の足が生えているのだ。つまり、下の四本の足が疲れると、水泳の泳ぎ、背泳ぎのように、くるりとひっくり返って走るという寸法だ。なるほど、吾輩の狙いが決まらなかったわけだ。
 その後、吾輩はこんな不思議なウサギに一度もお目にかかった事は無いし、このウサギだって、もし吾輩にあのとびきり優れた犬がいなかったら、とても手に入れる事は出来なかったろう。
 吾輩はダイアナに“天下無敵”というあだ名をつけてやろうと思ったが、じつはもう一匹“風犬”と呼ぶ自慢の犬がいるので、えこひいきになってはまずい、とやめた。
 この風犬は、スタイルはとにかく、恐ろしく足が速い事が特徴だった。諸君がその犬を見たら、吾輩が何故よく可愛がり、何故よく狩りに連れ出したかがすぐわかったはずだ。
 こいつは得意になっていつも走り続けたので、しまいには足が擦り切れ、年をとってからはアナグマ探しが専門になった。それでも、まだ何年も結構役に立った。
 この雌の風犬が、まだ血気盛んな頃の事だ。
 吾輩の狩りのお供をして一匹のウサギを追いかけた。
 その頃、風犬は、お腹に子供を持っていたので、走らせるのは気の毒と吾輩は止めたのだが風犬は聞かなかった。
 仲間が背中に四つ足のあるウサギを追い出して褒められたから、こっちも負けずに八本足のタコウサギでも捕まえようと思ったのかも知れない。しかし、そんなウサギがいるわけがないと諦めたか、風犬は馬鹿に太ったウサギを追いかけた。
 やがて、追いつ追われつ、草むらの中に入って行ったと思ったとたん、


 キャン、キャン、キャン


 ひどく弱々しい犬の鳴き声が聞こえてくるではないか。
 さては、追い詰められたウサギの死に物狂いの反撃に、風犬が悲鳴を上げているのかなと思ったが、その鳴き声はどうも一匹のものではない。
「これはおかしいぞ」
 吾輩はさっそく飛んで行ってみると、
「ありゃりゃりゃ」
 驚くのも無理はない。犬とウサギは、追いつ追われつ、走りながら子供を産んでいたのだ。そればかりか、同じ数の犬とウサギの赤ん坊が、これまた親たちに負けずに追っかけごっこだ。
 赤ん坊とは言え、さすが名犬風犬の血を引く連中は、たちまちそれぞれウサギの赤ん坊を捕まえた。
 おかげで吾輩は、親ウサギの他に、六匹のウサギの子と、六匹の犬の子を腕組みしているだけで手に入れることが出来た。
 この素晴らしい雌犬の事を思い出すのも楽しみだが、また、金では買えない見事なリトアニア馬の思い出こそ、またとない嬉しい事だ。
 この馬を手に入れたのは、全くの偶然で、そのおかげで吾輩は日ごろ鍛えた馬術の腕前を表して、名声を高めることが出来た。
 ある時吾輩は、リトアニアのプルツォボフスキー伯爵の素晴らしい別荘に招待されて、豪奢な応接間でご婦人たちとお茶の時間を過ごしていた。
 男性は吾輩一人で、他の連中はちょうど牧場から届いた伯爵御自慢の馬を見物するために、中庭に降りて行った。すると突然、
「助けてくれえ」
 と、ただならぬ叫び声が聞こえた。何事かと、急いで階段を降りてみると、なんと、馬が大暴れだ。
 垣根は壊す、花壇は滅茶苦茶にする。でも、誰も怖がって寄り付こうともせず遠巻きにして震えているだけだ。気の毒なのは伯爵だ。大切なお客にもしものことがあっては大変と、
「だ、誰か、馬を静めてくれえ」
 と、おろおろしている。それを見るなり、吾輩は、
「おまかせあれ」
 と一声叫ぶと、ひらりとその馬にまたがって、手綱をぐいと引いた。そして、馬の耳に、
「大人しくしないと、焼いて食ってしまうぞ」
 とささやくと、馬はぶるっと身震いして、たちまち大人しくなった。吾輩の豪傑ぶりは馬の世界でも有名らしい。
 これで、一応騒ぎは収まったが、座はすっかりしらけてしまい、
「暴れ馬を放し飼いにするとは、無責任にもほどがある」
 と、男たちは怒るし、
「また暴れ出さない内に帰りましょう」
 と、婦人たちはもぞもぞしだす有様だ。
 このままでは、伯爵家の面目は丸つぶれだ。なんとかお客たちの機嫌を直そうと考えた吾輩は、
「これから、馬術の妙技を御覧に入れます」
 と叫ぶと、手綱さばきも鮮やかに、開けっ放しの窓から応接間へ馬を乗り入れた。
 そこで吾輩は、並み足、駆け足、速足と、何度も繰り返して馬を操り、しまいにはテーブルの上で馬にちんちんをさせて見せた。馬もさるもの、テーブルの上の水差しもコップも、一つとして壊さなかった。割れるような拍手の内に演技を終えると、伯爵は満足そうに吾輩に向かって言った。
「お見事、お見事。あなたこそ、この馬の持ち主にふさわしい方だ、私の贈り物として受け取って頂きたい。そして、来たるべきトルコ遠征にはミュンニヒ将軍に従って、勇戦奮闘、輝かしい手柄を立てて下さるように」
「有難き幸せ」
 吾輩は、夢かとばかり喜んだ。かねがね、戦場に出て一働きしたいと思っていた矢先、なんと、幸先のいい事であろうか。
「しっかりやろう」
 吾輩が、優しく鼻面をなでると、


 ヒヒヒーン


 馬はよき主人を持った嬉しさに、美しいたてがみを震わせて、勇ましくいなないた。その時、吾輩は、かの勇将アレクサンダー大王が、愛馬ブツェファルスにうちまたがって出陣した時も、こうであったろうと思った。




~つづく~

 今回は、『ほら男爵の冒険』第二回です。

 今回はちょっと長めのお話です。


 では、スタート!


 吾輩は、こうした愉快な出来事に数々巡り合ったが、それよりも、もっと奇抜でもっと面白い狩りの話をしよう。
 ある朝の事だ。ベッドから起き上がった吾輩は、部屋の空気を入れ替えようと、窓を開けた途端、
「こいつは凄い」
 と、思わずうなった。
 近くの池に、数知れないほどのカモの群れが集まっているのだ。
「眠気覚ましに、カモ狩りといくか」
 吾輩は、鉄砲を取るより早く、飛ぶように階段を駆け下りたが、あまり急いだので、不注意にも戸口の柱にしたたかおでこをぶっつけた。
「いたたた」
 目から火が出た。
 しかし、そんな事は構っていられない。池のほとりに駆け付けた吾輩は、胸を躍らせてカモに狙いを付けたが、
「しまった」
 何というそそっかしさだ。鉄砲の発火石が無い。さっき柱にぶつかった時、どこかへ飛ばしてしまったらしいのだ。
「これは弱った」
 さすがの吾輩も途方にくれた。いくら吾輩が鉄砲の名人でも、発火石が無くてはどうにもならない。もちろん、家へ取りに行く暇もない。どうしよう。
 瞬間、吾輩は、さっき目から飛び出した火花を思い出して、
「そうだ」
 とにっこりした。そして、カモに狙いをつけておいて、げんこつで力いっぱい自分のおでこを殴りつけ、ぱっと飛び散る火花を利用して引き金を引いた。
 ズドーン、ぱたり。
 ズドーン、ぱたり。
 そのたびに吾輩のおでこにはこぶの数が増えたが、五つがいのカモ、四羽の赤首ガモ、一つがいのバン(沼や湖の水辺に生息するクイナ科の渡り鳥)を仕留めることが出来た。これと言うのも、全て吾輩の頭の良さによるものである。
 そんなことがあって、ある日、吾輩が狩りをしての帰り道だった。とある湖のほとりまで来ると、またまた何十羽というのがもの群れを発見した。
 しかし、吾輩は残念ながら、狩りに弾を使い果たして、もう一発しかない。あわよくば、全部を仕留めて今夜は友達を呼んで大パーティーでも開きたいと思ったのだが、これではどうしようもない。
 ガッカリしている内に、吾輩は弾を使わずに野ガモを残らず捕まえる方法を思いついた。種は弁当の残りのハムの脂身一切れである。
 吾輩は、犬の首から綱を外すと、それを丹念にほぐして四倍ぐらいの長さのひもを作り、その先に脂身を結わえ付けた。そして、それを水上に放り投げると、吾輩は水際の葦の茂みに隠れた。
 さて、様子はいかにと見ていると、早くも脂身を見つけた野ガモの一羽がぱくりと飲んだ。
「しめ、しめ」
 吾輩がほくそ笑んでいる内に、すべっこい脂身は、野ガモの腹の中をつるつると抜けて、尻から出た。
 すると、それを見つけたほかの野ガモがぱくりとやったが、また、尻からつるり。それをまた、他の野ガモがぱくりという訳で、
 ぱくり、つるり。
 ぱくり、つるり。
 紐のくっついた脂身は、次々に野ガモのお腹をくぐり抜けて、たちまち数珠のように野ガモが繋がってしまった。
 吾輩は、それを大事にたぐり寄せると、紐を身体に巻き付けて、ゆうゆうと我が家に向かった。
 ところが途中まで来ると、吾輩の背中で気を失っていた野ガモたちが正気を取り戻して、いっせいに羽ばたいたから大変だ。
「あっ!」
 叫んだ時には、吾輩の身体は野ガモにぴっぱられて空中高く舞い上がっていた。
 これが普通の人間だったら青くなって悲鳴を上げるところだろうが、吾輩は平気だった。いや、
「足がくたびれていた所だから、ちょうど良かった」
 と、野ガモに感謝したくらいだ。
 しかし、放っておけば、どこへ連れられて行くか分からないので、我が家の方へ飛んでいくようにと、上着の裾でうまくかじを取った。
 そして、我が家の真上に来たと見るや、野ガモの頭を次々に押し付けた。すると、ふわりふわりと下に下がって、煙突を抜けてかまどの上に乗っかった。
「きゃーっ」
 ちょうど火をつけかけていた料理番がたまげて、腰を抜かした。いや、吾輩もたまげた。もう少しで野ガモもろとも焼き鳥にされるところだった。
 これに似た方法で、数羽のシャコを仕留めたこともある。
 ある日、吾輩は新しい銃を試しに出かけ、少しばかり持って行ったバラ弾をすっかり使ってしまった。こういう時に限って、獲物が現れるから不思議だ。とたんに吾輩の足元から、ぱっとシャコの一群が飛び立つではないか。
(あれを二、三羽撃ち取って、夕飯のおかずにしたいものだ)
 と思った時、またも吾輩の頭に名案が浮かんだ。
 銃に弾が無くなった時、諸君にもこの手をお勧めしたい。
 さて、吾輩は、シャコの降りた場所を見極めると、銃に火薬を詰め、バラ弾の代わりに、銃身を掃除するのに使う細長い鉄棒の先をとがらせて込めた。
 用意が出来ると、吾輩は、シャコのいる場所に小石を投げ、驚いたシャコたちが飛び立った途端に引き金を引いた。
 狙いは過たず、バラ弾代わりの細い鉄の棒に七羽のシャコが、焼いて食べて下さいとばかりに串刺しになって落ちて来た。
 ことわざに“窮すれば通ず”と言う言葉があるが、人間、どんなに困っても開ける道はあるものだ。
 また、ある時吾輩はロシアの大きな森で、見事な黒ギツネに出くわしたことがある。途端に吾輩は故国に残してきた妻が、かねがねキツネの襟巻を欲しがっていたことを思い出した。
(よーし、こいつを仕留めて、皮を土産にしよう)
 吾輩は妻の喜ぶ顔を想像しながら銃の引き金に指をかけたが、途端にこの貴重な毛皮に弾で穴をあけるのが惜しくなった。どんな立派な毛皮でも、穴が空いていては値打ちは半減する。
 そこで吾輩は、さっそく銃身から弾を抜いて、代わりに一本の釘を詰めた。そして黒ギツネの尻尾を狙ってズドンと一発、木の幹に尻尾を釘付けにした。
 そして吾輩はゆうゆうと近寄って、ナイフで黒ギツネの顔に十の字型に傷をつけた。
 さて、これからが吾輩の頭のいい所だ。静かに食料袋から肉切れを取り出すと、棒の先に突き刺して、
「さあ、食いたまえ」
 と、黒ギツネの鼻先一メートルぐらいのところに差し出した。
 食べたいけれども、口の届かぬもどかしさに、黒ギツネはいらいらしていたが、その内にたまらなくなったのか、
 コーン。
 と、ひと声。顔の傷口から裸で飛び出して、肉にかぶりついた。もちろん、後には傷一つない美しい毛皮だけが残ったという訳だ。偶然と幸運とが、失敗を償ってくれることはよくあるが、黒ギツネの事件のすぐ後、吾輩は次のような一例にぶつかった。
 吾輩は深い森の中で、イノシシの子と母親らしい雌のイノシシが、ぴったり前後にくっついてかけてくるのを発見した。
「よき獲物、ござんなされ」
 とばかり、吾輩は銃をぶっ放したが、弾は外れた。
 その音に驚いて、前にいたイノシシの子は一散に駆けだしたが、雌の方は立ち止まったまま身動きもしない。
 怪訝に思ってよくよく見ると、この雌のイノシシは盲目で口にイノシシの子の尻尾の切れ端をくわえているではないか。
 イノシシの子は、自分の尻尾を盲目の母親にくわえさせて道案内をしていたのだが、吾輩のはずれ弾がその尻尾の中ほどを切ってしまったので、母親は立ち止まるよりしようがなかったのだ。何という美しい母子の愛情だ。吾輩は、思わずほろり。
「ああ、弾が当たらなくて良かった」
 と、ほっと胸をなでおろした。負け惜しみではない。親子のどちらに弾が当たったにしろ、一生、残酷な人間と恨まれたに違いない。
 吾輩は、親子のイノシシの幸福を祈りながら山を降りた。
 しかし、どのイノシシもこんなに優しい動物だと思ったら大間違いだ。
 ある時吾輩は、またも森の中で、子牛ほどもある猛々しい雄のイノシシに襲われた。
 突然の事で銃を構える暇もない。吾輩は、大きな木の陰に逃げ込むのがやっとだったが、イノシシは情け容赦もあらばこそ、牙を唸らせて突進してくる。
「もう駄目だ」
 吾輩は観念の目を閉じた。すると、その途端、


 ズシーン!


 大きな物音と共に、足元がグラグラと揺れた。驚いて顔をあげると、ありゃりゃ、イノシシの奴、なんと牙を木の幹に打ち込んで、ジタバタもがいているではないか。
「しめた!」
 吾輩は躍り上がって喜ぶと、さっそく石で叩いて牙をひん曲げ、逃げられないようにしておいて、我が家へ手押し車を取りに走ったという訳だ。
 言わば怪我の功名だが、吾輩ぐらいの豪傑になると、いくら説明しても誰も信じてはくれない。
「嘘おっしゃい。取っ組み合いをして生け捕りにしたんでしょう」
「そうとも、そうとも。それを威張りもせずに謙遜するとは、なんと奥ゆかしい方だ」
 吾輩は、くすぐったくて困った。
 さて、諸君は、きっと狩人や鉄砲撃ちの守り神、聖フーベルトウスが、森の中で出会ったという、角の間に十字架を付けた立派な鹿の事を聞いたことがあるに違いない。
 吾輩もこの聖者に、毎年仲間と一緒にお供えを捧げているし、教会の壁にこの鹿の絵が描いてあるのや、詩集をしたカーテンのあるのをいくたびとなく見ているが、果たしてそんな鹿がいたとか、いなかったとか、そういう議論には口をはさむことが出来なかった。
 ところが、ところが……。
 ある時の事だ。吾輩は、森の中で素晴らしく美しい鹿に出くわした。ところが残念な事に、弾をすっかり撃ち尽くした後だった。
 鹿は吾輩の弾入れが空っぽなのを見抜いているかのように、平気の平左でこっちを見ているから、腹が立った。
(よーし、今に見ておれ)
 吾輩は思案した挙句、銃に火薬を詰め、その上にサクランボの種を一握り詰め込んだ。
 そして、鹿の角と角の間の額の真ん中をズドンとお見舞い申し上げた。奴は面食らって、よろめきながら逃げて行った。
 これだけでは大して面白い話でもないが、それから一、二年経ったある日のことだ。
 吾輩が同じ森で狩りをしていると、なんと、角と角の間に三メートル以上もある桜の木を生やした立派な鹿が、のそのそ現れたではないか。そして、その木には枝もたわわに、サクランボの実がぶら下がっているのだ。まさしく、いつか吾輩が弾代わりにサクランボの種を撃ち込んだ鹿だ。
 吾輩は、その鹿を一発のもとに仕留めた。そして、シカ肉のカツレツと、サクランボで作った美味い酒に舌つづみを打ったという訳だ。
 だから、信心深い狩人や、狩りの好きな僧正が、吾輩と同じやり方で聖フーベルトウスの見た鹿の角の間に十字架を植え込んだという事も、まんざら嘘だとは言えない。
 それはさておき、勇敢な狩人となると、切羽詰まった場合でも、みすみす獲物を逃がしはしない。あらゆる方法で目的を貫くものだ。そのいい例が、この吾輩だ。
 ポーランドのある森の中で、吾輩は道に迷った。日は暮れるし、食べ物は無いし、心細くなっていると、突然、向こうの岩陰から、一匹の恐ろしい熊が吾輩を一飲みにしようと、真っ赤な口をあげてまっしぐらに走って来た。
 吾輩はすかさず、銃を取り上げたが、しまった、火薬も弾も無い。あったものは非常用にいつも持っている二つの火打ち石だけだ。
 吾輩は、その一つを夢中で熊のあんぐり開いた口をめがけて投げ込んだ。熊はそのご馳走があまりお気に召さなかったか、変な顔をして回れ右をした。
 吾輩は、得たとばかり、
「えいっ」
 もう一つの火打ち石を熊の尻の穴に投げ込んだ。
 途端に、その火打ち石と、口から入った火打ち石が熊のお腹の中でぶつかったからたまらない。


 バッカーン!


 大爆発と共に、熊の奴、粉みじんになって吹っ飛んでしまった。
 吾輩は、かすり傷一つ負わずに逃げることが出来たが、あんな悪戯は二度としたくない。狩人は、あくまで銃で勝負すべきである。
 それにしても、吾輩が身を守る武器を持ち合わさない時に限って、恐ろしい動物に出くわすのはどういう訳か。あいつらの本能が、吾輩の無防備状態をかぎつけるのだろうか。
 これもその一例だが、ある時吾輩が、火打ち石を尖らそうと思って銃から抜き出していると、折も折、化け物のような大熊が、唸り声を立てて迫って来た。
 吾輩は、咄嗟に傍らの木の上に逃げた。そしてこいつを迎え撃つ準備を始めようとしたのだが、運の悪い時はどこまでも悪い物で、手を滑らせて大切な短刀を下に落としてしまった。
 これが無くては、銃に火打ち石を入れてもネジを締め上げることが出来ないのだ。
 吾輩は、前に一度やった目から火花を出す方法も考えたが、あの時のおでこの痛さを思ったら、熊に食われた方がマシだ。
 吾輩は、雪の上に突き刺さっている短刀を恨めし気に見下ろした。
(ああ、あの短刀さえあれば……)
 その内に、吾輩は、やっといい考えを思いついた。
(少し変わっているが、物は試しだ)
 と、吾輩は木の上から短刀に小便をしゃあしゃあとひっかけた。
 すると、折からの厳しい寒さに、小便がたちまち凍って、見る見る短刀の柄の上にツララが立ち、木の枝まで届いた。
(しめた)
 吾輩はそれをつかんで、見事に短刀を引き上げた。
 その時には、熊はもう、木に登り始めていた。吾輩は素早く、火打ち石のネジを締め上げると、


 ズドーン!


 熊はたちまち血に染まってぶっ倒れた。
 吾輩はこの冒険で、狩人たるものは、たとい小便の一滴たりとも、粗末にしてはならないという教訓を得た。
 吾輩の武勇のほどは動物たちの間に広く知れ渡ったらしく、まともに向かっても歯が立たぬと思ってか、一匹の狼が、足音を忍ばせて近づいてきたことがあった。それに気が付いた時には、目の前で飛びかからん態勢だ。
 もちろん、銃を構える暇などある訳が無い。
 吾輩は、咄嗟にげんこつを狼の口の中へ突っ込んだ。
 それで狼が退治できるなどと考えたわけではなく、ただただ、わが身を守りたい一心からだった。
 それはともかく、吾輩はげんこつを狼の口から奥へ奥へと押し込んで、とうとう肩の所まで入れてしまい、自然に狼と顔を突き合わせる形になった。吾輩が渋い顔なら、狼も渋い顔だ。
 吾輩が腕をひっこめたら、奴はそれこそ猛り狂って飛びかかって来るに違いないから、滅多に引っ込められない。と言って、いつまでも狼とにらめっこしている訳にも行かず、困り果てている内に、例によって、吾輩は巧い事を考えた。
 さればと、吾輩は狼の腹深く手を突っ込むと、
「えいっ」
 気合もろとも、はらわたをつかんで引っ張り出した。すると狼の奴、手袋か何かのように裏返しになってしまったではないか。
「ざまあ見ろ」
 吾輩はそれを地べたに叩きつけて悠々と引き上げた。




~つづく~

 さて、今日からまた、中編の小説を何度かに分けて、隔日で掲載していきたいと思います。

 今回から始まるのは、ドイツの昔話、『ほら男爵の冒険』です。


 では、さっそくスタート!


ほら男爵の冒険

第一部 陸の冒険



 吾輩(ミュンヒハウゼン男爵)は、ロシア旅行に出かけるのに、わざわざ冬の最中を選んだ。
 北ドイツからポーランド、クールランド、リーフランドを通っていく道はごつごつした酷い物だと聞いているが、今なら雪や氷で固まって、きっと楽な旅行が出来るだろう、と考えたからだ。
 吾輩は馬で出かけた。馬と乗り手さえ良ければ、旅行は馬の旅に限る。
 馬車の駅で、足元に付け込まれて高い料金をふんだくられることも無いし、馬車が飲み屋の前を通るたびに、飲んべえの御者に引きずり込まれて酒をねだられる心配もないではないか。
 このように、万事手抜かりは無かったが、身軽な服装をしてきたことは失敗だった。北東へ進むにつれて、寒さが厳しくなって、吾輩は馬の上でガタガタブルブル震えていた。
 ところがもっと酷いのがいた。
 冷たい北風がビュービュー吹きまくるポーランドの荒れ果てた草原に、穴だらけのぼろをまとった貧しい老人が横たわっているのに出会ったのだ。
「気の毒に」
 吾輩は、自分の寒さも忘れて、さっそく旅行外套を脱いで、老人の上に投げかけてやった。
 すると、突然天から、
「立派な行いじゃ。今にきっといい報いがあろうぞ」
 という声が響いてきた。神が吾輩の愛の心に感じたのに違いない。
 それには構わず、吾輩は馬を進めたが、やがて日は暮れ、雪は降りしきる。泊まろうと思っても人家の明かり一つ見えない。吾輩は、仕方なしに野宿する事に決めた。
 雪の中からにょっきりと突き出ている、先のとがった杭のようなものに馬をつなぐと、護身用のピストルを小脇に抱えて雪の上に寝転がった。
 朝になって目を覚まして、吾輩は驚いた。なんと、村の教会の庭に寝ているではないか。おまけに馬の姿も見えないのだ。
(しまった。眠っている間に盗まれたか)
 と思った瞬間、


 ヒヒヒーン!


 おや、頭の上の方で馬のいななきが聞こえる。寝ぼけ眼で見上げて、
「ひゃーっ」
 吾輩はまたまた驚いた。教会の塔の十字架に、吾輩の馬が縛り付けられて、ぶら下がっているではないか。間もなく、吾輩はやっと訳が分かった。
 雪があまり深く積もって、家も高い木も隠れてしまい、吾輩が暗闇の中で杭だと思って馬をつないだのは、教会の塔の上の十字架だったのだ。
 ところが夜のうちに気温が上がって、雪がどんどん溶けたので、吾輩の身体もそれにつれて地面におろされた、という次第である。
 それはさておき、塔の上の馬を放ってはおけない。そこで吾輩は、
「今、助けてやるぞ」

 と、ピストルで馬の手綱を狙って、


 ズドーン!


 弾は見事に命中して、馬は真っ逆さま、と思ったら、空中で一回転してぽんと地面に立った。さすがに吾輩の馬だけの事はある。
 吾輩は、再び旅を続けてロシアに入った。
 ところがこの国では、冬に馬にまたがって旅行する習わしが無いという事なので、“郷に入りては郷に従え”という吾輩の主義に従って、一台の小さなそりを買って馬に引かせることにした。そしてそれに乗って、いい気持ちでロシアの都ペテルブルク市さして急いだ。
 さて、エストランドだったか、インゲルマンランドだったか覚えていないが、恐ろしい森の真っただ中を突っ走っていた時だった。
 ふと、後ろを振り返った吾輩は、ぞっとした。ランランと目を光らせた一匹の狼が、舌なめずりをして追いかけてくるのだ。
「おのれ」
 吾輩は慌てて腰のピストルを取ろうとしたが、もう遅い。瞬く間に追いついた狼は、吾輩目がけてジャンプいちばん、


 ウォーッ!


 もはや絶体絶命。吾輩は、咄嗟にそりの中に身を伏せると、途端に、


 ヒヒヒーン!


 馬の悲鳴が聞こえた。
「おかしいぞ」
 と、恐る恐る顔をあげて見ると、こりゃどうじゃ、狼の奴、吾輩の身体を乗り越えて馬に飛びかかり、尻の肉をむしゃむしゃ食っているではないか。
 馬には気の毒だが、どうする事も出来ない。ハラハラして見ていると、狼はあっと言う間に馬の尻から腹にかけて肉を平らげ、自分の身体を馬の身体にめり込ませてしまった。つまり、馬の皮を被った狼が出来上がった訳だ。
 吾輩は、その狼に力いっぱい鞭をくれた。


 ウォーッ!


 驚いた狼は気が狂ったように走りだした。その速いこと、速いこと。吾輩は、まるで宙を飛んでいるみたいだった。
 こうして無事にペテルブルク市に到着すると、驚いたのは市民たちだ。
「狼を生け捕りにしたばかりか、馬の皮をかぶせてそりを引かせるとは……」
「知勇を兼ね備えた英雄とは、君の事だ」
 吾輩はほめそやされた挙句、最高の礼を持って軍隊に迎えられることになった。
 軍隊に努めるようになるまで二、三か月あったが、その間、吾輩はいたるところで歓迎攻めにあって、日夜カルタ遊びに宴会に、身体がいくつあっても足りない忙しさだった。
 ロシアの人は酒が強い。気候が寒いので、身体を温めるために飲む習わしだから、こうなったのだろう。いくら飲んでも、なかなか酔わない。
 中でも、吾輩が特に感心したのはよく宴会で一緒になる老将軍だった。赤銅色の顔にごましお髭をピンとはやしたこの歴戦の勇士は、トルコ戦争で頭蓋骨の上半分をなくしたので、いつも帽子をかぶったままだったが、新しいお客が入ってくると、身分の隔てなく、
「帽子をかぶったままで失礼させて頂きます」
 と、丁寧にあいさつをした。
 そして、食事の間に、いつもぶどう酒を二、三本からにする。さらに締めくくりのように、強いコニャックを数杯飲むのだが、いつも酔った様子もなく、けろっとしているのだ。
 そんな馬鹿な事が、と諸君はおっしゃるだろう。ごもっともだ。この目で見た吾輩だって、信じられなかったのだから。
(これは、何か秘密があるぞ)
 吾輩は興味を持った。
 しかし、老将軍に聞くのも失礼と、ひそかに観察している内に、ある日、やっとその謎を解くカギを見つけた。
 老将軍は、ときどき帽子をちょっと持ち上げる癖があった。いや、癖と言えるかどうか。誰だって帽子をかぶって酒を飲めば、頭が火照るから風を入れたくなるのだろう。
 ところが老将軍は実に用心深く帽子を持ち上げるのだ。吾輩の目を付けたのはここだ。
 そこで、例によって老将軍が帽子を持ち上げる拍子に、床に落としたハンカチを拾うふりをして、帽子の内側を覗いてみて、
(な、なあるほど)
 吾輩の謎はたちまち解けた。
 老将軍は、頭の銀の板ごと帽子を持ち上げていたのだ。銀の板とは、頭蓋骨の代わりに頭の蓋をしている物だ。
 それを持ち上げるたびに、老将軍の飲んだ酒は蒸気になって、ふわりふわりと出ていくのだから、いくら飲んでも酔う訳が無い。
 吾輩は、さっそくこの新発見を周りの連中に発表したが、
「馬鹿馬鹿しい」
「下らぬたわ言はよせ」
 と、まるっきり信用してくれない。
「よし。では証明してやるから驚くな」
 吾輩は、こっそり老将軍の後ろに回った。そして、老将軍がまたもや帽子を持ち上げた拍子に、手に持っていたパイプの火を立ち上る蒸気に近づけた。すると蒸気はたちまち世にも美しい青い炎になって、老将軍の頭の周りに輝いた。
「な、なんという無礼な」
 気が付いた老将軍は真っ赤になって怒りだしたが、吾輩がすかさず、
「お怒りになる事はありません。将軍の頭の後光は、どんな聖者よりも気高く立派です」
 と言うと、老将軍はたちまち機嫌を直した。そして、その実験を何べんもやらせてくれた。




~つづく~

 サイトを更新しました。今日は『ホビー雑誌コーナー』です。


 記事の方は、久々に『西遊記セレクション』で行きます。

 今回は、獨角兕の話の次で、最初に投稿した話の一つ前のお話になります。


 では、スタート!


第十五回 赤ちゃんを産む水



 冬が過ぎて、また春になった。
 日差しは一日ごとに伸びて、三蔵法師たちは陽炎の燃える野を過ぎたり、山中で春の虹を見上げたりして、うららかに進んでいった。すると、雪解け水を悠々と流している清らかな川に出た。
 向こう岸の柳は青々と芽を吹いて、その下に二、三軒の田舎家が見えている。
「あの家は、渡し守の家だろう」
 悟空が春の日差しの眩しさに目を細めながら言うと、八戒が大声をあげて向こう岸へ呼びかけた。
「おーい、船頭さん、舟を寄こしてくれよう」
 間もなく家の中から人が現れて、ぎっちら、ぎっちらとこちらの岸へ舟をこぎ出してきた。
「お待たせしました。さあ、お乗り下さい」
 一同が舟に乗ると、六十歳ぐらいの女の船頭さんである。
「旦那さんが留守で、おかみさんが漕いでくれるのかね」
 悟空が尋ねると、女の船頭さんは、愛想よく笑っただけで返事をしない。
 やがて向こう岸に着くと、悟空から渡し賃をもらって、家の中へ引っ込んでしまった。
 三蔵法師たちは川岸伝いに進んでいくうちに、法師は喉が渇いてきた。
「きれいな水だ。川の水を一杯汲んでくれないかね」
 三蔵法師は、馬の上から鉢を取り出して八戒に渡した。
「私も飲みたかった所です」
 八戒が鉢で川の水をくみ上げた。三蔵法師は少し飲んでのどを浸すと、残りの水を、八戒ががぶがぶと飲み干してしまった。
 一時間ほど過ぎると、急に三蔵法師と八戒の腹が痛み出した。
「ううむ、ううむ」
 と、二人が呻き始めた。
 その内に、どちらの腹も少しずつ大きく膨れ上がって来た。
「これは大変だ。どうした事だろう?」
「川の水が悪かったに違いない」
「どこかに休むところは無いか?」
 辺りを見回すと、入り口の横の大木に二本の草ぼうきを立てかけた一軒の家がある。
 悟空と悟浄は三蔵法師と八戒を助けながら家へ入ると、腰の曲がったお婆さんが糸を紡いでいる。
 悟空はお婆さんを拝んで頼んだ。
「しばらく、ここで休ませて頂けませんか。私達は唐土大唐国から来た旅の者ですが、ここにおられるお師匠様と、仲間の一人が急病を起こして困っているのです」
「何か悪い物でも食べなさったかね?」
「いいえ、この川の水を飲んでから痛み出しました」
「ええっ、お前さんがたは、この川の水を飲みなさったのか?」
「はい」
 お婆さんは、いきなり曲がった背中を伸ばすと、大声をあげて笑い転げた。
「あっはっは、あっはっは。これはおかしい。近所中に触れ回ってこようか。あっはっは」
「お婆さん、何がおかしいのかね?」
「訳を話すから、さあ、さあ、奥へ入りなさい」
 三蔵法師も八戒も、ますます大きく膨れ上がってくる腹を抱えて部屋に上がった。
 奥から二、三人の女たちが走り出てきたが、どの女も二人の話を聞くと、膨れ上がったその腹を見て、これも笑い転げた。悟空はとうとう、かんしゃく玉を破裂させた。
「やい、やい。オレ達が困り切ってるのに、貴様たちは何で笑うのか。二人に薬を飲ませるんだ。早く湯を持ってこい」
 お婆さんが、笑い声をおさめて悟空をなだめた。
「薬なんかのんだって、どうにもなるもんじゃない。まあまあ、話を聞きなさい。ここは女人国(にょにんこく)と言って、男は一人もいない国なんだよ。女が二十歳を過ぎると、あの川へ行って水を飲むんだよ。すると赤ちゃんが生まれるんだ」
「な、な、何だと。お師匠様と八戒が赤ちゃんを産むんだと。これは一体どうなるんだ?」
 三蔵法師も八戒も慌てた。布袋様のように膨れ上がった腹をなでると、腹の中で確かに赤ん坊が動いている。二人とも顔色を青くした。
「悟空、どうしたら良いのだ。今にも子供が生まれそうに痛くなってきた」
 三蔵法師が顔をしかめると、八戒も腰をくねらせて泣き出した。
「兄貴、どこからか、上手な産婆さんを二、三人連れて来てくれ。うわあ、痛いよう。生まれそうだよう」
「八戒、騒ぐな。お婆さん、この辺にお医者様は居ないのか。赤ん坊を腹から出すにはどうしたらいいんだ?」
 お婆さんが落ち着いて答えた。
「そう騒ぎなさんなよ。治すには、治す方法がある。後ろの山のてっぺんに、落胎泉(らくたいせん)という井戸がある。その井戸水を一口飲みさえすれば、お腹の子は溶けて、流れてしまう」
「じゃあ、行ってくる。お婆さん、茶碗を一つ貸して下さい」
「だがな、ただでは水をくれないぞ。井戸の側には如意真仙(にょいしんせん)という欲深い仙人が住んでいて、豚や米や、酒などを持って行って、丁寧にお辞儀をして頼まなければ駄目なんだ。お前さんがたは旅の坊さんたちだから、豚も酒も持っておるまい。諦めて赤ちゃんを産むんだね」
「男の坊さんが赤ん坊を生んでたまるものか。おい悟浄、水をくれなかったら、オレがその欲張り仙人と戦うから、その間にお前は井戸水を汲んで逃げろ。さあ、一緒に来い」
「よしきた」
 二人が行こうとすると、八戒が情けない声を出した。
「病人を残して、二人とも行ってしまうのか?」
「お前はもうすぐお産だから、力を付けてここで待ってるんだ」
 悟空はこう言い残して、お婆さんから大きな手桶を借りると、悟浄と裏山の頂上へ登っていった。
 頂上には、如意真仙が欲の深そうな目つきをして、井戸端に敷いた円いござの上にあぐらをかいていた。
 悟空は腰を低くして、丁寧に頼んだ。
「わたくしは唐土大唐から参った旅の者ですが、お師匠様がうっかりして、子母河(しぼが)の水を飲んでしまいました。どうぞ、井戸の水を一杯頂かしてくれませんか?」
「よろしい。お礼に豚や米や、酒を出しなさい」
「旅の事とて、何一つお礼の品を持っておりません」
「なに、何も持っていない? 図々しい奴だ。帰れ、帰れ。この水は、たとえ国王であっても、山のようにお礼の品物を持ってきて初めて少し分けてやるのだ。から手で来るとは何事だ」
「あなたには、困っている者を助けようと思う優しい心が無いのですか?」
「生意気を言うな。助けてやるから、帰って手土産を持ってこい」
「やい、貴様は、本当にくれないのか?」
「やいとはなんだ。貴様とはなんだ。やらないと言ったらやらないのだ。馬鹿者め!」
「馬鹿は貴様だ」
 悟空は鉄棒を振り上げた。如意真仙は井戸端に立てかけてあった如意槍をつかんで立ち向かってきた。どちらも如意棒と如意槍を伸ばしたり、縮めたりして戦っている内に、悟浄はさっさと井戸水をくみ上げて悟空に知らせた。
「兄貴、水は汲んだぞ。喧嘩は止めて逃げろ、逃げろ」
「ほいきた」
 逃げようとすると、真仙が如意槍を一丈も伸ばして悟空の足を払った。悟空は四つん這いになってつんのめると、体中の毛を逆立てて怒った。
「こいつめ、あしらっていれば、つけあがるな」
 相手の槍をつかんで、ぐいと手元に引いた。
 真仙の身体は槍と一緒にすっ飛んできて、悟空の足元にぶっ倒れた。その襟首をひっ捕まえて殴り倒すと、真仙は手足を伸ばしたまま力尽きて起き上がることが出来ない。
 悟空は槍を取り上げて二つにへし折った。それを重ねてまた四つに折り砕いて、地上へまき散らした。
「今すぐにでも、貴様の息の根を止めるところだが、大した罪を犯したわけではないから許してやろう。だが今後は、水を取りに来た者に土産物などせがんだら承知しないぞ。その時こそ、貴様の首は無いものと思え。悟浄、さあ帰ろう」
 二人は山を駆け下りて、お婆さんの家まで戻って来た。見ると、八戒が待ちきれずに、大きな腹を苦しそうにさすって、門口にうめいている。悟空は水を背中の後ろに隠してからかった。
「八戒、めでたくお産は済んだか?」
「兄貴、冗談はやめろ。苦しいんだ。早く水、水」
「井戸水はからからに枯れていて、水は一滴も無かった」
「こ、こ、この赤ん坊をどうする気だ」
「尻の穴からでも生んでしまえ」
「うわあ、兄貴の人殺しい。人殺しい」
 頭と腹を抱えてもがきまわる八戒の姿に、悟空も悟浄も笑いたいやら、気の毒やらで、隠していた水桶を差し出した。
「八戒、心配するな。水はこの通り汲んできたぞ。さあ、早く飲め」
 二人は茶碗に水をついで三蔵法師と八戒に飲ませると、空気が抜けたようにどちらの腹も小さくしぼんで、もとのすっきりとした姿に戻った。
「弟子たち、手数をかけてすまなかった」
 三蔵法師がようやく笑い顔を見せて礼を言うと、お婆さんが桶の中を覗き込んで頼んだ。
「残りの水を頂けませんか」
 悟空は桶を差し出した。
「水はもういらないから、欲しければあげるよ。部屋を借りたり騒がせたりしたお礼だよ」
「これは有難う。困った人にあげれば、どれほど喜ぶことだろう」
 お婆さんは、おけの水をかめに移すと、“御神水”と書いて神棚に飾った。
 一同は心も体も軽く、清々しくなって、またも西へ向かって出発した。
 幾日も旅を続けていくうちに、森ではホトトギスが飛び、ブッポウソウが声を響かせて、天地に爽やかな夏が巡って来た。
 前方に、頂上を雲の間に突っ込んだ一つの高山が見えてきた。
「よいしょ、よいしょ」
 と、悟空達は掛け声をそろえて一歩一歩登っていくと、西側の平地に紫の霧がたなびいて、しいんと静まったところがある。
 霧の中に、塔や広い屋根がいくつも重なり続いていて、お経の声が透き通るように涼しく聞こえ、鐘の音も微かに響いている。
 三蔵法師は思わず馬の上に立ち上がると、小手をかざしてその立派な寺院を眺めた。
「あれは一体どこだろうか?」
 悟空はじっと建物をにらんでいたが、やがて首を横に振ってこたえた。
「どうも怪しい。漂っている霧の中に、毒気が感じられる。景色も寺も、目指している雷音寺そっくりですが、道が違う。お師匠様、あそこへ着いても、決して中へ入ってはいけませんぞ」
「雷音寺の景色ならば、ようやく霊山に着いたのであろう。思えば、実に長い旅であった」
「いえ、いえ、霊山ではありません。わたくしはいくども参ったことがありますが、天竺への道はまだまだ遠く、ここはその途中で御座います」
 進むうちに、神々しい山門の前に着いた。門の上に雷音寺と書かれた額が掲げてある。
 三蔵法師は慌てて馬から飛び降りると、悟空を叱り飛ばした。
「何故、私をだますのだ。雷音寺とはっきり書かれてあるではないか」
「お師匠様、よくご覧なさい。その上に書かれた“小”の字を読まずに、私を叱っては困ります。あれには“小雷音寺”と書かれているのです」
「なるほど、だが、小雷音寺とあるからには、仏が祀られているのであろう。拝んでいきましょう」
 三蔵法師は、包みの中から袈裟と正式の坊さんの帽子を取り出していると、門の内側から声が響いた。
「唐の和尚よ、目的地に着いたのに、何をまごまごしておるか」
「ははっ」
 三蔵法師は飛び下がって地にひれ伏した。
 八戒も悟浄も慌てふためいて、がばりっと座り込んで頭を下げたが、悟空だけは知らん顔して、馬の鼻面をなでたり、荷物を結び直したりしている。
 やがて第二の門をくぐっていくと、大本堂があって、中には五百羅漢、三千羯諦(ぎゃてい)、四大金剛、八大菩薩などがずらりっと居並んで、正面の台の上には如来様が厳かにお座りになっている。
 三蔵法師と八戒、悟浄はまたも丁寧に拝んだが、悟空はそっぽを向いている。
「悟空、何故、拝まぬか?」
 本堂の中で太い声が響いた。
「ふん、貴様らに化かされる悟空様と思うのか」
 悟空は如意棒を力いっぱいどすんと地上に突き鳴らすと、いきなり頭の上から大釣り鐘が砂ぼこりを巻き上げて、降り落ちて来た。
 あっと言う間も無い。悟空は頭からすっぽりと鐘の中に閉じ込められてしまった。
 三蔵法師達は、肝をつぶして釣り鐘へ走り寄ると、力を合わせて跳ねのけようとしたが、鐘は大地に根が生えたように、びくとも動かない。
 その時、本堂の如来様が、眉毛の黄色い背の低い、ちんちくりんの化け物の大王に変わった。続いて五百羅漢も、四大金剛たちも、その手下の化け物に変わって、本堂から入り乱れて飛び出してきた。
 瞬く間に三蔵法師と、八戒、悟浄に踊りかかると、縄でぐるぐる巻きに縛り上げて、奥の部屋へ担ぎ込んでしまった。
「鐘の中の奴は、三日も経てば腐って死んでしまうわい。わっはっは」
 大王は笑い声を大きく本堂に響かせて、奥へ引っ込んで行った。
 悟空は鐘の中で、釣り鐘を突き破ろうと考えた。如意棒を振り回して、がむしゃらに叩き続けたが、鐘はへこみもしなければ、傷もつかない。
「差し上げて投げ飛ばしてやろう」
 身体を千丈ほど大きく伸ばすと、釣り鐘も千丈ほど大きく広がって、投げ飛ばすことが出来ない。今度は豆粒ほど小さく身を縮めると、釣り鐘も豆粒ほどに小さく縮まって、悟空はどうもがいても、釣り鐘の外へ逃げだすことが出来ない。
「こんなことを繰り返している内に、お師匠様は食い殺されてしまう」
 心配になるので、呪文を唱えて天の神から二十八人の星の大将を降ろしてもらった。
 大将たちは釣り鐘の周りに集まって、力を合わせて押し倒そうとしたが、鐘は動かない。
「どこかに小さな穴でもないか?」
 と、大将たちは鐘をなでたりさすったりして調べている内に、針の先でつついたような小さな穴が、一つぽつんと竜頭(釣り鐘の上についている、竜の頭の形をした部分)と鐘の継ぎ目にあった。
「この穴から、私の角を中へ差し込んで、中の様子を探ってみよう」
 星の大将の一人が、コンペイトウのように突き出た自分の角を針のように細くして、穴から釣り鐘の中へ差し込んだ。
 悟空は喜んだ。
(これは有難い)
 と、如意棒を小さな錐に変えた。
 外から伸びてきた細い角の先に錐で穴をあけて、その中へ身体を小さくして座り込んだ。
 そして、威勢よく外の大将へ声をかけた。
「大将、角を引き抜け」
 星の大将は角を引き抜いた。
 同時に悟空も角と一緒に釣り鐘の外へ出てきて、元の大きさになった。元気百倍である。急に目の前の釣り鐘が憎らしく思われた。
「えいっ、この釣り鐘め!」
 如意棒を打ちおろすと、釣り鐘はグワーン、と山が爆発するような大音響をあげて、粉々に砕け散った。
 その凄まじい物音に、眉毛の黄色いちんちくりんの魔王は、手下を連れて本堂の奥から飛び出してきた。
 悟空も星の大将たちも、ちんちくりんの魔王と手下を取り囲んで、四方から攻めかかった。
 ちんちくりんは右手で棒を振り回しながら、左手で腰に下げた白い木綿の袋を引き出した。
「それっ、どうだ」
 袋を悟空達目がけて投げつけた。
 すると、悟空も大将たちも、水が流れ込むようにどっと袋の中に吸い込まれた。大勢がいちどきに吸い込まれたので、頭や体を勢いよくぶつけ合って、揃って気が遠くなってしまった。
 悟空達が袋の中で死んだようにぶっ倒れていると、ちんちくりんは一人ずつつまみ出して、全部を縛り上げてしまった。裏庭へ放り出して、手下どもと勝ち戦の祝いの宴を開き始めた。そのままにぎやかに夜になって、宴会はますます盛んになっていったが、悟空は夜露の冷たさに、ふっと気が付いた。
 辺りを見回すと、星の大将達が、どれも手足を堅く縛られたまま、自分と同じように草の上に放り出されている。
 悟空は自分の失敗が情けなくなった。
 仰ぐと空には月が明るく照り輝いていて、二つ三つの雲が穏やかに浮かんでいる。その静けさに増々泣きたくなった。
(お師匠様は、一体どうしたろう。とにかく、あいつはすごい魔法の袋を持っている。取り上げなければ勝ち目がない)
 悟空はこう考えながら、身体を小さくして縄から抜け出した。
 気が付くと、お師匠様の泣き声がどこからか聞こえてくる。声を頼りにそっと進むと、台所の天井からお師匠様と八戒、悟浄が宙づりにされている。
「おう、悟空か。本当によく来てくれた。怪我は無いか。さあ、私達を早く助け降ろしてくれ。これからは、お前の言う事は必ず守るから、勘弁しておくれ。お願いする」
 悟空は三蔵法師達を抱きおろして、縄を解いた。続いて二十八人の星の大将達を揺り起こして自由の身体にさせた。
「さあ、みんな静かに裏門を乗り越えて逃げるんだ。私は奪い取られたお師匠様の荷物を取り返して、一足あとから追いかける」
 荷物の中には大切な関所の手形や、金襴の袈裟や、純金の鉢などが入れられている。むざむざと、ちんちくりんの化け物などの手に渡してたまるものではない。
 大将たちは三蔵法師を守りながら、門を乗り越え、塀から飛び降りたりして、月光に青く染まった街道目指して逃げ出した。
 たった一人残った悟空は、一匹のコウモリに身を変えて、部屋から部屋へ飛びまわって荷物を捜した。
 すると、祝いの席から酔いが回って引き上げてきたちんちくりんの部屋の机の上に、捜していた荷物が置かれている。
 悟空はコウモリから元の姿に変わると、荷物を担いで逃げ出した。
 ちんちくりんが見つけた。
 飛び上がって追いかけて来た。
 悟空は逃げながら、空中でわざとからかった。
「やい、黄色い眉毛のちんちくりん。貴様は卑怯にも、袋を使わなければこのオレ様に勝つことは出来ないだろう」
「えい、黙れ! 貴様のようなみそっかすの五人や十人、この棒で叩き伏せてくれるわい。大きなことを言うのは今の内だぞ」
「それはこっちの言う事だ。さあ来い」
「うむ、実力を見せてやるか、驚くな」
 ちんちくりんの化け物も、悟空も、ビュンビュンと鉄棒を唸らせて戦った。
 だが勝負はなかなか決まらない。
 その内に夜が明けかかって東の空が明るくなってきた。目の下に瓜畑が遠くまで広がっていて、その向こうの板の中に三蔵法師や星の大将たちが、悟空が追い付くのを待って一休みしている有様が見える。
 悟空は空中からいきなり地に飛び降りて姿を消した。ちんちくりんも追いかけてきて地上に降り立ったが、悟空の姿が見えない。
「うむ、どこへ逃がしたか、残念だ。とにかく疲れた。喉が渇いた」
 辺りを見回すと、瓜畑である。足元にすっかり熟れて美味しそうな瓜が一つ落ちている。
 ちんちくりんは拾い上げてかじろうとすると、瓜が飛び込むように喉にぶつかって、腹の中へ転がり落ちた。同時に腹の中で、悟空の勝ち誇った声が響いた。
「さあ、どうだ。参ったか。瓜に化けたとは気が付くまい。腹の中で貴様の胃袋と腸をひっくり返してやる、泣いて騒げ」
 ちんちくりんは、鉄棒を放り出して驚いた。
「待ってくれ」
「待つものか。それ、どうだ」
 悟空は腹の中で、胃袋を引っ掻くやら、腸をねじるやら、飛んだり跳ねたりして暴れ回った。
 ちんちくりんは泣き叫んだ。
「死ぬ、死ぬ。助けてくれ」
「死んでしまえ。助けるもんか」
「うわあ、うわあ」
 魔王は腹の痛さに目がくらんで、瓜畑の中を転げ回った。三蔵法師達が潜んでいる板の中まで、のたうち回って転がっていった。
「許してくれえ。降参だ、降参だ」
「許すもんか。いま腸を胃袋の中へたぐり寄せているんだ」
「苦しいよう、苦しいよう」
 三蔵法師が、気の毒そうに魔王へ近寄っていった。
「腹の中にいるのは悟空か」
「その声はお師匠様」
「命だけは助けてやりなさい」
「助けるもんか」
「頭の輪を締め付けますぞ」
「うわあ、それだけはやめて下さい。では腹から出ますから、こいつの腰に下がっている真っ白い袋を取り上げて下さい」
 八戒が魔王のほっぺたを一つぶん殴って、腰から袋を取り上げた。そして魔王の口を大きく両手で引き開けて、腹の中へ呼びかけた。
「おーい、腹ん中にいる兄貴よ、袋は取り上げたから安心しろ。もう一度、思う存分踊りまわってから出てきたらどうだ」
「ああ、分かったよ。それではと……。ステテケ、ステテケ、どっこいなあ。もう一つおまけに、どっこい、どっこい、どっこいなあ」
 悟空は思う存分腹の中で暴れ回って、八戒が引き開けているちんちくりんの口から飛び出した。
 ちんちくりんは、息もつけないほどの腹の痛さにひっくり返って、とうとう気を失ってしまった。
 悟空は八戒から魔法の袋を受け取ると、袋の中をちんちくりんに向けた。
 すると、ちんちくりんは小指程に小さくなって、袋の隅へ吸い込まれてしまった。
「お師匠様、手下どもはこれからも悪さを続ける事でしょうから、ちょっと行って、あの化け物寺を燃やしてきます」
 悟空は雲に乗って小雷音寺へ飛んで行った。大勢の手下どもを袋に入れ、寺と一緒に焼き払って戻って来た。
 星の大将達も、それぞれ戦いの塵を払って天上へ帰っていった。そして雲の上から手を振りながら、三蔵法師達を励ました。
「天竺は、もう間近です。元気を出して、気を付けて。では、さようなら、さようなら」




~つづく~


 ちなみに前半に登場した如意真仙は、実は牛魔王の弟で、後半に登場した“ちんちくりんの魔王”は、本名は『黄眉大王(こうびだいおう)』と言うそうで、正体は弥勒菩薩の従者の黄眉童子なんだそうです。


 と言ったところで、今日はこの辺で。

 どうも。ではでは。

 今日は北欧民話、『ガラスの山のお姫様』です。

 では、さっそくスタート!


ガラスの山のお姫様



 昔、牧場を持っている一人の男がいた。牧場は高い丘の上にあって、そこには干し草をためておく小屋があった。
 ところで、その小屋にはこの一、二年というもの、干し草がちっともたまっていなかった。その辺りに、ためるような青草がまるっきり無くなっているからだった。
 どうして青草が無いのか? それがこの話の始まりだ。
 ヨハネの祭りと言うのは、一年中で夜が最も短い、六月の『夏至』と言う日の前の晩にあたる。毎年、草が青々と茂るのは、ちょうどその頃である。が、その祭りの晩になると、あくる朝までには、青草がすっかり根元まで無くなってしまっていた。その無くなり方と言ったら、何千、何万もの羊の群れが、まるで一晩のうちに草を食べつくしたかのような有様だった。
 一度、そのようなことがあってから、次の年にもまた、同じ事が起こった。
 そんなわけで、牧場を持っている男は、干し草の取入れも出来ないので、うんざりしていた。
 さて、その男には、三人の息子があった。そこで男は三人の息子たちを呼んで、
「みんなの内、誰かヨハネの祭りの晩に、牧場のあの小屋まで行って泊ってくれ。この二年の間に起こったように、草の根元まで食べられてはたまらないからな。小屋へ行ったら、よく見張っていろ」
 と言った。
「私が行こう」
 と、一番上の息子が答えた。
 一番上の息子は、人だか、獣だか悪魔だかが、草を盗みに来ても、見張りは自分一人で十分だと、そう考えたわけだった。
 そこで、その日の夕方になると、一番上の息子は遠い牧場まで出かけて行き、小屋の中に入って横になって休んだ。
 ところが、少し夜が更けたかと思うと、酷く騒がしい音が聞こえてきた。大きな地震が起こって、小屋の屋根も壁もグラグラ、ガタガタと揺れ出したのである。
 一番上の息子は、驚いて飛び上がるなり、一生懸命になって逃げだした。そして、家へ帰りつくまで、一度も後ろを振り返って見なかった。
 草の方は、一番上の息子がいなくなった間に、今までと同じように、すっかり食べられ尽くし、一本もなくなってしまっていた。
 次の年になった。ヨハネの祭りの晩になると、牧場を持っている男はまた、
「こんなに毎年、牧場の草を取られては駄目じゃないか。今度はよく気を付けて番をしてくれ」
 と、そう言った。
 すると二番目の息子が、
「運試しに私が行こう」
 と答えた。
 二番目の息子は、牧場の小屋へ出かけていくと、一番上の兄と同じように、小屋の中に入り、横になって休んだ。
 ところが夜更けになると、やはり大きな地震が起こった。この前の年の晩よりも、もっと酷いくらいだった。
 で、二番目の息子は、その物音を聞くなり、すっかり怖気づいて、飛ぶように走り続けて家へ帰って来た。
 そんなわけで、一番目の息子も、二番目の息子も、草の番がうまく出来なかった。
 そのあくる年になった。一番末の弟の番が来た。弟の名は、アシェラッドといった。
 アシェラッドが小屋へ出かけようとすると、二人の兄は笑い出し、
「干し草の番には、お前が丁度おあつらえ向きだな。いつも何にもしないで灰の中に座り込み、自分の身体を火で焦がしてばかりいるんだからな」
 と、からかうように言った。
 ところでアシェラッドと言うのは、兄たちと比べるまでもなく、薄黒くすすけていて、見るからに汚らしい息子だった。
 その事を、アシェラッドは自分で知っているのかいないのか、兄たちに何を言われても、少しも気にかけなかった。
 夜になると、アシェラッドはさっそく、小屋がある丘を目指してどんどん歩いて行った。そして、兄たちと同じように小屋の中に入って横になった。
 一時間も経ったとき、小屋がいきなりグラグラ、ガタガタ、ギイギイと唸り出した。地震だ。その物音と言ったら、ほんとに聞くも恐ろしいばかりだった。
 しかしアシェラッドは、
「これより酷くならなければ、我慢をするのは何でもないぞ」
 と独り言を言った。
 そう言った途端、地震はいくらか静かになった。が、しばらくするとまた、グラグラ、ガタガタ、ギイギイと、小屋は音を立てて揺れ、そこらにあった藁がアシェラッドの頭をかすめて飛び回った程だった。
「これより酷くならなければ、我慢をしてみせるぞ」
 アシェラッドはまた言った。
 そう言った途端、地震はまた、いくらか静かになりかけた。が、続いて三度目の地震がやって来た。
 今度の葉とても大きかった。あまりにひどいので、壁や屋根が、頭の上に落ちてくるのではないかと、アシェラッドはそう思ったくらいであった。
 ところがいつの間にかそれがやんで、辺りが急に、しいんと静まり返った。それでもアシェラッドは、きっとまた地震が起こるだろうと、じっと待ち構えていた。けれど地震はもう起こらず、辺りはひっそりと深く、ただ静まり返っているばかりだった。
 アシェラッドは横になった。しばらくすると、小屋のすぐ外で、馬が草を食べているような物音が聞こえた。アシェラッドは、そっと戸口まで歩いて行って、隙間から外を覗いてみた。
 やはり馬だった。それも、アシェラッドが今までに見たことも無いような、とても大きくて太った馬が一頭、盛んに草を食べていた。
 馬がいる横の草の上には、鞍と手綱が置いてあり、騎士が着る鎧が一揃い、ちゃんと並べられてある。鞍も鎧も、鎧の下に着る鎖帷子も、ぴかぴか光る真鍮で出来ていて、その辺りがキラキラと輝いて見える位だった。
「ほほう!」
 アシェラッドは馬に向かって、
「お前だったのかい、ウチの草を食べてしまうやつは! さっそくお前に草が食べられないように邪魔をしてやるから、見ているがよい」
 そう言うと、火打ち金を取り出して、馬の身体越しに向こう側へ投げつけた。火打ちカネは馬の身体に触りもしなかったが、馬はじっとして、すっかり大人しくなった。
 これで馬はアシェラッドの言う通りになったので、アシェラッドはその背中にまたがり、誰も人が行かない所へ連れて行って、繋いでおいた。
 アシェラッドが家へ帰ってくると、兄たちは相変わらず嘲笑って、
「小屋ではどんな具合だったかね?」
 と尋ね、
「牧場の丘までは行くだけの勇気はあっても、小屋の中ではとても寝られなかったろう」
 そう言った。
 それに応えてアシェラッドは、
「太陽が出るまで、小屋の中で寝ていたけれど、何も見なかったし、何も聞こえはしなかったよ」
 と、とぼけた事を言い、
「兄さんたちがあの小屋を怖がるわけが、私にはどうしても分からないね。一体、あの小屋に何があると言うんです?」
 そんな風に言った。
「こら! 出鱈目を言ったって、お前がどんなふうに見張りをしたか、すぐに分かる事だぞ!」
 兄たちは言った。
 そこで、兄たち二人が牧場へ出かけてみた。
 なんと、草は青々と深く茂っていた。草が無くなってはいないのである。
 おかげで牧場を持った男は、この年は久しぶりに干し草の取入れをすることが出来た。
 また、あくる年になった。ヨハネの祭りの晩になると、兄弟たちはまた、草の番が回って来た。
 けれど、兄たちはもう、草の番に行く気が無かった。で、アシェラッドが行くことになった。
 アシェラッドが小屋へ行くと、去年とそっくり同じように、グラグラ、ガタガタ、ギイギイ、地震が三度まで続いた。少し違っていたのは、この前よりも地震がずっと大きかったことぐらいで、後はまた、静かになった。
 すると、小屋の外で、馬が草を食べているような物音がした。アシェラッドが覗いてみると、やっぱり馬だった。少し違っていたのは、この前よりも、馬がもっと太った立派な馬だった事と、その背中に銀の鞍を付け、首には手綱を付けている事だった。馬の横の草の上には、やっぱり騎士が着る鎧が一揃い置いてある。今度の鎧は誰もがひと目見たいと思うような、銀で出来た立派なものであった。
 それを見てアシェラッドは、
「ほほう! お前だな、ウチの草を食べてしまうやつは! すぐに、お前に草を食べられないようにしてやるから、見ているがよい」
 そう言うと、火打ち金を取り出して、今度は馬のたてがみ越しに、向こう側へ投げつけた。火打ち金は馬のたてがみに触りもしなかったが、馬はじっとし、羊のように大人しくなった。
 そこでアシェラッドはまた、馬の背中にまたがり、人が行かない所に馬をつないで、それから家へ帰った。
「多分、お前の話では、丘の上の草は今年も立派に残っていると言うんだろう」
 家へ帰って来たアシェラッドを見て、兄たちは言った。
「ああ、そうだよ」
 兄たちはさっそく、牧場へ行ってみた。
 草は去年と同じように、青々と深く茂っていた。
 そんなことがあっても、兄たちは別段、アシェラッドを褒めもしなかった。
 さて、さらに次の年のヨハネの祭りがやって来た。しかし、兄たちはやっぱり草の番に行こうとしない。よっぽど地震の恐ろしさに懲りたのだろう。
 そこでまた、アシェラッドが小屋へ行くことになった。もうこれで三度目である。
 アシェラッドが小屋へ出かけると、何から何まで、またこれまでと同じような事が起こった。ただ、今度の地震はとても大きくて、アシェラッドはまるで、ダンスでもしているかのように、こちらの壁からあちらの壁へと、身体を叩きつけられた。
 その後は、辺りがしいんと静まり返ったことも、小屋の外で馬が草を食べている物音がしたことも、前とそっくり同じだった。
 アシェラッドが覗いてみると、今度の馬は、前の二頭の馬よりもいっそう大きくて、ずっと太っていた。おまけに馬の背中に置いてある鞍も、草の上にある鎧も、ぴかぴか、きらきら、金ずくめだった。
「ほほう! お前だね、ウチの草を食べてしまうやつは! すぐに、お前に草を食べられないようにしてやるから、見ていろ」
 そこでアシェラッドは、火打ち金を取り出して、この時は馬の頭越しに、向こう側へ投げつけた。火打ち金は馬の頭に触りもしなかったが、馬は土に貼り付けられでもしたかのように動かなくなった。アシェラッドは大人しくなった馬にまたがり、人が行かない所に馬をつないで家へ帰った。
 兄たちは、アシェラッドを見ると、また、
「お前はいつも、夢でも見ながらふらふらと歩いているように見える。だから今度も、さぞ草の番がよく出来たろう」
 そう言ってからかった。
 アシェラッドは何を言われても、相変わらず相手にならなかった。ただ、
「見れば分かるよ」
 と答えただけだった。
 兄たちが牧場へ出かけて見ると、草は立派に、青々と深く茂っていた。


 話変わって、アシェラッドが住んでいる国の王様には、一人のお姫様がいた。お姫様はたいへん美しかったので、一目見たものは、誰だってお姫様が好きになった。
 王様は、このお姫様の事で、少しばかり珍しい考えを持っていた。それと言うのは、王様の城の近くに、ガラスでできた高い山がある。そのガラスの山と言ったら、まるで氷のようにつるつるだった。が、王様は、この山に馬で登ることが出来た者へしか、お姫様をお嫁にやらない、と言うのであった。
 それには、お姫様がまず、膝の上に三つの金のリンゴを持って、山の頂に座っている。そこまで馬で登り切った者は、その三つの金のリンゴを受け取って帰ってくる。これが出来た者に王様の国の半分と、お姫様が与えられる、という決まりになっていた。
 王様は、その事を役人に書かせて、国中の教会の戸口に貼りつけさせた。また、よその国々へも、それを知らせた。
 これを見たり聞いたりした人々は、
「へえ、ガラスの山に、馬で登ることが出来たら、国の半分とお姫様がもらえるんだって。なんと素晴らしい話だろう」
 と噂をし合い、たちまち大評判になった。
 いよいよ、王様が決めた試験の日が来た。方々の国の王子たちや騎士たちが、ぞろぞろとガラスの山の下に集まった。誰もが立派な馬に乗り、綺麗な身なりをしていた。
 王子や騎士たちの他に、たくさんの見物人たちが来た。国中の者が、身体の動く者なら、全部と言ってよいほど山へと出かけた。競争に勝ち、お姫様の婿さんになることが出来る人を、是非ひと目見たいと思ったからだ。
 アシェラッドの二人の兄も、みんなと同じように、ガラスの山の下へ見物に行くことにした。でも、アシェラッドには、
「お前は来てはいけない」
 と言った。
 兄たちは、薄黒くすすけた汚らしいアシェラッドと一緒にいるところを皆に見られたら、馬鹿にされるから嫌だと、そう言うのだった。
「いいとも。僕は独りで行けるし、何だって一人で出来るんだからな」
 アシェラッドは言った。
 さて、二人の兄がガラスの山の下に着いてみると、王子や騎士たちが一生懸命になって山へ馬を上らせている最中だった。けれど、馬が山に一足でも上りかけたかと思うと、つるりと滑り落ちて、まるっきり駄目であった。ほんの一メートルか二メートルさえも、登れる者が無い。
 それも無理のない事であった。山は板ガラスのように滑らかなうえに、壁のように急で、険しかったからだ。
 それでも競争者たちは、お姫様と国の半分とが貰いたくて、馬に乗っては滑り、滑ってはまた馬に乗って、いつまでも同じことを繰り返していた。しまいには、どの馬もほとんど足を持ち上げることが出来ないほど、へとへとに疲れてしまった。馬は汗にまみれて荒い息をつき、その身体からは汗と泡をぽたぽたと滴らせた。
「みんな駄目だ」
 王様は、今日の試験はもうやめにして、明日またやり直しのふれを出そうかと考えた。
 すると、ちょうどその時、だしぬけに一人の見慣れない騎士が現れた。この騎士は、今までに誰も見たことが無いような元気な馬にまたがって、ぴかぴか光る真鍮でこしらえた鎧の下に着る鎖帷子を身に着けていた。馬のくつわも鞍も真鍮で出来ており、日の光が当たると、キラキラときらめく。
 これを見た人たちは、
「いくらどんな立派な馬に乗っても、どのような勇ましい身なりをしても、馬で山へ登ることは出来ない事だからやめた方が良い」
 と言って、騎士に呼び掛けた。
 けれど騎士は返事をしようともせず、山へと馬を進めた。
 見ていると、その騎士は易々と山の三分の一ぐらいの高さまで登っていった。
 お姫様はそれを見て、
(まあ、今までに見たことも無い位、綺麗な騎士だわ。あの人だけが、この山の上まで登れるかもしれない)
 そう思って、胸をワクワクさせた。
 ところが騎士は、山の三分の一ぐらいの辺りで馬を止めたきり、上まで登って来ようとはしない。そこからくるりと背を向けて、下へ降りていこうとした。
 そこで、お姫様は金のリンゴを一つ、騎士の後ろから投げ下ろした。リンゴは転げて行って、騎士の馬のひづめの下に隠れた。しかし、騎士は山を下りるなり、急いで馬を走らせて、どこかへ行ってしまった。で、一体なにごとが起こったのか、詳しい事は誰にもわからなかった。
 その晩、王子たちや騎士たちはみんな、王様の前に呼び出され、
「山に登った者で、誰か姫が投げた金のリンゴを持っている者はいないか? 持っている者がいたら、出して見せよ」
 王様は、みんなに向かって言った。
 けれど、王子や騎士たちの誰一人、金のリンゴを持った者は居なかった。
 一方、夕方になって、アシェラッドの兄たちはガラスの山から帰って来た。そして、二人は長々と今日の山での様子をアシェラッドに話して聞かせた。
「初めの内は、大勢集まった王子や騎士たちの中で、一足だって山に足をかけた者は居なかった。それが、一番おしまいに、真鍮の鎖帷子を着て、真鍮の鞍にまたがった騎士が出てきたんだ。その騎士こそ、実に馬乗りの名人だった! ガラスの山の三分の一まで登ったし、行きたければ山のてっぺんまで容易く登れるところだったんだ。が、引き返して降りてしまった。多分、まず初めはこれくらい登れば沢山だと、そうでも思ったんだろうよ」
 兄が言うと、
「ああ、そんな騎士なら、ほんとに僕も見たかったなあ」
 アシェラッドは火の側に腰を下ろし、いつもやるように、灰の中に両足を突っ込んだままそう言った。
「どうだ、見たいだろう。お前みたいな醜い奴が、そんな身分の高い人の側へでも行ったら、さぞ、良く似合うだろうがよ」
 兄がバカにしたみたいな言い方をした。
 あくる日、兄たちが今日もガラスの山へ出かけようとすると、アシェラッドが、
「僕も是非連れて行ってくれ」
 と頼んだ。
 けれど兄たちは、
「ダメだ」
 と言い、
「お前は余りにも醜くて汚らしいから、一緒に行くのは絶対お断りだよ」
 そのように言った。
「それではいいや、行くとしたら、一人で行くだけさ」
 アシェラッドは独り言を言った。
 兄たちがガラスの山へ着いた時、王子や騎士たちの山登りはもう始まっていた。みんなは馬のひづめを鋭く尖らせておいた。が、やっぱり駄目だった。全て昨日と同じことで、一メートルも山に登れたものはなかった。その内に、どの馬もすっかりくたびれて、足をあげる事さえできなくなった。仕方がなく、王子や騎士たちは山へ登ることを諦めるよりほかはなかった。
 その有様を見て、王様は、
(やっぱり駄目だ。明日を終わりにもう一日だけ試してみる事にして、今日はこれでおしまい、という事にしようか)
 と考えた。
 ところで王様は、昨日現れた真鍮の鎖帷子を着た騎士が、まだ姿を見せていないので、
(もしかしたら、今日もあの騎士が来るかもしれないから、もうしばらく待ってみようか)
 と、そう思った。
 王様が迷っている、ちょうどその時だった。突然に、一人の見慣れない騎士が現れた。昨日の真鍮の鎖帷子を着た騎士が乗っていたよりも、ずっと立派な、もっと元気のよい馬にまたがっていた。この騎士の身なりは、銀の鎖帷子を着て、馬に置いた鞍もくつわも、銀づくめであった。日の光に照らされて、人も馬もキラキラと銀に輝いている。
 これを見た見物人たちは、この前の時のように、
「いくらどんな立派な馬に乗っても、どのような勇ましい身なりをしても、馬でガラスの山へ登ろうというのは出来ない事なんだ。だからやめた方がいい」
 と、騎士に聞こえるような声で言った。
 けれど騎士は、返事をしようともせず、山へと馬を進めた。
 見ているとその騎士は、わけもなく山の三分の二ぐらいの高さまで登った。
 お姫様はそれを見て、
(まあ、素敵! 昨日、登ってきた騎士よりも、もっと素晴らしいわ。あの人だけが、この山の上まで登れるかもしれない)
 そう思い、胸をドキドキさせた。
 ところが騎士は、山の三分の二ぐらいの辺りで馬を止めたきり、上までは登って来ない。そこからくるりと背を向けて、下へ降りて行きかけた。
 そこで、お姫様は慌てて二つ目の金のリンゴを騎士の後ろから投げ降ろした。リンゴは転げて行って、騎士の馬のひづめの下に隠れた。岸は山を下りると、急いで馬を走らせて、どこかへ行ってしまった。
 その晩、王子や騎士たちはまた、王様の前に呼び出された。
「姫が投げたリンゴを持っている者は居ないか? 持っている者がいたら、出して見せよ」
 王様は言った。
 けれど、誰もリンゴを持ったものは居なかった。
 一方、昨日と同じように、アシェラッドの兄たちは家へ帰って、山での様子をアシェラッドに話して聞かせた。
「今日、一番後から出てきた騎士は、まったく素晴らしかったよ。その騎士は、銀の鎖帷子を着て、銀の鞍を置いた馬にまたがっていた。あの騎士こそ馬乗りの名人だった! 山の三分の二まで登ったんだが、そこでまた降りてしまったのさ。お姫様も感心したんだろう、金のリンゴを投げておやりになったよ」
 兄が言うと、
「ああ、そんな素晴らしい騎士なら、ほんとに僕も見たかったなあ」
 アシェラッドは言った。
「バカな事を言ってはいけない。お前はたぶん、自分がいつもかき回したり、ふるい分けたりしている灰がその騎士の銀の鎖帷子と同じくらい、ピカピカしてるとでも思っているんだろう。お前みたいに、煤汚れた汚らしいのと、あの騎士とでは雪と墨ほどまるっきり違うよ」
 兄たちは、アシェラッドを嘲った。
 三日目も、兄たちだけは見物に出かけた。が、アシェラッドはまた、連れて行ってもらえなかった。
「いいさ、行きたけりゃ、一人で行くさ」
 アシェラッドは独り言を言った。
 兄たちが山のふもとへ来た時、王子や騎士たちの山登りは、もう始まっていた。けれど、相変わらず、一メートルと山に登れる人はいなかった。
 見物人の何人かは、
「真鍮の鎖帷子を着た騎士が来ると面白いんだがな」
 と言った。
「いや、銀の鎖帷子を着た騎士が来る方が、ずっと面白いよ」
「そうだ、そうだ」
 そういう人の方が多かった。
 みんなは銀の鎖帷子を着た騎士が来るかと待った。でも、その馬の足音も聞こえなかったし、姿も見えなかった。
 見物人だけではなく、王様も待っていた。王様が待ちくたびれたころ、
「おや、おや!」
 さすがの王様も目をみはった。
 騎士が現れたのだ。それも、昨日の銀の鎖帷子を着た騎士が乗っていたよりも、もっと立派なこのうえなく元気な馬にまたがり、金の鎖帷子を身に着け、金の鞍を置いていた。
 金の鎖帷子も、金の鞍も、日の光に輝いて、キラキラ、ぴかぴか、その眩しいこと! この騎士と馬のきらびやかさは、一キロ向こうからだって、まぎれもなく見える位だった。
 新しく来た騎士の様子があまりにも立派なので、他の王子や騎士たちは、呆気にとられてしまった。
 見物人たちも、その騎士が全く立派なものだから、何も言う事は無く、ただ、ぽかんとして見ているばかりだった。騎士は真っ直ぐに山へと向かった。そして、あっと言う間に楽々と山の頂まで登り切った。で、お姫様がやきもきと気をもんでいる暇さえない程だった。
 騎士は山の頂に着くのが早いか、お姫様の膝の上から、一つ残った金のリンゴを取り上げた。と、すぐに馬の向きを変えて、山から下りた。降りてしまうと、騎士は急いで馬を走らせて、どこかへ行ってしまった。
 王様も家来も見物人たちも、慌てて一生懸命になってその騎士の行方を捜した。が、騎士はどこへ行ったものか、少しも分からなかった。
 さて、アシェラッドの兄たちは、ガラスの山から帰ってくると、その日の出来事を、やはりアシェラッドに話して聞かせた。
 何よりも、金の鎖帷子を着て、金の鞍を置いた馬に乗った、素晴らしい騎士の話を長々と続けた。その挙句に、
「あの騎士こそ、本当に馬乗りの名人だった! あんな立派な騎士は、世界中を探したって二人というものではない。それにしても、不思議な騎士がいたもんだ。あの騎士は、山の頂まで登り、お姫様から金のリンゴを受け取って来たんだから、約束通りに国の半分とお姫様が貰えるわけだ。それなのに、山を下りたきり、一体どこへ行ってしまったんだろう? 全く天から降りて来たみたいに立派な騎士だったんだがなあ」
 兄は言った。
「ああ、僕も本当に、その人を見たいなあ!」
 思わずアシェラッドが言うと、
「へえ! お前はたぶん、自分がいつもかき回したり、ほじくったりしている火が、その騎士の金の帷子と同じくらいピカピカしているとでも思っているんだろう。ところが金の鎖帷子は、火が燃える炎よりも、もっとキラキラと輝いていたよ。お前みたいにすすけ汚れた汚らしい奴が、あのような気高い騎士を見たって仕方がないさ」
 兄たちは、アシェラッドを蔑んだ。
 ところで王様の城では、その晩からあくる朝にかけて、金の鎖帷子を着た騎士捜しを相変わらず続けていた。
 王様が何べん調べて見ても、王子や騎士たちの中に、金のリンゴを持った者は居ないのだった。
「おかしいな。誰かがきっと金のリンゴを持っているはずなのに。あの騎士が、確かに山へ登ったのを、誰もがその目で見ていたのだし、金のリンゴを持ったものが居ないはずはないんだが……」
 王様は言った。そこで王様は、とうとう国中の男は全部、城に来るようにという命令を出した。
 みんなは次々に城へやって来た。誰もリンゴを持った者は居なかった。
 かなり遅れて、アシェラッドの兄たちも城へ来た。これが一番おしまいだった。で、王様は、
「国中で、来ていない者はもう無いか?」
 と尋ねた。
「はあ、いるにはいるんですが……」
 兄は答えて、
「私達に、弟が一人あるのです。けれど、金のリンゴなんか決して持ってはいません。この三日の間、炉の灰の中から出たことも無いもんで」
 そう言うと、
「そんな事は構わないから、他の者と同じように城へ来るがよい」
 王様は言った。
 間もなくアシェラッドが、王様の城に呼び出された。そこで王様はアシェラッドに向かって、
「お前は金のリンゴを持っていないか?」
 と尋ねた。
「はい、持っております」
 アシェラッドは答えた。
 そして、これが一番初めのリンゴ、これが二番目、これが三番目のリンゴと、三つのリンゴをポケットから次々と出して見せた。
 それを見せ終わると、アシェラッドは煤けてボロボロの自分が着ていた物をはらりと脱ぎ捨てた。と、その下から、輝く金の鎧を身に着けた、目覚めるばかりの姿が現れた。ガラスの山へ馬で登ったあの騎士こそ、アシェラッドだったのだ。
 そこで王様は、
「お前に私の娘と、国を半分あげよう。お前は娘にも、国にも、この上なくふさわしい、立派な騎士だ」
 と言った。
 盛んな結婚式が行われて、アシェラッドがお姫様をお嫁さんにしたことは言うまでもない。




~おしまい~

2020.08.11 星のむすめ

 今日はトペリウスの童話から、『星のむすめ』です。

 では、さっそくスタート!


星のむすめ



 クリスマスの前の夜の事でした。
 フィンランドの北の雪の山を、トナカイの引く二台のソリが滑っていました。
 先へ行くソリには、ラプランド人の若い男が乗っていました。後ろのソリには、トナカイの皮でくるんだ赤ちゃんを抱いた奥さんが乗っていました。
「もう一つの山を越えれば、町へ着くよ」
 若い男は、鞭をビュウビュウ振り回しながら、後から滑って来るソリの奥さんに声をかけました。
 奥さんはにっこりして、胸に抱いている赤ちゃんの顔を覗き込みました。
 空には、数え切れぬほどの星が光っていました。そしてオーロラが、炎のカーテンのように燃えていました。雪の山は、星やオーロラの光の下で、ちかちかと輝きました。
 ラプランド人の若い夫婦のソリは、雪の上を気持ちよく滑っていきました。
 ピシリ!
 鞭が鳴りました。
 ラプランド人の夫婦は、美しい星やオーロラを眺めてうっとりとしていました。トナカイは、ときどき耳をぷるると震わせ、硬い雪の上にカッカッと足音を立てました。
 突然、後ろで獣の唸り声がしました。
 ラプランドの夫婦は振り返りました。
「あっ……」
 白い雪の上に、真っ黒な獣の影が、いくつも見えました。
「狼だっ! 逃げろ!」
 夫が叫びました。
 数十匹の狼が、ソリの後を追ってくるのです。雪の山では、飢えた狼が四、五十匹でソリを引くトナカイを襲うことが度々あるのでした。
「お前! いいかい! 鞭を力いっぱい振るんだ! 麓まで逃げるんだ!」
 ピシリ! ピシリ!
 鞭が鳴りました。
 トナカイは、狂ったように駆けだしました。トナカイも狼の唸り声を聞いて、危険が迫った事を悟ったのです。
 ソリは、雪の上を激しく揺れながら滑っていきました。
 奥さんのソリが、こんもりと高い雪の上に乗りあげ、がくんと跳ね上がりました。奥さんの身体が大きく傾きました。そのはずみに、胸に抱いていた赤ちゃんが、腕から離れました。
「ああっ!」
 赤ちゃんは、雪の上に投げ出されてしまったのです。
 奥さんは悲鳴を上げて、ソリを止めようとしました。けれども狼の足音におびえたトナカイは、長い角を振り立てて、全速力で走り続けました。
「赤ちゃんが。……赤ちゃんが!」
 奥さんの叫びを乗せたまま、ソリは雪の斜面を矢のように滑り降りていきました。そして、深い谷へ下っていってしまったのです。


 ソリから雪の上に投げ出された赤ん坊は、トナカイの皮にすっぽりと身体を包まれて、小さな顔だけを出していました。
 赤ん坊は、雪の上にちょこんと大人しく寝ていました。泣きもせずに、茶色の丸い目で、じっと上を見ていました。
 ソリを追って来た狼の群れは、赤ん坊の周りを囲みました。赤ん坊は、ちっとも怖がらずに、可愛い目をみはっていました。
 狼たちは、赤ん坊があまりに大人しいので、気味が悪くなったのか、くるりと向きを変えると、ソリを追いかけて行ってしまいました。
 雪の山は、しんと静かになりました。
 オーロラの炎のカーテンは燃え続け、星は震えながら光りました。赤ん坊は、澄んだ目で、星の光を見つめていました。
 空にきらめくたくさんの星も、雪の上にたった一人で横たわっている赤ん坊を、瞬きながら見下ろしました。
 空の星は、誰もいない雪の山で、泣きもせずに大人しく寝ているラプランド人の赤ん坊を、とても可哀想に思いました。
 星は、赤ん坊を慰めるように、ちかちかと輝きました。やがて、その光は静かに下りてきて、小さな赤ちゃんの目に入りました。赤ちゃんの可愛い丸い目は、星のように光りました。


 エナーレの村に住んでいるお百姓のシモンは、クリスマスのご馳走を買いに、雪の山を越えて、遠くの町へ行ってきました。
 シモンは酒やニシンや小麦粉や、塩をソリに積んで、夜の雪の山を帰って来ました。クリスマスの朝の礼拝の鐘が鳴る前に村について、三人の子供たちに贈り物をやりたいと、ソリを急がせました。
 夜中、雪の山で、シモンは驚いてソリを止めました。
 輝く白い雪の上に、トナカイの皮に包まれた小さな赤ん坊が、たった一人横たわっていました。
(この赤ん坊は、一体どうしたんだ)
 シモンはソリから飛び降りて、赤ん坊を抱き上げました。
「よしよし、よしよし、可愛そうにな……。誰がお前をここに連れてきたんだい……」
 シモンは赤ん坊が寝ていた周りの雪を調べました。二台のソリの跡や、たくさんの狼の足跡がありました。
 シモンは赤ん坊を、自分のソリに乗せて、村へ帰っていきました。
 シモンのソリが家に着いた時、エナーレの教会からクリスマスの朝の礼拝を知らせる鐘の音が響いてきました。
「あっ、父ちゃんだ!」
「父ちゃんが帰って来た!」
 シモンの三人の子供たちが、ソリから降りた父親に飛びつきました。
「父ちゃん、お菓子を買ってきてくれた?」
「クリスマスの贈り物は?」
 三人の男の子は、父親の上着に飛びついたり、袖を引っ張ったりしました。
「ああ、お土産をいっぱい買ってきたぞ。だが、ちょっと待っておいで……」
 シモンは三人の男の子にそう言うと、ソリに乗せて来た赤ん坊を抱き上げて、暖炉の火が赤々と燃えている居間に入りました。
「どうだい、可愛いだろう。この子が、クリスマスの一番素晴らしい贈り物だよ」
 シモンは奥さんに赤ん坊を渡して、雪の山で子供を拾った事を話しました。
 奥さんは赤ん坊の顔を覗き込んで、
「まあ、可愛い事!」
 とにっこりしました。
「髪が黒くて、目が茶色で、ラプランド人の子ですね。一体どうして、そんな夜中に雪の山に落ちていたのでしょうね」
「多分、狼に襲われたソリから落ちたのだろうな。周りにソリや狼の足跡があったから……」
 と、シモンは答えました。
「可哀そうに……。うちには女の子がいないから、育ててあげてもいいけれど……。でもラプランド人は、なんだか怖くって……。魔法を使うそうじゃありませんか」
 と、奥さんは言いました。
「そんなことがあるもんか! ラプランド人は、寒くて不便な土地に住んでいるから、わしらとは暮らし方やしきたりが違うだけだ。魔法など使うものか。下らない噂を信じてはいけないよ」
 と、シモンは言いました。
「そうね。迷信ですわね……。まあ、なんて可愛い子でしょう。いいわ、クリスマスの前の晩に拾われたのも、神様の思し召しかも知れませんね。私達の子供にして、育ててあげましょう」
 奥さんは、赤ん坊の身体にまいてあったトナカイの皮を脱がせました。そして、パチパチと薪が燃えている暖炉の側に連れて行って、ミルクを飲ませました。
「今日からお前はうちの子ですよ。お父ちゃんの名前はシモン・ソルサですよ。お母ちゃんはエリザベートだよ。それから、お前のお兄ちゃんたちの名前はシームとパッテとマッテですよ」
 シモンの奥さんは、赤ん坊をあやしながら言いました。
 シモンの一家は、赤ん坊を連れて教会へ行きました。
 シモンは牧師さんに頼みました。
「この子に洗礼を授けてやって下さいまし。町からの帰り道、雪の上で拾った赤ん坊で……。ラプランド人は、不便な所に住んでいるせいか、子供が生まれてもすぐに教会へ連れて行かないそうですからね。この子は、まだ、洗礼を受けていないと思いますんで……」
 牧師さんは、シモンの頼みを承知しました。そして、髪の黒い茶色の目をしたラプランド人の赤ん坊に、洗礼を授けました。赤ん坊は、シモンの奥さんの名前をもらってエリザベートと呼ばれることになりました。
 牧師さんは洗礼を授ける時、赤ん坊の瞳が星のようにキラキラ光っているのに驚きました。
 牧師さんは、式が終わってから、シモン夫婦に言いました。
「星のような目をした子だな。エリザベートよりも『星の娘』と呼んだ方が良いくらいだ」
 シモンは嬉しそうに、
「全く、その通りで……。この子の目は、見た事が無いほど綺麗です!」
 と言いました。
 そばで聞いていたシモンの奥さんは、つまらなそうな顔をしました。――牧師さんは、自分の三人の男の子を今まで一度も褒めてくれたことが無かったからです。
 奥さんは、
「牧師様、シームやパッテやマッテの目も、灰色の海のように澄んでいますよ。この赤ん坊が、それほどいい目をしているとは思いません。ちょっと光り過ぎて、猫の目のようですわ。あだ名をつけるなら、猫目ちゃんと呼んだ方が可愛く聞こえます。……でもね、妙なあだ名は付けたくありません。何しろラプランド人ですから……。変なあだ名で呼ばれている内、魔法を使うようになったら困りますわ」
 と言いました。
 けれども牧師さんは、シモンの奥さんの言葉など気にしないで、
「シモンさんとこの星の娘は、本当にいい子だ」
 と、村中の人に話しました。
 それで村の人たちも、この赤ん坊を星の娘と呼ぶようになりました。
 シモンの奥さんも諦めて、機嫌のいい時は、
「星の娘ちゃんや」
 と呼んだりしました。
 星の娘は、お父さんやお母さんから可愛がられて、三人の兄さんと一緒に、すくすくと大きくなりました。
 星の娘は、とても大人しい子供でした。兄さんに転がされても、おもちゃを取り上げられても、決して泣いたりしませんでした。
 いつも喧嘩をするのは三人の男の子たちでした。シームとパッテとマッテは、髪の毛をつかみ合ったり、お菓子を取りっこしたりして、年中、騒いでいました。奥さんはかんしゃくを起こして男の子たちを叱りましたが、星の娘を怒る事はほとんどありませんでした。星の娘が、とてもいい子だったからです。
 星の娘が来てから、シモンの家の暮らしは驚くほど楽になりました。
 それまでは、狼に羊を取られたり、牝牛がクマに食われたり、畑の野菜が霜でやられたりしましたが、そんな事が全くなくなりました。病気がちだった三人の男の子も元気になり、見違えるほど太りました。
 シモンも奥さんも、毎日、機嫌よく暮らしました。いたずらっ子のシームとパッテとマッテも、大人しい小さな妹を可愛がりました。
 星の娘がシモンの家へ来てから、三年の月日が流れました。星の娘は三つになりました。
 髪の毛は黒々として、茶色の目は、いつも星のように輝いていました。大人しく、優しく、そして明るい心の子でした。
 星の娘は、村の他の子供たちと、どことなく違っていました。
 村のいたずらっ子が星の娘に石を投げつけても、星の娘は泣きもせずに、悲しそうにその子の顔を見つめるだけでした。すると、いたずらっ子は、自分のやった事が恥ずかしくなって、逃げていきました。
 暴れ犬のケティも、わんわん、吠えかかって、噛みつこうとしますが、星のような目で見られると、大人しくなってしまいます。誰でも引っ掻く野良猫も、星の娘に抱かれて喉を鳴らしました。
 ある晩、シモンの奥さんが外へ出ると、家の前で星の娘が遊んでいました。
「もう遅いから、お家へお入り」
 と、奥さんが声をかけると、星の娘は、
「はあい、母ちゃん」
 と、返事をしました。
 その時、奥さんは、星の娘の瞳が暗い所でちかちかと光ったような気がしました。まるで夜空に瞬く星のようでした。
 奥さんは恐ろしくなって、星の娘の手をぎゅと引っ張ると、家の中へ駈け込みました。
 また、ある日の事です。
 朝から山に吹雪が荒れていたので、山の向こうへ行く用事があったシモンはイライラしていました。
「吹雪が止んでくれればなあ。これでは用事が済みゃしない……」
 星の娘は、不機嫌そうなお父さんを心配そうに見上げていましたが、家の人たちがちょっと目を離したすきに、外へ出ました。星の娘はすぐに戻って来ましたが、山の上で吹き荒れていた吹雪はやんでしまったのです。
 シモンはソリの用意をして、急いで山を越えていきました。
 奥さんは星の娘が、輝く目で山を見つめて、吹雪を止めたような気がしました。
(あの子の目は、妙な力を持っている……。ラプランド人の魔法かしら……)
 奥さんはラプランド人の娘を、自分の子として育てているのが、なんだか気になってきました。


 ある日、シモンが馬に乗って隣村へ行きました。奥さんは居間の窓の側に座って、糸車を回しながら、シモンの馬の事を考えていました。
(……あの馬は、左の後足の金靴を落とす癖があるけれど、今日は大丈夫かしら……。鍛冶屋さんから離れたところで、金靴が落ちたら、あの人が困るでしょうねえ……)
 奥さんは糸車を回しながら、
(馬の金靴が落ちなければいいけどねえ)
 と、考えていました。
 そばでは、シームとパッテとマッテが、猫のヒゲを切ったり、尻尾を引っ張ったりして遊んでいました。
 星の娘は、部屋の隅の小さな椅子にまたがって、
「走れ! 走れ!」
 とお馬ごっこをしていました。
 奥さんが、シモンの馬の金靴の事を心配していた時です。
 星の娘は、自分のまたがっている椅子に向かって、
「後足の金靴を落としちゃだめよ。母ちゃんが心配しているからね!」
 と言いました。
 奥さんは顔色を変えました。
「お、お、お前は、どうして、そんなことが分かるんだい!」
 奥さんは、険しい顔をして訊きました。
「母ちゃんが、馬の金靴の事を考えてるのが、どうして分かったの、お前は!」
「だって、あたし、見えちゃったもの。母ちゃん」
 星の娘は、輝く目で母親を見つめて、嬉しそうに言いました。
「母ちゃん、父ちゃんの馬が、金靴を落とさなければいいわねえ」
「何を言うんだよ、この子は!」
 奥さんは身震いして立ち上がりました。
「おう、嫌だ! この子の目は、人の心まで見透かしてしまう。こんな子と一緒に暮らすのはごめんだよ!」
 奥さんは、すがりつきそうな目で自分を見つめている星の娘に向かって、
「そんな目で母ちゃんを見るんじゃない! 向こうをお向き!」
 と、怒鳴りました。
 星の娘は、泣きそうな顔をしてうつむきました。
 それを見ると、シモンの奥さんは自分が怒鳴った事を恥ずかしく思いました。
 奥さんは、星の娘の髪をなでながら、
「泣くんじゃないよ。母ちゃんが悪かったね……。お前は母ちゃんの可愛い娘だもの、ラプランド人に生まれたのは、お前のせいじゃないよねえ」
 と、言いました。
 けれども、それからまたしばらくして、シモンの奥さんを、酷く気味悪がらせる事が起こりました。
 ある夕方、旅の男がシモンの家の前を通りかかり、一晩、泊めてもらいたいと頼みました。シモンは男を家へ入れて、奥さんにベッドの用意をさせました。
 あくる朝、シモン夫婦が目を覚ますと、暖炉の上に置いてあった奥さんの指輪が見えませんでした。
 シモンと奥さんは、暖炉の灰の中まで探しましたが、見つからないので、泊めてやった旅の男に訊きました。
「あんたは暖炉の上に置いてあった指輪を知りませんかね」
「何だって! 変な事を聞くじゃないか。オレが指輪を盗ったと言うのか!」
 旅の男を、自分の荷物をシモン夫婦の前に投げ出して怒鳴りました。
「さあ、調べてくれ。オレの服でもズボンでも、捜すがいいや。だがな、指輪が無かったらどうしてくれるんだ」
 シモン夫婦は、男の荷物や服を調べましたが、指輪は出てきませんでした。
 その時、星の娘は、旅の男の顔を不思議そうに見上げながら訊きました。
「おじちゃん、どうして口の中に指輪をしまっておくの!」
 男は慌てて口から指輪を吐き出しました。旅の男は盗んだ指輪を口の中に隠しておいたのでした。
 指輪は無事に戻りましたが、シモンの奥さんは、ますます星の娘を気味悪く思いました。
(……あんなに何もかも見抜くのは、ラプランドの魔法に違いない。ああ、ラプランド人の子なんか育てるんじゃなかった……)
 今まで、三人の男の子と同じくらい可愛く思った星の娘が、急に嫌いになりました。
 けれども、奥さんは自分の気持ちをシモンには話しませんでした。
 シモンはラプランド人が魔法を使う噂など信じていないので、奥さんの心配を聞いても、馬鹿にして笑うだけだろうと思ったからです。


 星の娘がシモンの家へ来てから、三年目の冬が来ました。
 シモンはソリに乗って、何日もかかる旅に出ました。クリスマスの前に家へ帰ってくるはずでした。
 その留守中に、パッテがはしかにかかりました。
 奥さんはエナーレの教会の牧師さんを家へ連れてきて、パッテの病気を見てもらいました。お医者のいない村では、牧師さんが病人の手当てをしてくれるのでした。
 パッテのはしかは軽く済みそうでした。牧師さんが帰る支度を始めた時、シモンの奥さんは、
(牧師様にお礼をあげなければならないけれど、何をやったらいいだろうねえ……。そうそう、戸棚に塩鮭が二匹しまってあるから、その中の一匹をあげよう。大きいのと小さいのと、どちらにしようかね……)
 と、考えました。
 奥さんは、牧師さんを横目でチラチラ見ながら、大きい鮭をやった方がいいか、小さい方にしようかと、ちょっとのあいだ迷いました。
(そうだわ……。大きい鮭はクリスマスのご馳走にとっておきたいから、小さいのにしよう)
 奥さんは小さい鮭をやることに決めて、戸棚を開けました。
 その時、星の娘は、部屋の隅で遊んでいました。ほうきやはけを、牧師さんと病気の兄さんの代わりにして、お医者ごっこをしていました。
 星の娘は、シモンの奥さんが小さい鮭をやろうと決心して戸棚を開けた時に、楽しそうに大きな声で言いました。
「牧師様には大きい鮭より小さい鮭をあげましょうね。だって、大きい鮭は、クリスマスのご馳走にとっておくのよ」
 戸棚から小さい鮭を出していたシモンの奥さんは真っ赤になりました。奥さんは牧師さんに、どぎまぎしながらお礼を言って、小さな鮭を渡しました。
 牧師さんが帰ってから、シモンの奥さんはかんしゃくを爆発させました。
「この恩知らずめ! お前を育ててやった母ちゃんに、恥をかかせていいのかい! その目が悪いんだ! 人の秘密を見抜く魔法の目がいけないんだ! ラプランドの魔法使いめ!」
 奥さんは部屋の隅の床板を跳ね上げ、下の穴倉に星の娘を突き飛ばしました。
「そこに入っておいで! もう、上がって来るんじゃないよ。お前と一緒にいると、こっちの命が縮まりそうだよ」
 シモンの奥さんは穴倉の戸をバタンと閉めてしまいました。
 星の娘は暗い穴倉の中で、じっとしていました。泣いたりしませんでした。優しい母ちゃんが、自分を酷い目に遭わせるはずがないと思っていました。母ちゃんは怒っても、またご機嫌がよくなるでしょう。だから、穴倉の中でじっと大人しくしていましょうと、幼い心で考えました。
 シモンの奥さんは、悪い人ではありませんでした。けれども迷信深いので、ラプランド人の魔法が怖くてたまらなかったのでした。
 奥さんは、穴倉に娘の寝床を作りました。風邪をひかないように服を着せ、食事も十分にやりました。
 けれども、星の娘を穴倉から出そうとはしませんでした。星の娘の何もかも見通す目が怖かったからです。
 星の娘は、穴倉の中で一人で遊んでいました。穴倉にあったガラクタの中から、遊び相手を選びました。棒切れや、壊れたお鍋や、口の欠けた土瓶や、古い糸巻きでした。
「棒切れは父ちゃんよ。お鍋は母ちゃんよ。土瓶と、糸巻きと、板切れは兄ちゃん……」
 星の娘は独り言を言いながら、空き箱にお鍋や土瓶や板切れなどを入れました。
「父ちゃんは旅に出ているのよ。だから、箱のおうちにはいないのよ」
 星の娘は、棒切れの父ちゃんを箱から離したところに置きました。
「母ちゃんと兄ちゃんに、あたし、歌を歌ってあげるわ」
 星の娘は、空き箱をゆすぶりながら、歌を歌いました。
 それを聞いているのは、穴倉のネズミだけでした。
 優しいシモンは、その頃、遠い土地を旅していました。


 クリスマスの前の日になりました。
 シモンの三人の男の子は、明日は父ちゃんが帰ってくると言うので、はしゃぎまわっていました。星の娘は穴倉の中で、土瓶や棒切れを相手にして、遊んでいました。
 シモンの奥さんは、暖炉の側に座ってショールを編んでいました。
 昼過ぎ、隣の家のムーラおばさんが来て、世間話を始めました。
 ムーラおばさんはラプランド人が、恐ろしい魔法を使った噂をしました。
 その後、ムーラおばさんは部屋の中を見回して、
「ところで、あんたの家のラプランドの娘の姿が見えないじゃないの。どこへ行ったのさ」
 と、訊きました。
 シモンの奥さんは、
「床下の穴倉に入れてあるんだよ。私、気味が悪くてねえ……」
 と言って星の娘が、何でも見通してしまうのが、嫌でたまらないと愚痴をこぼしました。
「ラプランドの魔法に違いないよ」
 と、ムーラおばさんは言いました。
「小さな子供でも魔法を使うんだから、ラプランド人は恐ろしいよ。あんたはよくあの子を育てたわねえ」
 その時、穴倉から、星の娘の歌う声が聞こえてきました。
「あの子は何をしているんだい」
 と、ムーラおばさんが訊きました。
「ままごとをしているのさ。鍋や棒切れに、歌を聞かせて喜んでいるのさ」
 と、シモンの奥さんはつまらなそうに言いました。
「ちょっと、あの歌の文句をお聞きよ」
 ムーラおばさんが、シモンの奥さんの膝をつつきました。


  母ちゃんはショールを 編んでるの
  シームはお金を いじってる
  パッテはレンガを カアンカン
  マッテは子猫と ニャアンニャン
  あたしは糸巻き 寝かせてる
  お日様キラキラ いい天気


「ちょっと、ちょっと、あの子は穴倉にいても、上の事が分かるんだね」
 ムーラおばさんは目を丸くしました。歌の文句の通り、シモンの奥さんはショールを編みながらムーラと話していたのだし、シームはお金を弄っていました。パッテはレンガを叩き、マッテは猫の尻尾を引っ張っていたのです。家の外には太陽が輝いていました。
「何て怖い目だろう。床板を通してお日様が照ってることまで分かるんだから……」
 ムーラおばさんは、大げさに身震いしてみせました。
「ああ、恐ろしい。あんたは魔法使いと一緒に暮らしているんだね。私なら、あんな子は一日も家に置いとかないよ」
 と、ムーラおばさんは言いました。
「だから、嫌でたまらないんだよ」
 シモンの奥さんは顔をしかめました。
「でもね、うちの人があの子を可愛がっているから、追い出すことも出来ないんだよ」
「じゃあ、こうしたらどう。あの子に目隠しをするんだよ。薄い布ではだめ。厚いのをね。そして、一枚では見通してしまうから、七枚あててごらん。穴倉の蓋の上にも、毛布を七枚重ねるんだよ。そうすれば、いくら魔法の目でも、見えなくなるだろうよ」
 ムーラおばさんが勧めるので、シモンの奥さんは布を七枚用意し、穴倉へ降りていきました。
「いいかい、母ちゃんが外してあげるまで、目隠しを取ってはいけないよ」
 シモンの奥さんは、七枚の布を星の娘の目にあてて、後ろでしっかりと縛りました。
 それから穴倉の入り口の床板の上に、七枚の毛布を重ねました。
「魔法の目でも、これで見通すことが出来ないだろうよ」
 ムーラおばさんは、意地悪そうにニヤニヤしました。
 夕方になって、空には星が輝き始めました。虹のような二つのオーロラが、山にかかりました。
「話し込んでいる内に、日が暮れてしまったわ。クリスマスのご馳走を用意しなくちゃ」
 ムーラおばさんは慌てて立ち上がりました。
 その時、穴倉から、星の娘の歌が聞こえてきました。


  お山の上に オーロラ二つ
  そばでお星さま きいらきら
  赤いオーロラ こんばんは
  空のお星さま こんばんは
  明日は楽しい クリスマス


「ちょっと、あの子は山の上に、赤いオーロラが二つかかって、そばに星が光っていることが分かるんだよ。ああ、恐ろしい!」
 ムーラが叫びました。
「あの子、目隠しを取ったのかも知れないわ。見てこよう」
 シモンの奥さんは七枚の毛布をあげて、穴倉へ降りていきました。
 星の娘は七枚の目隠しを取らずに遊んでいました。
「お前、目隠しを外さなかったかい?」
 と、奥さんは聞きました。
「母ちゃん、あたし、この布とらなかったわよ」
 星の娘は無邪気に答えました。
「お前、山の上にオーロラがかかっているのが見えるの?」
 と、シモンの奥さんは震え声で聞きました。
「赤いオーロラはとても綺麗ね。二つ並んだ虹みたい……。母ちゃん、明日はクリスマスね。父ちゃんが帰ってくるのね」
 目隠しをされたまま、星の娘はにっこりしました。
 奥さんは穴倉から這い出ると、床にぺたんと座り込みました。
「もう、恐ろしくて、どうしていいか分からない……。あの子の目は、七枚の布と七枚の毛布を通しても外が見えるんだよ。あたしは気が狂いそうだよ」
 シモンの奥さんが泣き声をあげると、ムーラおばさんが言いました。
「私なら、深い穴を掘ってあの子を埋めてしまうね。上からどっさり土をかけてね。あんたも、そうしたらどう?」
「うちの人に怒られるわ。うちの人はラプランド人の魔法を信じていないんだから……。あの子の目が何でも見通せるのは、星のように綺麗な心を持っているからだなんて言うんだよ」
 シモンの奥さんはタメ息をつきました。ムーラおばさんが言いました。
「でも、あの子は放ってはおけないよ。大きくなったらもっと恐ろしい魔法を使うようになるかもしれないから……。今の内に追い払った方がいいね。こうしたらどう? あの子が元居たところへ帰してやったら……」
「私達は、あの子がラプランド人という事は分かっていても、どこで生まれたのか知らないんだよ」
「大丈夫。私に任せておくれ。元の所へ帰してやるから……」
「ムーラおばさん、もし、そう出来たら助かるわ」
「そうともさ。シモンさんも文句を言えないだろう。元の場所へ戻せば……」
 ムーラおばさんは、星の娘を穴倉から連れてきました。
 そして、三年前、星の娘が拾われた時、包まれていたトナカイの皮で、身体をぐるぐる巻きました。
「さあ、お前を三年前と同じようにしてやったよ。そして、三年前と同じ所へ帰してやるよ」
 ムーラおばさんは、星の娘を抱いて、山へ登っていきました。
 山は深い雪に覆われていました。
 ムーラおばさんは、トナカイの皮で包んだ星の娘を雪の上に寝かせました。
「お前は、ここに居たんだからね。元の所に、大人しくしておいで……」
 ムーラおばさんは身動きできない星の娘を山に置き去りにして、家へ戻りました。
 星の娘は、トナカイの皮に包まれて、三年前と同じように雪の上に横たわっていました。星の娘はつぶらな茶色の目で、空の星を見上げました。その目には、シモンの奥さんやムーラおばさんを恨む色は、少しもありませんでした。
 空の星は瞬きながら、可哀想な子供を見下ろしました。星は三年前と同じように、優しくちかちかと震えていました。その美しい光が、星の娘の二つの瞳に映りました。
 すると、星の娘の目は、前よりももっともっと輝き、遠くのものまで見通すことが出来るようになりました。
 星の娘は、遥か彼方の神様の国を眺めました。そこでは、白い翼の天使が神様を褒め称えながら、ひらひらと飛び回っていました。
 オーロラは炎のように燃え、星の娘の横たわる山の上に、美しい光の虹をかけました。


 エナーレの教会のクリスマスの礼拝の鐘が鳴る前に、シモンが旅から帰って来ました。朝早いので、子供たちはまだ眠っていました。
 シモンはソリから降りると、髪にかかった霜を落とし、白い息を吐きながら、
「子供たちは元気かい?」
 と、奥さんに訊きました。
「パッテがはしかにかかったけれど、牧師様に手当てして頂いたので、軽く済みましたよ。子供たちは三人とも、パン菓子のように太っていますわ」
 と、奥さんは答えました。
「星の娘はどうだい」
 と、シモンが訊きました。
「あの子も変わりがありませんよ」
 と、奥さんは答えました。
 奥さんは星の娘を追い出した事を気にしていました。後で訳を話して謝ろうと思っていましたが、旅から帰ったばかりのシモンに、嫌な事を聞かせたくなかったので、つい、嘘をついてしまいました。
 シモンは居間に入りながら、
「それは良かった……。わしは旅をしている間、何となく星の娘の事が気になってね……。夕べもソリを走らせながら、うとうと眠ってしまったが、その時、不思議な夢を見たのだよ。空の星が一つ、すうっと落ちてきて、わしのひざ掛けの上に乗った。そして、こんな声が聞こえた……。『私を拾って下さった方には、神様のお恵みがあるでしょう』とな。わしは考えた。あの子がうちに来てから、わしらには神様のお恵みがたくさんあった事をな。あの子が来るまでは、牝牛は熊に取られるし、羊は狼にさらわれた。畑の野菜は霜にやられ、子供たちは病気ばかりしてろくなことが無かった……。ところがあの子が来てからは、良い事ばかりだ。あの子を拾って育てていることを、神様が喜んで下さるからだろう。わしらはこれからも、星の娘を大事にしなければならないよ。あの子の目が星のように輝いて、何でも見通せるのは、とてもきれいな心を持っているからだよ」
 シモンの奥さんは、鋭いナイフで胸をぎりぎりとえぐられているような気がしました。本当に星の娘が来てから、シモン一家はとても幸せになったのです!
 奥さんは星の娘をムーラに渡したことが、ますます言いにくくなりました。
 父親の声に目を覚ました子供たちが起きてきて、にぎやかに飛びつきました。
「あっ、父ちゃんだ!」
「お帰りなさあい!」
 シモンは子供たちの頭をなでながら、
「星の娘はどうしたんだい。珍しくお寝坊だな」
 と言いました。
「星の娘はうちにいないよ。母ちゃんがムーラおばさんにやっちゃったから」
 と、シームが言いました。
「母ちゃんは星の娘を穴倉に入れて、七枚の布で目隠ししたよ。それから穴倉の入り口に、毛布を七枚敷いたんだ」
 と、パッテが言いました。今度はマッテが、
「その後、母ちゃんは星の娘をムーラおばさんにやっちゃったの。ムーラおばさんは星の娘を、山へ連れてったよ」
 と、教えました。
 シモンは顔を真っ赤にして立ち上がりました。奥さんは真っ青になりました。
「後でわけを話そうと思ったんですよ。あんた。あの子は人の心の奥まで見抜いて……。ラプランドの魔法を使うんですもの」
 奥さんは震えながら言いました。
 シモンは奥さんの身体を突き飛ばして、家の外へ走り出ました。とても疲れていましたが、馬小屋に行って、馬にソリを付け、ムーラの家まで走っていきました。
「あの子をどこへやったんだ。悪魔のような奴め! 案内しろっ!」
 シモンはムーラを自分のソリに引きずり込みました。それから鞭をビュウビュウ振り回して、山の方へ急ぎました。
 山に着くと、ソリを降りて、スキーを付けました。ムーラにもスキーを履かせました。
 シモンの剣幕に驚いたムーラは、びくびくしながら雪の割れ目を越えて滑っていきました。
「ここらに、あの子を置いたのだけれどねえ……」
 と、山の上の深く雪の積もったところを指さしました。
 そこには星の娘の姿は見えませんでした。シモンは目を皿のようにして、周りを調べました。雪の上には星の娘が寝ていたらしい、微かな窪みがありました。けれどもトナカイの皮に包まれた子供を見つけ出すことは出来ませんでした。
 シモンはそこらじゅうを捜し回りましたが、窪みの側にうっすらとスキーの跡があるのが見つかっただけでした。
 シモンはがっかりして、山を下りかけました。すると、うしろで、
 ぎゃあっ!
 と悲鳴が上がりました。
 シモンよりもだいぶ遅れて滑っていたムーラが、数十匹の狼に襲われたのです。
 シモンは急いで引き返しました。しかし、そこへ着いた時、ムーラも狼の群れも見えませんでした。
 シモンは震えながら、村へ帰りました。エナーレの教会の朝のお祈りを知らせる鐘が鳴り終わったところでした。
 家へ着くと、シモンの奥さんが泣き叫んでいました。餌をやりに行ってみると、羊小屋の羊が全滅していたのです。羊小屋が、昨夜、狼に襲われたのでした。
 シモンは悲しみをこらえて言いました。
「みんな揃って教会へ行こう。わしらは疑う事を知らない優しい娘に、とんでもない事をしてしまったのだ。神様の罰を受けても仕方がない。さあ、神様にお詫びしてこよう!」


 星の娘は、どこへ行ったのでしょうか――。
 酷い目に遭わされても、誰も恨まずに、汚れない目で空の星を見上げていたラプランドの子供は、どこへ行ったのでしょう――。
 星の娘が寝ていた窪みの近くに、スキーの跡があった事から考えると、親切な人が拾い上げて、家へ連れて帰ったのかも知れません。――三年前に、シモンがそうしたように――。
 星の娘は、優しい心の人に助けられて、きっと幸せに暮らしているのでしょう。そして、澄み切った目で、この世の人々を見つめ、薄くしい神の国まで見通しているのでしょう。




~おしまい~

 今日は久々に『文庫本コーナー』の記事で行きます。

 内容は、オーストリアの民話、『お婆さんのお医者さん』です。


 ではスタート!


お婆さんのお医者さん



 昔、ザルツブルグに、一人のお婆さんが住んでいました。このお婆さんは勉強もしたことが無いのに、お医者さんの仕事が出来るのでした。
 畑の仕事や山の仕事で、足の骨を折ったり、くじいたり、肩の骨が外れたりすると、人々は決まってこのお婆さんの所へやって来ました。
「お願いだよ、足の骨が折れたのを治しておくれ」
「おらは、手がぶらぶらだ」
「私は手が動かないのだ」
 お婆さんは怪我をした人が来ると、ベッドに寝かせてすぐ治療してやります。治りが早く、治った後も痛まないというので、お婆さんの家はお医者さんの所のように、いつも賑わっていました。
 それは秋の事でした。今、取り入れの真っ最中。お婆さんもお百姓仕事が忙しくて、一日中働いてから帰ってくると、ぐったり疲れてすぐベッドに飛び込みました。
「また、明日も取り入れだ」
 早く寝て身体を休めておこうと、夕方から寝込んでいると、真夜中になって、表の戸をコツコツ、コツコツと叩くものがありました。
「誰だね、せっかく寝込んでいるのに」
 コツコツ、コツコツ戸を叩き続けているので、窓の外を覗いてみると、そこに中くらいの背丈の小人が立っていました。
 そして、虫の鳴くような小さな声で、
「早く来てください。今夜のダンスの会で、足を踏み違えて困っている人がいるのです」
「駄目、駄目、私も人並みに夜は眠りたいのだよ」
「お婆さん、来て下されば、お礼はたっぷり致しますよ」
 お礼の話を聞くと、お婆さんは飛び起きて、もう身支度を始めていました。
「で、行く先はどこだね」
「ウンテルスベルクを通っていくのさ」
「じゃあ、ベルヒテスガーデンの方だね。やれ、やれ、遠い道を歩かねばならない」
 と、お婆さんは少しプリプリしながら、それでもたっぷりお礼をするというので、小人の後についてゆく事にしました。
 小人は小さな体なのに、お婆さんの先に立って飛ぶように走っていきます。見失っては大変と、お婆さんも後からよろよろついていくと、やがてウンテルスベルクの近くの森にやって来ました。
 すると、急に空が曇ってきて、明るく照らしていた月が隠れ、嵐の前のように辺りが真っ暗になりました。その暗い中を、小人はお婆さんの手を引っ張りながらずんずん歩いて行きます。
(この小人は、フクロウの目でも持っているのかな)
 お婆さんがふっとそう思った時、暗闇の中にパッと明かりがさしてきました。目の前で扉が開いたのです。扉の中は、赤々と蝋燭がともり、そこは立派な大広間で、大勢の小人が並んで出迎えました。みんなはキラキラ輝く金色の服を着ていました。
「お婆さん、こちらへ早く来てください」
 大きな衝立の陰にベッドがあって、そこに人形のような手足をした、女の小人が横になっていました。さも痛いと言うように、片足をベッドの外に突き出して寝ていました。
 その時、奥の扉が開きました。
 頭に金の冠を被り、赤いマントを付けた小人が大勢の家来を連れて出てきました。
 それは、小人の国の王様でした。
「夕べのダンスの会で、コオロギがとても滑稽な音楽を演奏した。そのために女王が足を踏み違え、筋を痛めた。お前は骨接ぎの名人だと聞いていたので、大急ぎで来てもらったのだ」
 ゆりかごのような小さなベッドで、小人の女王様はお医者を待っていたのでした。
 お婆さんは、なんだか気味が悪いのです。しかし、王様から直々の頼みなので、女王の小さな足を握ると、訳の分からぬ呪文を唱え、伸ばしたり、伸ばしたり、こすったり、さすったりしていました。
 すると、女王様はにっこり笑って、ベッドに起き上がりました。
「私の踏み違えた足は、よくなったようです」
 それを聞くと、王様も大変お喜びになってすぐ、家来の一人に命令しました。
「お婆さんを家へ連れて帰ってあげるのだ。たっぷり褒美を差し上げるのだよ」
 お婆さんが小人に案内されて、元来た道に出てくると、
「さあ、約束の褒美だよ。前掛けを広げてごらん」
 そう言って、広げた前掛けの上に、ごろごろした小石のようなものを、山盛りに入れてくれました。前掛けの下の袋にも、ぎっしりと詰めてくれたのですが、その重い事と言ったら、
「もう、やめておくれ。重くて重くて、前掛けのひもが切れてしまうよ」
 お婆さんは触ってみました。
「なんだ、褒美だと言って、暗くて分からない物だから、石をくれている」
 その時、小人は出口の門をコツンと叩きました。お婆さんが、
「あっ」
 と叫んだ時、もう、自分の家の入口の前に立っていました。
 お婆さんは灯りの側へ行って、前掛けの中を覗き込みました。
「まあ、何て酷い事をするのだろう。石が褒美だなんて、あの小人たちは私を馬鹿にしている」
 ぶつぶつ言いながら、前掛けの石を道ばたに捨てると、家に入って寝込んでしまいました。
 あくる朝、目を覚ますと、小人の女王様の足を治した事など夢でも見たように忘れていました。
「さあ、今日も畑へ行って取り入れだ」
 大急ぎで服を着こんで、袋を腰に括りつけようとすると、
「おや、どうした事だ」
 ずっしり重いのです。袋を逆さにして、テーブルの上に広げてみると、さあ大変、中から金の塊がごろごろ出てきます。
「しまった、しまった。夕べ小人の女王の足を治してやったのは、本当だった。あの時、前掛けに貰った石は道端に捨ててしまったが、どうなっているだろう」
 戸を押し開けて表に飛び出してみましたけれど、捨てられた小石はそのままで、一山に積み上げられていました。
「やっぱり、人を疑ってはいけない」
 お婆さんは、袋に残った金の塊を大切に壺の中にしまい込みました。
 それからは、お婆さんはもうお医者をやめて、褒美の金の塊で幸せに暮らしたという事です。
 でも時々、思い出したように、
「もう一度小人の国から呼びに来ないかな。今度は石ころ一つだって大切にするのだがね」
 と、呟きました。けれど、いつまで待っても小人の国からお婆さんを呼びには来ませんでした。




~おしまい~

 サイトを更新しました。

 今日は3か月ぶりに『ホビー雑誌コーナー』です。


 本文の方は、『西遊記セレクション』で行こうと思います。話としては、車遅国の術くらべの話前回の話の間のものになります。

 では、さっそくスタート!


第一三回 化けもの金魚



 大空に、月が美しく照り輝く秋になった。
 四人の旅の衣は、雨に打たれ風にさらされて色も薄れ、みすぼらしくなってきた。
「がんの列が、あのようにいくつも続いていく」
 三蔵法師ががんの列を見上げながら進むうちに、岸うつ波の音が聞こえてきた。
 月光に透かして眺めると、行く手に一筋の大河が、月の光に青々と流れていて、川幅は広くて向こう岸は見えない。
 川岸に大石が建っていて、“通天河(つうてんが)”と大きな文字が書かれている。その下に、細字で“向こう岸まで八百里。昔から通う人あまり無し”と記されている。
「さて、どうして渡ったら良いものか?」
 三蔵法師はもう涙声をしてゴウゴウと流れる川の上下を見渡していた。すると、どこからか微かに鐃鈸(にょうばち)や太鼓の音が聞こえてきた。
 八戒が、馬の上の三蔵法師を見上げた。
「お師匠様、向こうの方で法事があるようですね。行って一晩泊めて頂きましょう。そして明日の朝、渡し船でも探して川を渡りましょう」
 三蔵法師は頷いて、鐃鈸や太鼓の音を頼りに進んでいくと、四、五百軒ほどある一つの部落に着いた。
 村へ入って行くと、門の外に一本ののぼり旗を立てた家が、燭台の光を明るく輝かせて香の香りが道にまで流れている。
 三蔵法師はしばらく門の外に立ち止まって中の物音を聞いていると、手首に数珠をかけた老人が、念仏を唱えながら門を閉じに来た。
 老人は三蔵法師を見ると、丁寧にお辞儀をして、気の毒そうに言った。
「和尚様、遅すぎました。今頃おいでになられても、施し物はすっかりなくなりました」
「いいえ、わたくしは物を頂きに上がったのでは御座いません。唐土から天竺へ経を取りに行く者ですが、一夜の宿をお借りしたいと思うのですが」
「和尚様、坊さんが嘘を言ってはなりません。唐土大唐と言えば、ここから五万四千里も遠い所と聞いております。お一人で来られるはずがありません」
「はい、三人の弟子を連れて、ようやくここまで参りました」
 三蔵法師は日陰に控えていた三人を呼び出すと、老人は腰を抜かして悲鳴を上げた。
「うわあ、化け物だあ」
 犬のように四つん這いになって、家の中へ逃げ込もうとした。
 三蔵法師は助け起こして告げた。
「弟子たちは、みな醜い顔をしておりますが、ここまで来る途中に魔物を降参させたことは数え切れません」
 老人は、塵を払って起き上がった。
「そういう方々なら、とにかく奥へお通り下さい」
 座敷へ通されて夕飯のご馳走になってから、法師は礼を言って尋ねた。
「今夜はどなた様の法事ですか?」
「はい、これから死んでゆく子供たちの法事です」
「ええっ、まだ生きている子供の法事」
「はい、お聞きください。わたくしの家には、八歳になる娘と、六歳の男の子が御座います。ところが、この村の通天河の川岸に、霊感大王(れいかんだいおう)という神様が祀られておりまして、毎年、程よく雨を降らせてくださるので、畑の物はみな良く実ります。けれども、年に一回のお社のお祭りには、男の子と女の子を一人ずつ、生贄としてその神様に差し出さなければならないのです。今年はその当番がわたくしの家にあたりまして、可愛い子供たちを今夜、大王様に差し出さなければならないのです。その法事を致しておりました」
 悟空が怒り出した。
「小さな子供を食うなどとは、とんでもない神様だ。おい、八戒。お前と二人で子供に化けて、そのなんとかいう野郎を叩きのめしてやろうじゃないか」
「よかろう、では、飯を食わしてくれ」
「飯? いま食ったばかりじゃないか」
「喧嘩の前に、どうしても腹が減るんだ」
「しょうがない奴だ。ご主人、食い残りの物を、全部こいつに食わせてやって下さい」
 老人は、悟空と八戒が子供たちの身代わりになると言うので、飛び上がるほど喜んだ。台所へ走って何かごそごそと作り上げると、八戒の前に置きならべた。そして奥座敷から二人の子供を連れて来た。
「この子供たちで御座います」
「よしきた。オレは男の子になるから、八戒、お前は女の子になれ」
 悟空は口の中で呪文を唱えながら、身体をぶるぶるっと一揺すりさせると、見る間に生贄の子とそっくりそのままの子供になった。
 八戒も呪文を唱えながら、身体をゆすぶった。すると、これも女の子に変わったが、腹がぶくぶくに太っていて、首だけが女の子である。
 男の子に変わった悟空が怒鳴りつけた。
「腹をへこませろ」
「よしきた。えいっ、えいっ」
 どんな術を使っても、不格好に突き出た腹がへっこまない。悟空がまた怒鳴った。
「何回もやり直せ」
「えいっ、えいっ」
 いくどやり直しても、もがいても、腹がぶくぶくに突き出ている。とうとう八戒は不貞腐れた。
「もう、どうにもならん。これで駄目なら身代わりなんかごめんだ」
「しょうがない奴だ。では手伝ってやる」
 悟空が八戒の膨れ上がった腹を口でぷっと吹くと、ようやく腹はへこんで、これも本物と変わらない女の子が出来上がった。
 悟空は老人に言った。
「霊感大王に感づかれないように、お子さんたちを奥の部屋に隠しておいて下さい。ところで、わたくし達生贄は、どのようになって供えられるのですか?」
「おいおい、兄貴、脅かしちゃいけねえ」
「いえいえ、蒸し焼きなどには致しません。朱塗りのお盆の上に座って頂ければ結構です。それを机の上に乗せまして、村の者が行列を作ってお社まで担いで参ります」
 老人が大きな朱塗りの盆を二つ持ってきたので、悟空と八戒はその上に座った。
 四人の若い者が二人を抱えて、一つずつ机の上に乗せた。
 八戒が心配になって尋ねた。
「親父さん、大王は、男の子から先に食うのか、それとも女の子から先に食うだろうか?」
「はい、村の肝っ玉の太い男が、付近に隠れて覗き見した話によりますと、毎年、男の子を先に食べるそうで御座います」
「そいつは有難い。そのように頼む、頼む」
 まもなく、鐃鈸や太鼓があわただしく鳴り響いて、松明の火がいくつもともされた。続いて大門がさっと開かれた。
「お供え物の子供がたのお出まし」
 掛け声が高く伝わって、二人の子供に化けた悟空と八戒を乗せた机を、村の若い者たちが担ぎ出した。それに続いて、やはり生贄の豚や羊なども担ぎ出されて、列は松明の火を赤々と映した通天河の川岸にそって進んだ。
 やがて社に着いた。
 人々は二人を乗せた机を社の正面に置くと、色々な供え物を並べて、一斉に頭を下げて祈った。
「大王様、毎年の通り、本年も、ここに少年少女のお供え物を致します。どうぞ雨風を穏やかになさって、作物を実らせたまえ」
 祈り終えると、どの人も恐ろしそうに、急ぎ足で帰ってしまった。
 悟空は顔をあげて見ると、正面の高い所に“霊感大王乃神”と金字で書かれた額がかかっている。
 辺りは静かで、川の流れだけがゴウゴウと闇の中に響いている。
 しばらくすると、社の周りの木々の葉を吹き散らして、生臭い風がどっと吹き込んできた。悟空は周囲を注意深く睨みまわしながら、八戒に注意した。
「お前は何も喋ってはいかんぞ。オレが大王の相手になるからな」
 ささやいている所へ、金色に輝いた口の丸い一匹の怪物が、にたにたと笑いながら現れた。
「うふふふ、ふふ。毎年の通り、ちゃんと供えたな。今年は、まず女から先に食ってやろう」
 太い手を八戒に伸ばしてきた。
 八戒は尻をあげて、慌てふためいた。
「大王様、それは良くない。いつものように、男の子から先に食べた方がいい」
「供え物が余計な口を利くな。お前が先だ」
 八戒の首っ玉を、ぎゅっと握り潰そうとした。
 八戒はお盆の上から地上へ転がり落ちて逃げると、大急ぎで元の八戒の姿に身を変えた。同時に鉄の熊手を怪物の脳天目がけて打ち下ろした。
 怪物も驚いた。食おうとした子供が、いきなり耳の大きな口の長い化け物に変わったので、後ずさりをして逃げだした。
 八戒が打ちおろした熊手が、逃げる怪物の横っ腹をかすめた。すると怪物は何か光るものをチャリンと置き残して空中へ飛び上がった。
 悟空も机から飛び降りて元の姿に変えると、怪物が落としていったものを調べた。
 見れば、金色に輝いた二枚の鱗のようなものが、足元に落ちている。
 二人は空中に飛び上がって怪物を捜すと、怪物は雲の上に突っ立っていた。こちらの様子を窺いながら訪ねた。
「貴様たち二人は、どこの和尚だ。何でここへ来て、オレの邪魔立てするんだ?」
「我々は、唐土大唐の天子様のご命令で、遠い天竺へお経を取りに頂く尊い坊さんの弟子だ。貴様が霊感大王などと称して、この村の子供たちを食うと聞いたので、ひっ捕らえるために子供の姿に身を変えて待っていたのだ」
 怪物は悟空に怒鳴られると、風に乗って通天河の底深く潜りこんでしまった。
「八戒、追うな。あいつはこの川の中に住んでる化け物らしい。明日はあいつをひっ捕らえて、お師匠様を送ってこの川を渡ろう」
 悟空がこう言ったので、八戒はさっそく供え物の豚や、羊や、人参、カボチャなどを、机ごと担いで老人の家へ戻っていった。
 老人も子供も大喜びである。離れの一室をきれいに掃除して、三蔵法師たちの寝床を作って休ませた。
 悟空達は三日ほど待ったが、化け物は現れない。
 四日目の朝である。
 明け方頃から、急に寒さが厳しくなって、三蔵法師が雨戸を押し開けて見ると、一面の銀世界である。雪はその上に、なお一層激しく降り積もっている。
 悟空達も美しい雪景色を眺めながら話し合った。
「一晩のうちに、すごい大雪だな。腰までうずまってしまうぞ」
「これじゃ、歩くことも出来ないな。しばらくこの家に泊って行こうか」
 この時、道を行く人たちの話し声が聞こえてきた。
「川向こうの八百里まで氷が張り詰めて、まるで鏡のようになった。旅人がみんな行ったり来たりしているよ」
 この声に、三蔵法師達は門の外へ走り出てみた。
 通天河一面に厚く氷が張り詰めて、話の通り荷物を担いだ商人や、馬に乗った旅行者たちが向こう岸から来たり、こちら側から進んだりしている。
「これは幸いだ。さあ、私達も渡ろう」
 三蔵法師たちは、老人一家の者に礼を言って、通天河を渡り始めた。
 雪はますます激しく、風は肌を突き刺すように厳しく氷の上を吹きまくっている。
 三蔵法師は馬の上から振り返ると、悟空達三人が寒さに震えながら馬の後ろからついて来る。
「みんな、さぞ寒いことだろうね」
「いいえ、ちっとも。お師匠様こそ、お風邪をひかないように」
「私は少しも寒くはないよ」
 互いにいたわり合い、励まし合って西側の岸へ向かって進んでいくうちに、ふいにバリバリッと音を立てて氷が割れた。
 悟空は途端に空中へ飛び上がったが、後の三人は馬と一緒に水中へ飲み込まれてしまった。
 しばらくすると、八戒と悟浄が馬を引き、荷物を抱えてもがきながら這い上がって来た。
「大変だあ。お師匠様が魚の化け物に捕まって、石の箱に押し込められたあ」
「ええっ、この間の化け物だな、とにかく一度、東の岸へ引き返して相談をしよう」
 三人は氷の上を駆け足で、元の岸へ戻っていった。岸へ上がると、悟空が頼んだ。
「オレは山の中の化け物退治なら負けやしないが、どうも水中の戦いはうまくいかない。お前たちは水の中なら慣れているだろうから、その化け物をこの岸まで誘い出してくれ。出てきたらこの鉄棒で頭を叩き割ってやる」
「よしきた」
 八戒と悟浄が、氷を割って水の中へ沈むと、間もなく化け物が追いかけて来た。
 岸へ、にゅっと頭を突き出したのを見れば、鯨ほどもある凄い魚の化け物で、体中がぬらぬらと光っていて、金色の目をぎょろつかせている。
「こいつめっ」
 悟空は力いっぱい如意棒で魚の頭を殴りつけた。
 化け物は驚いて沈むと、何時間待っていても、それっきり出てこない。
「仕方がない。川の中で戦おう」
 悟空は川へ飛び込んで、海老に化けた。八戒や悟浄と力を合わせて戦ったが、魚の化け物は強くて、三人とも敵わない。
「よくもこの前は騙したな」
 と、銅で出来た大きな槌をやたらに振り回すので、危なくて近寄ることが出来ない。このままでは、大事なお師匠様が心配である。
「とても駄目だ。観音様の所へ飛んでいこう」
 悟空は息を切らしながら岸へ這いあがると、雲に乗って観音菩薩の所へ飛んで行った。
 観音様は竹林の中で、竹の籠を編んでおられた。
 悟空はひざまずいて頼んだ。
「お師匠様が、魚の化け物に捕まって、石の箱の中へ押し込められてしまいました。どうぞお助け下さい」
「そうか、案内しなさい」
 観音様も雲に乗って、川の上からおいでになると、手に下げた竹の籠を、雲の上からするするっと川の中へお下げになった。そして、七回こうおっしゃった。
「死んだ者は流れろ。生きた者は小さくなって、この籠に入れ」
 籠を引き上げると、中にきらきら、ぴちぴちと一匹の金魚が跳ね返っていた。
「悟空、これが化け物の正体です。早く水の底へ行って、お師匠様を助け出しなさい」
「こんな金魚が、なぜ、あれほど強かったのですか?」
「この魚は、もと私の蓮池の金魚であったが、毎日、水の上に顔を出してお経を聞いている内に、心を磨いて術を覚えたのです。また、持っていた銅の槌は蓮のつぼみを鍛えて作り上げたものです。私は今朝、欄干にもたれて蓮の花を見ていたところ、この金魚が見えないので占ってみたところ、お前たちの師匠を取り殺そうとしている事を知って、竹林に入ってこの籠を編んで、金魚を捕まえたのです」
 川岸の大騒ぎに、老人も子供も、村の者が全部岸に集まってきてこの話を聞いた。そして観音菩薩を拝んだ。その村人の中に、絵を描くことを楽しみにしている一人の男がいた。この時の菩薩のお姿を写生したものが、後の世に伝わる『魚籃観音』の像であると言われている。
 菩薩は雲に乗って、籠の金魚を下げてお帰りになった。
 三蔵法師も石の箱から岸へ救い出された。
「お師匠様、しっかりなさいませ。お怪我は御座いませんか」
「おう、みんな居たか。いつも世話になるばかりで、まことにすまないな」
 互いに無事を喜びあっている所へ、年をとった白い大きな亀が、川の底から浮かび上がってきて、丁寧に礼を言った。
「わたくしは、元この川のぬしで御座います。九年前、あの魚に家を取られて、住むところが無くて泣いて暮らしておりました。今日からは再び元の家に帰れます。皆様、有難う御座いました。さあ、どうぞ、わたくしの背中へお乗り下さい。皆様を向こう岸へお渡し致しましょう」
 金魚が捕まってしまうと、通天河はまた元の大川に変わって、ゴウゴウと音高く流れ始めた。亀は四人と馬をその白い大きな背中に乗せると、たった一日で向こう岸へ泳ぎ着いてしまった。
 三蔵法師は岸に登り、亀に手を合わせて礼を言うと、亀も嬉しそうに首を振りながら、水の中へその姿を没していった。




~つづく~

 今回は久々に、『西遊記セレクション』で行こうと思います。

 なお、今回登場の敵妖怪は、私が持ってる原本だと『一角魔王』って名前だったのですが、調べてみるとどうも原典の『獨角兕大王(どくがくじだいおう)』の事でしたので、表記もそちらにしています。


 では、さっそくスタート!


第一四回 一本角の魔王の輪



 旅は、雪の中になおも続いた。
 馬も人も雪だるまのようになって、幾日も進むと、或る日、三蔵法師が馬の上から雪にかすんだ山を指さした。
「向こうの山のくぼみに、ぽつんと一軒の家が見える。みんなも、さぞ疲れたろうし、お腹もすいた事だろう。あの家へ行って、しばらく休ませて頂こう」
 悟空が止めた。
「お師匠様、あれは怪しい家で御座います。わたくしが食べ物を捜してまいりますから、ここから決して動いてはいけませんぞ」
 悟空は如意棒で雪の上に丸を書いて、三蔵法師たちをその中に待たせた。そして雲に乗って南の方へ食事の支度に飛んで行った。
 三人は長い間待っていたが、雪も風もいよいよものすごく、足も地に凍り付いてしまうほどの厳しい寒さに、我慢がしきれなくなった。
 八戒が不平を言い出した。
「兄貴の奴、どこまで飯の支度に行ったんだろ。こんな輪の中に突っ立っていたんじゃ、背骨と肉が凍り付いてしまう。お師匠様、さあ、あの家へ行きましょう。兄貴は後からやって来るでしょう」
「では、先へ行っているとしようか」
 家に着くと、なかなか立派な屋敷である。左右に真っ白い練塀を巡らして、五色に彩った美しい扉が半開きになっている。
「お師匠様、ここはきっと名高い貴人のお屋敷ですよ。外はこのように静まり返っていますが、中では火を焚いて家人が暖まっているに違いありません。わたくしが様子を見てまいりますから、しばらくここでお待ち下さい」
 八戒は、のこのこと部屋に上がって進むと、家具など一つも無い。どの部屋もがらんとしている。
「おかしな家だな。どの部屋も同じか?」
 突き当りの奥の部屋の扉をガタンと引き開けた。
「やや、やや、やや」
 のけぞって驚いた。
 そこには一台の象牙の寝台が置かれていて、その上に気味悪い大きな骸骨が、長々と白く寝そべっている。
「おうい、驚かせるなよ。だが、この体格は素晴らしいぞ。生きていた時は、英雄か豪傑だったに相違あるまい」
 寝台の側に机が一つ置いてある。その上に、錦で織られた綿入れのチョッキが三枚積み重なっている。
「ほほう、こいつは有難い」
 チョッキを抱えて、三蔵法師の前へ戻っていった。
「お師匠様、この家には全く人気がありません。なくなった偉人を礼拝する場所らしいです。幸いに部屋の中に、こんなチョッキが三枚ありましたから持ってきました。どうぞ着て下さい」
「八戒、たとえ人は居らなくとも、他人の物を持ってくることはなりませぬ。返して来なさい」
 三蔵法師は八戒をたしなめて、チョッキなどは手にも取らない。
「でも、ちょっと、着てみるだけです。こんな暖かそうな物を、まだ着たことが無い」
「おい、八戒、オレにも着せろ」
 悟浄も手を出し、二人は嬉しそうにチョッキを着こんだ。すると、チョッキがぐぐ、ぐぐっと胸を締め付けてきた。
「いた、たた、たた」
「うわあ、苦しい、苦しい」
 二人のうめき声に、三蔵法師も驚いた。走り寄って慌てて脱がせようと焦ったが、チョッキは二人の身体に固く吸い付いたまま離れない。
「これはどうしたことか」
 と引っ張っても、はぎ取ろうとしても、ますます身体へ食い込むように締め付けてくる。
「お師匠様、助けてくれえ、助けてくれえ」
 八戒と悟浄がわめき騒いでいると、扉がどっと押し開かれて、一本角の青い顔をした牛のような化け物が、手下を従えて現れた。
「うわっはっは、お前たちはうまく騙されたな」
 化け物は手を伸ばすと、転がりもがいている二人と、三蔵法師と馬を一抱えに寄せ集めて、家の中に引っ込んでしまった。それと一緒に、白壁の立派な屋敷は煙のように消えて、あとには横殴りの雪が降り積もっているばかりである。
 悟空は食事の支度に手間取って戻ってくると、書き残しておいた輪の中に三人の姿が見えない。足跡だけが遠く山の家の方角へ続いている。
(さては、怪しい家に行ったか?)
 と、山間の家を見上げると、家は消えていて、ただ一面の銀世界である。
(こうしちゃおられぬ)
 虎の皮のふんどしを締め直すと、如意棒を振り上げて、屋敷のあった場所へ走っていった。その途中、林の中で人の声を聞いた。立ち止まって見ると、ひとりの老人が歩いてくる。毛織の着物に綿入れの帽子をかぶって、竜の頭のついた杖をついている。後ろのお供の子供を連れて、のんきそうに歌を歌いながら山道を折りてきた。
 悟空は顔に吹き付けてくる雪を払いのけながら訪ねた。
「私は唐土から来た者です。四人で来ましたが、わたくしがちょっと離れている間に、向こうの道端に待たしておいた三人が見えなくなりました。ご老人、どこかでその三人を見かけませんでしたか?」
「見なかったが、ふいにいなくなったとすれば、たぶん獨角兕大王にさらわれた事と思います。魔王の洞穴はこの山の上にあるが、魔力は素晴らしく、剣にも優れた腕を持っている。その三人は命をなくしたことと思うが、あなたもそこへ行けば命はないものと覚悟しなさい。私はこの辺りの土地の神じゃ」
「ありがとう。けれども、やはりお師匠様を捜しに行かないわけにはいかない」
「では、食事を入れたその鉢を私に預けて、思う存分戦ってきなさい」
「どうぞ、お頼み申します」
 悟空は食べ物を入れた鉢を老人に預けた。そして飛ぶように山道を登っていくと、洞穴の門が見えてきた。門の前で、魔王の手下どもが剣や槍を振り回して、武術の稽古をしている。
 悟空は近づいて大声をあげた。
「こらっ、ちんぴら共。オレは斉天大聖孫悟空だ。さっさと師匠を返さないと、お前たちを捻り潰すぞ」
 手下どもは身を縮めて洞穴へ駈け込むと、魔王に知らせた。魔王は笑った。
「来るかと思って待っていた所だ。オレは天上から地上へ降りてきて、まだ腕試しをしたことが無い。願っても無い良い相手だ。さあ来い」
 一丈三尺の鋼の槍を担ぎ出して、門の外へ飛び出してきた。
 たちまち悟空との戦いが始まったが、勝負がつかない。悟空の鉄棒の使い方に少しの隙も無いので、魔王は槍を引いて褒めた。
「見事、見事。さすがは天上を騒がした腕前だ」
 悟空もまた、魔王の槍の鮮やかな使い方に、鉄棒を地に突き鳴らして褒めはやした。
「ご立派、ご立派。さすがは魔王の頭ともいう槍の使い手だ。さあ、行くぞ」
「いざ、参れ」
 また打ち合いが始まったが、悟空が進めば魔王が退き、魔王が打ってかかれば悟空が飛びのき、いつまで経っても勝敗が決まらない。
「えい、面倒なり」
 魔王は、袖の中から投げ縄を取り出した。縄の先にぴかぴか光った白い輪が結ばれている。その輪を悟空が振り回す如意棒目がけて投げつけた。
 投げ縄は、悟空の棒にくるくるっと絡みつくと、さっと棒を取り上げてしまった。
(しまった。こんなはずはないが……)
 如意棒を奪われた悟空は、急いで天へ逃げあがった。
 魔王は大きな笑い声を残して、洞穴の中へ引き上げていった。
 悟空は、天上で空っぽになった掌を見つめながら、泣きべそをかいて考えた。
(如意棒を奪われては、戦う事も勝つことも出来ない。全く情けないことになったものだ)
 仕方なく天帝に申し上げると、天帝は一番強い大将を二人貸してくれた。けれども悟空は考えた。
(オレは昔、この大将たちをひっくるめて、十万の神兵と戦ったが、なかなか負けなかった。ところが、今度の魔王はオレよりずっと強い奴だ。こんな大将二人じゃ頼りない。そうだ雷神も二人借りて来よう。魔王が二人の大将と戦っている隙を見て、あいつの上から雷を落としてやろう。これはうまい考えだ)
 悟空は自分の考えにすっかり喜んで、二人の大将を魔王と戦わせた。その隙を伺って雷神に命令した。
「それっ、今だ。あいつの頭上へ雷を落とせ」
 雷神は、魔王の頭へいちどきに雷を落とした。
 魔王はとっさに、雷へ向かってぴかぴかの輪を投げつけた。すると、稲光も雷も輪の中に吸い取られて、力を失ってしまった。その上、二人の大将の剣まで巻き取られて、大将も雷も、頭を抱えて天上高く逃げ帰ってしまった。
「あの金輪は、なんという凄い武器だろう。よし、今度は洞穴の中へ黄河の水を逆さまに流し込んで、あいつを溺れ死にさせてやろう」
 悟空はまたも天上へ駆けあがって、水神に頼んだ。水神は黄河の水をいちどきに魔王の洞穴へ流し込んだ。
 魔王は洞穴から泳ぎ出てくると、門前へ、さっと金輪を掲げた。
 黄河の水はせき止められて、金輪にしぶきをあげて逆に流れ出した。見る見るうちに野も山も大洪水になった。
「これは大変だ。止めろ、止めろ」
 悟空は水神に怒鳴りつけたが、どう考えても良い方法が無い。天上でぼんやりしたまま、滝のように四方の谷へ流れ落ちていく水を眺めていると、目の前を、きょろきょろしながら一人の老人が通りかかった。見ると老子さまである。
 悟空は走り寄った。
「老子さま、赤瓢箪と、芭蕉扇を貸して下さい。三蔵法師様が、不思議な白い金輪を持った一本角の魔王に捕まって、命が危険です。その化け物は、青い顔をした牛のような野郎です」
「おや、そうかい。牛が逃げたので捜していた所だ。あの牛め、鉄(まがね)の輪を持って逃げたな。よしよし、私が行って、団扇で仰いでやろう」
 老子さまは悟空に案内させて、魔王の洞穴に降りて来た。
「これ、牛や、いつまでも遊んでいるんじゃない。戻っておいで」
 老子さまが呼ぶと、魔王は奥から洞穴の前に出てきた。
 老子さまは、芭蕉扇でパタパタと魔王を仰ぐと、魔王は白い金輪を老子さまに投げてよこした。
 老子さまはそれを受け止めると、またも団扇でパタパタろ仰いだ。
 魔王は力を落として、ぐにゃりっと座ると、一頭の青い牛の姿に変わって、悲しそうに縮こまって声をあげた。
「モウ、モウ、モウ」
「悪さをしてはいかんぞ」
 老子さまは受け取った金輪を牛の鼻に通すと、自分の腰紐をほどいてそれに結んで手綱にした。
 悟空にも如意棒を返すと、青牛の背中にまたがった。そして五色の雲に乗って、ふわふわと天上へ帰ってしまった。
 悟空は取り返した如意棒を懐かしそうに撫でてから、大きく振り回して、洞窟へ暴れ込んだ。
「棒があれば負けないぞ。手下ども覚悟しろ」
 一人残らず叩き伏せて、ようやく三蔵法師達三人を救い出した。すると、八戒と悟浄の胸を締め付けていたチョッキもゆるくなって、スポンと脱げた。
 悟空はほっと安心した。いい気持になって眺めると、遠く並んだ山々に夕日が赤く照り輝いて、雪晴れの頂上を美しく染めていた。
 悟空は三蔵法師を馬に乗せた。その手綱を取って山を下っていくと、道端から呼ぶ者があった。
「三蔵法師様、ご飯を召し上がってから、お出かけください」
 見れば毛織の着物に、綿入れの帽子をかぶったあの土地神であった。土地神は、悟空から預かった鉢を捧げながら、三蔵法師に歩きよって話しかけた。
「このご飯は、斉天大聖様が善人の家から頂いてこられたものです。あなた方は、大聖様の注意をおろそかにしたばかりに、魔王の手にかかって、ついに大聖様に大変なご苦労をかけた。そして、今ようやく救われたわけですが、とにかくご飯を召し上がってからお出かけ下さい。さもないと、大聖様のご親切が無駄になってしまいますよ」
 三蔵法師は馬から降りた。
「悟空、まことに厄介をかけてすまなかった。最初からお前の有難い注意を守って輪から出なければ、このような死ぬほどの目に遭わなかったのだ」
「お師匠様、わたくしの輪を信用して頂けなかったので、わたくしは、魔物の輪に酷い目に遭いました。全く情けない事です」
「許しておくれ。お前は賢い弟子だ。これからは必ずお前の言う事を守るからね」
 四人は土地神が差し出したご飯を食べようとすると、ほかほかと、暖かく湯気が立ち上っている。悟空は不思議に思った。
「この寒さで、ご飯は冷たく凍っているわけだが、何故こんなに熱いのだろう」
 土地神がひざまずいて答えた。
「皆さまがご無事で戻られたお祝いに、私がただいま温めて参りました」
 やがて四人は食事がすむと、土地神に別れを告げて、またも西へ西へと、雪深い高山を登っていった。




~つづく~

 サイトを更新しました。

 今日は『テレビ雑誌コーナー』です。


 記事の方は『文庫本コーナー』で、アメリカの民話、『グレーチェンと白馬』をお送りします。

 では、スタート!


グレーチェンと白馬



 昔、テキサスの開拓地では、白い馬を気高い情け深い動物として敬っていました。
 黒い馬の方は暴れ馬で、時には人を傷つけたりすると言われていました。
 テキサスには、色々な国から開拓者たちがやって来ましたが、ドイツから来た開拓者の家族の中に、グレーチェンという女の子がいました。
 グレーチェンは、お父さんやお母さんや、他のドイツ人の家族たちと一緒に、馬車に乗り、あちらこちらを旅をしていました。
 テキサスでは、こうして馬車の旅をしては、良い場所を探し、家を建て、開拓していったのです。
 ですから、馬は大切な家族の一員でした。
 グレーチェンのところにも、ごく大人しい、年をとった雌馬が一頭いました。
 手綱で引っ張らなくても後からのこのこついてきて、青草があると立ち止まって食べるのでした。
 馬は間が抜けているうえにものぐさでしたが、主人には良く仕えました。背中にはトウモロコシの袋をいくつか乗せて、物を乗せる台のようにしてありました。
 荷馬車には、ベッドや布団、鍋や皿、タンスまで乗せてありました。
 それに、たくさんの子供たちも乗っていました。
 グレーチェンはまだ八つでしたが、子供たちの中でも、特に元気なおてんばでした。
 ですから荷馬車なんか乗っているのに飽きてしまって、年をとった雌馬に乗ってみたいと言い出しました。
 お父さんはしばらく考えていましたが、
「よし、乗せてやろう、その代わり、落ちないように気を付けるんだよ」
 と言って、グレーチェンを雌馬の背中に乗せ、綱でしっかり縛ってやりました。
「うわあい、馬に乗った!」
 グレーチェンは、両手をあげて大喜び。
 雌馬は、時々立ち止まって草を食べたりしながら、パカパカ歩いて行ったのです。ところが、その日の午後、荷馬車の車輪の一つが壊れてしまいました。
 それを直すために、馬車は一休みしなければなりませんでした。グレーチェンは丁度その時、雌馬の背で、いい気持になって寝ていました。馬車の故障の事など少しも知らなかったのです。雌馬は、草のある所ばかり追いかけて、どんどん歩いて行ったものですから、とうとう馬車から遠く離れてしまったのです。
 お父さんは車の修理に忙しかったし、お母さんは他の子供たちの面倒を見ていて、グレーチェンのいなくなったのに少しも気が付きませんでした。
 やっと荷馬車の修理が済んで、馬車が動き出すようになってから、グレーチェンがいないのに気が付いたのです。年をとった雌馬がどこへ行ったのか、足跡を捜すのは無理でした。と言うのは、この辺には野生の馬が多くて、色々な馬の足跡がいっぱいありましたから。
 そこで、そこに夜まで馬車を停めて、グレーチェンを捜すことになりました。だが次の日になっても、グレーチェンは見つからなかったのです。
 グレーチェンは、一体どこまで行ってしまったのでしょう。
 雌馬の背に乗っていたグレーチェンは、だいぶ経ってから、ふと目を覚ましました。
 周りを見渡すと、馬車の姿などどこにもありません。
 グレーチェンは、驚いて鳴き声をあげました。
「ママ! パパ! どこへ行ったの!」
 しかし、老いぼれ雌馬は、とっとと勝手な方へ駆けて行くばかりなのです。
 その時、グレーチェンは遥か彼方をかけていく一頭の白馬を見ました。
 白馬はまるで“揺り椅子”の動きのように、歩調正しく駆けていました。
 雌馬は、その白馬に引き付けられたように追いかけていくのでした。
 グレーチェンは、雌馬を止まらせようとしましたが、止めるための綱が無いのです。飛び降りようとしましたが、身体が綱で結ばれていて降りらせません。
 やがて雌馬は、白馬のすぐ後に続きました。白馬は野生の馬たちの所へ行ったのです。
 グレーチェンは知りませんでしたが、それは白馬が指揮する放し飼いの雌馬たちなのでした。
 雌馬たちは、老いぼれ雌馬を心から歓迎しました。
 鼻をこすりあったり、首をなで合ったり、歯で優しく噛み合ったり、鳴き声をあげたりして、老いぼれ雌馬に親愛の情を示しました。
 雌馬たちは、グレーチェンの事など少しも気が付かなかったらしいのです。
 ただ、鼻の先がトウモロコシ粉の袋に触り、そこから舐めてくれと言う風に、粉がこぼれていたので、一頭の雌馬は、その袋を噛んでしまいました。
 きっと、トウモロコシ粉が美味しかったのでしょう。袋を本気で噛み始め、とうとうグレーチェンの足まで噛んでしまいました。
「あ、痛い!」
 白馬がその悲鳴を聞いて、一飛びにグレーチェンの所へ飛んできました。
 白馬は賢いばかりではなく、思いやりがありました。
 雌馬たちを追い払ってくれたのです。
 それからグレーチェンを結び付けていた綱を噛み切り、グレーチェンを優しく噛んで、地面に降ろしました。
 今にも雌馬たちに食い殺されてしまうのじゃないかと思っていたグレーチェンは、優しい白馬に助けられて、心から嬉しくなりました。
 だが、遠くに聞こえる狼の吠え声。
 辺りは暗くなりかけていました。
「ママ!」
 グレーチェンは泣き出しました。
 やがて疲れ切ったグレーチェンは、枯れ草を集めてベッドを作りました。
 その上で、しばらくはしくしく泣いていましたが、その内にぐっすり眠り込んでしまいました。
 目を覚ました時には、すっかり夜が明けて、太陽は高く昇っていました。
 馬たちの姿は一頭も見当たりません。
 老いぼれ雌馬もいないのです。
 グレーチェンは、お腹がペコペコでした。
 すぐ近くに見えた川のふちに行って、朝食代わりに水をがぶがぶ飲みました。
 このテキサスで道に迷ったら、誰かが自分を見つけてくれるまでは、ひとところにじっとしている方がいいという事を、グレーチェンは聞いたことがありました。
 だからそのまま、川のふちから動きませんでした。
(きっとパパが探しに来てくれる)
 グレーチェンはこう信じていました。
 けれど、お昼ごろになっても、人も馬も姿を見せません。
(お腹が空いたわ。なんか食べられるもの無いかしら……)
 グレーチェンは、野イチゴやスカンポを見つけて食べました。
 それから長い間待ったのでしたが、とうとうまた夜になってしまいました。
 狼が吠え、暗くなって、空には星が瞬き始めたのです。
 グレーチェンは、怖くて心細くて泣き出してしまいましたが、その内に、泣きながら眠ってしまいました。
 次の朝、目を覚ますと、なんと目の前にあの老いぼれた雌馬がいるではありませんか!
「まあ、良かった! あんた、今まであたしを置いてどこへ行っていたの?」
 グレーチェンは、この雌馬ならお父さんやお母さんのいる場所がきっと分かるし、自分を連れて帰ってくれると思いました。
 けてど、雌馬に乗ろうとしても、どうしても高くて乗れないのでした。
 近くに丸太が転がっていました。
 グレーチェンは、雌馬をその丸太の側に連れて行って、丸太に登ってから、馬にまたがろうと思いましたが、間抜けな雌馬は一歩も動こうとはしません。
 長い間、引っ張ってみたり、撫でてみたり、跳ねまわったりしてみましたが、どうしても動かないのです。
 グレーチェンは泣き出しました。
 老いぼれ雌馬の肩にもたれて泣いていると、トットット、規則正しい馬の足音が聞こえてきました。
 白馬です。
 王様のように首をそらし、堂々とやって来ました。
 白馬の白い身体は、輝くばかりの美しさです。
 グレーチェンは、白馬が優しい馬なのを知っていましたので、手を広げて白馬を迎えました。
 白馬はグレーチェンがどうして泣いていたか、分かったようでした。
 歯で優しく、服の襟と首筋をくわえ、雌馬の背に乗せてくれたのです。
 それから雌馬に、家に帰れとでも命令したのでしょう。
 今まで身動きもしなかった雌馬が、とっとと歩き始めたのです。
 そして、グレーチェンを捜すために一つ所にテントを張っていた家族たちに会えたのです。
「ママ! パパ!」
「おう、グレーチェン!」
 グレーチェンは、しっかりとパパにしがみつきました。
「今まで、まあ、どこへ行っていたのだい?」
 グレーチェンは、噛まれた足を見せながら、白馬に助けられた話をしました。
 トウモロコシ粉の袋は無くなっていましたが、お父さんもお母さんも、グレーチェンが無事に帰ってきて、ただもう嬉しいばかり。
 この話はその後、長い間語り継がれて、信じる人もあれば、まるっきり本当にしない人もありました。
 だが、一頭の白馬が、野生馬の群れの先頭に立って走っていくのを見た人はたくさんいたのです。




~おしまい~

 今日は昨日に続いて、アメブロの方にも記事を書いています。


 こちらの方は、久々に『西遊記セレクション』で行こうと思います。

 ストーリー的には、この話の次の回にあたります。


 個人的に、今回の話は今までの中でも結構コメディ色が強めのような気がしてますが……どうでしょう?


 では、さっそくスタート!


第七回 赤ん坊に似た木の実



 三蔵法師と悟空の二人連れの旅は、八戒を加えて少し賑やかになった。けれども八戒は、ときどき家へ戻りたいと情けない愚痴を言い出すので、悟空に怒鳴られ、怒鳴られ、荷物を担いで歩いていた。
 春も過ぎ、夏も過ぎて、涼しい秋を迎えた。流れる雲も光を増して、一日ごとに、空は青く澄み渡って、前の山、後ろの森で鳴き立てていたセミの声も、もう聞こえない。
 ある日三人は、大河の流れる岸に着いた。波はゴウゴウと逆巻き流れていて、向こう岸はどこにあるのか、空と皮が重なり合って、かすんでいて見えない。
 岸の立て石には“流沙河(りゅうさが)”と書かれてある。
「なんという広い川だろう。渡る舟も無い」
 三人ともどうしたら良いのか、腕組みをして大河を見渡していると、岸近くの波が山のように高く膨れ上がった。驚いて見守っている内に、波の中から一人の魔物が現れた。
 魔物は首につるした九つのしゃれこうべをからからと振りながら、宝杖を振り上げて、三蔵法師に打ちかかってきた。
 悟空は飛び出して、お師匠様を抱えるようにして、大急ぎで後ろの丘の上へ移した。
 八戒も荷物を投げ捨てて、鉄の熊手を振りかざして魔物に立ち向かった。
「えいや、えいや」
 と、どちらも気合激しく打ち合ったが、力も腕も同じで、果てしがない。
 悟空は三蔵法師を守って見物していたが、今は我慢がしきれなくなった。如意棒を握って魔物の後ろへ飛んで振り下ろした。
 魔物はそれより早く、吸い込まれるように川の中へガボガボと沈んで逃げた。
 八戒は悟空に怒鳴りつけた。
「頼みもしないのに、助太刀なんかするからだぞ」
「そう怒るな。へっぽこ同士で見ちゃいられない」
「オレは元天の川の司令長官だったから、水の底へもぐって、おびき出して来ようか」
「よかろう。出てきたら、オレが岸の上から殴りつける」
 八戒は衣も靴も脱ぎ捨てて、素っ裸の手に熊手を握って飛び込んだ。
 悟空は如意棒を出来るだけ長く伸ばすと、肩に担いで水面をにらんだ。
 間もなく、八戒が負けたふりをして水中から岸へ飛び上がって来た。魔物はいい気になって追いかけてきて、流れから頭を突き出した。
「それきた、こいつめ」
 悟空は力いっぱい岸から如意棒を振り下ろした。そのはずみに、長くし過ぎた如意棒の重さに引っ張られて、棒ごと川の中へ真っ逆さまに転がり落ちた。
 魔物は水底深く逃げてしまった。
 悟空はぬれねずみになって、棒を小さくして、岸へ這いあがって来た。
「あの野郎、酷い目に遭わせやがった」
 八戒は笑った。
「お前が勝手に飛び込んだのだ」
「こうなったら、どうしてもひっ捕まえてやる。だが、腹が減っては戦が出来ぬ。お師匠様もお待ちかねだろうから、ご飯を差し上げよう。ちょっと行ってもらってくる」
「どこまで行っても家なんかあるものか」
「まあ、黙って待ってろ」
 觔斗雲に乗って、北の方へ飛んだかと見る間に、早くも鉢に食べ物を入れて戻って来た。
 八戒は目を丸くした。
「どこまで行ってきたんだ?」
「五千里ぐらい飛んだかな。人家があったから、頂いてきた」
「それほど一気に飛べるなら、お師匠様を乗せて、向こう岸へ飛んだらどうだ。何も、あんな化け物と喧嘩する必要はないんだ」
「お前も雲に乗れるんだろう。何故お師匠様をおぶって、この川を渡らないんだ?」
「オレは身を軽くして乗るから飛べるんだ。お師匠様は人間で、それが出来ない。だから雲にも乗せられないんだ」
「こっちも同じことだ。オレたちは、お師匠様をお守りしながらついて行けばいいんだ。簡単に空を飛んでったって、お経はくださらない。苦しみを重ねていくから、頂くお経も尊くなるんだ」
「さすがは兄貴だ。お師匠様の教えをオレより長く受けたせいか、巧い事を言うわい」
 この時、魔物が様子を窺いに、ガバリと川から首を突き出した。
「それ、出たあ」
 二人は如意棒と熊手を振り上げたが、魔物はまたもぶくぶくと沈んでしまった。
 間もなく、からかうように、またまた首を出したが、へらへらと笑いながら沈んでしまった。それが何回も続く。
 悟空はいらいらして、頭を抱え込んだ。とうとう空へ上がって、観音様の所にお願いに走った。
 観音様はお弟子の恵岸(えがん)を呼ぶと、袖の中から一つの赤い瓢箪を取り出して渡した。
「恵岸、これを持って悟空と一緒に、流沙河へ行きなさい。呼べば川の中から沙悟浄が出てきますから、三蔵の弟子にさせなさい。そして沙悟浄が首に下げた九つのしゃれこうべをつないで、その真ん中へこの瓢箪を置けば川を横切る船が出来るでしょう」
「かしこまりました」
 恵岸は悟空と一緒に雲を飛ばして、流沙河の上に来た。川へ向かって厳かに声をかけた。
「沙悟浄、経を取る人がここに来ておるのに、なぜ心を改めて出てこないのか?」
 ザブザブと水が大きく動いて、魔物がぽっかりと姿を見せた。恵岸を見ると、さも嬉しそうにニコニコ笑って、礼をしながら進んできた。
「お経を取る人は、どこにおられますか」
「そこの丘に座っておられる」
「ははっ」
 沙悟浄は、悟空と八戒を横目でにらみながら、三蔵法師の前に両手をついて挨拶をした。
「お経を取るお方とは知らずに、先ほどからの失礼、どうぞお許しください。長い間川の底でお待ちいたしておりました。何卒、西方へのお供をさせて下さい」
「今までの悪さをやめ、心から仏様の弟子になるか」
「教えに従います」
「あそこにいる二人は、右が孫悟空、左が猪八戒という、私と一緒に経を取りに行く弟子である。ただいまから兄弟の約束をして、ともに仲良く心を合わせて、私の力となってほしい」
「ははっ」
 三蔵法師は、這いつくばっている沙悟浄のざんばら髪をくりくり坊主にそり落として、お弟子にした。
「その首輪を外して、早く船を作りなさい」
 悟浄は首にかけたしゃれこうべを取り外して、縄でつないだ。その中に真っ赤な瓢箪を置くと、たちまち広がって、幾人も乗れる大きな船のようなものになった。
 三蔵法師は岸へ下って、瓢箪の上に身を乗せると、ふわりっと浮いて気持ちが良い。
 八戒と悟浄は、三蔵法師の両側に付き添った。
 悟空は馬を引いて、法師の後ろに従った。
 恵岸は雲の上から守って、船は流沙河に乗り出した。見る見るうちに矢のように走って、たちまち向こう岸に着いた。
「では、さらばじゃ」
 恵岸は全部の者が無事に岸へ上がるのを見届けると、川の流れから瓢箪を取り上げた。途端に九つのしゃれこうべは、溶けて崩れて、川から舞い上がった埃のようになって吹き飛んでしまった。
 恵岸は雲に乗って遠く帰っていった。
 三蔵法師達は、その後姿を拝んで、いつまでも岸辺に立ち尽くしていた。
 こうして、旅は四人になった。
 西へ西へと進むうちに、月日は目に見えない風のように流れて、落ち葉が散り、雪が降り、花が咲き、夕立の後に七色の虹が、山から山へ大きくかかったりした。
 ある日の夕暮れ。山は青く、水は清く、絵にかいたような美しい峠にたどり着いた。
 峰伝いに登っていくと、林の中に、高く低く屋根を並べて、厳かに広がった大きな寺が見えてきた。万寿山五荘観(まんじゅさん・ごそうかん)という名高い寺である。
 寺の和尚さんは鎮元大仙(ちんげんたいせん)と呼ばれている仙人で、その日の朝、用事があって四十八人の弟子たちを連れて寺を出た。出る前に、二人の小坊主を呼んで注意した。
「留守中に、大唐の三蔵法師が尋ねてくると思う。丁寧にもてなしなさい。だが、弟子の中にいたずら者がいるから気を付けよ」
「はい、承知いたしました」
 日暮れの頃、その三蔵法師達の一行が、一晩泊めて頂きたいと現れた。二人の小坊主は、三蔵法師を大広間に案内して、悟空達三人をつぎの間に通した。そして法師の所へ、お茶とお菓子を運んできた。
 法師は盆に乗せられてきた二つのお菓子を一目見ると、腰を上げて驚いた。
「ややっ、これは、赤ん坊の蒸し焼き。寺で人間を喰わせるとは恐ろしい」
 小坊主たちは笑った。
「いいえ、違います。これは人参果と申しまして、木の枝に実る果物で御座います。この万寿山だけに実るもので、三千年目に一度花を開き、また三千年目に実を結び、次の三千年目に、ようやく熟してこのように食べられるものになります。けれども、実は、たった三十個しかなりません。形は御覧の通り生まれたての赤ん坊の姿とそっくりですが、一つ食べれば四万七千年も長生きが出来る宝の果物で御座います。召し上がって下さい」
 小坊主たちがどう勧めても、三蔵法師には、その形がむごたらしくて食べる気が起こらない。
「では、わたくし達が頂いてもよろしゅう御座いますか」
「どうぞ」
 二人の小坊主は喜んで、人参果をうまそうに一つずつ食べてしまった。
 隣の部屋で、悟空達がこの話を聞いたり、人参果をのぞき見してしまった。
「我々も、一つずつ食べようじゃないか」
「待ってろ。期から叩き落してくる」
 悟空は庭へ忍び出ると、野菜畑の向こうに小さな門がある。門を入ると、高さ千尺、太さ七、八丈もある一本の大木が、天に枝葉を茂らせている。
 悟空は木の下に立って見上げると、実の形は全く赤ん坊がぶら下がっているようで、尻の所にヘタがついている。風が吹くと頭や手足を動かして、踊り遊んでいるように見える。
 悟空は木の根元に立てかけてある金の棒を握って、幹へよじ登った。その棒で人参果を三つ叩き落して、抱えて部屋へ逃げ戻って来た。
「これが宝の人参果だ。さあ食ってしまえ」
 三人はかぶりついた。同時にひと声叫んだ。
「うまい!」
 声が大きすぎた。隣の部屋の小坊主たちの耳に入った。
「はてな、まだ何も差し上げていないのに」
 と、隣の部屋を覗くと、人参果の香りがプンプンと漂っている。しかも三人が満足そうに口を拭っている。
 これは怪しいと、二人の小坊主は人参果園へ走った。人参果取りの棒が倒れていて、実の数が三つ足りない。
 小坊主達は青くなって震えた。走り戻ってきて、三蔵法師を囲んで罵った。
「お前さんの弟子たちは大泥棒だ」
 三蔵法師は、何のことやら訳が分からない。そこで弟子たちを呼んで聞きただしたが、三人とも最初の内は、食べぬ、知らぬと言い張っていたが、ついに悟空が白状した。
「三人が、一つずつ人参果を食べました」
 小坊主たちは、部屋の床板を踏み鳴らして怒った。
 三蔵法師がいくど詫びても許さない。
 悟空は小坊主たちの怒鳴り声に、耳が痛くなってきた。果物の三つぐらいで大騒ぎするなら、いっそのことどれも食べられないように、人参果の大木を押し倒してしまえと考えた。
 そっと一本の胸毛を抜き取ると、自分の身代わりに座らせておいて、人参果園に走った。如意棒で、根こそぎ人参果の木を突き倒してしまった。
「どんなもんだい。小坊主め、これで諦めがつくだろう」
 部屋へ戻って、身代わりの毛を胸に差し込んで、しおらしい顔つきをして座っていた。
 小坊主たちは怒鳴り疲れた。先ほどから悟空達が黙り込んだまま、うんともすんとも言わずにじっと座り込んでいるので、自分たちの実の数え方が悪かったのかと、心配になって来た。
「枝は高く、葉は茂っているから、数え違いかもしれない。もう一度、確かめに行こう」
 行ってみると、世界に二つとない宝の木は、ああ、痛ましや、情けなや、太い根っこが上向きに、空を蹴り上げてぶっ倒れている。
 小坊主たちも、倒れて死にたくなった。
「この気ち○い共、ここへ入っていろ」
 三蔵法師をはじめ、三人の弟子たちを薄暗い一部屋に押し込めると、外から錠をかけて、泣きながら自分たちの部屋へ行ってしまった。
 三蔵法師は悟空を恨んだ。
「お前は、なぜ大事件ばかり起こすのだ。宝の木まで倒すとは」
 騒ぎの内に、その夜の十五夜の月が、万寿山の上にゆらゆらと大きく昇った。
 悟空は立ち上がった。
「お師匠様、このままではお経を取りに行くことはとても出来ません。幸いに外は明るいお月夜。逃げるんです。さあ早く」
 口の中で呪文を唱えると、錠はかたりと落ちて、部屋の扉がぱかりと開いた。
「私は後から追いかけますから、西へまっすぐに馬で走って下さい。悟浄と八戒は、お守りしてつづけ」
 三人を逃がして、小坊主たちの部屋を覗いた。
 小坊主たちは、泣きくたびれて、二人とも机にもたれて眠っている。
 悟空は胸毛を抜き取ってかみ砕いた。ぷうと吹くと、眠り虫に変わった。ブンブンと小さく羽を鳴らして、小坊主たちの頭や背中に飛びついた。
「これで良し、逃げろ」
 自分に号令をかけて、お師匠様の後をまっしぐらに追った。
 十五夜のまん丸い月が、万寿山の頂上に上がった。その頃、鎮元大仙は、四十八人の弟子たちを連れて寺に戻って来た。
 見ると、山門は開けっ放しで、仏壇の線香は消え、留守番の小坊主たち二人は、机にもたれて眠りこけている。ゆすっても起きない。
「ははあ、誰かに術をかけられたな」
 大仙は呪文を唱えて、口に水を含むと、小坊主たちの頭の上にぱっと吹っ掛けた。
 二人は目を覚ました。きょろきょろしながら、大仙や兄弟子たちに囲まれているのに気が付くと、わっと大声をあげて泣き始めた。
「お師匠様、お友達のお方は、大泥棒の大変な奴で御座います」
 と、今日の出来事を悔しがって話した。
「そうか、そうか。泣かんでもよい。その猿のような奴は孫悟空と言って、天上を騒がした大変な奴だ。しかし、人参果の木を根こそぎ倒して逃げるとは、このままでは済まされぬ」
 大仙は雲に乗って、三蔵法師の後を追いかけた。
 間もなく、青い月あかりの並木道を、西へ西へと走り逃げていく四人の姿が、空の上から小さく見下ろせた。
 大仙はその前へ飛び降りて、道をふさいだ。
「宝の木を押し倒して逃げていくのは、お前たちか?」
 悟空は返事もしないで如意棒で打ちかかった。
 大仙は身をかわすと眉を吊り上げて、袖裡乾坤(しゅうりけんこん)という難しい術を使った。その術は、天地さえも小さくして袖の中に隠し入れてしまうという大変な術である。
 悟空達は、あっと叫ぶ暇もない。
 見る間に五寸ほどの人形のような小さな姿に変えられて、四人とも大仙の袖の中にさらわれてしまった。
 大仙はそのまま雲に乗って寺へ戻ると、悟空達を袖の中からつまみ出して、一人一人柱に縛り上げた。そして元の大きさに戻して、弟子たちに命令した。
「思い切り鞭で打て」
 一人の弟子が、竜の皮で作った鞭を振り上げて、大仙の顔を見た。
「誰から打ちますか?」
「師である三蔵法師から打て」
 悟空が慌てて遮った。
「先生ともあろう者が、それはおかしい。果実を盗んだのも、木を倒したのも、この私である。何で私を先に打たないのか」
「盗人のくせに、言う事だけはしっかりしておるな。では、こやつから打て。人参果の数だけ、思い切り三十打て」
 弟子が悟空のももを狙った。
 悟空は狙われた足に、素早く呪文をかけて、鉄に変えた。ビュウビュウと打ち下ろす三十の鞭を受けたが、痛さは少しも感じない。
「次に三蔵を打て、弟子の躾は師の責任だ」
 悟空がまた口をはさんだ。
「これもおかしい。果物を盗んだのは、お師匠様の教えを破って、私達三人が勝手に相談してやった事だ。お師匠様が知らない内に、私が叩き落したのだ。この私から打て」
「この猿め、ずる賢いわりに、師を守る礼儀だけは知っておるな。では、またこいつを打て」
 再び悟空のももに鞭が振り下ろされた。
 やはり、痛くもかゆくも感じない。
「こいつめ、我慢強い奴だ。三十ずつ、一人一人打っていては時間がかかる。油を煮立てて、四人一緒に放り込んでしまえ」
 大なべが庭に運び出されて、ぐらぐらと油が煮えくり返った。
 弟子がまた尋ねた。
「まず、誰から投げ込みましょうか?」
「三蔵から放り込め」
 悟空が大笑いしてからかった。
「わっはっは、油鍋ぐらいで死ぬような我々と思うか。抜き手を切って泳いでみせるぞ。やい、信じられまい。嘘だと思うなら、オレ様を先に放り込んでみろ」
「そうか、泳ぐというのか。では泳いでみせろ」
「じゃあ、縄を解いてくれ。それから、素っ裸になるから、ちょっとの間後ろを向いてくれ」
 弟子たちが綱を解いて、後ろを向いた。
 悟空は身代わりに、石の狛犬を置いた。
「さあ、オレを担いで放り込め」
 叫んで空中へ飛び上がって、様子を眺めていた。
「ややっ、小さいくせに、こいつは重いぞ」
 五人、十人、十五人、二十人がかりで、ようやく悟空を担ぎ上げ、鍋の中へ放り込んだ。
 ザブーン、ゴゴ、ゴゴ、ゴゴウ。
 鍋の底は抜け落ちて、油が燃え広がった中に、大きな石の狛犬が一つひっくり返っている。
 大仙が笑って、見えない悟空に呼び掛けた。
「悟空、見事だ。出てこい。師を思うお前の心はまことに立派である。褒美として皆の縄を解いてやろう。だが、今度の悪戯は、少し乱暴すぎやしないか。人参果の木は枯れたぞ。あの木を元通りにしてくれさえすれば、仲直りをして兄弟の約束をしても良いぞ」
 悟空が空中から飛び降りてきて、かしこまった。
「先生が、お師匠様の縄さえ解いて下されば、木を元通りに致します。三日間の内に、必ず治してお目にかけます」
 大仙は頷いて、三蔵法師達の縄を解いた。
 悟空はお師匠様に、二日間のお暇を頂きたいと願うと、三蔵法師が尋ねた。
「お前はどこへ行って、枯れた木を治す薬を捜すつもりだ?」
「はい、東洋大海の三つの島には、良い薬があると昔から言われています。その島々にある十か国を走り回って捜します」
「気を付けて行けよ。悪さをするなよ」
「はい」
 悟空は觔斗雲に乗ると、流れ星よりも速く飛び出した。
「まず、福、禄、寿という三人の年をとった神様がいる、蓬莱山へ行って尋ねよう」
 蓬莱山では、景色のいい松の木の下で、三人の神様が碁を打って遊んでいた。
 悟空はさっそく尋ねたが返事は悲しかった。
「私達は、鳥、獣、虫、魚などを生き返らせる薬は持っているが、人参果の木は世界一の宝の木で、一度枯れたら生かす方法は無い」
 悟空は仕方なくまた雲を飛ばして、方丈山(ほうじょうざん)へ走った。ここには東華帝君(とうかていくん)という偉い神様がおいでになる。
 悟空は東華帝君に尋ねたが、やはり薬は無かった。
「私は人間の魂を生き返らせる薬や、普通の木なら、どのような木でも生き返す薬は持っている。だが万寿山のあの木は、天地が出来始めると同時に生まれた木で、それを生き返らせる薬は無い。どこを捜しても無いだろう」
 悟空は二日の間食事もとらないで飛び回っている内に、三日目の朝になった。
 薬はどこを捜しても、全く無かった。もうだめだと、觔斗雲の上にぼんやりと腰を下ろしている内に、観音様がお持ちになっている甘露水の事が思い浮かんだ。
「甘露水をかけたら、黒焦げになった木が生き返ったという話がある。そうだ。こうなったら、甘露水をお願いしてみよう」
 悟空は疲れ切って、よたよたと雲を飛ばして観音様にお目にかかった。訳を話して甘露水をお願いした。
「そのような事なら、島々などを飛び歩かずに、早く来れば良かったのに」
 と、観音様は悟空を慰めると、一緒に雲に乗って、五荘観の上に飛んでこられた。
 悟空は雲の上から大声で知らせた。
「観音菩薩がおいでになりました。謹んでお迎えを」
 大仙も、寺中のお弟子も、三蔵も、悟浄も、八戒も、寺の内から転がり出るようにしてお迎えした。
 倒れた人参果の木を、悟空、八戒、悟浄の三人が、力を合わせて抱え起こし、元の場所へ埋め直した。
 観音様はその上から、瓶の中の甘露水を、楊柳の枝につけて、さらさらさらりとおかけになった。
 見る見るうちに、しおれた葉は緑に生き返って、地に落ちたしなびた人参果も、つやつやと枝に実った。
「ああ、ありがたや。生き返った」
 大仙は大喜びである。いくつかの実を弟子たちに打ち落とさせて、観音様はじめ、その場にいた人々にご馳走をした。
 三蔵法師は、今度は宝の実と知って、有難く一つ頂いた。
 まもなく一同は、観音様のお帰りを見送って、寺の者も、三蔵たちも一緒になって、人参果祭りの大宴会が開かれた。




~つづく~

2020.06.24 いのちの綱

 今日はポリネシアの民話、『いのちの綱』です。

 では、さっそくスタート!


いのちの綱



 むかし、南の方のある島に、とても仲のいい若い夫婦がいました。
 貧しい暮らしでしたが、夫のエネエネも、妻のクララも、正直者で誰からも好かれていました。
 ある日の事……。妻のクララが、ヤシの実を捕ろうと大きな木に登りました。が、ちょっとの油断で足を滑らせ、真っ逆さまに落ちてしまいました。
 と、その途端です。地面が二つに割れて、その割れ目に入ったクララの身体は下へ下へと落ちていきました。
 どれだけ深く落ち込んだのか、止まったところは、地の底の死人たちの集まっている世界でした。
「おい、いい物が転がり込んできたぞ。久しぶりのご馳走だな。早く食べようよ!」
 と、死人たちは喜びました。が、
「でも、閻魔大王の許しをもらってから出ないと怒られるぞ!」
「それもそうだな。だったら逃げられないように、家の中に入れて、柱に縛り付けておこう!」
 という事で、死人たちはクララを家の中に運び込み、柱に縛り付けました。そして、盲目の老人に、見張り番をさせる事にしました。
 一方、地上の夫は、急に見えなくなった妻を捜して、あっちこっちと捜し回っている内に、地面の割れ目から死人の世界に落ちて言った事が分かりました。
(――これは大変なことになった。早く助けに行かないと、そのまま死んでしまうかも知れない)
 しかし、エネエネには、どうして死人の世界まで下りていけばいいのか見当もつきません。思い余ったエネエネは、村の人たちにわけを話して、力を貸してくれるように頼みました。
「そうか、それは気の毒な事だな。みんなで何とか、その方法を考えよう」
 そして、結局、村の人たちはみんなで、長い長い綱を作ることにしました。
 綱が出来ると、それを地面の割れ目から、下へ下へと垂らしてやりました。
「さ、もう死人の世界まで届いたろう。――いいかい、エネエネ! 登ろうと思う時は、この綱をぐいっと引いて合図をするんだよ!」
「はい、分かりました。では、お願いします!」
 どうしても妻を助けたいエネエネは、綱を伝わってどんどん下へ降りていきました。
 長い長い綱ですが、やっとのこと、死人の世界に降りることが出来ました。
 けれども死人の世界は、暗い迷路になっていました。どの道を行けばいいのか、妻がどこにいるのか、見当もつかないエネエネは、足に任せて歩きました。でも、帰る時の目印に、用意に持ってきた綿をちぎって、所々に置いて歩いました。
 どれだけ歩いた事でしょうか……。やがて、ほんのりと明るくなっている場所に出ました。
 と、どこからともなく人の声らしいものが聞こえてきました。
「クララ、いるだろうな!」
 と、妻の名前を呼んでいる声です。そして、
「ええ、いますよ」
 と答えているのは、確かに妻の声でした。
 喜んだエネエネは、足音を忍ばせて、声の方へ行きました。と、大きな家があって、入口の戸は開いていました。
 エネエネはそっと、家の中を窺ってみました。すると、太い柱に縛り付けられている妻の姿が見えました。
(――やっと見つけたぞ!)
 けれども、少し離れたところに、盲目の老人が番をしています。
 盲目だから、時々名前を呼んで、いるのかいないのかを確かめているのでした。
(よし、番人は盲目なんだから……)
 エネエネは考えました。いったん家を出ると、そばにあるヤシの木に登って、たくさんの実を落としました。その実をいくつもいくつも老人の側に転がしてやりました。
 すると間もなく、たくさんのネズミが集まってきて、その実をガリガリとかじり始めました。その音がやかましいので、エネエネが少しぐらいの音を立てても、盲目の番人には悟られずに済みます。
「ちえっ、やかましいネズミどもだよ。――クララ、いるだろうな!」
 盲目の老人は顔をしかめながら、また、クララの名前を呼んで確かめました。
「ええ、いますよ」
 クララは答えています。
 エネエネは、そっと妻の側に行きました。
 妻は驚いて、危なく声を出しそうになりました。が、エネエネは素早くそのお口を押さえつけてから、耳へ口を寄せて言いました。
「助けに来たんだよ! ここから逃げ出すんだけど、お前は体が弱っていて、早く歩けないだろう。だから、二人が一緒に逃げだせば、すぐに捕まってしまうよ。それで考えたんだ。まずお前だけが出口の所まで行っていなさい。白い綿の落ちている道を辿って行けばいいからな!」
「あんたは、どうするの?」
「おれは、お前が出口に着いたと思う頃まで、ここにいるよ。そして、呼ばれたらお前の声を真似て、返事をしていて、その後、お前を追いかけるよ。いいな、早く!」
 柱の綱を切ってもらったクララは、弱っている身体でよろめきながらも、先に逃げ出しました。
 しばらく経って、
「クララ、いるだろうな!」
 盲目の番人は、また名前を呼びました。
「ええ、いますよ」
 エネエネは、クララの声を真似て答えました。
 それから、またしばらく経って……もうクララが出口のそばまで行った頃です。
 エネエネは、そっと家を出ると、後は夢中で走り出しました。
 綱のある出口の所に来ると、妻の方も、今やっと着いたばかりの所でした。
「いいかい。痛くても我慢するんだよ!」
 エネエネは、自分の身体と妻の身体を綱の端に結び付けると、その綱をぐいっと引きました。
 地上で待ち構えていた村の人々は叫びました。
「おいっ、合図があったぞ! さ、早く引き上げろ!」
 掛け声を合わせて、みんなで引っ張り始めました。
 一方、盲目の番人は、クララの声がしないので、その後は大騒ぎになりました。みんなで出口まで来た時は、二人の身体が見る見る上に登っていて、もうどうすることも出来ませんでした。
「お前が、とんまだからだぞ!」
 みんなで盲目の番人を叱りつけている所に、閻魔大王も来ました。
「なにっ、せっかくのご馳走を逃がしてしまったんだとっ!」
 大王は大声で怒鳴りました。
「へえ、こいつがとんまなもんで……」
「馬鹿もん! 大体、盲目に番人をさせておくお前たちがとんまなんだぞ! それにいつも、ここの大門を開けておくのがいけないんだ。生きている人間どもは頭がいいから、いつ、どんな奴が下りてくるか分からないぞ。この大門を閉めてしまえ!」
 閻魔大王の言葉で、死人の世界の大門は固く閉められてしまいました。
 ですから、その後、生きたままで死人の世界に入って行った人はいなくなりました。
 また、長い綱のおかげで夫婦の命を助けることが出来た村の人たちは、その綱を、いつまでも村の宝物にしていました。




~おしまい~

 今日はフィンランドの作家、トペリウスの童話から、『海から来た牝牛』です。

 では、さっそくスタート!


海から来た牝牛



 マッテ爺さんとマーヤ婆さんの家は、海岸の側に建っていました。
 二人は冬の間はそこで暮らしていましたが、春になると、もう一つの家へ出かけていきました。
 もう一つの家は、海の真ん中の小さな小さな島の上にありました。その島はアトラ島と呼ばれていましたが、“島”というよりは“大岩”と言った方がいいくらいでした。何しろ、あっと言う間に島を一回りできました。島に生えている木は、全部で四本でした。それから岩の割れ目に、ちょぼちょぼと、草が茂っていました。畑には、マーヤ婆さんが植えたネギが三本あるだけでした。
 マッテ爺さんとマーヤ婆さんのこの家は、小さな島の真ん中にありました。家と言うよりは、小屋と呼んだ方がいいでしょう。ドアには鍵がありません。長い木の枝をつっかい棒にして、戸締りをしました。小さな島の上の小さな小屋には、波が荒い日は、小屋のてっぺんに取り付けた風見がくるくる、くるくると回りました。
 マッテ爺さんとマーヤ婆さんは、春から秋にかけて、この小屋に住んで、毎日、漁をしました。この付近では、魚がよく捕れるからです。春は鮭、夏はニシン、秋はワカサギが網にかかりました。
 マッテ爺さんとマーヤ婆さんは土曜日になると、舟に乗って、町へ魚を売りに行きました。また、自分たちが冬の間、食べるために、鮭やニシンを塩漬けにしました。
 島は青い海の中に、ただ一つ、ポツンと浮かんでいました。波が荒い時には、何週間も舟を出すことが出来ません。目に見えるものは、海と空ばかりでした。訪ねてくる人もありません。
 それでもマッテ爺さんとマーヤ婆さんは、不平を言わずに暮らしていました。
 塩漬けの魚のタルが増え、お爺さんがパイプに詰めるほんの少しのタバコの葉と、お婆さんが飲むコーヒーがちょっぴりあれば、それで満足していました。
 マッテ爺さんとマーヤ婆さんは、プリンスという、名前だけは凄く立派な、やせた犬を飼っていました。
 プリンスは、お爺さんやお婆さんが魚を塩漬けにする時、それをカモメにさらわれないように番をしました。そして、ご褒美にはニシンの塩漬けをもらいました。プリンスは、ニシンの塩漬けが大好きでした。
 お爺さんとお婆さんと犬のプリンスは、小さな小さなアトラ島で、平和に暮らしていたのです。


 マーヤ婆さんは、アトラ島の暮らしに大体満足していましたが、一つだけ不満がありました。それで、時々つまらなそうな顔をしていることがありました。
(牝牛がいればねえ……。コーヒーに新しいミルクをたっぷり入れる事が出来るのにねえ……)
 マーヤ婆さんが、いつもコーヒーに入れて飲むミルクは、たまに町から買ってくるもので、古くなって、味が変わっていました。
 牝牛が一匹いれば、コーヒーに美味しいミルクを入れることが出来ます。甘いクリームも作れます。舌がとろけそうなバターも出来ます。
 マーヤ婆さんは、ミルクやクリームやバターが、この世で一番素晴らしいご馳走だと思っていました。
「ああ、牝牛が欲しいねえ」
 マーヤ婆さんは時々、独り言を言います。
「牝牛が一匹買えるくらいの金持ちになりたいねえ」
 すると、そばで網を繕っているお爺さんが言うのでした。
「町で牝牛を買うことが出来ても、どんな風にしてこの島へ連れてくるつもりだねわしらの小舟に牝牛を乗せてみろ。ひっくり返ってしまうぞ。それに、この小さな島で牝牛を飼うことが出来るかどうか、考えてごらん。岩の割れ目に生えている草など、一時間で無くなってしまうぞ」
「だって、この島には木が四本もあるじゃありませんか」
 と、マーヤ婆さんは言いました。
「ふふん、四本の木を食べさせて、それからお前が大事にしている三本のネギを食べさせるのかい。だが、その後はどうする」
「ニシンがあるじゃないの。ニシンで牛を飼えばいいんです。プリンスはニシンが好きですよ」
「牛にニシンをもりもり食われたら、わしがいくら網をうっても間に合わん。プリンスは、カモメに魚を捕られないように番をするし、牛ほどは食べないからね。婆さんや、もう、牝牛の事を言うのはやめなさいよ」
 マーヤ婆さんは黙りましたが、牝牛をあきらめきれませんでした。
(ああ、牝牛が欲しい……)
 いつもそう思っているマーヤ婆さんの心を、ますます掻き立てるような事が起こりました。
 ある日曜日の午後の事です。マッテ爺さんとマーヤ婆さんが、小屋の前の石段に腰を下ろしていると、そばにいたプリンスが沖の方を見て、わんわん、吠えました。
 綺麗な色に塗ったヨットが、帆をいっぱい張って、島に近づいてくるのでした。


umi-meushi-1.JPG


 ヨットの上には三人の若者が乗っていました。若者たちは、お爺さんやお婆さんを見つけると、何か叫びながら手を振りました。
 ヨットが島に着くと、三人の若者は飛び降りて、お爺さんやお婆さんの側へやって来ました。
「こんにちは。嬉しいですね。こんな小さな島にも家があるなんて……」
 白い帽子をかぶった若者たちは、人懐っこく笑いかけました。
「僕たち、学生です。夏休みにヨットに乗って、海を回っているんです。でも、食料が足りなくなったので、分けてもらおうと思ってこの島へ来たんです」
 一人の学生が、
「お婆さん、僕たち、牛乳を飲みたいんだけれど……。少し、分けてもらえませんか」
 と頼みました。
 お婆さんは、つまらなそうな顔で手を振りました。
「この島には、牛乳はありません」
「じゃあ、クリームを譲って下さい」
「クリームもありません」
 学生は島を見回して、
「そうか、この島には牛がいないんですね」
 と言いました。
 それを聞いたマーヤ婆さんは顔色を変えました。牝牛を持っていない事を馬鹿にされたような気がして、小屋に駆け込むとドアを閉めてしまいました。
 代わりにマッテ爺さんが返事をしました。
「牛はいないが、ニシンはあるぞ。どうだ、ニシンの塩焼きは……」
 学生たちは、
「すごいぞ!」
「お爺さん、それを下さい!」
 と頼みました。
 マッテ爺さんは火を起こすと、ニシンを五十匹くらい持ってきて焼きました。
 学生たちは、焼きあがったばかりの熱いニシンを、ふうふう言いながら食べました。
 五十匹のニシンは、学生たちのお腹の中に、一匹残らず収まりました。
 学生は、マッテ爺さんに、自分たちの持ってきたタバコの葉を勧めました。上等なタバコでしたから、お爺さんは大喜びで、自分のパイプが割れるほど、ぎゅうぎゅうと詰め込みました。
「お爺さん、この島は、なんという名前ですか」
 と、一人の学生が訊きました。
 マッテ爺さんはパイプをふかしながら、上機嫌で、
「アトラ島だよ」
 と答えました。
「へえっ、アトラ島! じゃあ、お爺さんは海の宮殿に住んでいることになりますね」
「どうして、アトラ島が海の宮殿かね」
 と、マッテ爺さんは訊きました。
「僕たちはフィンランドの古い伝説の本を読みましたがね、海の王が住んでいる海底の宮殿の名前がアトラというのですよ」
 学生たちは、海の王の話をしました。


 ――フィンランドの古い伝説に、アーティという海の王の話があります。アーティ王は海の底のアトラ宮殿に住んでいて、海の生物を支配しています。アトラ宮殿には珍しい宝物があり、美しい召使がいます。
 召使はアーティ王や、海の女王エラモーに仕えています。また、アーティ王はたくさんの牝牛と馬を持っています。牛も馬も海草を食べて、とても太っています。
 アーティ王は音楽が好きで、人間が舟の上で楽器を鳴らすと海底から上がってきて、じっと聞いているそうです。そして、気に入った人間には何でも気前よくくれます。しかし、ちょっとでも嫌なことがあると、人間を舟もろとも海の底に引きずり込んでしまうそうです――。


 学生たちは、こんな風にアーティ王の話をしました。
「アーティ王にうまく頼めば、何でももらえるそうですよ。本にそう書いてありましたよ」
「ふふん、それは昔々の話だろう。漁師仲間でアーティ王など見た人はいないよ」
 マッテ爺さんは信じられないといった顔つきで首を振りました。
「でも、ちゃんと本に書いてありましたよ」
 と、学生はまた言いました。
 それから学生たちは、お爺さんに塩ニシンのお礼を言い、銀貨を一枚渡しました。島に渡ってきた時と同じように、元気に手を振りながら、またヨットに乗り込みました。
 学生たちは、ヨットに残っていた小さな肉切れをプリンスに投げてやってから、島を出発しました。
 プリンスは肉切れを一口で飲み込んでしまい、遠ざかっていくヨットを名残惜しそうに見送っていました。
 さて、マーヤ婆さんは小屋の中で、お爺さんと学生たちの話を聞いていました。
(海の底の宮殿に、牝牛がいるんだって……? 本当かねえ……)
 マーヤ婆さんは、狭い部屋の中で立ったり座ったり、落ち着きませんでした。
(ああ……。もし、海の底の牝牛をもらえたら!)
 マーヤ婆さんは、学生たちが、海の王のアーティは気に入った人には何でもくれると言った事を思い出しました。マーヤ婆さんだって、牝牛をもらえないとも限りません。
(そうだ! 海へ出て、頼んでみよう。物は試しだ)
 マーヤ婆さんは、自分が子供の頃、近所の年寄りに教わった呪文を思い出しました。その呪文を唱えれば、船から投げた網に、たくさんの魚がかかるのだそうです。うまくいけば、魚の代わりに海の底の牝牛が捕れるかもしれません。
(とにかく、やってみよう)
 マーヤ婆さんは小屋に入って来たマッテ爺さんに言いました。
「お爺さん、今夜、舟を出しましょうよ」
 マッテ爺さんは驚きました。
「婆さんや、今日は日曜日だよ。日曜には仕事を休むものだ。欲張って働けば、ろくなことは無いぞ」
「でも、昨日は魚が取れなかったんですよ。今日は波が静かだし、こんな晩に網を降ろせばニシンがいっぱい捕れますよ。一回だけやりましょう。泥棒するわけではなし、日曜日に働いても、構うもんですか」
 マーヤ婆さんにせがまれて、マッテ爺さんは舟を出す事にしました。
 マッテ爺さんは島からだいぶ離れたところまで舟をこいでいくと、そこに網をうちました。
 マーヤ婆さんは口の中で、妙な文句をぶつぶつと呟きました。小さなときに覚えた呪文です。


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 マーヤ婆さんは呪文を唱え終わると、歌を歌いました。


   お恵み深い アーティ様
   お願いします アーティ様
   牝牛を一匹 くださいな
   太った牛を くださいな

   大金持ちの アーティ様
   お情け深い アーティ様
   宝は何も いりません
   私が欲しいのは 牝牛だけ


 これを聞いたマッテ爺さんは、
「何をブツブツ歌っているんだ」
 と、訊きました。
「放っておいてください。今が大事な時だから……」
 マーヤ婆さんは、舟の上から身体を半分乗り出して、海の底に聞こえるように歌い続けました。


   海の王様 アーティ様
   もしも牝牛を くださるなら
   お礼に上げます 銀の月
   金の太陽も あげましょう


「何を馬鹿な事を言うんだ」
 マッテ爺さんは、マーヤ婆さんの身体を舟の上に引き戻しました。
「日曜日の番、漁に出た事さえ恐ろしいのに、罰当たりな歌を歌って! もう、わしは嫌だ。網をあげて帰るぞ」
 マッテ爺さんは網を引き揚げました。網にはニシンがちょっぴりしかかかっていませんでしたが、マッテ爺さんは島へ舟をこぎ戻しました。
 マーヤ婆さんは網にニシンが少し入っているだけなのでがっかりしました。
 マッテ爺さんとマーヤ婆さんは島に戻ると、舟を岩の上に引き上げ、網をしまうのは明日にして、小屋に入りました。そしてベッドにもぐりこみましたが、二人はなかなか寝付かれませんでした。
 マッテ爺さんは、誰でも休む日曜日に働いてしまった事をくよくよ後悔していました。
 マーヤ婆さんは、呪文を唱えたり、歌を歌ったりしたのに、無駄骨折になったのが悔しくて眠れませんでした。
(どうしても、牝牛が欲しいんだが……)
 いらいらして、目がさえるばかりでした。
 その内に、小屋のてっぺんの風見がきいきいと軋み始めました。強い風が出て来たようです。
「婆さんや、風見がきいきい言っているよ」
 と、マッテ爺さんは言いました。
「波の音も強くなった……。どうやら嵐になるらしい」
「お爺さん、どうしましょう。波打ち際に網を置きっぱなしにしてきましたよ」
「早く引き上げよう。ぐずぐずしていると、波にさらわれるから」
 マッテ爺さんとマーヤ婆さんは、身支度をして外へ出ました。
 ビューッ――
 雨交じりの強い風が、二人の身体を壁に叩きつけました。お爺さんとお婆さんは慌てて柱にしがみつきました。
 海は荒れ狂っていました。波は夜目にも白い牙をむき、アトラ島にドシン、ドシンと寄せてきました。水しぶきは高く上がって、小屋の屋根にまでかかりました。
 マッテ爺さんとマーヤ婆さんは、頭からびしょ濡れになりました。網を取りに行くどころではありません。柱にしがみついていないと、波にさらわれそうでした。
「婆さんや、やっぱり罰が当たったじゃないか。日曜日に魚を捕ったりしたからだ。言わんこっちゃない!」
 お爺さんは恨めしげに叫びました。けれども、その声も雨と風と波の音に消されそうでした。
 マーヤ婆さんも牝牛どころではなくなって、
「お爺さん、お爺さん、もう、網の事は諦めて小屋の中へ入りましょうよ!」
 と、金切り声をあげました。
 二人は小屋の中に転がり込むと、ドアをしっかりと閉めました。
 小屋は風が吹くたびに、ぐらぐらと揺れました。
 マッテ爺さんとマーヤ婆さんは、ベッドにもぐりこみ、島の周りで荒れ狂う波の音を聞いていました。今にも屋根の風見をむしり取ろうとするように、吹きまくる風の音に耳を澄ませていました。小さなアトラ島は、泡立つ波の中に沈んでしまいそうでした。
 その内に、マッテ爺さんとマーヤ婆さんは、色んな事で気をもんだ疲れが出てきました。ゴウゴウと唸る荒らしの音を聞きながら、いつの間にか眠ってしまったのです。


 あくる朝、マッテ爺さんとマーヤ婆さんが目を覚ますと、空は晴れ渡り、太陽がまぶしく光っていました。昨夜の嵐が嘘のようでした。
 青い海の向こうから、白い波がしらが後から後から寄せてきました。
「あれは何かしら……」
 マーヤ婆さんは不思議なものを見つけました。
 沖から寄せてくる波に乗って、茶色の獣らしいものが島に近づいてくるのでした。
「アザラシかな……」
 マッテ爺さんは、額に手をかざして眺めました。
 茶色の獣は波と一緒に岸に打ち上げられました。そして、水の中から全身を現しました。
 マーヤ婆さんは、自分の目がどうかしたのではないかと思いました。身体から海水を滴らせながら、一匹の牝牛がのしのしと島に上がって来たのです。
「牝牛だ、牝牛だ! どうしよう! どうしよう!」
 と、マーヤ婆さんは叫びました。
 水に濡れた毛がつやつやと光り、よく肥えた立派な牝牛でした。牝牛はゆっくりと歩いてきて、マーヤ婆さんの前に立ち止まりました。
 マーヤ婆さんは椅子にぶつかったり、テーブルをひっくり返したりしながら、バケツを持ってきました。そして、牝牛のお乳を搾りました。

   シュッ シュッ
        シュッ シュッ

 白いお乳が、バケツにほとばしりました。お乳はいくらでも出ました。マーヤ婆さんは鍋やボウルやコーヒーのコップまで持ち出しました。家じゅうの入れ物をいっぱいにしても、まだお乳は出ました。


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 マッテ爺さんとマーヤ婆さんは搾りたての牛乳を飲みました。とろりとした、濃い牛乳でした。その美味しい事!
「有難い! 有難い!」
 マーヤ婆さんは牝牛の背中をなでたり、泣いたり笑ったりしました。
 マッテ爺さんは、牝牛がどこから来たのかと首をひねりながら、波打ち際に行ってみました。
 すると、昨夜、嵐のために流されたとばかり思っていた網が、元の所にありました。網の中にはたくさんのニシンが入っていました。
 アトラ島に牝牛が来てから、いい事ばかりが続きました。
 マッテ爺さんが舟を出すたびに、網が破れるほどのニシンが捕れました。マッテ爺さんは手伝いの男を二人雇ったほどでした。いつも舟が沈みそうなほど、ニシンをいっぱい積んで島に帰ってきました。それを町へ持って行って売って、たくさんのお金を儲けることが出来ました。
 マーヤ婆さんは幸せそうにニコニコして、牝牛のお乳を搾り、クリームやバターを作りました。コーヒーに、美味しいミルクをたっぷり入れて飲みました。
 牝牛は海の中へ入って行って、海草を食べ、また島へ戻ってきました。餌の心配を全然しなくても済みました。
 秋の終わりに、マッテ爺さんとマーヤ婆さんが海岸の家へ引き上げようとすると、牝牛は海の中へ入って行きました。春が来て、アトラ島へ戻ると、牝牛も帰ってきました。


 次の年も、アトラ島では魚がたくさん捕れました。マッテ爺さんは去年と同じように、召使を二人雇って忙しく漁をしました。魚の塩漬けがいっぱいになり、しまう所も無いほどでした。
「お爺さん、召使もいる事だし、もっと大きな家を建てましょうよ。そして、魚をしまう小屋を作りましょう」
 と、マーヤ婆さんが言いました。
 マッテ爺さんは、今までの倍ほどの家を建てました。側に魚をしまう小屋も作りました。
 魚はますますたくさん捕れたので、召使を四人に増やしました。魚の塩漬けを方々の町で売ったうえ、遠い外国まで送り出しました。
「ねえお爺さん、お手伝いさんを一人、雇いたいのだけれど……」
 と、マーヤ婆さんは言いました。
「家も広くなったし、召使のぶんだけ、余計に牛乳を搾らなければならないんですからね。私一人では忙しすぎますよ」
 マッテ爺さんが承知したので、マーヤ婆さんは、町からお手伝いさんを一人連れてきました。
 お手伝いさんがよく働くので、お婆さんは仕事がとても楽になりました。
 けれども召使が増えたので、今度は、朝みんなで飲む牛乳が足りなくなりました。
「お爺さん、牝牛を四匹に増やしたいですね。一匹の牛のお乳では足りませんよ。一匹飼うのも、あと三匹増やして世話するのも、手間は同じですからね」
「お婆さんの好きなようにしなさい」
 と、マッテ爺さんは言いました。
 マーヤ婆さんは日曜日の夜、沖へ小舟をこぎ出しました。そして、呪文を唱えてから歌いました。


   お情け深い アーティ様
   今度も 牛を くださいな
   あなたは千匹 牛を持つ
   私は三匹 欲しいだけ


 あくる朝、マーヤ婆さんが外へ出てみると、海から三匹の牝牛が出てきました。
 それからは、朝の牛乳を、みんなでたっぷりと飲むことが出来ました。
「婆さんや、これで文句はないだろう」
 と、マッテ爺さんはからかいました。
「私は牝牛を四匹持つ金持ちの奥様らしい身なりをしているでしょうか。町で立派な服を買ってきたいんですよ。お手伝いさんも、あと五人ほど頼んでみますよ」
 マーヤ婆さんは町へ行って、飾りのついた服を買い、新しいお手伝いさんを五人連れて帰りました。
「召使が増えたので、この家も狭くなりましたね。二階建ての家を作りましょう。そして離れも建てましょう。町から音楽家を連れてきて、バイオリンを弾かせながら食事をしましょう。それからね、町へ買い物に行くときは、モーターボートに乗って行きたいわ」
 マッテ爺さんはマーヤ婆さんの言う通りにしました。


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 マーヤ婆さんは海の見えるソファーに座って、音楽家にバイオリンを弾かせながら食事をしました。犬のプリンスにも、上等の肉をやりました。プリンスはニシンの樽のように丸々と太りました。
 マーヤ婆さんは、またこんなことを言い出しました。
「こんな立派な家に住んでいるのに、牛が四匹とは情けないわ。あと三十匹は欲しいわね」
 マーヤ婆さんは日曜日の夜、モーターボートに乗って、沖へ行きました。
 そして呪文を唱えながら、歌いました。


   お礼に上げます 月の銀
   太陽の金も あげましょう
   私が今度 欲しいのは
   三十匹の 牝牛です


 マーヤ婆さんは、深い海の底のアーティ王に聞こえるように、繰り返して歌いました。
 あくる朝、外へ出てみると、アトラ島は牛で一杯でした。三十匹の牝牛が海から上がって来たのです。
 ところが困ったことになりました。小さなアトラ島に、人間とたくさんの牝牛がギュウギュウ詰めになりました。誰かが動けば、岸にいた人がこぼれ落ちそうでした。
 マーヤ婆さんは、マッテ爺さんに相談しました。
「この島は狭すぎますね。もっと広げたいのだけれど」
「海の水を、ポンプで汲みでしたらどうだい。嫌と言うほど広くなるよ。わしの舟に積んであるポンプを使ってもいいよ」
 と、お爺さんはからかいました。
「お爺さん、冗談を言わないで下さい。一生ポンプで汲み出しても海の水は無くならないでしょうよ。私は自分でやります。島の周りに石や土を投げ込めば、陸になって、島が広くなりますからね。おじいさんが手伝ってくれなくても、召使たちにさせますよ」
 マーヤ婆さんは、召使たちを指図して、舟にたくさんの石を積み込みました。
 贅沢な癖がついたマーヤ婆さんは、音楽家も一緒に乗せて、バイオリンを弾かせながら、舟を沖に出しました。


 舟の上の音楽家が弾くバイオリンの調べは、海の底のアトラ宮殿まで届き、音楽の好きな海の王のアーティ王や、エラモー女王の耳に入りました。
 アーティ王とエラモー女王は召使を連れて、海面近くまで上がってきて、バイオリンの調べを聞きました。
 アーティ王や、エラモー女王の金の冠は、水の中で日光に輝きました。
「おや、水の中でキラキラ光っているのは何だろう」
 マーヤ婆さんが見つけました。
「波が日光に輝いているので御座います」
 と、音楽家は答えました。
「そうかも知れないね。さあ、この辺に石を投げ込んでおくれ。どんどん、沈めておくれ」
 マーヤ婆さんは、召使たちに言いつけました。
 召使たちは大きな石を、
 ドボン、ドボン、ドボン。
 と、舟から海の中へ投げ込みました。
 波の下でバイオリンを聞いていた海の王や女王や、召使の上に、石が落ちました。海の王も女王も、石を避けることが出来ませんでした。
 一つの石は、海の女王のほっぺたに当たりました。もう一つの石は、召使の鼻をもぎ取りました。特別大きな石が海の王の顎にぶつかり、ひげの半分をむしり取って沈んでいきました。
 海はぐらぐらとお湯が煮立ったような騒ぎになりました。
 大きな波が、マーヤ婆さんが乗っている舟を揺すぶりました。
「おや、どうしたんだろう。どこから風が吹いてくるのかしら」
  マーヤ婆さんは船べりにつかまって、ぐらぐら波がたっている海を覗きました。すると、悪魔の舌のような大波が巻き上がり、マーヤ婆さんの乗った舟を飲み込んでしまいました。
 マーヤ婆さんの身体は、海の底へ底へと、ぐんぐん沈みました。
 マーヤ婆さんは夢中でもがいて、海の上へ浮かび上がりました。棒切れのようなものが手に触ったので、それにつかまりました。音楽家が海に落ちた時に放り出したバイオリンでした。
 マーヤ婆さんはバイオリンにつかまって、浮いたり沈んだりしていました。
 すると、そばの海面から、ひげが片っぽ取れてしまった妙な男が顔を出して、マーヤ婆さんを睨みつけました。
「恩知らずめ、なぜ海に石を投げ込んだ! わしはお前が欲しいと言うだけ、牝牛をやったではないか!」
 と、ひげが半分の男は怒鳴りました。
「あなたはどなたですか!」
 マーヤ婆さんは、バイオリンにつかまったまま訊きました。
「海の王アーティだ。お前が投げ込んだ石が、わしのひげを半分むしり取ったぞ。悪い奴め!」
「アーティ様、お許しくださいまし。あなたがこんな所にいらっしゃるとは存じませんでした。おひげの取れたところには、熊の脂をお付け下さいまし。おひげは熊のように、ふさふさと生えましょう」
「バカめ! 牝牛もやったし、魚も捕れるようにしてやったのに、太陽の金と、月の銀を寄こさぬではないか。どうしたのだ!」
「まあ、アーティ様、月の銀と太陽の金は、もうお届けしてあります。朝になれば太陽が昇って、金の光を海に投げます。夜は月の銀の光が海に落ちます。それが、太陽の金と月の銀です」
「よくも、わしを騙したな!」
 アーティ王は、マーヤ婆さんがつかまっていたバイオリンを、力いっぱい突き飛ばしました。
 バイオリンは、お婆さんを引っ張って、ロケットのように、波の上をすっ飛んでいきました。そして、アトラ島にどかんとぶつかりました。


 お婆さんはびしょ濡れになって島へ上がりました。
「おや、プリンス、どうしたの」
 犬のプリンスが波打ち際で、がつがつとカラスの骨をかじっていました。酷く痩せこけていました。
「あっ、お爺さん!」
 マッテ爺さんは、風見がくるくる回っているぼろ小屋の前の石段に座って、破れた網を繕っていました。擦り切れて、継ぎだらけの服を着ていました。
 マーヤ婆さんは、バイオリンを持ったまま、マッテ爺さんの側へ行って、
「お爺さん、二階建ての家はどうしたの? 召使は? それから、牝牛たちは……」
 と訊きました。
 網を繕っていたマッテ爺さんは顔をあげると、
「婆さんや、どうしたんだ。ずぶ濡れになって」
 と訊きました。


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「それより、二階建ての家はどこへ行ったの。それから、牝牛は……」
 マッテ爺さんは気の毒そうにお婆さんを見つめました。
「婆さんや、もう朝だ。寝ぼけてはいけないよ。わしはお前よりも早く起きて、網を繕っているんだ。昨夜の嵐で網が破れたからね」
「お爺さん、私の牝牛はどうしたんですよう」
「お婆さん、もう、牝牛の事は諦めなさい。昨日、学生さんの話を聞いてから、お前は少し変になったよ。無理やり舟を沖へ出させて、妙な歌を歌ったりして……。昨夜はまた、牝牛の夢でも見たらしいな」
「夢じゃありません。この島に牝牛がいっぱい居たんです。アーティ王にもらったんです。私、アーティ王に会いましたよ。ご覧なさい。私の服は濡れています。海の底へ行った証拠ですよ。そして私が雇っていた音楽家のバイオリンも持っているし……」
「とんだバイオリンだな。棒切れじゃないか。お婆さんは寝ぼけて、海へ入ってびしょ濡れになったんだよ。溺れなくて良かった! 日曜日に魚を捕ると、ろくなことが無い。もう、二度とあんなことはしない方がいいな」
 と、マッテ爺さんは言いました。




~おしまい~

 今日はオーストリアの民話、『テオフラストウスと悪魔』です。

 では、さっそくスタート!


テオフラストウスと悪魔



「やあ、君は、今日も散歩だね」
 友達の一人に呼び止められて、テオフラストウス君は振り返りました。
「君も一緒に行かないかい。僕がこれから出かけるインスブルクの森は、素晴らしい所なんだがね」
 すると友達は、とんでもない、と言うように、慌てて手を振って言いました。
「だめ、だめ。君はあの森に悪魔がいるって事を知らないのかね」
「僕は聞いた事が無いよ」
「この間の事だ。ある人が、森を通り抜けているとね、変な声で呼び止められたという事さ。テオフラストウス君、君は散歩好きだが、あの森には近寄らない方がいいよ」
 そう言い残すと、友達は、テオフラストウス君に背を向けて、そのまま大通りの方に行ってしまいました。
「あんな意地悪を言って、僕をからかっているのだな」
 テオフラストウス君は、気にも留めないで、森へ続く道を歩いて行きました。そこは、毎日通っている学校の裏の森でした。
 丈の高いもみの木が、背比べするように両側から覆いかぶさっていました。
 テオフラストウス君は、今お医者様になる勉強をしています。悪魔がいるって事など、とても信じられないのです。
「もし僕に用があるのなら、悪魔くん、いつでも僕を呼び止めるがいいよ」
 森の中に入ると、一本のもみの大木の下に腰を下ろして、本を読み始めました。
 と、後ろで声がします。
「テオフラストウス君」
 と、自分の名を呼んでいるのです。
 まだ朝の時間なのに、森の中は薄暗いようです。
 テオフラストウス君は、その声のする木陰をそっと覗いてみました。
「誰かが悪戯をして、僕の名を呼んでいるのだな」
 あちらこちらと探してみても、人の影は見当たりません。
「おい、誰だ、僕の名を呼ぶのは」
 すると、後ろのもみの木の中から、声が聞こえているのでした。
「どうかお願いだ。僕をこの中から救い出してくれないか。この木の中に閉じ込められているのだよ」
「ところで一体、君は誰なんだい」
「僕の事を、みんなは悪魔と呼んでいる。が、本当はそんなものじゃない。救い出してくれれば、僕が誰だか分かるだろう」
 テオフラストウス君は、そこで考えました。
(木の中から救い出しても、僕に酷い事をしないだろうか)
 そこで、
「君を助けるには、どうするのかね」
 と、たずねてみました。
「君の右側にある、もみの木を見上げると、ほら、そこに十字架が三つついた、丸い小さな栓があるだろう。悪魔よけをするという男が、僕をこの中に押し込めてしまったのさ。そこに十字架がついているので、中からはその栓を外せないのだよ」
 テオフラストウス君は、右側にあるもみの木を見上げると、十字架の三つついた、丸い小さな栓がありました。
「なーるほど、確かに君の言う通りだよ。で、君を救い出すと、僕に何のお礼をしようと言うのだね」
「君の欲しい物を進呈しよう」
「僕は医者になろうと思っている。そこで、どんな病気にでも効く薬が欲しいね」
「よーし、承知した」
「もう一つは、なんでも好きなものを金に変える薬があるなら、それも欲しいね」
「いいとも、二つとも引き受けた」
「じゃあ、すぐ栓を抜いて、救い出してやろう」
 テオフラストウス君は、小刀を取り出して、もみの木の栓をぐらぐら動かし始めました。が、なかなか抜き取れません。
 ずいぶん時間をかけて、やっと、丸い小さな栓をほじくり出しました。
 すると、その穴から、一匹の真っ黒な蜘蛛がのろのろ這い出して、すーっと下に降りてきました。
 蜘蛛が地面に着くと、そこに、ひょろひょろした背の高い男が立っていました。
 男はテオフラストウス君に命令しました。
「さあ、後について来るのだよ」
(なるほど、こいつが悪魔なんだな)
 と思いながら、テオフラストウス君は、黙って後についていきました。
 やがて岩山の前に来ると、悪魔は手に持っていたはんの木の枝で、岩の表を叩きました。まるで扉の仕掛けがあるように、岩が両側に開いて、そこに入り口が出来ました。
「すぐ戻って来るからね。この入り口で待っていて欲しい」
 悪魔は岩の中に入って行きました。
 ところがいくら待っても出てきません。日が暮れてきて、日が出始めた頃、悪魔が岩の入り口から顔を出しました。
 両手に一つずつ小さな瓶を持っていました。


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「さあ、この右手の瓶の水が、何でも金に変えられる薬」
 その薬は、金色に輝いていました。
「こちらの左手の瓶の水が、どんな病気にも効く薬」
 その薬は、白い色をしていました。
「これで、君へのお礼は済んだ。今度は僕をもみの木に閉じ込めて、魔よけをした男をとっ捕まえて、仕返しをしてやらなきゃいけない。君も僕の後について、すぐインスブルクへ引っ返すかね」
 テオフラストウス君は、
(僕は悪魔を助けてやったために、悪魔を閉じ込めてくれた男が酷い目に遭うかも知れない)
 そう考えると心配です。
(そうだ、悪魔の力を利用して、あいつをふんづかまえてやろう)
 テオフラストウス君はこっそり計画を立てると、一緒にインスブルクへ戻りました。あのもみの木の前に来ると悪魔に言いました。
「君をもみの木に閉じ込めた魔よけの男は、よっぽど強いのだろうね。こんな小さな穴の中に、君の身体を押し込んだのだからね。それとも、君は蜘蛛の姿になれば、一人でこの穴に入れるのかい」
「悪魔の僕に、出来ない事は無いさ。ひとつ手並みを見せてやろう。小さな蜘蛛に姿を変えて、この穴に入るからね」
「君にそんな魔法が出来るなら、僕が貰った薬を二つとも返していいよ」
 悪魔はそれに返事もしないで、口の中でぶつぶつ呪文を唱えていましたが、
「さあ、見ていてくれ」
 と叫んだ途端、一匹の蜘蛛に姿を変えていました。
 蜘蛛はのろのろともみの木に這い登り、小さな穴に入って行きました。
 テオフラストウス君は、もみの木の側にあった栓を力任せにグイと穴に差し込みました。
 悪魔が騙されたと知った時には、もう出てくるわけにはいきません。
 テオフラストウス君は、線の上に十字架のしるしを書くと、もみの木を離れました。
「悪魔のくれたこの水は、魔法の薬なのか、一つ試してやろう」
 金の水を一滴、掌に垂らしてみました。手の上に金の塊が乗っていました。
 テオフラストウス君は、今度は帰り道で、道端にある一軒の小屋を見つけました。
 ベッドの上に一人の年寄りがいて、重い病気で寝込んでいました。
「お爺さん、僕はいい薬を持っていますよ。さあ、飲んでみて下さい」
 どんな病気にでも効くという白い水を、お爺さんの口の中に二、三滴たらしてやりました。
「ああ、とてもおいしい水だ」
 お爺さんはそう言ったと思うと、急にベッドに起き上がりました。今まで病気で寝ていたのが嘘のように、テオフラストウス君の所へ駆けよって、手を握りました。
「これで、私の病気はすっかりよくなりました」
 悪魔のくれた薬は、二つとも魔法の水でした。
 テオフラストウス君は、そののち学校を卒業すると、お医者さんになりました。そして時々、治りにくい病気にかかった人には、どんな病気にでも効く魔法の水で、病人を治してやっていました。
 もみの木に閉じ込められた悪魔はどうなっているのでしょう。
 あの辺りは、木を切ると雪崩が起こるというので、一度も木が切り出されたことはありません。
 蜘蛛の姿になった悪魔は、もみの木の中で、今でも
「ここから出してくれ」
 と叫び続けている事でしょう。




~おしまい~


 いかがでしたか?


 私はこれ、「どっちが悪魔やねん」てな感想でした。(^ ^;)

 悪魔もまた素直と言うかお人よしと言うか……。「悪魔は契約を重んじる」という事から騙されたのかも知れませんが、そもそも悪魔は『キリスト教以外の神』も含まれるので、彼もそんななかの一人だったのかな……とちょっと思いました。



 と言ったところで、今日はこの辺で。

 どうも。ではでは。

 今日は中津に戻って来てから、ヤマダ電機で『装動』の滅(二セット目)とSGプログライズキーのスティングスコーピオンを買って来ました。


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 何に使うかは、分かる人には分かって頂けると思います(笑)。


 それから、アメブロの方にもゼツメライズキーの簡単なまとめ記事を投稿してきましたので宜しければ、そちらも是非。


 さて、本文の方は西遊記セレクションの続きです。

 なお、前回はコチラ


 では、本文スタート!


第十二回 術くらべ



 大仙は、宝剣を風車のように振り回すと、呪文を唱えながら一枚のお札を燭台の火で焼き捨てた。続いて宝剣のつかで、カーンと勢いよく板を叩いた。
 見る見るうちに空の中ほどから、ヒュウヒュウと風が吹き始めた。
(この仙人め、本当に術を心得ているな)
 悟空はこう考えると、一本の胸毛を抜き取って身代わりを作った。三蔵法師の側に座らせておいて、自分は天上へ飛び上がって叫んだ。
「この辺の風の神は誰だ?」
 痩せこけた風婆が、まごつきながら風袋の口を押さえて出てきた。
 悟空は怒鳴りつけた。
「オレは斉天大聖だ。あの仙人と雨ごいの術くらべをしている所だ。あいつに力を貸してはいかん。あの仙人のひげ一本でも、風で動かしてみろ。オレの鉄棒を二十ぺんくらわすぞ」
「そんな事をされては、この細い腰の骨がすっ飛んでしまいます。もう吹きません」
「オレたちの番になって、オレが鉄棒を一度振り上げて合図をしたら吹くんだぞ」
「へい、へい、かしこまりました」
 ふと見ると、今度は雲の神が黒雲をばらまいている。
「やい、やい、何だってそんなものをまき散らすんだ」
「へえ、虎力大仙からのご命令が御座いました」
「やめろ。オレは天上で暴れ回った斉天大聖だ」
「ひゃあ、どうぞお許しください」
「オレが合図したら、黒雲をぶちまくんだ」
 下では八戒が、長い口を一層長くして、壇上の大仙をやじり始めた。
「おうい、大先生、降りろ、降りろ。風がひょいと吹いて、もう止まったぞ。雲がひょいと出て、もう消えたぞ」
 悟空は天上を飛び回って、雷神を呼び、雨の神を呼んで、竜王に大雨を降らしてもらう事までも打ち合わせをすまして、雲の上から地上に降りた。
 そして胸毛を元の場所に収めて、八戒と一緒に、代わる代わる大仙をやじり始めた。
「先生、どうした。雲もわかないし、雷も響かんぞ」
「そうだ、そうだ、全くだ。国王を騙していた、まやかし者だ。壇から降りたらどうだ、どうだ」
 虎力大仙は、今や汗まみれである。髪を振り乱してやたらと板を叩き続けているが、頭の上に太陽はかんかんと照り付けていて、仰ぐたびに眩しくて、くらくらと目眩がする。
「どうも、今日は竜神が留守のようでござる」
 はだけた着物を直しながら、きまり悪そうに壇上から降りて来た。
 悟空は三蔵法師の袖を引いて促した。
「お師匠様、壇の上にお上がり下さい」
「私は雨ごいの術など知りません」
「あの上でお経を読んでいればいいのですよ。後は私が引き受けます」
 三蔵法師は壇の上へ上がった。心を落ち着けて爽やかにお経を読み始めた。
 その声が静まり返った五鳳楼に朗々と響き渡って、天上では風婆達が聞きほれながら、斉天大聖から合図のあるのを待っていた。
(もう良かろう)
 と、悟空は合図の如意棒を振り上げた。
 ゴゴゴウ、ゴゴゴウと風が吹き始めた。
 壇上の旗がはためき、燭台も吹き飛ばされそうである。
 悟空は再び棒を振り上げた。
 西の空から渦を巻いて、飛ぶように黒雲が押し寄せてきた。
 悟空はまたも棒を振り上げた。続いて、もう一度振り上げた。雷が轟いて、天の底が抜け落ちたような大雨となった。


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「竜王どの、お姿を現したまえ」
 悟空は天に向かって大声で叫んだ。
 とどろく雷鳴、飛び散る稲妻と大雨の中に、竜王が身をくねらし、ひげを八方に振り立てて空中狭しと舞い始めた。
 国王も家来たちも、事の不思議さに、香を焚いて、がばりっとひれ伏して拝んでいたが、余りの恐ろしさに国王は、鳴き声に近い声をあげた。
「分かりました。竜王様、どうぞお引き取り下さい。日を改めて必ず祭礼を致して、お礼を申し上げまする」
 竜王は、空の奥へ消えていった。
 車遅国の城内は水浸しである。
 国王は、三蔵法師に謝った。
「これ以上降られては国が沈む。作物も流される。もうやめて下され」
 悟空が天上に合図をすると、全てのものがぴたりっと収まって、太陽がまぶしく照り始めた。
 それまで声一つ出さずに空を見上げていた虎力大仙が、ほっと溜息をついて、国王に申し上げた。
「坊主どもが、わずかな術を見せたからと言って、罪を許してはなりませんぞ。あの術が本物であるかどうかを、もう二つ三つ、術くらべをさせてお決めください」
「では、どのような術くらべが良いか?」
「五十ずつ二組に机を積み重ねて、机のてっぺんで座禅くらべをするのです。幾時間でも動かずに長く座っていた方が勝ちです。机のてっぺんに登るのには、手を使っても、はしごを使ってもいけません。どちらも、雲に乗って登るのです」
「それは面白かろう。やってみなさい」
 悟空は困った。
「お師匠様、わたくしは座禅が苦手です」
「そうか、私は二年でも三年でも平気だよ」
「では、わたくしが、そっと雲になって、お師匠様を机の上にお乗せしますから、お願い致します」
 家来たちが、机を五十ずつ右と左に高く積み上げた。
 虎力大仙は身をひるがえすと、雲を踏んで右側の机の上に座った。悟空は身代わりを置くと、五色の雲になって、三蔵法師を左側の机の上に乗せた。
 虎力大仙も三蔵法師も座ったまま、銅像のようにどちらも動かない。
「ひとつ、兄貴に加勢してやろう」
 こう言ったのは下から両方をじっと眺めていた鹿力大仙である、頭の毛を一本引き抜くと、指先でそっと弾き飛ばした。それが三蔵法師の頭の上に落ちると一匹の南京虫に変わって、法師のつるつる頭を噛み始めた。
 法師は痛いやら痒いやらで我慢が出来ない。けれども手を動かしたら負けである。首を縮めては、襟でこすり始めた。
(はて、お師匠様の様子が変だ)
 悟空は小さなハエに身を変えて飛び上がった。見ればお師匠様の頭に一匹の南京虫が食らいついている。摘まみ上げて、ひねりつぶして考えた。
(下の仲間の仕業だな。よし、こちらにも考えがある)
 急いで身体を七寸ほどのムカデに変えると、虎力大仙の鼻の穴にぶら下がった。力いっぱい鼻の穴を突き刺した。
「ひゃあ」
 虎力大仙はとんでもない大声をあげると、高く積み上げた机の上から、くるくるともんどりうって落ちてしまった。


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「それっ、大仙様が気絶なさった」
 役人たちが走り寄って、つぎの部屋へ担ぎ込んでいった。
 悟空は、また雲になって三蔵法師を降ろした。
「坊さまの勝ちだな」
 と、国王が声をあげた。
 すると鹿力大仙が進み出た。
「王様、虎力大仙は昔から血圧が高いので、目がくらんで落ちた事と思います。わたくしが代わって坊主どもの相手を致しましょう。恐れ入りますが、長持ちの中へ、どんな品物でも宜しゅう御座いますからお入れになって、わたくしと坊主どもの間に置いて下さいませんか。中の品物を当てましょう」
 国王は、お妃に何か入れさせて、その長持ちを家来たちが運んできた。
 悟空はさっそく小虫に身を変えると、板の合わせ目の隙間から長持ちの中へ忍び込んだ。中には朱塗りのお盆の上に、お妃の見事な着物と袴が乗せられてある。
 悟空はそれをくしゃくしゃに丸めて、つぎはぎだらけのマントに変えると、その上から小便をひっかけて這い出してきた。
 そして、三蔵法師の耳元へ飛んで行って知らせた。
「しわくちゃのおんぼろマント、と言って下さい」
 三蔵法師は頷いて、国王に答えようとすると、鹿力大仙が先に声をあげた。
「えへん、長持ちの中の品は、まことにきらびやかな着物と袴でござる」
「いえいえ、しわくちゃのおんぼろマントで御座います」
 三蔵法師の答えに、国王は怒った。
「我が宮中に宝物は山ほどあるが、ぼろマントなどは一着も無い。言葉を慎めっ!」
 だが、長持ちの蓋を開けてみると、ぷーんと嫌な臭いがする、ぼろマントが出てきた。
「誰だ。このような、むさくるしい物を入れたのは。よろしい。今度は私が入れよう」
 国王は奥へ入ると、辺りを見回しながら庭へ出て、ふっくらと実った桃の実を一つもぎ取って、長持ちの中へ入れた。
 悟空はまたも長持ちの中へ忍び込んで見ると、大好きな桃の実が、ぷんぷんと美味しそうに匂っている。
「これは美味そうだ。食べてしまえ」
 大急ぎで食べ終えて、種だけを残して這い出してきた。そして、またも三蔵法師の耳元へ飛び知らせた。
「桃の種とおっしゃって下さい」
 三蔵法師が答えようとすると、横から羊力大仙が先に答えた。
「おほん、中はお庭の桃の実でござる」
「いえいえ、食べ残された桃の種です」
 三蔵法師の答えに、国王はまた怒った。
「桃の種とは何事だ。長持ちの中には、いま私が庭からもぎたての、大きな桃が入っておるのじゃ」
 だが蓋を開けて見ると、桃の種がぽつんと一つ、長持ちのすみに転がっていた。
 国王は気味が悪くなった。何か目に見えない怪しいものが、坊さんたちに加勢しているように思われて、がくがくと膝が震えてきた。
 この時、息を吹き返した虎力大仙が、隣の部屋からのこのこと現れた。
「王様、あの坊主どもは、品物をすり替える術を知っているようです。今度は生きた人間を入れましょう。人間なら、すり替える事は出来ますまい」
 虎力大仙は、長持ちを隣の部屋へ運ぶと、仙人見習いの小さな子供を一人入れた。それを国王の前に担ぎ出して、いよいよ三度目の勝負を決めることになった。
 悟空はまたも長持ちの中へ虫になって入り込んだ。見れば、仙人見習いの子供が座っている。
 悟空は虎力大仙の姿に身を変えた。
 子供は、大仙がそばにいるので驚いた。
「先生、どこからお入りになりましたか?」
「こんなことは訳ない事だが。それよりも、あの坊主たちは、お前がここに入るところを見たらしい。すぐに当てられてしまうからこちらの負けだ。負けては困る。お前は髪の毛を剃って坊主になれ。あっちは仙人と言うし、こっちは坊さんと言うから勝ちだ」
 悟空は如意棒を剃刀に変えると、子供の髪の毛をジャリジャリとそり落としてしまった。着ている浅黄色の着物にぷっと息を吹きかけて、白い衣に変えてしまった。
 胸毛を二本引き抜いて、一本を木魚にして、一本をお経の本に変えた。
「これで立派に小坊主が出来上がったわい。仙人見習いと言われても出て来てはならんぞ。小坊主と言われたら、なんまいだぶ、なんまいだぶ、とお経の本を読みながら、木魚を叩いて出てくるのだぞ」
「はい」
 悟空はまたも小虫になって箱を出ると、三蔵法師の耳へ寄ってささやいた。
「小坊主とおっしゃって下さい」
 と言い終わった時、虎力大仙が大声で答えた。
「えへん、長持ちの中は、仙人見習いの子供である」
 続いて三蔵法師も答えた。
「長持ちの中は、お寺の可愛い小坊主です」
 答えと一緒に、長持ちの蓋を頭で押し開けて、小さな坊さんがなんまいだぶ、なんまいだぶとお経の本を片手に持って、ポクポクと木魚を叩きながら出てきた。
 国王も、並んでいた大勢の家来たちも、どっと声をあげて手を叩いた。
 三人の大臣たちはぽかんと口を開けたまま、呆れかえって声が出ない。その内に、虎力大仙がまたも申し出た。
「中身をすり替える事は、誰にも簡単に出来る事だ。今度は自分の首を斬り、腹を裂き、煮えくり返った油釜に身を投げ込まれても、笑っていられる術くらべをしたい」
「それだ、それだ。待ってました!」
 悟空が立ち上がって踊り出した。
 国王は気味悪くなって、もうやめたがよかろうと言ったが、三大臣たちは承知しない。仕方なく庭へ首切り台を置かせて、腹を裂く太刀を並べ、油釜を煮えくりかえさせた。
「では、まず、わたくしからやりましょう」


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 悟空は進み出て、首切り台の上に首を載せた。首切り役人が刀を振り上げて、やっと一声振り下ろした。
 悟空の首がころりっと落ちた。落ちた首を首切り役人がポーンと足で蹴ったので、首はスイカのようにころころと転がって、二、三尺先で止まった。けれども、首からも、胴体からも血は一滴も垂れない。
 まもなく、悟空の胴体から声がした。
「首よ、こいこい」
 この声を聞くと、鹿力大仙は大急ぎで、土地神に首を押さえつける事を命令した。
「首よ、こいこい」
 胴体がもう一度呼んだが、首は土地神に押さえつけられていて、根が生えたように動かなかった。
 悟空の胴体が苦しそうにもがいた。しばらくして、また声がした。
「伸びろ」
 声と同時に、首の切り口から同じ首が生まれて、悟空の胴体に伸びてきた。そして、ぴたりっと身体と首がくっついた。
 悟空はにっこり笑って、塵を払って立ち上がった。
「さあ、今度はお前さんの番だ」
 国王も首切り役人も、肝をつぶすほどぶったまげた。
「よろしい、わしがやろう」
 虎力大仙が、腕を振り振り出てきた。
 首切り役人が、またも一声叫んで切り下した。
 大仙の首が転がった。それを、ポーンと二、三尺先へ蹴り飛ばした。
 大仙の首からも、やはり一滴の血も出ない。
「首よ、こいこい」
 大仙の胴体もこう叫んだ。
 悟空は胸毛を抜き取ると、一匹の赤犬に変えた。
 犬は走っていって大仙の首をパクリッとくわえると、そのまま走って、宮中の堀の中へ、ザブーンと放り込んでしまった。
 いくど呼んでも首は戻って来ない。ついに大仙の胴体から、ぱっと真っ赤な血が吹きあがった。途端に見るも恐ろしい首の無い虎の姿に変わって死んでしまった。
 鹿力大仙が立ち上がって喚いた。
「あの坊主どもが魔法を使って親友を虎にしたのだ。さあ仇討ちだ。腹を裂いて、はらわたを引き出す術くらべをしよう」
「はい、はい。お待ちかねだ」
 悟空が上着を脱ぎ棄てて腹を突き出した。
 刀を持った役人が、さっと腹の上から下へ切り裂いた。腹にぽっかりと穴が空いた。
 悟空は両手を突っ込んではらわたを取り出すと、裏表を太陽にゆっくりとあぶって、元通り腹の中へ収めた。
 そして気合をかけた。
「伸びよ」
 切り口は両方から寄り集まって、切り傷も無く、元の腹になった。
 国王は恐ろしさに、もう耐えられなくなった。
「国内通過の手形を出すから、立ち去ってくれ」
「それは有難いが、相手の術も見せて頂きたい」
 鹿力大仙が、腹を突き出して進み出た。
「さあ、切れ」
 役人が、さっと切り裂いた。
 大仙は切り口に両手を突っ込んで、はらわたをつかみ出した。
 悟空は胸毛を一本抜いて、一羽の鷹に変えて放した。
 鷹は大仙の手の上にあるはらわたを爪に引っ掛けると、天空高く飛び去って行った。
 大仙の腹は空っぽのまま息が止まってしまった。そしてはらわたの無い一匹の鹿に変わって死んでしまった。
 一人残った羊力大仙が、喧嘩腰になって進み出た。
「またも魔法でオレの兄貴を鹿などに変えたな。もう許さぬぞ。釜に油を煮えくり返せ」
 役人が、大釜を指さした。
「はい、あのように、ぐらぐらと煮えくり返っております」
 悟空が大釜に近づいて、虎の皮のふんどしも何もかも脱ぎ捨てた。
「また、また、お先にごめん」
 ザブーン。
 泡を吹き上げてぶくぶくと煮えたぎっている油釜へ飛び込んだ。にこにこ笑いながら泳ぎ回っている。その内に悟空の身体が沈んで見えなくなってしまった。
 羊力大仙は大喜びである。
「馬鹿者め、とうとう溶けて消えたか。役人ども、何か残っていないか、ざるを入れてすくい上げてみろ」
 役人が、目の粗い鉄のざるを入れて、いくども釜の中を引っ掻き回したが、何も出てこない。
 三蔵法師や八戒たちは、目の色を変えてうろたえた。
「悟空はどうしたんだろう?」
「ついに、溶けてしまったのか?」
 心配しあっていると、釜の中のざるが跳ね上がって、その下から悟空が現れた。
「久しぶりにいい風呂につかったわい。少し泳ぎ疲れたので、釘になって釜の底で昼寝してきたよ」
 釜から飛び出して、ふんどしなどを身に着けだした。
「さあ今度は、仙人様の番だよ」
 羊力大仙が、勢いよく油釜に飛び込んだ。
「なるほど、ちょうどよい湯加減だ」
 中でジャブジャブ顔を洗い出した。
 悟空は不思議に思ってそっと油の中へ手を突っ込んで見ると、まるで水のように冷たい。
(ははあ、竜王の誰かに頼んだな)
 空中へ飛び上がって呪文を唱えると、北海竜王が現れたので、怒鳴りつけた。
「こりゃ、北海、貴様は髭を生やしたウナギかドジョウか。何だって羊力大仙などに味方をするんだ。油をもとの熱さにしないと、鱗を剥いでミミズにしてしまうぞ」
「はい、ただいま。斉天大聖様」
 釜の油は、いきなり煮えくり返った。
 羊力大仙は、あっと叫んで飛び出そうとしたが、油で手足が滑って釜から這い出すことが出来ない。油揚げになって死んでしまうと、一匹の羊に変わってしまった。
 国王は、三大臣がそれぞれ、みっともない、けだものの姿に変わって死んだのを嘆いていると、悟空が慰めた。
「王様、涙をお拭きなさい。嘆くよりも、お祝いの宴会の支度でもなさって下さい。御覧の通り三大臣は、虎の化け物、鹿の化け物、羊の化け物で、いずれも何百年と年をとった恐ろしいけだもので御座います。三匹が話し合って、王様のこの車遅国を奪い取ろうとして乗り込んできたものです。それをわたくし達が見破って退治したのです。あの三匹が坊さんを滅ぼそうとしたのも、仏様の正しい教えが怖くて、仕方がなかったからです」
 国王は、ようやく目が醒めたように、心がからりっと明るくなった。すぐに大臣、大将、長官など三千人を呼び集めて三蔵法師達を囲んで大宴会を開いた。そして告げた。
「皆の者、よく聞くがよい。先ほどの術くらべで、仙人よりも坊さんの偉い事がよく分かったであろう。今日からは坊さんを大事にして、仙人たちを一人残らず車引きにする。さよう心得よ」
 間もなくこの知らせを聞いて、坊さん達はばんざい、ばんざいと声を張り上げながら、宮中にいる悟空の所へ押し寄せてきた。どの坊さんも悟空の胸毛を巻き付けた薬指を高々と差し上げて振り回している。
 悟空は宮中の庭に溢れてき○がいのように踊り騒いでいる坊さんたちの前に立った。
「いく人集まったか?」
「はい、五百人全部です。一人も欠けておりません」
「化け物仙人は滅びた。私の胸毛を返してもらおう」
 坊さんたちは名残惜しそうに、薬指から悟空の胸毛を外すと、何回も撫でさすって胸毛にもお礼を言って悟空の手に戻した。
 翌日、悟空達は国王はじめ、車遅国の都じゅうの人に見送られて、手形を持って出発した。
 空は晴れ渡って、風さわやかな朝であった。




~つづく~


 という訳で、前後編でお送りしました。


 私が持ってるので、他に前後編になってるのは、妖怪の策略(と八戒の逆恨み)のせいで人殺しの濡れ衣を着せられた悟空が破門されてしまうエピソードがあります。


 ところで今回登場した虎力大仙たち、分類上は『封神演義』で言う所の『妖怪仙人』のようですね(詳細はこちらの一番下を参照)。

 封神演義と西遊記で、共通する登場人物も何人かいますし。


 と言ったところで、今日はこの辺で。

 どうも。ではでは。

 ジェネレーションズセレクト、次のキャラは何だろう。

 野獣で5体合体……プレダキングやオボミナスはもうPOTPで出てるしなぁ。

 ライオカイザーやダイノキングは6体合体だし……。いやまぁ、CWライオカイザーは5体合体(+武器)になってますが。


 まさかボットコンのプレダカスみたく、(プライマス=オラクル)つながりで『BWリターンズ』の初期メンバー(コンボイ、チータス、ラットル、ブラックウィドー、ナイトスクリーム)が既存UW/CWシステムキャラの流用で再現じゃあるまいな……。まぁ、『合体戦士』と明言されてるわけではないですけども。


 てか、ここにきてBWIIシーコンズにロブクロウ型のメンバーが追加されるとは(笑)。

 まぁ、出てきた途端に瀕死でアレでしたが……。やっぱり合体時はターゲットマスターになるんでしょうかね。


 ハーフシェルは自業自得と言え、タートラー共々ちょっと可哀想でしたね……。

 タートラーは、見ていて『リュウソウ』のクレオンを思い出しました。つまり「誰かに…認めて欲しかったんだと思う。ただ…『タートラーは偉いね』って、言われたかったんだ」的な。


 さて、本文の方は『西遊記セレクション』の第3回です。

 今回は前後編でお送りしますが、後編はまた数日挟むと思います。


 では、スタート!


第十一回 坊さんの車引き



 争いごとを続けている人間には、自然が恵んでくれた美しい風景を暖かく眺めることが出来ない。ようやく心が穏やかに収まった時に、小鳥の愛らしいさえずりや、花の麗しさに、はっと心を打たれて、争っていた間の醜さをつくづく恥ずかしく後悔するものである。
 三蔵法師はこう思いながら、今更に春の山河の美しさに目をみはって、夜となく昼となく旅を続けていった。
「険しい下り坂だ。気を付けて」
 悟空達に注意しながら山を下っていくと、風も無い穏やかな空に、いきなり何千何万人の軍隊が攻め込んでくるような、ときの声が、わっと湧き上がった。
 三蔵法師は早くも馬の上から落ち着きを失って、そわそわとして辺りを見回した。
「悟空、あのどよめきはなんだろう?」
「地面が避けて、山が崩れ落ちる音でしたね」
 と、八戒が答えた。
「いや、違う。雷様の轟きだよ」
 と、悟浄が答えた。
「そうではない。やっぱり、大勢の人の叫び声のようだ。様子を見てこよう」
 悟空は空へ飛び上がった。
 空中に立って見下ろすと、山の下に平野がひらけていて、立派な城がそびえ立っている。
 その城を中心に、大きな町が八方に広がって、うららかに春の日差しを浴びている。
「はてな、別に戦争も無いようだが」
 と、山の下を眺めると、大変な人の列が、幾台もの車に蟻のように群がっている。
「大力王菩薩(釈迦仏)。えいさ、よいや」
 と声を合わせながら、険しい山道に車を引き上げていた。
 車の上にはレンガ、石ころ、材木などが山と積まれて、車を引きずり上げていく人たちは、春とは言いながら、一重物のぼろをまとった坊さんばかりである。しかも玉のような汗を垂らしている。
(山の上に、坊さんたちがお寺でも立てるのかな?)
 悟空はこう思って見下ろしていると、城の中から若い二人の仙人が、鞭をピュウピュウと振り鳴らしながら出てきた。
 これを見ると、坊さんたちは怯え切って、いっそう高く声を張り上げ、力を振り絞って車を引き出した。
「大力王菩薩、えいさ、よいや」
 その掛け声が、まるでときの声をあげるように大空へ響き渡るのであった。
 悟空は仙人の姿に身を変えて地上に降り立つと、一人の坊さんに尋ねた。
「わたくしは旅の者ですが、皆さんは、お寺でも建てるのですか?」
 坊さんは、みっともないぼろ姿を隠すようにして、身体を小さく縮め、おどおどしながら答えた。
「あなたは、よその国からおいでになられたので、事情をご存じないようですが、この国は車遅国(しゃちこく)と申します。わたくし達は喜んでお寺を立てるのではなく、仙人たちに鞭で打たれながら、仙人たちの屋敷を造る仕事にこき使われているのです」
「何故、坊さんだけが働かされているのですか?」
「はい、今から二十年ほど前に、ちょうど今年のように雨が一粒も降らず、大日照りが続きました。国王様は、わたくしたち寺の者を呼び集めて『雨を祈れ』と命令なされました。けれども、わたくし共が集まってお経を唱えましても、空は晴れ渡っていて、雨は降りません。その時、虎力大仙(こりきたいせん)、鹿力大仙(ろくりきたいせん)、羊力大仙(ようりきたいせん)という三人の仙人が現れまして、術を使って雨を降らし、枯れかかった穀物を生き返らせ、百万の国民を飢え死にから救ったので御座います。それからというものは、国王様はその三人を大臣に取り立てて、国中の寺は一つ残らず取り壊して、寺の土地も三人に与えられてしまいました。三人の仙人は、あちらこちらに建てる別荘の石や材木などを、このように運ばせているので御座います」
「では、坊さんたちは揃って逃げだしたら良いでしょう」
「それが駄目なので御座います。三人の仙人はわたくし達の絵姿を国中の出入り口に貼り出しまして、逃げる坊主を捕まえた者には、坊主一人について銀五十両の褒美を出す、と書かれてあるのです」
「ううむ、酷い仙人野郎だ」
「はい、この国は、仙人様の極楽浄土で御座います。わたくし達は、初めの内は二千人もおりましたが、苦しみに負けて六、七百人は病気で死にました。また七、八百人は哀れな事に自殺してしまいました。いま生き残っている者は、わたくし達五百人ほどで毎日一度だけ、湯のようなお粥をすすり、夜は砂原に寝て、このようなヒョロヒョロ姿で働かされております」
 悟空の頭の中が、仙人に対する怒りでかっかと熱く燃え上がって来た。
「よしきた。俺がその仙人どもをやっつけてやろう。見ちゃいられない」
「ところが、嬉しい事が御座いますので」
「嬉しい事とは、何だ?」
「わたくし達五百人、揃って夢を見ました。夢の中に天上の太白星が現れまして、有難いお告げが御座いました。唐の国から天竺へお経を取りに行く坊さんがおられまして、そのお供の方に、斉天大聖という人がおられるのです。この斉天大聖は、人の難儀を救う事を喜びとしておられるお方で……」
「ちょっと待て。本当に嬉しい事を言うじゃないか。そこを、もう一度聞かせてくれ」
「はい、この斉天大聖は、人の難儀を救う事を喜びとしておられるお方で」
「よしよし、それからどうした?」
「そのお方が、近い内にこの国に現れまして、その仙人たちを必ず滅ぼすから、今しばらく、お前がたは辛抱せよ、との夢のお告げで御座いました」
「だが、その斉天大聖がここに現れても、君たちはまだ会ったことが無いので分かるまい」
「大丈夫で御座います。顔かたちも、太白星が教えて下さいました。斉天大聖は、石の額、金の瞳、丸い頭にひげっつら。頭には金のタガをはめて、手には如意棒と言う魔法の棒を携えております」
「では、こんな姿か?」
 悟空はぶるるっと身体を揺すると、仙人の姿はたちまち如意棒を携えた、ひげっつらの悟空に変わった。


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「ややっ、あなた様が斉天大聖様」
 坊さんは、でんぐり返しを打つようにお辞儀をし、今度は飛んで上がって仲間へ知らせるために叫びながら走った。
「現れたあ、現れたあ。斉天大聖様が現れたあ、現れたあ」
 坊さんは掛け声をやめて、坂の途中で車を休めた。
 悟空も、車の先頭へ走って声を響かせた。
「さあ、君たち坊さんを救いに来た斉天大聖だ。仙人どもを一人残らず滅ぼしてやるから、車もろとも、石も材木も崖下へ投げ下ろせ」
「うわあい」
 坊さんたちの喜びの声が一時に沸き上がった。同時に荷車も材木も大音響と土煙をあげて、坂道から崖下へ転がり落ちて行った。
 仙人の監督たちは、上ずった声をあげて驚いた。
「それっ、乱暴者だ。捕まえろ」
 鞭を振り上げて悟空に襲い掛かったが、たちまち監督は手づかみにされて、崖下へ放り飛ばされてしまった。
 五百人の坊さんたちは駆け集まって、悟空の前にひれ伏して幾度もお辞儀をした。
 悟空はそれを見渡しながら、一掴みの胸毛を引き抜いた。
「この毛を一本ずつ薬指に巻き付けろ。そしてしばらく、どこにでも隠れていてくれ。危ない時は一声『斉天大聖』と呼べば、いつでも私が側へ現れる。これから私は城へ入って、仙人たちを退治する。退治したら君たちをすぐ呼ぶから集まってくれ。その時、その毛を必ず返して欲しい。胸毛として植え込むんだからな。なくしてはいけないぞ。では、どこへでも行って、しばらく隠れていなさい」
 坊さんたちは、山の上へ走って、大木の上に身を隠すやら、谷底へ滑り降りて岩陰に隠れたりした。
 まもなく三蔵法師達が、悟空の帰りの遅いのを心配しながら、山から下りて来た。
「悟空、坊さんたちが先を争って山上へ逃げていくし、今また大地が崩れ落ちるほどの轟きがしたが、何だろう?」
「あの音は、百台の車と、車に積んだレンガ、材木などがこの谷底へ落ち込んだ音です」
 悟空は坊さんたちから聞いたその哀れな生活を語って、仙人たちを懲らしめたいと三蔵法師に話した。
 話している所へ、車の落ちるすさまじい物音を聞いて、虎力大仙、鹿力大仙、羊力大仙たちが、七百人ほどの仙人を従えて城内から飛び出してきた。山道を駆け上って、三蔵法師たちを取り巻いた。
 悟空は仙人たちをにらみつけた。
「我々を取り囲んで、なんとする気だ?」
 虎力大仙が進み出た。
「この無礼者、あれを見ろ。谷へ車を投げ落とし、坊主どもをどこへ隠したか?」
「それは何の話だ。我々は、唐土から天竺へ経を取りに行くもので、ただいま、この国に着いたばかりだ。五百人の坊さんを逃がすわけも無いし、逃がせる方法も無い。国王にご挨拶申し上げたいから、ご案内願いたい」
「よし、一緒に来い。国王にお前たちの乱暴を申し上げて、裁いて頂こう。そのうえで坊主どもをどこへ隠したか白状させよう」
「何のことだか、話が一向に分からん。分からん」
 悟空は大手を振って歩きだした。三蔵法師達も成り行きを悟空に任せて、その後ろから続いた。
 間もなく悟空達は、国王の前に連れ出された。国王は、三人の大仙人の話を聞くと、額に青筋を立てて怒った。
「こやつら四人んを死刑にせい」
 悟空は穏やかになだめた。
「王様、しばらくお心をお沈め下さい。わたくしたちは遠い唐土の国から参りました。遥かな天竺へお経を取りに行く者です。王様から、国内を通る手形を頂きたいと存じまして、ただいまこの国に着いたばかりで御座います。それなのに、あの三大臣からありもしない嘘を申されまして、まことに迷惑千万です。わたくし達が車を投げ壊し、五百人とかの坊さんを逃がしたという証拠を、どうぞお見せ下さい」
「なるほど、それもそうである。三大臣、証拠をあげなさい」
「証拠ですか?」
 証拠は何一つない。困り切って首を寄せ合って相談をしている所へ、城の門から役人が知らせに来た。
「国王様、申し上げます。ただいま門の外に、大勢の農民が参りました。春先から未だに一滴の雨が無く、田畑はひび割れてしまいましたので、三大臣様に雨を降らして頂きたいと願っております」
「そうか、しばらく待たせておけ。さて、旅の坊さん方に、この国の話を聞かせよう。ここは車遅国と言って、仙人を敬い、坊さんを憎んでいる。そのわけは、ずっと以前の事だが、日照りが続いて仙人と坊さんに雨ごいを願った事がある。その時坊主どもの祈りは何の役にも立たず、幸いに天が、ここにおられる虎力大仙、鹿力大仙、羊力大仙の三大仙人をお下しになられて、たちまち雨を降らせたからだ。所がお前たちは遠方からきて、この三人の大仙人を怒らしてしまった。まことに不届きな奴だ。だが改めて、三大仙人と術くらべをしたらどうか。もしも、お前たちが雨を降らせたら罪を許してやろう。また、車遅国を通れる手形も喜んで渡そう」
 悟空がニッコリ笑って引き受けた。
「私達も、雨ごいの法を心得ております」
「では、祭壇の用意を致せ」
 係の者が旗を立てたり清めたりしている内に、国王は五鳳楼(ごほうろう)という高台に登って、天を見守ることにした。
 家来たちも、その左右にずらりと控えて、三大臣も国王と並んで座った。
 三蔵法師達は楼の下に控えた。
 祭壇の支度が整った。
 高さ三丈余りもある高い台である。台の両側には星座を描いた三角旗が立てられていて、机が一つ。机の上に燭台と香炉が置かれて、そばに雷神の名を書き記した金塗りの板が飾られてある。
 虎力大仙が、つかつかと祭壇に近づいた。
 足を止めて悟空達を見下ろして威張った。
「まず最初に私がやる。この金塗りの板を一つ叩けば風が起こり、次に叩けば雲が飛び来たり、第三で雷が轟き、四番目で雨が降り、五番目で雨が止む。分かったか」
「ほう、大変な法力ですな。わたくし達坊主は見た事が無い。さあ、どうぞ」
 虎力大仙は、ゆうゆうと高い壇にのぼると、両足を踏ん張って突っ立った。
 そばに控えていた一人の弟子が、大仙に宝剣を渡した。




~つづく~

2020.05.31 世界を作る神

 今日はペルーの短編神話、『世界を作る神』です。

 では、さっそくスタート!


世界を作る神



 大昔の事です。チチカカの湖が、にわかに煮えるように沸き立ちました。その湧き水の中から、一人の神様が現れました。ビラコチャという神様でした。
 ビラコチャの神様は、ゆっくり湖から上がってくると、両手を広げて何かを丸めるようにします。すると、光って輝く丸い物が、いくつと無くできてきました。それは大きなものもあれば、小さなものもありました。
「えーい! えーい!」
 神はそれを、次々と空に向かって投げ上げました。これが太陽であり、月であり、たくさんの星になったのです。
「さて、今度はこの地の上に、住む者をこしらえなくてはならない」
 ビラコチャの神は、かがんで足元の石を一つ取り上げました。その石を握って、しばらく考えました。こしらえるにしても、どんな形にしたものかと思ったのです。
「何かと考えるよりもわしの姿に似せて作るとしよう」
 と、自分の形に良く似せて、一人の人間を作りました。これがインカ族の一番初めの先祖、アルカ・ビカです。


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 神様はこの後、次々と石を持っては、どんどん人間をこしらえました。こうして大勢の人間が出来ると、
「さあ、みんなわしについて来るがいい」
 と言って、歩き出しました。大勢の人間たちは、言われるままに、ぞろぞろとその後についていきました。
 クスコという土地に来ると、
「お前たちは、ここで住むがよい」
 と言いました。人間たちは、
「はい、有難う御座います」
 と、お礼を言いました。神様は、一番初めに作ったアルカ・ビカに向かって、
「お前はこの地を治めていかねばならない。争いごとの起こらないように、仲良く、安らかに暮らせるように」
「はい」
 とアルカ・ビカは答えました。
 こうして人間たちは、クスコに住みつくようになったのです。そうして、インカ人の都、クスコが出来上がったのです。
 クスコと言うのは、“世界のヘソ”という意味があります。つまり、世界の中心という訳です。
 多くの民族がそうであるように、インカ人もまた、自分たちが人類の始まりであり、自分たちの住むところが、世界の中心であると考えたのでした。ビラコチャの神様は、その次には、四人の召使をこしらえました。
 それは、東の風と、西の風と、南の風と、北の風とでした。
「お前たちは、それぞれ大地の隅に行って、そこを住処にするがよい」
 と、神様は四人の召使に言いつけました。
「はい」
 と答えて、四人の召使は、それぞれ大地の東の隅、西の隅、南の隅、北の隅へと行って暮らすことになりました。そうして、なんか用のある時は、そこから飛んでくるようになりました。いつでも風が四方のどちらからでも吹いてくるのはそのためです。
 ビラコチャの神様は、この世界を作る仕事が終わると、また水をかき分けてチチカカの湖深く沈んでいきました。




~おしまい~

第六回 金襴の袈裟どろぼう



 次の日の夕方。山と山の間に、いくつも高い屋根が重なり合った、大変立派な寺が見えてきた。広い庭に金色の大きな池もある。
 二人は馬を急がせて、門に来て頼んだ。
「一夜の宿をお借りしたいのですが」
 と、三蔵法師は西方へお経を取りに行くわけを話した。
「さあ、どうぞ奥へ」
 と、寺の坊さんたちは、快く中へ案内した。
 二人は祀られてある観音様の黄金像にお参りをして、いくつも続いた広い部屋の前を通って、最後にこじんまりとしたお堂の中に通された。
 悟空はしーんと静まり返ったお堂に座っていても面白くないので、寺の庭を歩きだした。
「鐘でもついてやれ」
 鐘突き堂へ上ってガンガン突き鳴らした。
 坊さんたちは驚いた。やたらに鳴り響く鐘の音に、鐘突き堂へ揃って駆け集まった。
「この野蛮人め、いたずらをやめなさい」
「こんな面白い事がやめられるか」
 ガーン、ゴーン。ガーン、ゴーン。
 ガーン、ゴーン。ガーン、ゴーン。
 二百七十歳だという年取った和尚さんが、腰を曲げ、目をひん剥いて走って来た。
「さあさあ、あちらの部屋で、お茶が入りましたから」
 と、ようやく悟空をなだめすかしてお堂の中へ連れ戻した。そして、寺の宝物である立派なお茶道具を並べ立てて、お茶を入れながら三蔵法師に話しかけた。
「あなたは大唐国から来られたのですね。さぞ珍しいご立派なお品でもお持ちでしょうな?」
「いいえ、旅の事で、何一つお目にかけるようなものは持っておりません」
 三蔵法師が遠慮深く答えると、よせばよいのに、悟空が横から偉そうな口を出した。
「お師匠さま、ありますよ。包みの中の袈裟を見せて、驚かしてやんなさい」
 和尚さんや、並んでいる坊さんたちは、悟空の言葉を聞くと、どっと笑い声をあげて言った。
「袈裟ならここにも腐るほどありますよ。ここは、この国一番のお寺ですからな」
 悟空は怒って包みを引き寄せた。
「ふざけるない。袈裟は袈裟でも、お前さんがたのチンピラ袈裟とは、袈裟が違うんだ。さあ、拝ましてやるからたまげるな」
 三蔵法師が慌てて叱った。
「これっ、悟空、富や宝というものは、人と張り合うものではない。皆様に失礼な言葉だが、“宝物は欲張りに見せるな”という諺さえある。目に見れば欲しくなる。手に入れようと企む。そこから、どのような災いが起こるかも知れない。包みを放しなさい」
「びくびくしなさんな。私に任せておきなさい」
 悟空は包みを開いた。開くと、早くも金色の陽炎のようなものが、ゆらゆらと包みの中から立ち上った。
 悟空は袈裟を広げて見せた。
 夕暮れ時の薄暗くなり始めた部屋の中へ、一どきに太陽と月を持ち運んだような金銀五色の輝きが、ぱっと部屋の中を明るく染めた。
 さすがはお釈迦さまから賜った宝物、金襴(きんらん)の袈裟である。
 和尚さんも坊さんたちも、あっと膝をにじり寄せて袈裟を囲んだ。あまりの見事さに、誰も声が出ない。見つめたまま溜息を吐いている。
 しばらくして、和尚さんが頼んだ。
「いつまでも拝ませて頂きたいほど立派な袈裟ですが、日暮れの薄暗さで、年をとったわたくしの目はもうよく見えません。灯りの下で拝みますから、今夜一晩貸して下さいませんか?」
 三蔵法師は、それ見た事かと悟空を恨んだが、悟空は得意である。
「ああいいとも。みんなでよく拝むがいい。お師匠様、心配しなさんな。私が、ちゃんと責任を持ちますよ」
 和尚さんはほくほくと顔をほころばせて、袈裟の包みを自分の部屋へささげて行った。
 さて、この寺が大きく立派になったのは信者が多くて栄えて来たのではない。和尚も坊主も、盗み、強盗は平気でするし、近くの山々の化け物たちと手を組んで、一年中悪だくみをしてきたからである。
 和尚は部屋に戻ると、坊主たちを呼び集めて、ひそひそと相談をした。
「この袈裟を奪い取るには、どうしたら良かろうか」
「和尚様、あの二人を焼き殺す事ですよ。お堂の外から鍵をかけて、周りに芝を積み上げて火をつけるんです。お堂一つを犠牲にして、この袈裟を寺の宝物にするんです。火事は、あいつらの火の不始末からという事にしておけば済むでしょう」
「うまい。お前の頭の良さは寺の宝だ」
 その夜、三蔵法師と悟空が眠った頃、寺中の坊主たちが総出で、ほおかぶりして、本堂の周りへ山のように芝を積み上げた。そして、四方から火をつけると、火はどっと勢い良く燃え始めた。
 三蔵法師は何も知らずに穏やかに眠っていたが、悟空は怪しい物音にはね起きた。
 押しても突いても、扉は開かない。
 悟空はミツバチに姿を変えて、欄間(らんま)の隙間から外へ飛び出した。
「ややっ、坊主どもが火をつけて走り回っている。私達を焼き殺して、袈裟を取ろうとする気だな」
 お師匠様からたしなめられた言葉が、今更に悔しく思い出された。
「まごまごしてはいられない」
 ものすごい勢いで天上へ飛び上がった。
 天上では驚いた。
「斉天大聖が、またも暴れ込んできた」
 と、逃げ回る神様たちで大騒ぎである。
 悟空もその騒ぎに驚いた。
「違う、違う。火よけの籠を借りに来たんだ」
 と、火よけの籠を大急ぎで借り受けて、寺へ戻って来た。
 お堂の屋根に上ると、屋根に籠をかぶせた。そして、下に眠っているお師匠様と馬を、火から防いだ。
「袈裟を焼かれちゃ大変だ」
 続いて和尚の居間の屋根にまたがって、袈裟の番をした。番をしながら、お堂に燃え移ろうとする火を、観音堂や正殿や塔の方へ、術を使ってぷうぷうと口で吹き返した。
 火は重なり合った屋根から屋根へ燃え移って、寺中が火の海になった。火の粉は天を焦がしてすさまじい。
「おやおや、寺が大火事だぞ」
 こう言って立ち上がったのは、近くの黒風山(こくふうざん)の洞穴に住んでいる、一匹の真っ黒い化け物である。
「和尚とは親友だ。火事見舞いに行こう」
 雲を飛ばして炎の中をくぐってみると、怪しい者が和尚の部屋の屋根にまたがっている。ぷうぷうと火を吹き返している。
「ははあ、あの部屋に何かあるぞ」
 覗くと、台の上に、炎を染め映して一段と美しく照り輝いた金襴の袈裟が置かれてある。
「しめた。持って逃げよう」
 親友の火事見舞いも放り出して、袈裟を抱えて黒風山へ逃げ帰った。


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 火事は夜明け頃、ようやく収まった。
 残されたものは、三蔵法師の寝ている部屋と、和尚の奥の一間だけである。あとは見渡す限りの焼け野原と変わって、何百人と言う坊さんたちが泣き騒ぎながら、寺の庭をうろうろしている。
 悟空は天上へ火よけの籠を返してから、まだ眠っている三蔵法師を起こした。
 法師は、お堂から出てきて肝をつぶした。
 昨夜まで御殿のように美しく広がっていた寺は、煙を上げて哀れにも燃え落ちているのである。
「悟空、これは夢か?」
「夢ではありません」
 悟空は昨夜からの大活躍ぶりを、詳しく話した。
「袈裟は無事だろうか?」
「和尚の部屋は火を防ぎましたから、大丈夫です。さあ、袈裟を取りに行きましょう」
 お堂から出て、焼け野原と変わった庭を歩いて行くと、坊さんたちは震えあがって驚いた。
「うわあ、焼け死んだ幽霊が出たあ」
「なんだと。オレ達を焼け死んだ幽霊だと。ふざけちゃいけない。振り向いてよく見ろ。お堂はあの通り焼け残っているんだ。さっさと袈裟を返さないと、お前たちも灰にしちゃうぞ。和尚はどこにいるんだ?」
「へい、焼け残りの自分の部屋へ引っ込んだまま、出てきません」
 和尚は、寺は丸焼けになるし、袈裟は無くなるし、気が変になっていた。そこへ、殺したはずの悟空達が、いま袈裟を取りに来ると、坊さんたちの知らせがあった。
 和尚は気味悪くなったり、情けなくなったりして、ついに気が狂った。何かうわごとを言いながら立ち上がると、走っていって、思い切り力いっぱい、壁に頭を打ち付けて死んでしまった。
 悟空は困った。責任を持つの、私に任せろの、とお師匠様に威張った手前、なんとしても袈裟を捜し出さなければ申し訳が立たない。
「お前たち、裸になれ」
 坊さんたちをずらりと並べて、真っ裸にして身体検査をしたが、袈裟は見つからない。和尚の部屋の床下を如意棒でかき回したが出てこない。弱り切って坊さんたちを小突き回した。
「誰かが盗んだに違いない。この辺に和尚の友達でもいるか?」
「へい、一人おります。向こうにかすんで見えるのが黒風山です。その洞穴にいる黒大王(こくだいおう)というのが親友です」
 悟空は勇み立った。
「よし、これほど捜して無ければ、盗んだのはそいつだ。取り返してくるから、お前たちはお師匠様をよくお守りして、馬の手入れもしておけ。もしも粗末に取り扱うと、この鉄の棒が暴れまわるぞ」
 悟空は如意棒を振り上げて、焼け残りのレンガ塀を横に打ち払った。塀は粉々に吹っ飛んで、花びらのようにちらちらと散り落ちてきた。坊さんたちは肝をつぶして、崩れるようにへたへたと座り込んでしまった。
 悟空は筋斗雲に乗って、一直線に黒風山へ走った。
 山の上から見下ろすと、黒風山、黒風洞と大きな字を彫りつけた石が建っている。その後ろに、真っ赤な門が開いた洞穴がある。洞穴の前の広場で、黒、白、黄色の三人の化け物が、草の上に座り込んで、大笑いしながら話し合っている。
 黒い化け物が、偉そうに自慢話をしている。これが和尚の親友、黒大王であるらしい。
「今日は吾輩の誕生日だ。夕方から諸君にご馳走をしたいから、ぜひ来て頂きたい。昨夜手に入れた素晴らしい金襴の衣をその時お見せするから、その見事さを褒めてもらいたいもんだ」
 悟空は金襴の衣と聞くと、雲の上から飛び降りて、三人の前に仁王立ちになった。
「こらっ、火事場泥棒め。袈裟を盗んでおいて誕生祝いとは不届きな奴だ」
 如意棒を振り下ろすと、黒大王は赤門の中へ逃げ込んで、黄色は雲に乗って走った。
 白は、逃げる暇もなく悟空の鉄棒に叩き伏せられると、酒樽ほど太い白い大蛇に変わって死んだ。
「開けろ、開けろ」
 悟空は如意棒で洞穴の門を叩いた。
 黒大王が、鎧兜に身を固めて、黒房の付いた黒槍を抱えて現れた。


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「さあ、来い。あの袈裟を取りに来たのか?」
「黙って返せばよし。出さないと命は無いぞ」
「偉そうなことを言うが、貴様は誰だ。オレは天下に名の轟き渡った黒風山の黒大王だ」
「こっちは天上を引っ掻き回した、名高い斉天大聖だ」
「なんだ、あの馬小屋の番人か」
「こ、こ、こいつめ」
 如意棒と黒槍とが火花を散らす戦いになった。突いたり、避けたり、打ったり、跳んだり、勝負は五分五分である。
 太陽は高く昇って、昼近くなった。
 黒大王は、如意棒をがっちり受け止めて、悟空に話しかけた。
「昼飯の時間だ。腹ごしらえをしてから、また戦おう」
 槍をさっと引いて、後ずさりしたかと見る間に、洞穴の中に飛び込んで、ぴったりと門を閉めてしまった。
 悟空も朝から何一つ食べ物を腹に入れていないので、ふらふらに疲れ切っていた。それに火事場へ残してきたお師匠様の身も心配であった。
「とにかく、いっぺん引き返そう」
 戻ってみると、お師匠様は食事中であった。
「悟空、袈裟を持ってきたか」
「すみません、もうちょっと待って下さい。黒大王が盗んだことは分かりましたが、あいつは強くて強くて……」
 悟空は昼飯をかっ込んで、また黒風山へ向かった。
 すると、山の途中で黒大王の手下らしい男が、真っ黒い文箱を抱えてこちらへ走って来るのが見えた。
 悟空は一打ちに倒して文箱を取り上げた。
 開いてみると、一通の手紙が入っていた。


  金地老上人どの
  本日は、わたくしの誕生日につき
  夕方より大宴会を催します。
  どうぞおいで下さい。
           黒くま生(くろくませい)


「ははあ、あいつは黒熊の化け物か。和尚も化け物の一人だから、二百七十歳も生きてきたんだな。和尚が壁に頭を打ち付けて死んだことを、まだ知らないと見える。これは有難い。和尚に化けて、袈裟を取り返して来よう」
 悟空は金地和尚に化けて、洞穴の門を叩いた。
「金地和尚だが、開けておくれ」
 門番が、のぞき窓から首を出した。頷いて門を開けた。
 悟空はすまし顔して、黒大王の前に進んで座り込んだ。
「ただいまは、ご使者を有難う」
「もう届きましたか。早すぎる」
「使いの話では、金襴の袈裟を手に入れたそうだが、拝ましてもらいたいね。こっちは寺が丸焼けで、大変な騒ぎだった」
 と話している所へ、手下の者が走ってきて、大王の耳へささやいた。
「手紙の使者が、殺されています。それから金地老上人は、今朝、死んだそうです」
「じゃあ、こいつは誰だ?」
 黒大王は、いきなり槍をひっつかんで、悟空へ突きかかって来た。
「しまった。見破られたか」
 悟空も元の姿にかえって、如意棒を引き抜いた。
 二人は門から飛び出して、またも突いたり、打ったりの激しい戦いになった。
 夕日が西の空へ沈みかかって、谷も洞穴も夕焼けで赤く染まった。けれども勝負がつかない。
 黒大王が、大きな一枚岩の上へ飛び上がって叫んだ。
「夕飯どきだ。続きは明日の朝だ」
 槍を構えたまま後ろ向きになって洞穴へ逃げ込んで、ぴたりと門を閉じてしまった。
 悟空は自分の腕前が情けなくなった。
 相手の化け物の強さを考えると、このままでは幾日戦っても勝負はつかないと思った。
 胸毛を引き抜いて、大勢の身代わりを出す事は易しいが、たかが相手は熊の化け物だ。一人と一人の戦いにそんな卑怯な真似は嫌だった。
 しょんぼり首を下げて、三蔵法師の前に戻って来た。
「お師匠様、もう一日待って下さい。相手は熊の化け物。とても強くて、強くて」
「心の小さな者に自慢顔して、大切な品を見せるからだ。責任を持つの、任しておけのと威張ったからには、なんとしても取り返して来なさい」
「へい」
 悟空はその夜、眠れなかった。いろいろ考えた末、ようやく一つの上手い計略を思いついた。さっそく、次の朝早く、黒風洞の門を叩いた。
「出てこい、勝負だ」
「おう、待ってたぞ」
 またまた谷川べりで打ち合う火花が、赤く青く水面に散った。どちらもへとへとに疲れ切った頃、悟空は谷川へ飛び込んで逃げた。
 黒大王は、天地にとどろく笑い声をあげた。
「うわっはっはっ、とうとう逃げ去ったわい。袈裟はもうこっちの物だ。やれやれ、喉がからからに乾いた」
 谷川へ手を突っ込んで水を飲もうとすると、山から吹きおろしてくる風に、ころころと、目の前の石の上に、小指の爪ほどもある一粒の丸薬が転がって来た。
 取り上げて見ると、仙人が飲んでいる仙丹という名高い薬である。
「これは良い物が落ちていた」
 口へ放り込んで、水と一緒にがぶりっと飲み込んでしまった。
 薬は大王の腹の中で、悟空の姿に変わった。
「どうだ、丸薬に化けたとは気が付くまい。もう、こっちのものだ」
 如意棒を振り回して腹の中で暴れまわった。
 さすがの大王も苦しみもがいた。
「うわあ、うわあ、痛いよう、苦しいよう」
 のたうち回った末、とうとう死んでしまった。
 悟空は鼻の穴から威張って抜け出した。そして洞穴に隠してあった袈裟を取り返して、三蔵法師の前に戻って来た。
「とうとう、やっつけました。袈裟をお返しいたします」
「ああ、良かった、良かった。ご苦労だった」
 二人は顔を見合わせてにっこりと笑った。そしてまた、西へ向かっての旅が続いた。
 野山の枯れ木に青々と新芽が吹き出して、峰を行く雲もふわりと浮かんで春になった。二人はわらびやぜんまいが伸びた広い野原を進んでいくと、原の中に、身を寄せ合うように家が並んでいる小さな町に着いた。
 一人の男が、わらじ、脚絆を付けた旅姿で、わめきながら向こうから来た。
「優れた仙人はいませんかあ。素晴らしい坊さんはいませんかあ」
 急ぎ足で、三蔵法師たちとすれ違おうとする男を、悟空が呼び止めた。
「何の用で、そんなに忙しそうに歩いたり、わめき散らしているのかね?」
「へえ、わたくしの主人は高大公(こうたいこう)と申しますが、今年二十歳になるお嬢様が御座います。三年前にお婿さんをもらったんですが、それがとんでもない化け物なんで御座います。旦那様が追い出そうとすると、化け物は怒って、お嬢さんをうしろの離れ座敷に閉じ込めたまま、家の者にも会わせないので御座います」
「どんな化け物?」
「へえ、口の長い、豚の化け物のような奴で御座います。旦那様が色々な優れた仙人や、坊さんに頼んで化け物を追い払うお祈りをしてもらうんですが、どれも役に立たず、連れて行く度に、さんざん、わたくしは小言をくうのです。全くわたくしもやり切れません。今日もこうして旅姿で、お偉い方を捜し回っている有様です」
「お前さんはいい所で私達に出会ったよ。私達が化け物を捕まえてやろう。主人の所へ連れて行きなさい」
「皆さんどなたもそうおっしゃいますが、どれも駄目です。ことにあなたのような、雷の子供みたいなものは、わたくし、信用いたしません」
「雷の子で悪かったね。だが、オレはそういう化け物と喧嘩するように生まれついているんだ。馬の上のお方は東土大唐の名高いお坊さんだ。化け物ぐらいとっ捕まえるのは何でもない。とにかく、連れていけ」
「そうですか。こっちは忙しいのですよ」
 男は困り切った顔をして、三蔵法師と悟空を高大公の屋敷へ連れて行った。
 主人は悟空の頭から足の先まで見下ろすと、男に怒鳴りつけた。
「化け物が一人いるので、悩み切っているんだ。もう一人連れてくるとは何事だ」
 悟空は腹が立つやら、おかしいやらで、苦笑いした。
「顔かたちで馬鹿にしては困ります。化け物を追い返せばいいんだろう。腕は確かなんだから、任しておきなさい。今そいつはいますか?」
「夜になると、どこからか帰ってくるのです」
 主人は、とにかく悟空達に任す事にして、二人に夕食を出して一晩泊める事に決心した。
 悟空は夕食を終えると、主人に案内させて、離れの部屋へ行ってみた。
 入り口に、頑丈な錠がかかっている。
「鍵を出しなさい」
「鍵があるくらいなら、あなたに頼みゃしません」
「なるほど」
 如意棒で錠を叩き壊して部屋へ入ると、中は真っ暗闇。主人が震え声で娘の名を呼ぶと、髪の毛をぼうぼうと乱した、やつれきった娘が現れた。お父さんの首っ玉にしがみついて大声で泣き始めた。
 悟空がなだめながら尋ねた。
「化け物はどこへ行ったか?」
「はい、分かりません。いつも夜明けに雲や霧に乗って出ていきますし、夜になると、どこからか戻ってきます」
「では、ご主人。娘さんをあなたの部屋へ連れてって、ゆっくり話でもしなさい。私はこの部屋で、化け物の帰りを待っている」
 悟空は独りになると、娘の姿に身を変えた。
 日は暮れて、すっかり夜になった。
 真夜中ごろ、にわかに部屋の中に小石や砂ぼこりが吹きまくってくると、稲妻のような光がぴかぴかと走って、大風と一緒に化け物が帰って来た。
 見れば、黒い顔、伸びた口、大きな耳。話に聞いた化け物よりもずっと醜い顔かたちである。
 悟空はいきなり、化け物の伸びた口をつかんで、あお向けに引き倒した。
 化け物は驚いて跳ね起きた。慌てて尋ねた。
「お前、何を怒っているんだ?」
 悟空は娘の声を出した。
「父が、たいへん偉い方を連れてきたのです。それがあなたに分からないから怒っているのです」
「誰だ、そいつは?」
「五百年前に天上を騒がせた斉天大聖というお方です」
「ええっ、あいつにだけは敵わない。お前には気の毒だが、オレはこの家から出るよ。あいつと喧嘩して、もしも負けたら、オレの名が落ちて恥をかくからな」
 化け物は雲を巻き起こして飛び逃げようとした。
 悟空は化け物の口をしっかりと握りしめた。
「この私を置いて、一人で逃げる気ですか。私の恨めしい顔をよく見て下さい」
 悟空はつるりっと顔をなでて、化け物の前へ突き出した。その顔は、娘の顔から悟空の顔に変わっていて、化け物を睨みつけている。
 化け物は「あっ」と驚いて尻餅をついたが、跳ね起きると雲に乗って逃げた。悟空も追った。
 二つの雲と雲とがぶつかり合い、弾け合って、その上で如意棒のうなりと化け物が振り下ろす鉄の熊手の風切る音が、夜空の中ほどで遠雷のようにゴロゴロととどろいた。


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「やい化け物。知らぬ者同士で戦ってもつまらん。名を名乗れ」
「オレは、元天の川の水軍司令長官だ。天から追い払われた時、地上へ投げ捨てられた魂が、豚の腹へ入ったのでこんな面構えになったが、今の名は猪八戒」
「こっちは、貴様が驚いた斉天大聖だ。東土の三蔵法師様という、偉いお坊さんをお守りして、西天へお経を取りに行く途中だ」
「ええっ、では、ちょっと待ってくれ。何故それを早く言わないのだ。私は観音様のお導きで、その坊様のお供をする事になっているんだ。熊手を引っ込めるからその鉄棒も引っ込めろ」
 戦いは終わって、雲と雲とが穏やかに寄り合った。
「やい、猪八戒とやら。お師匠様の所へ連れて行くから、その熊手を寄こせ」
 悟空は猪八戒の大きな耳を引っ張って、三蔵法師の所へ連れて行った。
「さあ、早くご挨拶をしろ」
 悟空は取り上げた熊手で、八戒の頭を二つ叩いた。
「はいはい、申し上げます、法師様。法師様がうちのおとっつぁんの家においでになる事を知っていたら、もっと早くご挨拶に上がるんでしたが、途中で少しこんがらかって、あいすみません」
 と、観音様から頂いたお言葉を、すっかり話した。
「観音様の仰せなら」
 と、三蔵法師はその場で八戒を弟子にして、お供の一人に加えた。そして悟空とも兄弟の約束をさせた。
 高大公も娘も、八戒が心を改めて、正しい道にかえった事を非常に喜んで、次の朝、三蔵法師たちに別れを惜しんで見送った。




~つづく~

 今晩は、アカサカです。


 今日から『文庫本コーナー』の企画として、誰もが知ってる『西遊記』の中から、マイナーな(と思われる)エピソードを、順不同でいくつか公開していきたいと思います。

 取り敢えず前回の『トールの神話』とは違って、毎日連続更新ではなく、間に今まで通りの短編昔話も挟んだりして……。


 では、さっそくスタート!


第一六回 黒い薬と金の鈴


 化けもの寺を離れて、早くも一か月が過ぎた。
 焼けつくような真夏の炎天にさらされて、四人は毎日あえぎながら進んだ。
 ある日、一つの大きな都に着いた。
 城の塔の屋根には、朱紫国(しゅしこく)と書かれた三角旗が幾本も青空にはためいていて、人や車の列がにぎやかに行ったり来たりしている。
 道行く人は服も冠も美しく、言葉遣いもおっとりとして優しく、大唐の都の長安にも劣らないほどの立派な町である。
 三蔵法師たち一同が大通りを歩いて行くと、静かな町は、間もなく大騒ぎになった。
「一人の坊さんと、三人の化け物が通る」
 と、大人も子供も、四人の前へ走ったり、後ろへ回ったりして、どこまでもぞろぞろとついてくる。三蔵たちが珍しくてしょうがないようである。
 三蔵法師は、馬の上から三人に注意した。
「何を言われても喧嘩するではないぞ。下を向いて、なるべく顔を見せずに歩きなさい」
「はい、はい」
 と、八戒は長い口を懐に押し隠し、悟浄は襟に首が埋まるほどうつ向いて歩いた。
 けれども、いたずらっ子の石が飛んでくる。瓦が投げつけられる。野次馬の群れは大通りいっぱいに広がって、わいわいとはやし立てながらついてくる。悟空は八方に気を配りながら三蔵法師を守って進んだ。
 横町へ曲がると、白い塀囲いをした中に立派な家が建っていて、門の上に“会同館(かいどうかん)”と書かれている。
 三蔵法師は馬を止めた。
「ここへ入って、しばらく休もう」
「会同館とはなんですか?」
 と、悟空は不思議そうな顔つきで、三蔵法師を馬から助け降ろしながら訪ねた。
「ここは外国から来た旅人や、よその国の使者などを止めるお役所です。私達もお邪魔してよいだろう」
「やれやれ、これでうるさい奴らを追っ払うことが出来た」
 と、八戒が懐に押し込めた長い鼻をにゅっと引きずり出した。
 群がっていたやじ馬たちは、あっと腰を抜かすほど驚いて逃げ散った。
 中へ入ると、受付に二人の役人がいて、三蔵法師に尋ねた。
「どこから来て、どこへ行かれますか?」
「はい、わたくしたち四人の者は……」
 と、三蔵法師はわけを話して、通行手形に印を頂くために、国王様にもお目にかかりたいと申し出た。
 役人は丁寧に四人を案内して客間に通した。そして、米や麦粉や、色々な野菜を運んできて、西側の部屋を指さした。
「あちらに鍋も釜も揃えてありますし、薪も積んで御座いますから、ご自由にお使い下さい。それから、手形に印を頂きたいなら急いで宮中へおいで下さい。国王様はご病身でいつも寝室におられますが、今日はお身体の具合が少し宜しいとの事で起きておいでになられます」
「では、さっそく、わたくしだけが宮中に上がりましょう。手形の印を頂ければ、すぐにでもここを出発いたしますから……。悟空達、その間に食事の支度をしておきなさい」
 三蔵法師は服装を整えて役人と一緒に宮中へ向かった。
 悟空達はさっそく食事の支度にとりかかったが、味噌と醤油が無い事に気が付いた。
 そこで八戒に買いに行かせようと思ったが、ものぐさの八戒が素直に行ってくれないと考え、色々と作戦を立てながら頼んだ。
「八戒、町へ出て買ってこい」
「オレは嫌だよ。さっき、オレが鼻を引き出したら、五、六十人の奴らが驚いてひっくり返ったほどだ。町へ出たら、どんな騒ぎが巻き起こるかも知れない。オレは行かないよ」
「そうか。残念だな。お前は下ばかり向いて歩いてきたので気がつかなかったろうが、ここへ来る道の両側には、美味しそうな食い物屋ばかり並んでいた。うどん屋、饅頭屋、餅屋、油揚げ屋など、数えきれないほどの店が、いい匂いをぷんぷんとさせていた。では、オレ一人で食ってこよう。せっかく奢ってやろうと思ったのに、残念だが仕方がない。では、ちょっと行ってくるが、悪く思うなよ」
「待て、待て、兄貴。口を隠して行けばいいんだろう。一緒に行くよ、行くよ」
 悟空はにこっとした。
 大飯食いの八戒は、早くものどをグウグウと鳴らして悟空についてきた。
 人通りの激しい四つ角まで来ると、広場に大勢の人が輪になって群がっている。
「なんだろう、ちょっと覗いて見よう」
「兄貴、よせよ。オレ達を捕まえる相談でもしているんだろう」
「悪さをしない者を捕まえるはずがあるもんか。じゃあ、お前はここで待っていろ。味噌と醤油と、揚げ餅とうどんを買ってきてやるからな」
 悟空は八戒を街角の塀際に残して、人だかりの中を覗きに行った。そこには一本の立て札が立てられて、役所からの知らせの紙が貼り付けてあった。


『国王様のご病気は長引くばかりで、なかなか治らない。今は国中の名高い医者も、優れた薬も、何の役にも立たない。国王様のご病気を治す薬を持っている者には、国を半分つかわす。国民でも、他国民でもよろしい。良薬があれば、すぐに宮中へ申し出なさい』


「ほほう、これは面白そうだ。あの張り紙をもらっていこう」
 悟空は一掴みの土を拾い上げると、呪文を唱えて人だかりの中へ投げ込んだ。
「うわあ、いきなり、つむじ風だ」
「目の中へゴミが入った」
 人々は目を押さえてうずくまった。その隙に悟空は張り紙を引っ剥がして、八戒の所に戻ってきた。
 八戒は、先ほどからの人波に気疲れしたらしく、長い口を塀の腰に引っ掛けてうつらうつらと居眠りをしていた。
「こいつは、よく食って、よく眠る男だ。本当にのんきものだなあ」
 悟空は呟きながら、はがしてきた紙を八戒の懐にねじ込んだ。そして、味噌と醤油を買うと、さっさと一人で会同館へ帰ってしまった。
 間もなく、立札の見張り役人たちが、八戒の懐からはみ出ている張り紙を見つけた。
「やっ、こいつだ。立札の張り紙をはがした奴は。お前は、国王様の病気を治せる素晴らしい薬でも持っているのか?」
「へえ、それは何のことですか」
 八戒は、不思議な顔で役人に訊いた。
 役人は、八戒の懐を指さしながら言った。
「懐からはみ出している物は何かね?」
 八戒は、慌てて紙を引き出して読んだ。
「うむ、兄貴め。オレをからかったな。よろしい、こっちにも考えがある。――お役人様。申し上げます。わたくしの兄貴が、この薬を持っております。どうぞ、一緒に来て下さい」
 八戒は、役人たちを会同館に連れてきた。
 部屋では悟空と悟浄が笑いながら、楽しそうに食事をしていた。
「兄貴、いたずらというものは、その災難が必ず自分に戻ってくるものだぞ。さあ、立札の見張りのお役人を連れてきたから、王様の病気を治す薬をあげてくれ。オレは知らないぞ。今度は、お前が役人から苦しめられる番だ」
「そうか。お役人が来たか。では、玄関へ出て、オレが薬を持っていることを知らせてやろう」
「おい、おい、兄貴、本当か?」
「まあ、黙って見ていろ」
 悟空は玄関へ出ると、四、五人の役人と、位の高い軍人たちが立っている。
 悟空は胸を張って威張った。


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「おほん、あなた方は、立札の見張りのお役人か」
「はい、左様で御座います」
「我々は、東土大唐から天竺に行くためにここまで来た者だが、病に悩んでいる王様が哀れである。病気を治すから、王様をここへ連れてきなさい」
 役人たちは驚いた。国王を連れてこいと言うからには、自信のある、たいへん名高い医者に違いないと思った。揃って頭を下げた。
「はい、国王様は、三年前からご病気で、身体はすっかり衰えて弱り、力も無く、ここまで参ることが出来ません。どうぞ宮中へおいで願えませんか」
「そうか。では、行ってやろう。道筋を掃き清めて、案内せい」
「は、はっ」
 しばらくの後に、悟空は宮中へ上がった。
 国王は話をお聞きになって、たいそう喜ばれた。けれども悟空を見ると、その怪しい顔かたちに、きゃっと声をあげて病室へ逃げ込んでしまった。
「あれは何だ。人間とサルのあいのこのような姿をして、雷の子供に似た顔をしている。あのような化け物に身体を見てもらうのはごめんだ。まことに恐ろしい事だ」
 目を押さえて寝台にうずくまったまま、身震いをして息を弾ませている。ちょうど居合わせた三蔵法師が、悟空をしかりつけた。
「お前は医者の心得も無く、医学の本も読まないくせに、国王様の大病を治すとは、とんでもない話だ。またも、私を苦しめようとするのか?」
「お師匠様はご存じないのです。わたくしは山奥に生まれ、山に育ったので、たくさんの薬草を知っております。また色々な術も心得ております。王様がわたくしの顔を見るのが嫌なら、糸脈を使って脈を見ましょう」
「糸脈を使うとは、どのような事か?」
「金の糸で手首を軽く結びまして、その糸をつぎの部屋から握って、王様の脈を診るのです。お師匠様の名をあげるために、どうぞ、それをやらせて下さい」
 三蔵法師は、糸脈の事を国王に知らせた。
 国王は、ため息をついて頷いた。
「あの変わった顔を見ずに済む事なら、それでやってもらおう」
「では、脈をおはかりいたしましょう」
 悟空は三本の胸毛を三筋の金の糸に変えた。それを扉の間から病室へ通して、国王の右の手首に結んでもらった。そして脈をはかった。
「うーむ、この脈は『双鳥失群(そうちょうしつぐん)』である」
 そばで控えていた役人が尋ねた。
「『双鳥失群』とは、どのようなご病気ですか?」
「仲良しの二羽の鳥が別れ別れになってしまって、互いに相手の身を心配しあっている事だ。国王様のご病気は神経衰弱である」
 病室で、じっとこれを聞いていた国王は、寝台から跳ね起きた。悟空の前へ走り出てきて、膝をそろえて丁寧にお辞儀をした。
「おみそれいたして、まことに申し訳ない。貴方は天下一の名高い医者であろう。どうぞ薬を頼みます」
「よろしい。この町中の薬屋から、薬と名のつくものを三斤ずつ、わたくしの宿へ運ばせなさい。丸薬を作って差し上げよう」
 悟空は偉そうに大手を振って、宮中から帰っていった。会同館の部屋では、八戒と悟浄が心配顔して、壁にもたれている所へ悟空が帰ってきた。
「おう、兄貴。どうした?」
「いま役人たちが、都じゅうの薬屋から薬を集めて持ち込んでくる。お前たちはそれをここへ運び込んでくれ」
 間もなく、薬を積んだ馬力が列を作って会同館へ到着した。八戒たちはぶったまげた。
「すごい薬の山だな。これを飲ませるには何百年もかかってしまうよ。それとも、ここで薬屋でも開店するのか?」
 薬の他に、薬草を振るう金網や、臼や、薬を混ぜたり細かくする乳鉢や、乳棒までも送り込まれてきた。
 部屋は薬の山で足の踏み場もない。
「兄貴、寝るところも無いぞ。どうするんだ?」


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「では、始めようか。まずタデ科の多年草である大黄(だいおう)の根っこを、少し取ってくれ。八戒、お前のつま先に転がっている奴だ」
「これか?」
「それを細かくしてくれ。大黄は、痰を取り除いて、腹の中にたまっている悪い物や熱を取り去るんだ。次に巴豆(はとう)を少し取ってくれ。殻と薄皮をむいて、油気を取り除いてから細かく砕くのだ。これは腹の中を清潔にして、腫れやむくみによく効くんだ。その他の薬はもういらない」
「ええっ、山ほど残っているこの薬はどうするんだ。あんまり大騒ぎをさせるな」
「八戒、黙って大先生の言う通りにしろ。この盃に、半分ほどなべ底の真っ黒な墨を入れてこい」
「へえっ、薬になべ底の墨を入れるのか?」
「『百草霜(ひゃくそうそう)』と言って、墨はどんな病気にでも効くんだ。取って来たら、オレ達の馬の小便を、盃に半分ほど取って来い」
「小便? 馬の?」
「当たり前だ。オレ達の馬は、もとは西海の龍なんだ。龍の小便はたいへんな宝物だ」
 ようやく、色々なものが揃って、丸薬が三つ出来上がった。
「でっかい丸薬だなあ」
「色が真っ黒だぜ」
「二人ともうるさいぞ。カラスのように色が黒いから、薬の名を『烏金丹(うきんたん)』と付けよう」
 烏金丹を王様に差し上げると、長い間の病気が、わずかな間にけろりと治ってしまった。
 王様の喜びも、国民の感激も大変なものである。すぐに宮中で床上げの祝いの大宴会が開かれた。八戒も悟浄も頭から足のつま先まで、せっせと旅のほこりを叩き落して招かれていった。
 王様は元気よく、三蔵法師達にご馳走をすすめながら話し始めた。
「双鳥失群とは、よく病名を判断なさいました。実は今から三年前、ちょうど五月のお節句の日の事でした。私は妃たちと庭の池に船を浮かべて、その中で酒やちまきなどを楽しんでおりました。すると、ふいに嵐のような大風が吹き起こって、空中に一人の魔物が現れました。『オレは麒麟山獬豸洞(きりんざん・がいちどう)に住む賽太歳(さいたいさい)だ。妃をもらっていくぞ』と一声叫んで、妻を奪い去っていきました。私はその時の驚きのために、食べたちまきが腹に止まって身体を壊し、妃はどうしているやら、心配などし続けて、このような病気になってしまいました」
 悟空は話を聞いている内に、胸がわくわくして心が勇み立ってきた。
「王様、その賽太歳という野郎はどこにおりますか?」
「南へ三千里ほど行った山の奥と聞いていますが、三つの魔法の鈴を持っているので、軍隊も近づくことが出来ません」
「魔法の鈴とは、どんな鈴ですか?」
「火を吹く鈴、煙を吐く鈴、砂をまき散らす鈴で、どの一つを身に受けても命は無いと言われています」
「面白い、行ってきましょう。必ずお妃さまをここへお連れ申してきます。だが、わたくしの姿に、お妃さまは驚くでしょう。王様の味方であるという証拠に、お妃さまの形見の品を、何か一つ貸して下さい」
「ご心配はいりません」
 王様は、お妃さまが残していった黄金の腕輪を小箱の中から取り出して、悟空に渡した。
 悟空は雲に乗って、南へ三千里ほど飛んでいくと、獬豸洞の門が見えてきた。辺りの山々を見下ろして、岩山の上に城がそびえ立っている。その隣にひときわ美しい紅色の門が見えている。
「あれが、お妃さまの御殿だろう」
 悟空はハエに身を変えて、御殿の中へ入り込んだ。すると、鹿や狐の化け物たちが、美しい女に成りすまして、お妃さまの両側に並んでいる。お妃さまはその真ん中で青白い顔をして、額に手を当てたまま涙ぐんでいる。ハエになった悟空は、お妃さまの肩に止まってささやいた。
「朱紫国の王様からのお便りを持ってまいりました。お人払いを願います」
 お妃さまは、どこからともなく聞こえてくる声を不思議に思って、とにかくおつきの者たちに、つぎの部屋へ下がるように言い渡した。
 悟空はハエから身を変えて、お妃さまの前に飛び降りた。途端にお妃さまが、がばりっと椅子から立ち上がってしかりつけた。
「無礼者め、下がりなさい」
「ご安心ください。朱紫国から参った使者で御座います。わたくしは東土から天竺へ経を頂きに参る三蔵法師の一番弟子、孫悟空と申します。本日、朱紫国を通りかかりまして、国王様からお妃さまがこの獬豸洞にさらわれておることをお聞きして、お救いに参りました。これが、国王様からお預かりしたお品でございます。どうぞ、お疑いなさらぬように」
 悟空はお妃さまの腕輪を見せた。
「おう、それは、わたくしが朱紫国へ残しておいた腕輪。もしも貴方様がわたくしを国へお返しくだされば、ご恩は一生忘れません」
「魔法の鈴はどこにありますか?」
「いつも賽太歳が腰につけております。それが誠に恐ろしい三つの鈴で、一つ鈴を振った途端に、三百丈の火を吹き上げて、人を焼き殺します。二つ目の鈴は三百丈の煙を吐き出して、人をいぶし殺します。三つ目の鈴は、これも三百丈の砂を飛ばして人の目つぶしを致します。最も恐ろしいのはこの鈴で、砂を一息吸っただけでも、たちまち息が絶えてしまうほどで御座います」
「その三つの鈴を、お妃さまが預かるように仕向けて頂けませんか。例えばその涙をお拭きになって、朗らかな顔を賽太歳に見せて、鈴を渡すようなうまい事をおっしゃってくれませんか」
「そのように致してみましょう」
「私は仙人の術を知っているので、ハエになって隠れております」
 お妃はおつきの女を呼んで、賽太歳に会いたいと伝えた。
 賽太歳は体の大きさ一丈八尺もある大化け物である。腕の太さは大木の幹ほどもあって、頭からは金色の光を放ち、声は雷の轟きに似てものすごい。
 その太歳が、ニコニコ顔をして、お妃さまの部屋に入って来た。
「おう、だいぶ顔色がいいな。何か用か?」
「はい、わたくしは風の便りで聞きました。朱紫国の王は、新しい妃をもらわれたとの事です。わたくしは諦めました。今日から、あなた様の妻になります」
「ややっ、それは有難い。だが、そのような茨のトゲに囲まれた服を着ていては、近寄ることが出来ない」
「はい。この服は、わたくしがここへ参ります時に、わたくしの守り神が身に吸い付けてしまったもので御座います。脱げるようにお祈りいたしますから、二、三日の間お待ちください。あなたは妻を信じて、大切なものをお預けになるお気持ちが御座いますか?」
「あるとも、なんでもお前に預けよう」
「では、三つの鈴をお預けください。そのようなものを持っておられては、恐ろしくて近寄ることが出来ません」
「おう、もっともじゃ。だが、いつも置き場所を決めて、大事に扱ってもらいたい」
 太歳は着物を三枚まくり上げると、腰に付けた三つの鈴を解き外した。綿で鈴の口をしっかり塞ぐと、豹の皮の風呂敷に包んで差し出した。
「粗末にしてくれるなよ」
「はい、お預かりいたします。鈴はいつも、この化粧台の上に乗せておきます」
 間もなく、酒や料理が運ばれて、太歳はお妃さまのお酌で嬉しそうに飲み始めた。
 ハエに変わった悟空は、こっそりと元の姿に変わって鈴を盗み出した。その後へ、胸毛を三本引き抜いて、同じ型の鈴を三つ置き残した。
「どんな鈴か試してみよう」
 悟空は鈴を抱えて庭へ走ると、東屋の椅子に腰かけた。鈴は革ひもで三つ一緒に結ばれていて、真ん中の一つは大きな茶碗ほどもある。他の二つはその両側に下がっていて、湯飲み茶碗より少し小さい。
「大した事はあるまい、いっぺんに栓を引き抜いてみよう」
 悟空は鈴に詰められていた三つの綿をいちどきに引き抜いた。鈴はチリリンと音を立てた。同時にズドドドドドン、ヒュウー、ゴゴゴーと、音と一緒に火と煙と黄色い砂を噴き出した。見る見るうちに、東屋は一面の火の海となった。
「うわあ、これはすさまじい」
 悟空は飛び離れて、大木の陰に逃れた。
「火事だ、火事だ」
 と、城内は大騒ぎになって、太歳はふらふらに酔った足取りで駆けつけてきた。そして悟空を見つけた。
「やっ、貴様は何者だ?」
「朱紫国から、お妃さまを取り返しに来た斉天大聖だ」
「なんだ、天の馬番人か。それっ、四方の門を閉めて、コイツを逃がすな。誰か、妃の居間から鈴を持ってこい」
 手下の一人が走って鈴を抱えてきた。
 太歳はそれを取り上げると、落ち着き払って悟空の前に鈴を突き出した。
「この鈴を振って見せるから、そこ動くな」
「わっはっは。そんな鈴なら、こっちも持ってる」
「ややっ、よく似た鈴だな。だが、鈴は鈴でもそのようなありふれた鈴とは天地の差がある。それっ、驚くな」
 太歳は頭上に高く鈴を振りかざすと、リンと鳴らした。だが、火も、煙も、砂も出ない。
 太歳はうろたえた。リリリンリンと、やたらに鈴を振り回したが、鈴はけたたましく鳴り響くばかりで、目の前には悟空が、にやり、にやりと笑いながら突っ立っている。
「お前の鈴は鳴るだけか。では、今度はオレが振る番だ」
 悟空が気合もろとも、鈴を一振りした。
 いきなり真っ赤な炎、黒い煙、黄色い砂が火山の爆発のように大音響をあげて、太歳を吹き飛ばした。
 太歳は黒焦げになって立木の根元にぶつかると、その死体は年をとった一匹の狼に変わった。


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 悟空は城からお妃さまを連れ出した。
「この風上にいて下さい」
 風下に向けて鈴を振り続けながら走ると、城はゴウゴウと焼け落ちて、手下どもも一人残らず焼け死んで、狐や鹿に変わった。
「お妃さま、もう、ご安心ください。さあわたくしがご案内して、雲に乗って帰りましょう」
 悟空はお妃さまの手を取った。同時に悲鳴を上げて飛びのいた。
「あいた、たた、たた」
「あっ、お許し下さい。わたくしの身体には、守り神のお守りで、毒のあるとげの上着が張り付いているので御座います。賽太歳もどなたも近寄ることが出来ません」
 悟空は庭の隅から、柔らかい草を抜き取って重ねると、一匹の龍を作った。
「それでは、これにまたがって、目を閉じて下さい」
 お妃さまは素直に目を閉じて、その言葉に従った。
 悟空は呪文を唱えた。
 草の龍は、たちまち一匹の龍に変わって、焼け野原となった麒麟山獬豸洞を飛び上がった。ヒュウヒュウと風を切り、雲を分けて、お妃さまと悟空を乗せて、朱紫国へまっすぐに飛び進んだ。
 お妃さまのとげの上着は、激しい風に千切れるほどはためいている内に、やがて雪のように細かく飛び散って、大空へ消えていった。
 その上着の下から、お妃さまの神々しい衣装が現れて、天女が舞うように裾をなびかせながら、龍と一緒に空高く山の影へ消えていった。
 まもなく、朱紫国の山から山へお祝いの花火が轟き、三角の国旗が翻り、町にも里にも、ばんざい、ばんざいの声が、明るく沸き上がった事は言うまでもない。




~つづく~

2020.05.20 青い花の秘密

 今日は久々に短編で、オランダの民話、『青い花の秘密』をお送りします。

 では、さっそくスタート!


青い花の秘密



 むかしむかし、オランダの国に、まだ妖精たちが住んでいた頃、森の樫の木の下に、一軒の猟師の家がありました。その家に、ブンドルキンという可愛い少女がいました。
 ブンドルキンはだんだん大きくなって、輝くばかりに美しい娘になりました。村の若者たちは、ブンドルキンと結婚しようと、てんでに見事な毛皮や宝石など、素晴らしい品物を持ってやって来ましたが、ブンドルキンは誰にも承知をしませんでした。
 ある時も、
「自分は糸吐き頭です」
 という、まるで蜘蛛のような気味の悪い顔をした男がやって来て、ブンドルキンに、
「どうぞ、私のお嫁さんになって下さい。そうしたらあなたに、毛皮や宝石なんかより、もっともっと大切な事を教えてあげますから……」
 と、一生懸命頼みました。
 けれどもブンドルキンのお母さんは、この男の顔があまりにも変なので、
「あなたに娘はやれません。さっさと帰って下さい」
 と、乱暴な言葉で追い返してしまいました。
 それからというもの、ブンドルキンに結婚を申し込みにやって来るものは、ばったりといなくなってしまいました。
 その内、ある日、ブンドルキン一人が家で留守番をしていると、家のすぐ横にある樫の木の葉が、風も無いのにしきりにザワザワと音を立てました。
(あらっ、変だわ……)
 ブンドルキンは不思議に思って、木のざわめきに聞き入っていると、その木の葉の音は、やがて人の声になって聞こえてきたのです。
「この前お宅へ伺った糸吐き頭という男は、実を言うと蜘蛛なのです。けれども、今度あの男があなたの所へ行ったら、あの男のいう事をよく聞いた方がいいのです。あの男は、この世で一番賢い男ですから、未来のことまで知り通していて、あなたに不思議な事を教えてくれますよ」
 そう言ったかと思うと、また、元の通りに静まり返ってしまいました。
 ブンドルキンが驚いていると、一匹の蜘蛛が木の枝からすうっと下がってきて、ブンドルキンの側にあった棒の上にとまりました。
「今、木の葉が言っていたのはあなたの事なのね。それで、どんな事を教えて下さるのです」
 ブンドルキンがさっそく尋ねると、
「お教えする前に、お願いがあります。この前もお頼みしたように、どうか私のお嫁さんになって下さい。でも、今すぐにというのではありません。今はあなたのお部屋に巣をかける事を許して頂いて、いつもあなたのお顔が見えるところにいられれば、それでいいのです。そうしたら、私はそこに住み込んで、あなたに色々良い事をして差し上げます」
 と答えました。
「巣をかけるぐらいでしたら構いませんわ。あなたの思い通りになさって下さい」
 ブンドルキンがそう言ったとたん、急に激しい嵐が吹き付けて、樫の大木を吹き倒したかと思うと、その後に御殿のように立派な一軒の家が現れました。この家には、美しい花園が付いていました。
「まあ、素敵!」
 ブンドルキンが喜んで花園を歩いていると、今まで見た事も無い青い花が咲いているのを見つけました。
 そこへ蜘蛛が来て、
「さあ、ブンドルキンさん、この家の部屋の中で、あなたが一番いいと思う所を、自分の部屋にお使いください。そして、私がどこへ巣をかけたらいいか決めて下さい。私がそこに住んでから、百日の間、私に親切にして下さったら、あの青い花の秘密を教えてあげます」
 と言いました。
 ブンドルキンは言われた通り、自分の気に入った部屋を選んでから、
「あなたの巣はどこがいいかしら……。そうね、あそこが一番良さそうですわ」
 と、日当たりのよい窓の側の、天井の隅を指さしながら蜘蛛に言いました。
 蜘蛛は嬉しそうに、さっそく身体から真っ白い糸を繰り出して、巣を作り始めました。
(なんて綺麗なのでしょう。まるで絹糸のようだわ)
 ブンドルキンは不思議そうに、それをいつまでもいつまでも飽きずに眺めていました。


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 そのうちに日が暮れてきました。ブンドルキンは寝床が無いのに気が付いて、
(あら、困った、どうしたらいいかしら……)
 と考えていると、蜘蛛にはすぐそれが分かったらしく、
「私が今、素晴らしい寝床を作ってあげましょう」
 と言ったかと思うと、ふわふわと柔らかい毛皮が現れて、床をすっかり覆いました。
 ブンドルキンは目をみはって驚きましたが、しばらくして毛皮の上に横になり、いつの間にか気持ちよさそうに眠ってしまいました。
 その夜、ブンドルキンは夢を見ました。自分が身に着けていた、重くて厚ぼったいけものの毛皮が自然に脱げ落ちて、いつの間にか薄くて柔らかな、真っ白い布の服を着ていたというような夢でした。
(何と着心地の良い服でしょう……。まるで露に濡れて銀色に光っている蜘蛛の巣みたい!)
 と、ブンドルキンは夢の中で思いました。
 こうして、一日、一日と過ぎていくうち、ブンドルキンと蜘蛛は、仲の良い友達になりました。ブンドルキンは、蜘蛛が教えると言った青い花の秘密を早く知りたくてたまりませんでしたが、
(いくら友達になったからと言って、約束の百日が経たない内にそんな事を聞いたら、蜘蛛さんはきっと怒るに違いない)
 と思って、じっと我慢をしていました。
 夏が過ぎて、木の葉がパラパラと散る秋になりました。
 ある日、ブンドルキンは庭を散歩しながら青い花の咲いている所へ行ってみると、花は散ってしまって、茎だけが固く真っ黒になって残っていました。それを見たブンドルキンは、
(おやおや、すっかり枯れてしまって……。こんなつまらない物の中に、秘密なんかがあるのかしら……)
 と、なんだかとても悲しい気持ちになってしまいました。
 ところがその時、突然大嵐が吹き付けて、辺りが見えなくなるほど木の葉を吹き散らしました。ブンドルキンはびっくりして目をつぶり、そこに立ったままでいました。でも、じきに風はやんで、元通り静かになったので、ブンドルキンは目を開きました。
 と、どうでしょう。自分のすぐそばに、たいそう美しい一人の若者が立っていたのです。若者は、ずっと前、ブンドルキンが夢で見たような、柔らかで真っ白な薄い布の服を身に着けていました。
「私は、前に蜘蛛だった糸吐き頭です。あなたが約束通り、百日の間親切にして下さったので、私にかけられていた魔法がとけて、元の身体になることが出来ました。本当に有難う御座いました。お礼に、これをあなたにお贈りします。これは、あの青い花の茎ですよ」
 若者はそう言って、真っ黒な茎を差し出しました。
 ブンドルキンは、ただもう驚いて、若者の顔をじっと見つめていましたが、心の中で、
(なんて綺麗な方でしょう! でも、贈り物にこんな汚らしい茎をくれるなんて随分変な人……)
 と思い、すこしがっかりしました。
 すると若者はニコニコして、
「その茎の中に、素晴らしい秘密が入っているのです。さあ茎を割ってご覧なさい」
 と言いました。
 ブンドルキンは不思議に思いながら、そっと茎を二つに割ってみると、中には雪のように真っ白な、とても長い繊維があったのです。
「まあ、こんなきれいな繊維が……」
 ブンドルキンが、目を輝かせて繊維を引き出すと、若者もいかにも嬉しそうに、
「それで、秘密がわかったでしょう。それから、その茎には種が付いていますから、種を取って地にお蒔きなさい。そうすれば、また芽を出して、やがて辺り一面に青い花が咲きます。花が散ってしまったら、茎を集めて、今のように中から繊維を取り出し、それで布地を織りなさい」
 と教えました。
 それからブンドルキンが持っていた真っ白い繊維を受け取り、さっと一振りしたかと思うと、目の覚めるような美しい服に変わりました。
 それはリンネルの服だったのです。
 若者はその服をブンドルキンに渡しながら、
「ブンドルキンさん、どうぞ私のお嫁さんになって下さい。そして、これをあなたの婚礼衣装にして下さい」
 と言いました。ブンドルキンは恥ずかしそうに、その服を受け取りました。
 間もなく二人は結婚しました。そして、美しい繊維の採れる青い花の種をたくさん畑に蒔いたので、それからは、オランダにリンネルの布地が出来るようになりました。




~おしまい~

 今日で、『トールの神話』も最終回です。


 次回からは、また違った物を用意しようと思っています。

 それでは、さっそくスタート!


 いたずら好きのロキの神は、もう一度タカになって大空を飛んでみたくなった。
「それでは、本当にもう一度だけですよ」
 フライアの女神は、宝物のタカの羽をロキに貸した。
 ロキはタカになって大空へ飛び立った。花嫁姿のトールを乗せて、巨人の国へ行った事を思い出した。
「そうだ。巨人の国へ行って、ひとつからかってやろう」
 よせばよいのに、いたずら好きのロキは、巨人の国へ、巨人の国へと飛んで行った。緑の大草原に囲まれた高い山の上に、立派なお城があった。ロキはその城の屋根の上に舞い降りた。
「おう、見事なタカだ! 誰か行って、あのタカを捕まえて参れ」
 城の王様ガイルロッドが大声で叫んだ。鷹捕りの名人と言われている一人の巨人が、するするっと城を上り出した。
 これを見たロキが、飛び上がって喜んだ。わざとその巨人の側に飛んで行っては、するりっと身をひるがえして、ばさっと逃げた。その度に、巨人の顔が赤くなったり青くなったりした。もし、捕まえることが出来なかったら、気の荒いガイルロッド王の鋭い剣が飛んでくるのに違いない。
 鷹捕りの名人は真剣になった。
 ひらりと逃げようとするタカの太い足を、ガッチリとつかんだ。


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 バタバタと物凄い羽音が立った。ロキは必死に逃げようとした。だが、どうにもならなかった。
「偉いぞ! さすがは鷹捕りの名人だ」
 バタバタ暴れているタカをじっと見つめていたガイルロッド王は、ふと、トールに殺された兄のトリム王の事を思い出した。
(そうだ! あの時のタカだ……)
 ガイルロッド王は、辺りがビリビリッと震えるぐらい大きな声で怒鳴った。
「お前は誰だ! 姿を見せろ!」
 ロキは硬く目をつぶって、ぐっとこらえていた。今にきっと逃げるチャンスがある!
「よしっ、逃げられるものなら逃げてみろ!」
 ガイルロッド王は、タカを鉄のかごの中に入れてしまった。
「ああ、もう、駄目だ……」
 ロキはがっかりしてしまった。それでも逃げるチャンスを狙った。ところが、ひと月経ってもふた月経っても食べ物さえくれないのだ。
 悪戯好きで、元気もののロキも、これにはすっかり参ってしまった。
「どうしたら許してくれるのだ」
 と、ついに声をかけてしまった。
「そうだ、いかにもわしは神々の国の者だ。ロキの神だ」
 と、今にも泣き出しそうな声で言った。
「お前がロキの神か。なかなかの知恵者と聞いているが、わしの言う事を聞いたら許してやろう」
 ガイルロッド王は、いかにもずるそうな顔をして言った。
「どんな注文だい」
 ロキの神は、もう真剣だ。
「トールと会いたいのだ。神々の国の英雄の顔を見たいのだ。ただし、あの恐ろしい刀と、手にはめているという魔法の手袋と、不思議な力の出る帯を身につけさせないで連れてきてもらいたいのだ」
 ロキはびっくりした。
「そ、それは無理だ」
 ロキは、トールの身に危険を感じた。
「ロキ、何を考えているのだ。わしはトリムのような目に遭いたくないからな。何も、喧嘩をしようと言うのではない。ただ、あの三つが恐ろしいだけなのだ」
「すると、仲良く酒でも飲もうと言うのかい?」
「そう、そうだとも! さすがは神々の国の知恵者だ」
 褒められると、すぐいい気になるロキだ。
「よし、きっと三つの宝を置いて連れてくるよ!」
 と、嬉しそうに叫んだ。
「よろしい、では、神々の国へ飛んでいけ!」
 鉄の扉がさっと開けられた。
 ロキは素早く大空へ飛び立った。
 だが、何も食べていないので、思うように飛べない。ふらふら飛びながら、やっと神々の国にたどり着いた。
 タカの羽をフライアの女神に返すと、元のロキになって、トールの所へ行った。
「どうした、ロキ! しばらく顔を見なかったが、どこへ行っていたのだ」
 ロキの顔を見ると、トールは嬉しそうに叫んだ。
「実は……フライアの女神には内緒だよ。タカの羽を借りて、巨人の国へ遊びに行ったのだ」
「えっ、巨人の国へ?」
「ガイルロッドの城だ」
 そう言ったロキは、いかにも楽しそうに話しだした。
「いや、本当だ。あんないい巨人は初めてだ。そのガイルロッド王が、是非お前に会いたいというのだ」
 ロキは、なおも楽しそうに喋り続けた。
「そうか。そんなに、わしと会いたがっているのか」
 しばらく考えていたトールは、
「よしっ、行こう! その代わり、お前も一緒だぞ」
 と言った。ロキはびっくりした。
「えっ!」
「嫌か。嫌なら、わしもやめる」
「行く、行くよ。行けばいいんだろう」
 トールはさっそく旅の支度をした。力帯を締め、鉄の手袋を持った。
「トール、駄目だよ! そんなものを持って行くと、喧嘩に来たと思われるだろう。ほら、トリムの事で、巨人たちは酷く怖がっているんだ。第一、お前ほどの者が、そんなものが無くては、巨人の前に行けないのかい」
 ロキにそう言われて、トールはなるほどと思った。そこで、三つの宝を置いて旅に出た。
 お供は、ロキとトールの家来になった百姓のせがれ、少年チアルフであった。
 巨人の国との境に近づいた時、日が暮れた。そこでフイダルの神の城に泊まることにした。
 みんなが寝静まった頃、フイダルの神のお母さんが、トールの側にやって来た。
「トール、お前さんは、見たところ丸腰だが、それは危険だよ。ガイルロッド王は、お前に殺されたトリム王の弟なんだよ」
「えっ、本当ですか?」
「ロキは知らないんだよ。だから、油断はできないよ。さあ、これを持っておゆき。力帯は、肌にじかに締めると見えないだろう。それからこの杖は、お前のミヨルニルと少しも変らぬほど、役に立つよ」
 トールはしわだらけの顔をじっと見つめた。
「有難う!」
 フイダルの神の母、グリッドは、ニコッと笑うと立ち去っていった。
 もちろん、ぐっすり寝込んでいるロキは、知るはずがなかった。
 朝が来ると、巨人の国へ出発した。
 まもなく、フィメルという大きな川にぶつかった。
「きれいな水だな」
 と、チアルフが言った。
「流れも静かだし、それほど深そうでも無いし……よしっ、歩いて渡ろう!」
 ロキが真っ先に水の中へ入って行った。
「油断をするな! この川は、巨人の国の川だぞ」
 三人が川の中ごろに差し掛かった時だ。
 ふいに、水かさが増して、流れが速くなった。
「あっ、危ない! チアルフ、わしにつかまるんだ」
 真っ先にしがみついたのはロキだ。
 トールは魔法の杖を突き立てて、ぐっと川上を見た。
 川は幅が急に狭くなって、両岸に足をかけて立っている若い女がいた。ガイルロッド王の娘ギアルプだった。
 トールは素早く足元の岩をつかむや、
「えーい!」
 と娘をめがけて投げつけた。娘はびっくりして風のように消えてしまった。
 川は、もとのように穏やかな清流となった。
 川を渡り、ガイルロッド王の城に着いた。
 ロキの足は、がくがく震えていた。
 三人は、すぐ大きな部屋に案内された。
「綺麗な部屋だな!」
 チアルフが、目を丸くして叫んだ。
 ところが、ロキは不思議そうに首をかしげていた。
「窓も無い、真四角な部屋……。それに、真ん中に椅子が一つ、ぽつんと置いてあるだけだ」
 その椅子には、ぴかぴか光るきれがかかっている。その上に、柔らかそうな布団が置いてある。
「これは有難い」
 そう言って、トールがその椅子に腰を下ろした途端、椅子がむくむくと動き出して、あっと言う間に空中へ飛びあがった。天井は大理石だ。
「あっ、危ない!」
 思わず叫んだチアルフの声が、部屋の中に響いた。
 ロキは、飛び上がった椅子の下から出ていた二人の娘の顔を見ていた。耳まで裂けた真っ赤な口が火を吹いていた。


Tors-myth-12JPG


 だが、チアルフは天井の方を見つめていた。大切な主人トールが、潰される。
「ああ……」
 と、思わず叫んでいた。が、飛び上がった椅子が急にドスン! と落ちてきた。トールが魔法の杖で天井を突いたからだ。
 ギャッ――
 ギャッ――
 ガイルロッド王の娘ギアルプとグライプは押しつぶされて死んでいた。
 そこに、ガイルロッド王が現れた。
「よくもやったな! 娘と兄の仇だ!」
 巨人ガイルロッドは、真っ黒な髪を逆立てて、トールをにらみつけた。
 トン、と足を鳴らすと、足の下から鉄の釜が飛び出してきた。中に、真っ赤に焼けた鉄の塊が不気味な光を放っていた。
 何をするのか?
 ロキは真っ青な顔をして、後ろの壁にピタッとくっついていた。歯がカチカチと鳴っている。
 トールは素早く鉄の手袋をはめた。
 と同時に、
 ウオー――
 と、ものすごい気合が響いた。
 そのトールをめがけて、真っ赤に焼けた鉄の塊が飛んできた。
「あ……」
 ロキは気を失いかけた。
 はっと気が付くと、その火の塊が、トールの手からガイルロッド王へ――突き刺さるように飛んでいた。
 にこっと笑っていたガイルロッド王が、崩れるようにその場に倒れた。
 声も聞こえなかった。
 叫び声も、何も聞こえなかった。
 ロキは、目を激しく瞬いた。
「ロキ、お前が言う通り、本当に面白かったぞ! さあ、チアルフ、帰ろう」
 そう言って、トールが初めてニコッと笑った。
「ま、待ってくれ! これは、一体どうなっているんだい?」
 ロキは慌てて、倒れているガイルロッド王の側に飛んできた。見ると、巨人ガイルロッド王の厚い胸に、ぽっかりと大きな穴が空いていた。
「すごかったなあ。ガイルロッドは、真っ赤に焼けた鉄の塊を、トールの神目がけて投げたんだ」
「チアルフ、ちょっと待ってくれ! 何を投げたんだい? オレにはよく分からなかったのだ」
「黒い、火を挟むようなものだったよ。そしたらトールの神が、それを受け取って投げ返したのさ」
 少年チアルフは、しっかりと見ていたのだ。
「偉いぞ、チアルフ!」
 と、トールが言った時、ロキがまたふいに慌てて叫んだ。
「ト、トール! 石に、石になった。ガイルロッドが、石になったぞ!」
 トールもチアルフも、不思議な不思議な事を見た。倒れていた巨人が、石に変わっていたのだ。
 トールは、ガイルロッドの倒れていたままの形をした石に手をかけた。
「トール、ど、どうするんだ!」
「丘に立ててやるのさ」
 石を担いだトールは、小高い丘の上へ歩いて行った。




~おしまい~

 サイトを更新しました。

 今日は『文庫本コーナー』に、小説版『ファイクエII』の最終回を掲載しています。


 因みに今、『トールの神話』シリーズを連載しているのも、ファンタジー系でRPGと親和性が高いかな、と思ったからだったり。


 ところで先日新しいモバイルルーターを契約して、今まで使ってたのを今日、解約したんですが、勘違いしててまだ二年ちょっとしか使ってませんでした。

 おかげで解約料やら諸々併せて一万三千円ほど支払う事に……ナンテコッタ

 ……今度はちゃんと、どれ位の期間使ったのか覚えておこう。


 さて、本文は今日も『トールの神話』の続きです。

 では、さっそくスタート!


 ある朝、トールが目を覚ますと、大切な刀が無くなっていた。
「マグニでも、持って行ったのか」
 と、シフの女神に訊いた。
「いいえ」
 見ると、マグニは物凄いいびきをかいて、まだ寝ていた。
 どこを探しても、ミヨルニルは見つからなかった。トールの顔が次第に激しくなってきた。
 そこに、いたずらの神、ロキがひょっこりとやって来た。
「お前だな! ミヨルニルを隠して喜んでいるのは……」
 不意に胸ぐらをつかまれて、ロキの神は目が飛び出しそうになった。
「く、く、苦しい、は、放してくれ! 違う、オレじゃない。ほ、本当だ」
 その真剣な顔を見て、トールは手を離した。
「良かった。もし、この事が巨人の国に知れたら、どっと攻めてくるだろう」
「心配するな。きっとどこかにあるさ。そうだ。あの美しいフライアの女神が、タカの羽を貸してくれたら、必ず捜し出してみせるよ!」
 ロキが力を込めて叫んだ。
「そうか、よし! では早速フライアの女神の所へ行こう!」
 二人は、すぐフライアの女神のもとへ飛んで行った。神々の国が危ないと思った女神は、喜んでタカの羽を貸してくれた。
 その羽を付けると、ロキは見事なタカになって大空へはばたいた。
 グリオッツガルドの大草原に流れるイフイング川を越えると、巨人国の荒野が続いた。岩だらけの丘の上に建っているトリムの城が見えてきた。
 その城の庭から、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「王様、たいそうご機嫌がよろしいですが、何か素晴らしい事でもあったのですか」
 空の上から、ロキは声をかけた。
「おう、タカか! そうとも、見事な刀を盗んできたのさ」
「見事な刀……。それはトールの刀でしょう。神々の国では、大変な騒ぎですよ」
「そうか! それはいいぞ」
 トリム王はガボガボと音を立てて笑い出した。
「しかし、王様……あんな刀を盗んだって、楽しくないでしょう。それよりも、あの美しいフライアの女神と取り換えたらどうです」
 ガボガボと笑っていたトリム王の顔が、鉄のように固くなった。
「なるほど! お前はかなり利口なタカだな。よし、そうしよう! フライアをオレの嫁さんにくれるなら、刀は返してやるとトールに伝えてくれ。ガボ、ガボ、ガボ……」
 しめた、とばかりに、ロキは神々の国をめがけて空を切って飛んだ。
「えっ! まさか、そんなことが出来るものか」
 話を聞いたトールは、顔色を変えた。
 喜んだのは、いたずら好きのロキだ。
(よし、今度はあの美しい女神を困らせてやろう)
 二人はフライアの女神の所へ行った。思った通り、フライアは怒り出した。
「私は死んでも行きません!」
 トールはがっかりした。
 だが、ロキの顔は明るい。
 その顔を見ると、ロキが何かをたくらんでいることが分かる。
 しかし、それに気づくトールではなかった。握りしめた拳を激しく振るわせて、歯をかみしめていた。
「トール、そんなに怒ると身体に悪いぞ。考えても考えてもどうにもならない時にはどうするのだ」
 トールはロキの顔を見た。その時初めて、平気な顔をしているロキを知った。
「考えが無くなった時は、考えの神のもとへ行く」
「そうだ、それでいいんだ」
「そうか、考えの神ハイムダルの所へ行こう!」
 トールとロキは、大きなタカに化けたフライアの女神の背中にまたがると、ハイムダルの所へ飛んだ。そこにはすでに神々が集まっていた。
「騒ぐことは無い。フライアの女神をやれば、それですべては平和に収まるのだ」
 フライアの女神が、わっと泣き出した。
「何故泣くのだ! わしはお前さんをあの醜い男のもとへやるとは言っていないぞ」
「えっ!」
 と驚く声が上がった。
「と、言うと?」
 トールが叫んだ。
「お前が行くんだ」
 また、騒がしくなった。
「ハイムダル、はっきり言ってくれ! それは、どういう事だ」
 トールは真剣だ。
「お前さんが花嫁になるのさ」
 神々がどっと笑った。が、すぐ、見事な作戦に感心した。
「良いか、トール。彼らは必ず、刀で花嫁を清める……その時だ!」
 トールの目がキラッと光った。
 さっそく、トールの花嫁支度にかかった。
 ロキはタカになって、トリムの城へ飛んで行った。
「そうか、フライアの女神が来るか。ガボ、ガボ、ガボ……」
 トリム王は、子供のようにはしゃぎまわった。
「では、さっそくお連れしてまいります」
 ロキのタカは、再び神々の国へ帰っていった。
 神々の国の勇士、トールの花嫁姿! 考えただけでも、ロキは楽しくて、楽しくてたまらなかった。
 その花嫁の姿を見た途端、ロキはぷっと噴き出してしまった。
「いや、これはすごい!」
 と言うと、げらげらと笑い出した。その内、笑いながら転がり出した。
 花嫁の頭が、たくましい神々の上にぬっと出ている。
「ロキ、静かにしろっ! 相手は巨人だ。ちょうどいいんだ」
 火の神が、真っ赤な顔をして怒った。
「では、成功を祈るぞ」
 考えの神が、花嫁の大きな手をぎゅっと握った。
「さあ、花嫁さん、背中に乗って下さい」
 大きなタカに化けたロキは、鋭い目をトールに向けた。トールはしっかりと、タカの首にまたがった。
 風の神が、さっと風を吹き上げた。
 花嫁を乗せたタカは、大空へ飛び立った。
 トリムの城へ――
 トリムの城へ――


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 イフイング川の上に来た時、トールは自分の姿を鏡のような水面に見た。ウハハハハハと思わず笑いだしてしまった。
「トール、静かに! 巨人に見つかったらどうなるんだ」
 トールは慌てて口を押さえた。
「あっ、トリムの城だ」
 丘や城の庭で、巨人断ちが嬉しそうに手を振っている。
 城の真上を三回回ったロキのタカは、すうっと庭に向かって舞い降りた。
「おう、フライア!」
 トリム王は胸を震わせて花嫁を見た。
「これは立派な花嫁だ」
 トリムはお祝いの大広間にズシンズシンと歩いて行った。そこにはご馳走が山のように積んであった。
「さあ、みんな、思い切り食べろ! 飲め! 倒れるまで飲め!」
 酒好きのトールののどが、ゴクリ、ゴクリ! と鳴った。トリムが不思議そうに見た。
「空をかけて来たので、喉が渇いているのです」
 花嫁の横にいるタカが言った。
「そうか。さあ、お前も飲め! お腹が空いただろう。食べろ、食べろ、ガボ、ガボ、ガボ……」
 トールはお腹がグウグウ鳴り出したので、目の前にある大きな牛の丸焼きをぐっとつかんで、むしゃむしゃと食べだした。ゴクンゴクンと酒を飲み出した。
「これはすごい! トリム王のお妃にもってこいだ!」
 巨人たちは、どっと声を上げて喜んだ。
 ロキは冷や冷やして、足が震え出した。
「そうだ、誰か、あの刀を持ってこい! 花嫁を清めるのだ!」
 不思議な刀、ミヨルニルが運ばれてきた。トールの目が、ぎらっと光った。
「刀を抜け。そして、花嫁の前に置くんだ」
 トリム王の命令で、一人の家来がミヨルニルを花嫁の膝の上に置いた。
 と、同時に、花嫁の太い腕がぬっと伸びた。
「あっ!」
 と叫んだトリム王の首が真っ先にすっ飛んだ。
 フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク地方に、『トリムのクイダ』という歌が残っている。
 飛び上がって喜んだロキのように、人々は今も、その歌を歌って楽しそうに手を叩いている。



  乙女を清める剣をもて
  乙女の膝に剣を置け
  われら しかと手を取りて 誓わん!
  いざ トール
  ロールの胸は微笑む
  膝の剣が置かるるや
  トリムの王の首をはね
  群がる巨人をなぎ倒す!
  おう トール! トール!




~つづく~

 タカトミモールの方で、GSゴッドネプチューンが予約開始されましたね。まあ、webコミック内でハーフシェルがGSタートラー型にアップグレードされてた時点で近い内に出るだろうとは思ってましたが……。

 私もさっそくポチってきました。


 しかし、まさかスキュウレはテンタキルをさらにリデコするとは……。

 ロブクロウ型が削除された代わりなんでしょうけども、それにしても豪華ですよね。


 ウェブコミックの各“色”の世界のTFは、また選択がマニアックと言うか……。(^ ^;)

 紫のコンボイは元がSGオプティマスだけに、やっぱり悪役でしたが、紫の世界はレーザーウェーブ(ショックウェーブ)ばかりだったのが何となく笑えました(笑)。それを言えば緑の世界もバルクヘッドばっかり(ATアイアンハイドやスパリンスプラング含む)でしたけど。


 さて、今日はアメブロの方も更新しました。

 トールとは関係ないですが、やっぱり北欧神話関係で幻想生物百科の記事です。 


 こちらでは、トールの神話の続きと行きます。

 では、さっそくスタート!


 その頃、朝の太陽を浴びて、神々の王オーディンは馬にまたがって空を飛び回っていた。
 翼のある白馬スレイプニルは、勢いよく神々の国から、巨人の国の上空に飛び出していた。
 すると目の前に、真っ黒な馬に乗った髭だらけの巨人が現れた。
「お前は誰だ!」
 と叫んで、巨人は太い手綱をぐっと引いた。金色のたてがみがキラキラと輝いた。
「私は神々の王、オーディンだ」
 巨人はオーディンの顔を見ようともしないで、白馬スレイプニルをじいっと見つめていた。
「いい馬だ! うむ、素晴らしい」
 これを聞いたオーディンの大神は胸をそらした。
「どうだ、これに並ぶ馬は無いだろう」
「なにっ!」
 巨人がぎょろっと大神を見た。
「そうかな……。わしのこのグルファクシに勝てるかな」
 笑っていたオーディンの顔色がさっと変わった。
「よし、では、追いつけるか来てみろ!」
 ヒュッと風が鳴った。
 白馬スレイプニルは雲を蹴った。後に続くグルファクシ!
 空を蹴って蹴って蹴り続けたので、朝の空がお昼に、昼の空が早くも夕焼けに染まってきた。
 はっと馬を止めた巨人は、びっくりして辺りを見た。いつの間にか神々の国の都に来ていた。
「しまった!」
 と叫んだが既に遅かった。周りを火の神、風の神、雲の神、雨の神などがぐるりと取り囲んでいた。
 巨人は神々の怒りに触れて、殺されると思った。盾も刀も無い。
「心配はいらぬ。君は大神の友達ではないか」
 風の神が優しく言った。
「そうだ、何を勘違いしているのだ。さあ、一緒に酒でも飲もう。喉が渇いただろう」
 神々の案内で、巨人は城の中へ入って行った。
「これは有難い」
 酒をなみなみとついだ大きな壺を両手で持つと、ゴクンゴクンと音を立てて一気に飲み干してしまった。
「やあ、美味かった! わしは巨人の国の勇士フルングニルと申す……。フルングニルとは、永遠の若者と言うのじゃ」
 と言っては、また大きな壺の酒をぐっと飲みほした。
 その大きな壺を、じっと見ている者がいた。トールの帰りを待っている、シフの女神であった。
「あの壺は、トールが大切にしている物……。もし、壊しでもしたら、それこそ……」
 巨人が壺をドシンと置くたびに、シフはいつの間にか前へ前へ身体を乗り出していた。
 七杯目の酒を飲みかけていたフルングニルの口と手がふいに止まった。大きな目が、真正面に向いたままになった。神々は、思わず後ろを振り返った。
「あ、シフだ!」
 神々は初めて、巨人が両手に持っている壺に気が付いた。いや、それ以上に恐ろしい事に気が付いた。巨人の目が怪しく燃えだしたのだ。
「わしは、金の髪が大好きだ。わしの名馬グルファクシに勝る、素晴らしい髪だ」
 そう言いながら巨人はシフに近づいて行った。
「やめなさい! 悪ふざけはいけない」
 雲の神が間に入ったが、フルングニルは雲をかき分けてシフに近づいた。
「グルファクシ! 帰るぞ……素晴らしい土産を抱えて帰るのだ!」
 シフは、逃げようとしたが足が動かなかった。
 巨人の手がシフの身体に触れようとした。きゃーっと、シフの悲鳴が上がった。
 その時だ。
「あっ、トールだ! トールの神が帰ってきたぞ……」
 と、どっと声が上がった。
 大広間に姿を表したトールは火のように怒り出した。真っ赤な髪と顎髭がピンと立って、火花が噴水のようにほとばしった。
 さすがの巨人もびっくりして、足がすくんでしまった。
「待て! トール、気を静めろ! 平和の城に血を流すな!」
 火の神の鋭い声に、トールは刀から手を離した。
「お前がトールか! 戦うなら、堂々と戦いたいものだ。わしはこの通り丸腰だぞ」
 巨人の前に、雨の神が立った。
「トール、この方は大神の友達としてお招きしたのだ、気を静めろ!」
 シュシュシュと激しい音を立てていたトールの全身から、火花が消えていった。
「よし、それでは堂々と戦おう! 場所と、時を決めろ!」
「よかろう! 場所は巨人の国と神々の国の境のグリオッツガルド! 時は明日の夜明けだ!」
 金のたてがみを風になびかしているグルファクシに飛び乗るや、巨人フルングニルは夜風に乗った。そして、あっと言う間に星空に消えていった。その後姿を見つめていたトールの神は、夜明けが待ち遠しくてまたらなかった。


 夜明けが近づいた。
 静かだ。
 神々の国と、巨人の国の境、グリオッツガルドの草原に立つ二つの影!
 巨大な影と、それを見上げるように立っている影が、美しい朝焼けの前にくっきりと浮き出ているように見える。
 巨人は左手で大きな盾を構え、右手に太い意志の棒を握っている。
 トールは鉄の手袋をはめ、不思議な刀を握り締めている。


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 じりっ、じりっと、二つの影が寄った。
「えい!」
 と叫んだトールの声が、ばりばりっと天を引き裂いたかのように聞こえた。
 巨人のフルングニルははっと、思わず上を見た。その時、ぐる、ぐるっと回していたトールの刀が、ビュンと飛んできた。それは、あっと言う間の事であった。
 巨人は石の棒で、飛んできた刀を受け止めた。
 が、太い石の棒は木っ端みじんに砕けて飛び散った。不思議な刀ミヨルニルは、空中でくるっと一回転して、矢のように巨人の頭をめがけて突き刺さっていった。


 ガオ! グオ! グオ!


 同時に二つの物凄い声が大空を震わした。
 ギャーッ――と叫んだのは、トールの声だ。
 木っ端みじんに砕けた石の雨が、トールの頭にばらばらっと落ちてきた。その中でも特に大きな一つの石が、トールの頭の後ろに強く当たったのだ。
 トールはそのまま気が遠くなっていった。きらっと光を跳ね返しながら飛んで行ったミヨルニルが、巨人の頭にぐさっと突き刺さったのを、トールははっきりと見た。真っ赤な血がパッと四方へ飛び散ったのも見た。が、その全てがかすんで、その中に自分が小さく小さく溶け込んでいくような気がした。
 トールはドシンと倒れた。
 倒れたトールの首の上に、巨人の巨大な片足がどんと落ちてきた。
「勝った、トールが勝ったぞ!」
 雲のふちから顔を出して見ていた神々が駆け寄ってきた。だが、首の上に乗っている巨大な足を、どうしてもどかすことが出来なかった。
「みんなで力を合わせろ!」
 それでも動かなかった。
 そこに、三つになる息子のマグニの手を引いてシフの女神が飛んできた。
「まあ……」
 シフは今にも泣きだしそうな顔をした。その時、母の手から離れたマグニが、ドシンドシンと父親の側へ近づいて行った。
 気を失って倒れているトールの顔を、しばらく見ていたが、にこっと笑った。
 そして、巨人の片足に手をかけたかと思うと、えいっ! と跳ねのけてしまった。
「おっ……」
 神々の驚く声が、どっとあがった。その声に、トールが目を開けた。




~つづく~

 戦の支度をしていた神々の国に、再び平和が訪れた。
「そうだ、お前が無事に帰って来たらお祝いをしたいと、海の神イーギルが行っていたぞ」
 と、一人の神様がトールに言った。
「そうか、ではさっそく、イーギルの城へ出かけよう」
 神々はわいわい騒ぎながら、海の底へ降りて行った。
「おう、よく来てくれた」
 イーギルの神は喜んで神々を迎えた。ところが酒を飲み出すと、神々は急に不機嫌になった。
「どうも、こんな小さな貝の盃では酒がまずいな」
「そうだ。もっと大きな器は無いのか」
 その話し声を耳にしたイーギルの神が、
「いや、悪い悪い! 食べる物はいくらでもうまい物はあるが、確かに、その小さな貝ではまずいな」
 と言った。
「では、どこからか大きな器を手に入れてきたらどうだ」
 頑固者のトールがすぐ叫んだ。
「しかし、どこから……と言っても」
 海の神イーギルは、いかにも困ったような顔をした。すると、チルという神様が、
「そうだ」
 と、不意に大きな声を出した。
「私の親父の家に素晴らしい大きな釜があるんだ」
 チルの神は目を輝かせて、さらにしゃべり続けた。
「それは素晴らしい大釜だ。親父は釜を集めるのが好きで、見事な釜がいっぱいある。だが、その大釜は深さが一キロもあるのだ」
 一キロと聞いて、トールの顔色が変わった。
「お前の家は、確かエリファガル川の近くだったな」
「そうだ。エリファガル川の東の、地と天の境だ。だが、親父のヒメルが問題だ」
「知っている。千人力で気が荒いと聞いている」
「他の釜なら、きっと分けてくれるだろう」
「いや、わしはその大釜が欲しくなった。チル、行こう! 必ず親父と仲良くなって、もらってみせるぞ」
「そうか、では、出かけよう」
 二人は空飛ぶ魚にまたがると、海の中から飛び出した。
 抜いたり抜かれたり、空飛ぶ競争を楽しんでいる内に、美しい夕焼けに染まったエリファガル川が見えてきた。ヒメルの城は、その河口にあった。
「お前の親父は、よほど釜が好きなんだな」
 釜を逆さまにして、ぽんと置いたような城を見て、トールはお腹を抱えて笑い出した。
「トール、変な笑い方をするな! もし、親父の耳に聞こえたら、それこそ大変なことになるからな」
 チルの真剣な顔を見て、トールの胸もキュッとしまった。城の側の水面に降りると、二人は裏口からこっそりと中へ入っていった。
「まあ、チル! いつ帰ってきたの」
 チルを見つけたお母さんが、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「お母さん、あの大釜をもらいに来たんですよ。ええ、神々に差し上げるのです」
 綺麗な若いお母さんは、ちらっとトールの神を見た。そして、暗い顔をした。
「でも、今日は駄目だよ。とても荒れているの。うかつな事を口にしたら、それこそ殺されてしまうわ」
 お母さんは、二人を大きな部屋の中に案内した。部屋の周りに、大きな釜がいくつも並んでいる。
 その大きな部屋を見回していたトールはびくっとして、目を止めた。そこに、九百の頭を持った、醜い、醜いお婆さんがいた。
「お婆さんは、もう、動くことも、口を利くことも出来ないんだから心配はいらないよ。でも、荒れているお父さんには困ったね」
 と、お母さんが言った。
 その時、ドシン! ドシン! と、地響きが伝わってきた。
「あっ、お父さんが海から帰ってきた! 早く早く、あの大きな釜の後ろに隠れて……。お母さんがきっと、ご機嫌を取ってあげますよ」
 二人が釜の後ろに飛び込むと、ヒメルの神が入ってきた。
「う、う、う……人間臭いぞ!」
 ぎょろっと部屋の中を見回した。
「チルが帰ってきたんです! 人間の味方で、悪魔の敵と言われている、一人の神様をお連れして」
 お母さんは必死に叫んだ。
「うるさい! あの釜の後ろだな」
 ヒメルが真っ赤な顔をして、ぐっと睨むと、並んでいる八つの釜が木っ端みじんに砕けて飛び散った。
 トールとチルが隠れている前の大きな釜だけが、ポツンと残った。うひゃひゃひゃーと、物凄い笑い声が上がった。
「出てこい!」
 チルが先に出た。続いてトールが姿を現した。グワォ、グワォとトールのお腹から物凄い音がしている。それを聞くと、ヒメルがまた笑い出した。
「牛を三頭ばかりひねりつぶしてやろう! 火をたけ、火の用意だ!」
 今まで青い顔をしていたお母さんが、ニコッと笑った。
「トール、良かったな」
 チルが嬉しそうに小さな声で言った。
 牛がこんがりと焼けると、トールは二頭も食べてしまった。これがまた、ヒメルには気に入ったらしい。
「よし、明日の朝は、大きな大きな魚を捕って来てやろう」
 と言って、酒を飲むとごろりと寝てしまった。
 朝が来た。
 ヒメルが海辺に来ると、そこにトールが立っていた。
「よし、乗れ……」
 二人は海へ乗り出した。舟の中には、昨日ひねりつぶした牛の頭が転がっている。それが餌だ。
「ここらでいいだろう」
 と、ふいにヒメルが叫んだ。
「ダメだ、こんなところで何が捕れる!」
 トールは、まだぐんぐん漕いでいる。青い海が黒くなってきた。
「ここらで良かろう」
 トールは舟を止めると大きな錨に、ぶつっと牛の頭をさして、ドボンと海へ放り投げた。間もなく、ぐ、ぐっと太い綱が引いた。
「それっ……」
 グイっと引くと、クジラが水面から飛び出した。
「すごい獲物だ。トール、もういい、帰ろう」
 何故かヒメルはそわそわしている。
「いや、一匹では足らん! もういっちょうだ」
 ドボン! ぐぐっときた。
「やあ……」
 トールの鋭い掛け声に、クジラが跳ね上がった。これで二つだ。
「トール、もう帰ろう! 危険だ」
「何が危険だ。こんな面白い事が他にあるか」
 ぶつっと、牛の頭を錨に叩き込むと、トールはまたドボン! と海へ投げこんだ。これが最後の餌だ。
 急に生暖かい風が吹き出した。真っ黒な海鳥が何百羽と集まってきた。


Tors-myth-8.JPG


「なんだ?」
 ぐっと空をにらんだトールは、鉄の手袋をはめて、不思議な刀をしっかりと握った。
「ミッドガルドだ……」
「ミッドガルド? 何だ、それは」
 と言った時、太い綱がぐっと引いた。
「それ、もういっちょうだ!」
 トールが素早く綱を手繰ると、海中に真っ赤な血が噴き出した。引いてあった綱が、急に緩んだ。
「トール、危ない!」
 ヒメルは舟の底に身体を伏せた。頭の上が真っ暗になった。熱い風がトールの顔に当たった。
「あっ、大蛇だ……」
 と叫んだ時、ヒメルが、
「ミッドガルドだ!」
 と、き○がいのように叫んだ。
「えいっ……」
 その時、物凄い声がトールの口から火のように噴き出した。
 と同時に、不思議な刀がキラッと光った。
 ギャオ――。
 不気味な声が頭上で光った。その上から生暖かい血の雨が、夕立のように降ってきた。赤い海に、ミッドガルドの大きな大きな頭が落ちてきた。
「トール」
 ヒメルはぽかんと口を開けたまま、水面に浮かんでいる大蛇の巨大な頭を見つめていた。
「お前ほど強い男を、わしは見た事が無い。強い、全く強い」
 と、独り言を言っていたヒメルが、何を思ったかふらふらと立ち上がって、腰に巻き付けてある汚い帯をほどきだした。
「恐ろしいミッドガルドがいなくなった今は、もう、この力帯にも用はない。お前にやろう。……そうだ、あの大釜も担いでいくがよい」
「有難う!」
 力帯を締めたトールの神は、元気よく舟をこぎ出した。物凄い力である。二頭のクジラと大蛇の巨大な頭を引いているのに、すいすいと進む。
 朝の太陽を一杯に浴びた、エリファガル川の河口が見えてきた。




~つづく~


 因みに今回出てきたミッドガルド蛇、別名は『ヨルムンガンド』で、前回トールが持ち上げられなかった猫の正体だった「大地を取り巻いている大蛇」だったりします。


 ではでは。

 サイトを更新しました。

 今日は『文庫本コーナー』です。


 本文の方は、トールの神話の続きで行きます。

 では、スタート!


 雲の間から月が出ていた。
 ロキは、草の上にペタっと座った。
 草は夜露でしっとりと濡れていた。
「ロキ、向こうに家があるぞ!」
「あっ、本当だ! 本当だよ」
 洞穴から飛び出してきたチアルフが、嬉しそうに叫んだ。
「えっ、本当か!」
 ぴょんと立ち上がったロキは、初めて辺りを見た。五百メートルほど先に大きな森が見えた。その手前の野原の真ん中に、一件の家がぽつんと立っていた。
「しめた、夜露に濡れないですんだぞ。ああ、眠い、眠い」
 ロキはぶつぶつ言いながら家まで走った。
 家の中には何もなく、誰もいなかった。
「こりゃ、空き家だ」
「空き家でもなんでもいい、オレはくたくただ」
 と言うや、ロキはその場にばったりと倒れてしまった。
「だらしのない奴だ。ロスカに笑われるぞ」
 そう言って、トールは抱いている女の子の顔に目を向けた。ロスカは可愛い顔をして寝ていた。
「なんだロスカも……」
 トールの神は、月の光に照らされているロスカの顔に目をとめた。美しい顔だ。
(よしっ、この子を、幸せにしてやるぞ!)
 トールはロスカを静かに、静かに寝かした。チアルフは、もうロキの横でいびきをかいていた。
「さてと、それでは、この幸せな三人の番をしながら、わしも寝るとするか」
 家の入口の黒い壁の前に、どかっと腰を下ろすと、トールは不思議な刀を抱えて目をつぶった。
 それから、どのくらい経った頃か――。ふいに、ぐらぐらっと地震が来た。
 ひやーっ、と飛び上がったロキは、真っ先に外へ飛び出していた。
「早く早く、森へ逃げるんだ。家の中にいては危ないぞ!」
 ロキは一人で大騒ぎをしている。
 ロスカとチアルフを抱えたトールが、ゆっくりと家の中から出てきた。
「ロキ、静かにしろ。よく寝ているんだ」
 四人は大きく枝を伸ばしている木の下で一夜を過ごした。
 夜明けに、またゴロゴロッと空が鳴った。
「雷にしてはおかしいぞ?」
 雷の神と呼ばれているトールの神だ。
 不思議な刀をさっと抜くと、不気味な音のする方へ近づいて行った。
 グオ――
 グオ――
 という、物凄い音があたりの大木を激しく揺さぶっている。
「あっ、巨人だ」
 森の中の広場に、全身毛だらけの大男が長々と寝そべっていた。
「そうか、夕べ、地震と思ったのは、この男のいびきだったのか」
 トールは目的の巨人の国があまりにも近くにあったのでびっくりした。
 大男の目が開いた。
「うるさい奴だ! お前は誰だ、どこから来たんだ!」


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 と言いながらも、大男は目の前に立っているトールを見ようともしないで、辺りをきょろきょろと見まわしていた。
「おやっ、手袋が無いぞ? あっ、あった、あった!」
 太い大きな腕が、びゅっと風を切ったと見る間に、森の外にぽつんと立っている一軒の家をつかんだ。
「えっ、あ、あれが手袋か!」
 トールはどきっとした。家だと思い込んでいたものが、巨人の手袋だったのだ。
「あった、あった、こいつが無いと困るからな」
 と言った大男は、ぎょろっとトールを見た。
「おう、お前はトールの神だな! いやいや、名前を聞かなくても知っている。そんな変な顔はそういないからな。うはははは」
 森の木がぶるぶると震えた。
「お前は誰だ!」
「わしか。わしは巨人の国の王様ウトガルデロックの家来だ。お前こそ、何の用があって巨人の国に来たのだ」
「ウトガルデロック王に用があって来たんだ!」
「ほう、そうだったのか……よし、それでは、わしがお城の近くまで案内してやろう」
 そう言って立ち上がろうとした大男は、木の下でガタガタ震えているロキと、女の子と、男の子を見つけた。
「トール、あれは、お前の家来か」
 後ろを振り返ったトールは、
「そうだ、仲間だ!」
 と叫んだ。
 立ち上がった巨人の顔は、森の上に飛び出していた。歩くたびにグラグラっと、地面が激しく揺れる。足をドシン! と降ろすたびに、ロキたちの身体がピョンピョンと跳ねている。
 森から野原へ出た。大きな大きなお城が、美しい野原の真ん中にそびえていた。
「トール、あれが王様の城だ。いいか、悪い事は言わぬ。あまり大きなことは言わぬほうがいいぞ! では、わしはここで失礼する。そうだ、腹が減っただろう。この袋に食べ物が入っている。では、ごめん!」
 腰に下げていた袋をポンと下に置くと、大男はズシンズシンと遠ざかっていった。トールの神は、目を輝かして、その後姿を見つめていた。
 袋の中には、干し肉や果物が入っていた。
 食事を済ますと、四人はお城に向かって歩き出した。
 美しい野原に、甘い香りが漂ってきた。花の匂いだ。
「ロスカ、あれを見てごらん。あの林が、草の茎なんだよ」
 トールに言われて、三人は上を見た。緑色の太い木の上に、紫色の花が付いている。大きな大きな花びらが風に揺れている。
「ひや……すごい花だ!」
「あっ、あれはトンボだ!」
 チアルフが突然叫んだ。
 羽の長さが二メートルもある、大きな大きなトンボだ。
 トールは刀を抜いて、みんなに危険を知らせた。黒い影は、すうっと頭の上を通り過ぎて行った。
「何もかも、見上げるほど大きいんですね」
 と、チアルフが言った。
「当たり前だ。だから巨人の国と言われるんだ」
 ロキはふと小人の世界を思い出した。様々なものを作った大神の方が、じぶんよりもっともっと悪戯好きだと思った。
 お城が近づいてきた。上の方が雲に隠れている。
「うむ、これは凄い!」
 巨大な門を見つめたトールは、思わずうなってしまった。
「これは都合の良い事だ。下から楽に通れるぞ」
 ロキの神は、さっさとくぐっていった。まるで、珍しい国に遊びに来たようなはしゃぎようだ。
「あっ、トール、あれを見ろ」
 巨大な宮殿の前の広場に、大勢の巨人が背中を問の方に向けてずらりと立っていた。
 その向こうから、威張った声が聞こえる。
「よいか、小さな人間が四人やって来るが、決して手を出してはいけないぞ」
 トールはびっくりした。なんでも見ることが出来る、魔法の玉があるのに違いない。
「よし、こうなったら、堂々と王様の前へ行こう」
 四人は巨人の間を通って、前へ、前へ進んだ。悪戯好きのロキだけは、ときどき、足を開いて立っている巨人の下を通って、きゃっきゃっと声を上げて喜んでいる。
「おう、やって来たな……」
 そらがバリバリっと裂けたかと思った。物凄い声だ。
「巨人国の王、ウトガルデロックか!」
 王の前に立ったトールが叫んだ。
「そうだ。お前はトールだな。よく来た! ここに来るまでには、色々苦しい事があっただろう……。何のために来たのか、そんな事はどうでもよい!」
 トールは、どこかで聞いたような声だと思った。だが、どうしても思い出せなかった。
「この国に来た者は、何か一つ優れたものを持っていないと、誰も話し相手にならないのだ! お前にも、お前の家来たちにも、何か一つぐらいは人に負けない物があるだろう」
 ロキが、
「しめた!」
 と叫んだ。
「ありますとも。食い競争なら、私は誰にも負けないんだ」
 散々歩いてきたので、ロキはお腹がペコペコだった。
「これは面白い! では、さっそく見せてもらおう」
 ウトガルデロック王の命令で、肉が山のように盛ってある、大きな木皿が二つ並べられた。
「ロゲ! ロキの神の相手をしろ」
「はっ!」
 王の命令で肉の山の前に立った巨人の身体は、真っ赤だ。トールの神より真っ赤だ。
 それもそのはず、ロゲは、炎と言われている巨人だ。めらめらと火が燃えるように肉の山を食べだした。
 ロキも負けずと、むしゃむしゃと食べだした。ロゲが勝つか! ロキが勝つか!
 山のような肉の塊が、見る見るうちになくなっていった。
「ロキ、頑張れ!」
 と、いくら応援しても、ロゲの減り方の方が早い。
「ああ、駄目だ」
 チアルフがついに目をつぶってしまった。
「よし、次は僕だ! 走る事なら負けないぞ!」
 ロキが負けると、チアルフが飛び出した。
「チアルフ、偉いぞ。よしっ、頑張ってみろ!」
 トールが嬉しそうに叫んだ。
「これはすごいぞ。あんなチビが、風より早く走るというのだ……。フーゲ、お前、やってみろ!」
 ひょろひょろっと背の高い巨人が、ゆっくりと出てきた。自分の足元を見るように少年を見た。
「向こうの金の棒を回って、ここに戻ってくるのだ。よいな! では、走れ!」
 チアルフはさっと飛び出した。
 びゅんびゅん風を切って走った。歯を食いしばって、必死に走って、走って、走り続けた。
 でも、勝てるはずがない。笑いながら走っているフーゲは、すいすいっと行って、すいすいっと戻ってきた。
「よし、今度はオレだ! 力と力の戦いをする者はいないか!」
 腰につけていた刀を下に置くと、トールはウトガルデロック王の前に仁王立ちになった。
「これは面白い。だが、気の毒だが、お前さんと取っ組んで、負けそうな男はいないよ。そうだ、エレを呼べ!」
 トールは、さっそうと出てくる若者の顔を目に浮かべた。
 ところが、ひょろひょろと出てきたのは、歯が全部抜けたお婆さんだった。
「えっ、こ、こんなよぼよぼの……」
「よぼよぼ、かな……。トール、馬鹿にすると酷い目に遭うぞ」
 そう言うと、ウトガルデロック王は楽しそうに笑いだした。
「よし、行くぞ!」
 ぱっと、トールはエレに飛びかかった。
 神々の国で、トールのその勢いを、ぐっと受け止める者はいない。ほとんどの者が、ドシンと尻餅をついてしまう。
 それなのに、よぼよぼのおばあさんは、平気な顔をして立っている。
「えい! とうー」
 トールの気合だけが、まるで一人で空回りしているようだ。
 その内に、あっと言う間にトールの大きな体が投げ飛ばされてしまった。トールはくるくると二回転すると、さっと立ち上がってもう一度飛びかかっていこうとした。
「トール、やめろ! 勝負は決まった。男らしくないぞ」
「しかし、まだ……」
「よし、それほど言うなら、あの猫を片手で持ち上げてみろ」
「えっ、猫を……」
 トールの顔が真っ赤になった。
「トール、怒るな怒るな。確かに、猫を持ち上げるゲームは、巨人の国では子供の遊びだ。しかし、それが出来ないと一人前の若者になれないのだ」
 トールは、ウトガルデロック王の前で、のんびりと日向ぼっこをしている金色の猫を見つめた。つかつかとその前に来ると、トールは右手を猫のお腹の下に差し込んだ。
 そして、ひょいと持ち上げようとした。トールの顔が、ぴくっと動いた。真剣になった。髪も顎髭もピンと立って、火花が飛び散った。だが、猫はびくともしないのだ。
 ついにトールは両手を使った。それでも、猫は持ち上がらなかった。お腹がやっと離れたが、足は下にピタっとくっついたままだ。
「参った……」
 トールはその場にばったりと倒れてしまった。大きな口を開けて、はあはあ言っている。
「そうだ、酒だ! 酒を持ってこい! 酒の飲み比べだ!」
 太い動物の角が二つ用意された。赤い酒がどくどくとつがれた。トールはぐいぐいと飲んだ。飲んでも飲んでも尽きなかった。
 青い顔をした若者は、一気に飲み干すと、けろりとした顔でトールを眺めている。


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 トールはまだ飲んでいる。
 その内バタッと倒れてしまった。そのままグウグウといびきをかきだした。
「寝かしておけ、目が覚めるまで、寝かしておくんだ」
 ウトガルデロック王が立ち上がると、美しい音楽が鳴りだした。王も家来達も、どこかへ消えていった。
 広い、広い大広場に、四人だけがぽつんと取り残された。
 やがて朝が来た。
 トールが目を覚ました。
 その時、巨人がぞろぞろと出てきて、昨日のように並び出した。美しい音楽が鳴って、ウトガルデロック王が姿を現した。
「どうだな、トールの神」
 優しい声だ。トールはまた、どこかで聞いたような声だと思った。
「だいぶ、自信を失ったような顔だな。結構、結構。広い世の中には、お前さん以上の力持ちがいっぱいいる事が分かれば、それでいいのだ」
 ウトガルデロック王はにこにこ笑っている。
「だが、本当の話を聞かせてあげよう。トール、お前さんは大変な力持ちだよ。大変な豪傑だよ」
 不意に話が変わったので、トールも、そばにいるロキたちもビックリした。
「わしは、力ではお前さんに到底勝つことが出来ない。そこでだ、魔法を使ったのだ」
「えっ、魔法!」
「そうだ。あのお婆さんのエレの事だが、あれは“老年”なんだ」
「老年?」
「さよう。人間はいつか必ず年をとる。それは、どうする事も出来ないのだ。いくらうまい物を食べても、薬を飲んでも、お爺さんになり、お婆さんになる。人間がいくら暴れても、わめいても、駄目なんだ」
「それを、あの力相撲で見せたのか」
「それから、あの猫だが……。本当のことを言うと、あれは大地を取り巻いている大蛇だったのだ」
「えっ!」
「猫のお腹が持ち上がった時は、わしはびっくりしたよ。それから、お前さんが飲んだ酒は海だったのじゃ」
「えっ、う、海!」
「海じゃ、いくら飲んでも飲んでも尽きないはずじゃろ」
 ウトガルデロック王の顔が急に真剣になった。
「トールの神! 何故、わしがそんな魔法を使ったか分かるかな。わしは争いが大嫌いだからさ。お前さんが何をしに来たか、ちゃんと知っている。オーディンの大神の神殿を、わざと踏みつぶしたのではない! 誤って蹴ってしまったのだ」
「誤って?」
「その瞬間、永遠に燃え続けていた神の火が消えてしまったのだ」
 トールは何も言えなかった。
 嘘ならば、激しい怒りが湧いてくるはずだ。
 その時、ふと、お城にやってくる前、森の中で会った大男の事を思い出した。
「あっ、あの声だ!」
 と叫んだ時、
「トール、国へ帰ったら、よく大神に詫びてくれ。それから、この魔法の鉄の手袋は、お前さんに上げよう。大きくなったり、小さくなったり、そりゃ便利だぞ。それに手袋が無くては、真っ赤に焼けるその立派な刀を持ってはおられまい。では、ごめん!」
 と言って、巨人の王ウトガルデロックは、煙のように消えてしまった。四人がはっと気が付いた時には、大勢の家来も、お城も消えていた。
「あっ、ヤギの馬車だ!」
 ふいに、少年チアルフの元気な声が上がった。
 六頭のヤギが、嬉しそうに鳴いた。
 辺りには美しい緑の大平原が続いていた。




~つづく~

 荒れ果てた大平原を過ぎると、まるで油でもひいたように見える広い野原に出た。
「トール、ヤギが滑って、前へ進まないぞ」
 ロキが不思議そうに叫んだ。
「本当だ! よしっ、こうなったら、歩いて行こう」
「車はどうする」
「ここに置いていこう。帰りに、また要るからな……。いいか、待っているんだぞ!」
 ヤギに命令すると、トールは先に立って歩きだした。つるつるっと滑る。
「これは怪しいぞ? ロキ、油断をするなよ」


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 四人はつま先に力を入れて、ペタ、ペタッと、足を地面に押し付けるようにして、ゆっくり、ゆっくりと歩いて行った。しかし、一歩行くと二歩後ろへ下がっているような気持ちがした。
 辺りがだんだん暗くなってきた。
「トール、あれを見ろっ! 岩だ。岩と岩の間に、細い道があるぞ」
 ロキがふいに叫んだ。
「どうやら助かったようだな。よし、それでは、あの道を行こう」
 つるつる滑っていた足の下が、ざらざらしてきた。
「トール、あんなところに赤い門があるぞ?」
 ロキが、また大きな声をあげた。すると、岩の間からバタバタッと真っ黒い鳥が十五羽飛び立った。
「きゃー」
 女の子がトールにしがみついた。
「大丈夫だよ、ロスカ!」
 兄のチアルフが、ロスカの手をぎゅっと握った。
 辺りがますます暗くなってきた。星も見えない。
 ホー、ホー、ホー。
 と、フクロウのような声が闇の中から流れてくる。
「怖い……」
 ロスカが今にも泣きだしそうな声で言った。
 道は次第に上り坂になっている。風が冷たくなってきた。その風に乗って、ゴーゴーと不気味な音が聞こえてくる。
「そらっ、お化けだ!」
「きゃー」
「あはは、は、は、嘘だ! あの白く見えるのは、滝だよ。あはは、は、は」
「ロキ! そんな悪戯はよせ! 弱い者いじめをすると、今に自分が酷い目に遭うぞ」
 四人はいつの間にか、大きな滝つぼの前に来ていた。ゴーゴーと音を立てている滝が、闇の中に白く浮かんで見えた。
 それから道は、下り坂になっていた。その道の中央に、ぽつんと小さな火が見えた。
「あれは何だ?」
 刀を抜いて、トールが一歩、一歩、近づいて行った。
「何だ、たき火のあとじゃないか?」
「すると、人が近くにいるという事だ」
 頭のいいロキがすぐに叫んだ。
「あっ、月が出てきた」
 チアルフが、空を見上げて指さした。
「おやおや、おかげで素晴らしい家が見つかったぞ。ほら、あんなに大きく、ぽっかりと口を開けて待っているよ」
 いたずらのロキの神が、ぴょんぴょんと跳ねて前へ飛び出していった。
「待てっ! 油断をするな」
 トールは刀を構えて、口を開けている大きな洞穴に近づいて行った。ひやっとする、冷たい風が流れてくる。
 洞穴に一歩入ると、右と左に幽霊が座っていた。
「あっ、ゆ、幽霊だ……」
 ロキもチアルフもロスカもぶるぶるっと震えたが、幽霊の方もがたがた震え出した。鉛のような歯がカチカチと音を立てている。
 右は男で、左は女の幽霊だ。
「お、お前たちは、ど、どこから、どこから入ってきたのだ」
 男の幽霊は、死人の骨で作った槍のようなものを持っている。女の幽霊の頭には、カラスの羽が何本もついている。二人とも、青い光の鎧を付けていた。
「お前たちの血は、まだ温かい……。いま戦場で死んだばかりかな……。ああ、あの恐ろしい戦争が、まだまだ続いているらしいな」
 冷たい、冷たい声だ。
 女の幽霊が、かすれた声で言った。
「お前さん達は、何が欲しくてここに来たの……。夜が食べたいの……。それとも、あの恐ろしい魔女に食べられたいのかい」
 ひ、ひ、ひ、ひと笑った女の幽霊は、
「お帰り、さあ、早く、早く……」
 と、不意に大きな声を出した。その声が、大きな洞穴の中で不気味に響いて広がった。
 チアルフとロスカは目を固くつぶって、両手で耳を押さえていた。その二人を、ロキは母親のようにしっかりと抱きしめていた。
「ト、ト、トール……か、帰ろう」
 ロキも歯をカチカチと鳴らしだした。
「ロキ、喜べ! ここは地獄らしいぞ。お前の、死んだ娘と会えるんだぞ!」
「えっ、じ、地獄! 嫌だ、嫌な所だ。こんなぞくぞくする穴ぐらから、早く出よう」
「なに、早く出よう? ロキ! 馬鹿な事を言うな! うっかりした事を言うと、それこそ、ここから出られなくなるぞ」
「トール、おどかすなよ」
「女のようにくよくよするな! それでも戦士か」
「よし、それじゃ、どこまでも行くよ!」
「それでこそ、本当のロキだ! こういう所に来ても、いたずらをするようでなければ、本当のいたずらの神と言われないぞ」
「そうだ、お前たちも、元気を出せ!」
 ロキは歯をカチカチと鳴らしながら、チアルフとロスカに力を込めて言った。自分では力を込めて、堂々と言ったつもりだが、その声はかすれて震えていた。
 トールが歩き出した。ロキもすぐその後に続いた。足音が不気味に響いている。
 ロスカはいつの間にか、トールの太い腕にしがみついていた。
 二人が肩を並べて歩くのがやっとというほど、洞穴の岩と岩の間が狭くなってきた。その岩の壁が青く光っている。
 水がちょろちょろと音を立てて流れている。その水に触るとひやっとした。
「あ、生暖かい風が吹いてきたぞ!」
 不意に叫んだロキの声が、頭の上でがんがんと響いた。
 目の前が急に、ぱっと広がった。天井の高い、大きな洞穴に出たのだ。
「あ、あんな所に幽霊が……」
 洞穴の両側には、がたがた震えている幽霊たちが、数えきれないぐらい立っていた。その何百という冷たい目が、四人に集中した。
「おい、あそこを見ろ!」
 トールが不意に叫んだ。
「きゃ……」
 と、ロスカの悲鳴が上がった。
「ロスカ! 大丈夫だよ」
 兄のチアルフが、ロスカの身体をしっかりと抱いた。
「あ、あれは……」
 ロキの震える声が、ひゅうっと唸った風の音に吹き消された。
「幽霊の王座だ。見ろ、ロキ! あそこに座っているのは、お前の娘、ヘルじゃないか!」
「えっ!」
 ロキはびっくりして、洞穴の中段の正面を見た。
 王座は、人間の骨と骸骨でできている。その上に胸を張って座っている女の身体は、上が真っ青で、下が真っ赤だ。


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「あっ、ヘ、ヘル……」
 ロキはふらふらっとして、その場に倒れかかった。
「ロキ! しっかりしろ」
 ロキの背中をどんと叩いたトールは、鋭い声で叫んだ。
「臆病者! お前はびくびくするために生まれてきたのか。 びくびくして死ぬ運命を自分で作ろうとしているのか! みっともないぞ」
 ロキは目を開けた。だが、何も言わなかった。
 トールは青い光を放っている王座の前へ近づいて行った。
「幽霊の女王! 我々は、自分から好んでここに来たのではない。道が一つしかなかったのだ」
 女王は黙っていた。
「我々は、巨人の国へ行く途中、道に迷っただけだ! もし、巨人の世界に行く近道を知っていたら教えて欲しい!」
 上が真っ青で下が真っ赤の幽霊の女王は、たくましいトールの身体を舐めるように見つめていた。
 突然、女王のヘルが叫んだ。
「ああ、あなたの、その、その健康な身体を、私は、私は見ていられない!」
 真っ赤な口が耳まで裂けて、不気味な声が大きな洞穴の中に響いた。
「頼む! すぐ、すぐ、ここから出て行って欲しい! 巨人の国へ行く道は、この下の細い道を行けばすぐだ! 早く、さ、早く!」
 幽霊の女王が苦しそうに胸をかきむしった。すると、洞穴の両側に立っている幽霊たちが、しくしくと泣き出した。耳が痛くなるぐらい騒がしくなった。
「ロキ! 行くぞ」
 トールは、震えているロスカを抱き上げて歩き出した。
 チアルフはその後にすぐ続いた。
 二、三歩歩きかけたロキは、足を止めて王座を見上げた。
(あ……あれが、私の娘なのか!)
 思わず顔をそむけた。
 生きている時は、悪い事ばかりしていた娘だ。
 かわいい小鳥の羽をもぎったり、家に火をつけたり、子供の顔に火を押し付けたりして、神様たちを困らせたり、怒らせたりしたものだ。
 その娘が、物凄い所に、物凄い姿をして座っている。ロキは顔を伏せると、一気に駆けだした。走りながら、涙をぼろぼろとこぼしていた。苦しくて、苦しくて、喉が詰まる思いがした。しばらく走ると、頭の上に、月がぽっかりと見えた。




~つづく~

 その時、騒々しい声が聞こえてきた。
「なんだ、あの騒ぎは」
 大神オーディンの目が、ぎらっと光った。
「はい、スウェーデンからの使者です!」
「スウェーデンから? 何かあったのか」
「はい、巨人国の王、ウトガルデロックが、大神の神殿を壊し、永遠に燃え続けていた神の火を踏み消したとの事です!」
 オーディンの顔が、さっと曇った。辺りが急に暗くなった。
「なにっ、それは本当か?」
 神々の前に立ったのはトールの神だ。
 スウェーデンのウプサラに、オーディンの神をまつる神殿がある事もトールは知っていた。
 そこに、神の火が燃え続けていることも聞いていた。その火が消され、神殿が壊されたのだ。
「うむ!」
 と拳を握り締めたトールの赤い髪と、赤い顎髭がピンと立って、その間から火花が噴水のようにほとばしった。
「ようし……今に見ておれ! ロキ、戦いの支度だ。すぐ、車にヤギをつけろ!」
 ロキはすぐ、八頭のヤギを車につけた。
「ロキ、一緒に行くか」
「う、う、う……」
 ロキは嬉しそうに大きな頭を前後に振った。ロキの神は、絶えず何かいたずらをしていたのだ。
「そうか。よし、口を出せ」
 と言うや、トールはロキの口を縫い合わせている糸を、プツプツと切っていった。
「うわあ、行こう! どこへでも行くぞ!」
 ロキは飛び上がって喜んだ。
 トールの神は、不思議な刀を持って車に乗った。そして、オーディンの大神と、フリッガの女神の顔を見た。
「よく見ていて下さい。われわれ二人で十分です。では」


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 トールはシフの顔をちらっと見て、ピシッと鞭を鳴らした。不思議な力を持っているヤギは、風邪を切って虹の橋を下っていった。
 一日、走り続けた。
 大平原も夕焼けに染まってきた。
「あっ、あそこに家があるぞ!」
 お腹をグー、グーと鳴らしていたロキが、いかにも嬉しそうに叫んだ。
 見ると、荒れ果てた大平原のかなたの森の前に、小さな家が一軒、ポツンとあった。
「よしっ、あそこで一夜を過ごそう」
 トールは手綱を右へ右へ引いていった。
 次第に近づいてくる家の窓に、明かりがともった。
 その横に、八頭のヤギは滑り込んでいった。音も無く、すっと止まった。
「これはひどい農家だ」
 ロキが顔をしかめた。
「ぜいたくを言うな」
 トールは頭をぶっつけないように身体を折って、家の中へ入っていった。何か、臭いにおいがプンプンと鼻をついた。
「頼む。一晩だけ泊めて欲しい」
 火を囲んでいた老夫婦と、二人の子がびっくりしたように顔を向けた。
「これはこれは、旅のお方で……。どうぞ、どうぞ、遠慮なくお泊り下され。しかし、この通り、草の根っこしか差し上げる物が御座いませんが、それでよろしかったら」
 ロキは目を丸くして、火の上に下がっている鍋の中を覗き込んだ。男の子と女の子がガリガリかじっているのも草の根っこだ。
「こりゃ、ひどい!」
 トールの神は、やせた子供たちの顔を見つめていた。
「ご馳走は、私の方が用意をいたそう」
 そう言うと、外へ出たトールは二頭のヤギを殺して皮をはいだ。
「さあ、肉を食べろ! どんどん食べろ。しかし、骨だけは折らないようにするんだぞ」
「うわっ、肉だ!」
 男の子のチアルフは手を叩いて喜んだ。ガツガツ、ガツガツ食べだしたので、うっかり一本の骨を折ってしまった。だが、そのまま知らん顔をしていた。
 食後、トールは骨をきれいに洗って、はいだヤギの皮の上に並べておいた。その不思議な様子を、じっと見つめていたチアルフも、女の子のロスカも、いつの間にかうとうとと眠ってしまった。
 その夜、二人は、不思議な不思議な夢を見た。
「あれっ! ヤギが八頭いるぞ?」
 太陽が昇る前、トールがヤギの皮の上に並べた骨の上を、不思議な刀でポンポン叩いた事を、もちろん知らなかったからだ。
 ポンポンと叩くと、ヤギは元通りに生き返って、車に繋がれた。お爺さんもお婆さんも、いや、ロキの神でさえ知らなかった。
「さあ、ロキ、出発だ!」
 ピシッと鞭が鳴った。
 だが、すぐ、一頭のヤギが足を引きずり出した。
「誰か、骨を折ったな?」
 雷のような声に、四人はその場にへなへなっと座り込んでしまった。
「どうぞ、お許しください!」
 お婆さんの顔は真っ青だ。
「どうか、乱暴な事はしないで下さい。何でも、何でも差し上げますから」
 お爺さんも真剣だ。
「よしっ、それでは、その男の子と女の子をもらっていくぞ! ここに置いていたら、骨と皮になって死ぬだけだからな」
「は、はい、宜しゅう御座いますとも」
「有難い事で……」
 お爺さんとお婆さんは顔を見合わせて喜んだ。その嬉しそうな顔を見て、子供たちもにっこりと笑った。
 トールは二頭のヤギをその場に残すと、六頭のヤギに鞭を当てた。




~つづく~

 今日は仕事の後、オーズコンボチェンジのプトティラを買ってきたので、アメブロの方でちょっと記事にしました。

 宜しければ、そちらも是非。


 さて、こちらは昨日の続きで『トールの神話』第2回となります。


 では、さっそくスタート!


 トールは、シフという美しい女神を奥さんにもらった。
 シフのふさふさとした長い髪の毛は、いつも黄金のようにキラキラと輝いていた。
 そのために、
「シフの髪の毛を見ていると、とり入れ時を思い出すよ。まるで稲の穂が風になびいているようだ」
 と言って、みんなはいつの間にかシフの事をとり入れの神様にしてしまった。
 すると、飛び上がって喜んだ神様がいた。ロキという、いたずらの神だ。
「こいつは面白いぞ。それじゃ、あのふさふさとした髪を切ってしまったら、シフは畑になるのか」
 と言って、ゲラゲラと笑い出した。
 その内、くるくると回っていた大きな目玉がぴたりと止まった。
「よしっ!」
 ロキは真剣な顔をして頷いた。
 その日、トールは遠い所へ狩りに出かけていた。
 夜になると、ロキはシフの部屋へ忍び込んだ。
 ……そして、朝が来た。
 目を覚ましたシフは、びっくりして飛び起きた。
「あっ、髪が無い!」
 両手を頭に当てて、シフはき〇がいのように泣き出した。その声は四方の山にこだましたと言われている。
「どうしたんだ?」
 ばたばたっと、大勢の人が集まってきた。その中に、ロキの顔も見えた。
 そこに、ひょっこりとトールが帰ってきた。
 見る見るうちにトールの顔が真っ赤になった。赤い髪と赤い顎髭がピンと立って、火花が飛び散った。
 その姿を見ると、今までにやにやと笑っていたロキがぶるぶると震え出した。
「こらあー、シフの髪を切ったのはお前だな!」
 雷のように、空がゴロゴロと鳴った。
「ごめんなさい」
 ロキは頭を抱えて地面に潜り込もうとした。
「待てっ!」
 トールの大きな手が、ロキの首をぎゅっとつかんだ。
「苦しい、た、た、助けてくれ……」
 ロキは苦しそうに、なおも叫び続けた。
「返す、シフの髪を返す……。ほ、本当だ……。も、もっといい金の髪を手に入れてくる」
「なに、本当か!」
「う、う、嘘を、嘘なんかつくものか……ほ、本当だ! こ、殺さないでくれ!」
 手足をバタバタと動かしているロキを、ぐっと睨みつけていたトールは、ロキを千メートルも先に投げ飛ばした。
「よしっ、すぐ取って来い!」
 木も山もグラグラっと動いた時、ロキは早くも地面をぐんぐん、ぐんぐんと潜って、小人の世界に飛び込んでいった。
「頼む! お願いだ! 美しい、美しい、金の髪を作ってくれ」
 ロキは小人の王様ドリファンに必死に頼んだ。
「よし。仲良しのお前さんの事だ、よかろう」
「えっ! 本当か、有難う!」
 いたずらの神、ロキの頬に涙が光っていた。
 それまでは良かった。だが、その後がいけなかった。
「それから、ついでにオーディンの大神と、お妃のフリッガの女神に捧げる贈り物を作ってくれ」
 小人の王様ドリファンは、黙ったまま、何かしきりに作っていた。
 まず初めに、金の槍を作った。
「この槍は、主人の手を離れると、狙ったものにぐさっと突き刺さって、また元に戻ってくる不思議な槍だ」
 と言って、次は小さな金の船を造った。
「これは空を飛ぶことも出来る。そればかりか、いらない時は、もっともっと小さくして、ポケットの中に入れる事も出来るのだ」
 ロキが大して嬉しそうな顔をしないので、小人の王様はさらに言葉を付け加えた。
「しかしじゃ、良いかな! 反対に、もっともっと大きくすることも出来る。神々はもちろん、神々の馬もいっぺんに乗せることが出来るのだ」
「えっ! それは凄い」
 ロキが金の船をいじっている間に、小人の王様ドリファンは、驚くほど細い金の糸で髪の毛を作り始めていた。
「どうだ、見事な髪だろう。これをシフの頭にかぶせると、すぐ本当の髪の毛になってしまうのだ」
 ロキは飛び上がって喜んだ。
 ところが、ブロックという小人がいかにも馬鹿にしたように笑いだした。
「それくらいの物なら、わしの弟のシンドリにだって作れるぞ」
 ぴょんぴょんと飛び上がって喜んでいたロキは、冷たい土の上に足をぴたりとつけると、ブロックを睨みつけた。
「本当か! 嘘をつくと許さんぞ」
「うそ? 嘘をつくわしではない!」
「よしっ、それでは、三つの宝を作ってみろ! もし本当に出来たら、わしのこの頭をお前にやろう!」
「よかろう。お前さんも嘘をつくなよ」
 と言うや、シンドリの仕事場に飛び込んでいった。
「わかった、兄さん! それでは、ふいごを動かしてくれないか。どんなことがあっても、止めてはいけませんよ」
 訳を聞いたシンドリは、そう言うと、火が燃えているかまどの中に豚の毛皮を投げ込んだ。
「そ、それは豚の毛皮じゃないか!」
「兄さんは、黙って手を動かしていればいいんです。いいですか。手を止めたら火が消えてしまいますよ」
 と言うと、シンドリはさっさと外へ出て行った。
 ブロックはブツブツ言いながら、ふいごで風を送っていた。
 その様子を見ていたロキは、にっこりと笑って頷いた。
「よしっ、アブに化けて邪魔をしてやろう……」
 さっと飛び上がると、ロキはアブに化けていた。ブンブンと音を立ててブロックの顔の周りを飛ぶと、ふいごを動かしている手をチクリと刺した。
「痛い!」
 ブロックは歯を食いしばって我慢をした。そこにシンドリが戻ってきた。
「さあ、兄さん、一つ出来たよ」
 火の中から出てきたのは、金のイノシシだった。
「これは空飛ぶイノシシです。早く飛べば飛ぶほど光が出て、眩しくて見ていられなくなるのです。では、二番目の仕事にかかりましょう」
 と言うと、シンドリはどこからか持ってきた金の塊を、また火の中へ投げ込んで、さっさと外へ飛び出してしまった。
「よしっ、今度こそ!」
 ロキはブンブン飛んで、ブロックの太い首をめがけて急降下した。
 チクリ!
「痛い!」
 物凄い声をあげたが、ブロックは手を止めなかった。
 シンドリが、鉄の塊を抱えて戻ってきた。
「もういいでしょう」
 そう言って、シンドリは火の中から金の指輪を取り出した。その金の指輪は、三日ごとに八つ、金の指輪を産み落とす――という事だった。
「さあ、いよいよ三つ目です。兄さん、しっかり頼みますよ」
 シンドリが持ち上げた鉄の塊を見て、玉のような汗をふきだしているブロックは眉をひそめた。
「そんな、鉄の塊が……」
「兄さんは黙って、手を動かしていればいいんです」
 シンドリの鋭い目が、ブロックの手をじいっと見つめているので、ロキはもう手の出しようも無かった。
 その鉄の塊が、不思議な刀ミヨルニルだったのだ。
「さあ、兄さん。三つの宝が出来ましたよ。ドリファンの宝と、どっちが素晴らしいか、神様たちの所へ行って聞いていらっしゃい」
 小人のブロックは三つの宝を持って、ロキの後に続いて地上へ飛び出した。


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 ロキはオーディンの大神の居る城へ、一直線に飛んで行った。
 そこに、トールも丸坊主のシフもいた。
「おう、見事な髪だ」
 トールは目を丸くして、小人の王様ドリファンが作った髪を見つめていた。
「どうだ、素晴らしいだろう。それが本当の髪の毛になるのだ。それから、この不思議な槍を大神様に、そして、この空飛ぶ不思議な金の船をフリッガの女神さまに差し上げます」
 ロキはご機嫌を取るのに汗をかいている。
 すると、小人のブロックも負けずに、
「不思議な金の指輪を大神様に、ええと、それからと、そうそう、この空飛ぶ猪を女神さまに、そして、この、不思議な不思議な刀を、トールの神様に差し上げます」
 と言って、ブロックは三つの宝を差し出した。そして、力を入れて言った。
「いかがです。その六つの宝の中で、どれが一番良いか、一番役に立つか、一つだけ皆さんで選んで下さいませんか」
 ブロックの顔を見つめていたオーディンの大神が、にこっと笑った。
「なるほど、それは面白い。では、みんなで相談をして答えを出そう」
 さあ、大変な騒ぎになった。
 神々が集まって、それぞれの宝を試しだした。
 ブンブンと飛ぶイノシシ!
 その横をかすめていく、金の船!
 ぽこぽこと出てくる、金の指輪!
 槍が飛び、刀が風を切った!
 答えはなかなか出なかった。だが、大神オーディンの一言で、刀が一番と決まった。
「ひや……」
 と飛び上がったのはブロックだ。
「さあ、その腐った頭はもらったぞ!」
 と叫んだので、神々は初めてブロックが飛び上がって喜んだ訳を知った。
 ロキは逃げようとした。
 だが、トールがロキの首をがっちりとつかんでしまった。するとロキは、急に胸を張った。
「よしっ、頭をやろう! しかし、首はわしの物だ。首に傷をつけないで、頭が取れたらお前にやろう」
 ブロックは小さな小さな足をばたばたさせて悔しがった。
 が、あっと言う間にロキの口をシュシュと糸で縫ってしまった。それを見た神々は手を叩いて喜んだ。
 今まで目を赤くしていたシフも、長い金の髪をキラキラ輝かせて笑い出した。




~つづく~

 昨日、『アースライズ』の支払いのために帰宅したことは書きましたが、今日も10時から仕事のため、5時起き、朝7時のソニックでこちらに戻ってくるというやや強行軍でした。(^ ^;)


 そんな中の博多駅の様子がこちら。


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 ものの見事にガラッガラです(苦笑)。

 昨日、天神に行ってた親父も「人がいないからかえって空気が綺麗」だそうな……


 さて、小説版『ファイクエ』の執筆が一区切りしてしばらく経ちましたが、今日からしばらく短期集中的な感じで、(ファンタジー系の元祖ともいえる)北欧神話から『トールの神話』を投稿していきたいと思います。


 では、さっそくスタート!


トールの神話



 大昔、ヨーロッパの北の方に、トールという神様がいた。
 生まれて間もなく、大きな木箱をぐいっと持ち上げたと言われている。
「あっ、あ、あれを見ろ!」
 見ていた人たちはびっくりして、腰を抜かしたという。その木箱の中に、熊の毛皮がぎっしりと詰まっていたからだ。
「今にきっと、私達の手に負えない子になる」
 と、お母さんが心配した通りになった。
「大変です! またトールが暴れ出しました」
 トールは一日に一回は必ず、雷のように暴れまわった。
「早く、早く来て下さい。誰も止めることが出来ないのです」
 その声にお母さんとお父さんは、慌てて小川の岸へ飛んで行った。
「あっ!」
 押さえようとしている大人たちが、ぽんぽんと投げ飛ばされていた。


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「トール、おやめなさい! トール!」
 お母さんは必死に叫んだ。
 その目から涙がこぼれているのを見て、トールは急に大人しくなった。
 でも、その時お母さんは、トールを自分の手元から離す決心をした。
「みんなから尊敬されているフイングニルと、フロラに預けましょう。きっと立派に育ててくれます」
 と、お父さんに相談をした。
「それはいい考えだ」
 お父さんも賛成した。
 こうしてトールは“翼のある神”と言われているフイングニルの家に預けられた。
 フロラはフイングニルの奥さんで、元は雷の光だったという。
 稲妻は時には青く、時には白く、時には真っ赤に見える時がある。ピカッと光って、すっと消えていく。
 そのせいか、フロラと話しをしていると、
「苦しい事も、悲しい事も、イライラしている事も、すうっととけて、不思議に力が湧いてくる」
 と、みんなから言われていた。
 トールは身体が見上げるほどに大きくなり、見違えるほど立派な若者になった。
 太い腕をぎゅっと曲げると、盛り上がった筋肉が岩のように見えた。
 特に見事だったのは、真っ赤な頭の毛と、真っ赤な顎髭だった。怒るとそれが針金のようにぴんと立って、その間から火花が噴水のようにほとばしったと言われている。
 そのトールが大切にしていた三つの宝があった。
 一つはミヨルニルという名前を付けた見事な刀だ。
 戦いが始まると真っ赤に焼けて、炎が噴き出す。そればかりか、敵に投げつけてもひとりでにトールの手に戻ってくるという、不思議な刀だ。
 次はグライベルと呼んだ鉄の手袋だ。
 この手袋をはめていないと、真っ赤に焼けた不思議な刀を握っていることが出来ない。
 三つめはメギングヤルデルという不思議な帯だ。
 その帯を締めると、物凄い力がひとりでに湧いてくる。だから、力帯とも呼んでいる。
 この不思議な三つの宝が、どうしてトールの手に入ったのか――。
 それではまず、ミヨルニルの物語から始めよう。




~つづく~

2020.04.28 もの言う鳥

 今日は北欧の民話、『もの言う鳥』です。

 では、さっそくスタート!


もの言う鳥



 王様のお城の近くに、あまり広くも無い畑があった。この畑を耕していた男とそのおかみさんは死んでしまったので、残った三人の可愛い娘が後を継ぐことになった。
 ヨハネの祭りと言って、一年中で夜が最も短い、六月の『夏至』と言う日の前の晩が来た。何と言っても三人の娘たちは、いつかは自分のお婿さんになる人が気になるもので、それぞれの望みを話し合ってみた。
「私は、王様のパンを焼く人をお婿さんに欲しいわ。そうなれば、一生、真っ白なパンが食べられるものね」
 一番上の姉が言った。
「私は王様がお酒を飲む時の、お相手役をする人を、婿さんに持ちたいわ。そういう人なら、一緒にいても飽きるという事が無いと思うの」
 次の姉が言った。
「私の望みは、若い王様が、私の婿さんであればいい、という事だけだわ。ヨハネの祭りの晩に、何か願い事をすると、それが本当に思った通りになるという事だけれど、私の願いはとてもかなえられそうもないわね」
 一番下の妹は言った。
 ところで、この若い王様がその時、そっと娘たちの話を聞いていた。
 話を聞き終わると、若い王様は、娘たちがいる部屋の中に入ってきて、一番上の娘と、二番目の娘に、それぞれ、
「お前は、私のパンを焼く男を夫にしなさい。それからお前は、私が酒を飲む時に相手役をする者を夫にしなさい」
 そう言い、一番下の妹には、
「お前は、お前の望み通りに、私の妻におなり」
 と言った。
 そんなわけで、三人の娘たちは、三人とも自分が願った通りの結婚をすることが出来た。そして、その事が、人々の大変な評判にもなった。
 それなのに、一番上の姉も、次の姉も、まだ満足してはいなかった。
「もしも……」
 と、一番上の姉が、二番目の姉に、
「願い事がかなうと始めからわかっていたら、私だって若い王様のお妃になるように望んだのにね」
 そのように言った。
「それは、私だってそうだわ」
 二番目の姉が答えた。
 そうなると、上の姉たちは王様の妃の妹が憎らしいやら羨ましいやらで、たまらない気持ちになった。
 ちょうどその頃に、戦いが始まった。そこで王様は、戦場へ出かけることになった。お妃には、間もなく赤ん坊が生まれようとしていた。王様の出発する時、妃の姉たちに、妃の面倒をよく見てくれるようにと言った。
 王様の留守中に、妃は立派な男の子を生んだ。二人の姉たちが、色々世話をしてくれた。
 しかし、姉たちはやはり、妹を妬んでいた。それで、生まれたばかりの男の子を、豚のかごに入れ、川に捨てて流してしまった。その代わりに、猫の子を赤ちゃんのベッドへ持ってきて、
「お前はこんな子を産んだのだ」
 と、酷い嘘をついた。
 やがて王様は戦場から帰ってきて、お妃が猫の子を産んだと知らされた。それを聞くなり、王様はたいそう怒りはしたが、お妃をとがめるようなことは無かった。
 その内に、お妃にはまた男の子が生まれた。心の良くない姉たちは、今度は犬の子を赤ちゃんのベッドに連れてきて、生まれた赤ん坊の方は、やっぱり川に投げ捨てた。
 お妃に三番目の女の子が生まれた。が、あくまでも妬み深い姉たちは、この時もまた犬の子を替わりに連れてきて、生まれた赤ん坊はまたしても川へ捨ててしまった。
 二人の姉たちがやる仕業なので、妃もあっけないほどに上手く騙された。
 姉たちは、そういう酷い事をした挙句に、王様に向かって、
「こんなおかしな子供ばかり生む女をお妃にしておくのは、良くないと思います。石の壁に囲まれた教会の控室に閉じ込めてしまわないといけません」
 と言うのだった。
 王様は、三度、人の子ではない者を産んだ妃にすっかり腹を立てていたので、姉たちの告げ口を聞き入れて、妃を教会の一部屋に押し込めた。この部屋には、壁に小さな穴があるだけだった。そして、その部屋に入れられた不幸な妃は、その穴から食べ物を与えられた。
 ところで、川に投げ込まれた子供たちは、不思議に死ぬことも無く、元気でいた。それと言うのは、捨てられた三人が三人とも、庭造りの男に、川の岸辺で拾われて、その家で育てられていたからだった。
 その庭造りには子供が無かった。だから、拾われた男の子も女の子も、自分の子供のようにかわいがられて大きくなった。
 月日がたった。子供たちを育ててくれた親が亡くなった。親が死んだあと、立派な大人になった子供たちには、その家と庭と財産が残された。
 三人の子供たちは、親が生きていたころに庭造りの仕事を教わって、習い覚えていた。だから、残された庭はいつも美しく手入れがしてあった。
 その庭が美しいと聞いて、方々の国からお客が庭を見に来た。娘がお客たちに庭を見せると、誰でもその美しさに驚き、ほめない者は無かった。
 ある日、二人の兄が狩りに出かけた。その留守に、一人のお婆さんが庭を見に来た。娘が案内をすると、お婆さんは庭の隅々まで丁寧に見て回り、遠い国から運んできた珍しい木の下などでは、
「ほほう!」
 と嬉しそうに、何度も頷いてさえいた。
 ところが、お婆さんはすっかり見終わってから、
「この庭はとても立派だけれど、三つの物が足りないね」
 と、そう言った。
 娘がお婆さんに、
「一体、何が足りないのですか?」
 と尋ねると、
「この庭に、もの言う鳥と、命の水の泉と、金のリンゴを実らせる木があれば良いのだがね。この三つを探して手に入れさえすれば、この庭は本当に申し分が無い物になる」
 と答えた。
 そう言うなり、お婆さんはどこかへ行ってしまった。
 それを聞いた娘は、どこからその三つの物を手に入れることが出来るのだろうかと気にした。
 気にすると、きりが無かった。娘は気がかりのあまり、だんだん水が足りない草木のように弱ってきた。
 兄たちは、妹の様子がおかしい事に気が付いて、
「一体どうしたのだ?」
 と尋ねた。
 妹は、お婆さんから聞いた、もの言う鳥と、命の水の泉と金のリンゴの話をして、
「私達の庭に、その三つの物が足りないと言われたことが、気になってならないのです」
 と言った。
 妹思いの兄たちは、妹を慰めた。そして、
「お前がそんなに気になるのなら、その三つの物を探しに、世界の果てまでも行ってやろう」
 と約束をした。


 さて、上の兄が、始めに出かけることになった。兄は旅をするのに、まず一頭の馬を手に入れた。
 いよいよ出かける時、兄は、壁にかかったプコというよく磨かれた鋭い刀を差して、弟と妹にこう言った。
「これから出かける私の旅は、きっと長くなるだろうし、危ない目にも遭うだろう。だから、あのプコによく注意をしていてくれ。あのプコの刃が赤く錆つき出したら、私の命も危ないという印なのだからね」
 兄は旅に出発した。馬は力強く、蹄の音を響かせた。兄は、目当ての三つの物を探して長い道のりを進んだ。
 旅は兄を利口にした。兄は、とうとうその三つの物があるという、魔法の庭の在処を突き止めた。そして、胸を躍らせながらそこに言った。
 兄を見ると、その庭の番をしている老人が、
「こんにちは、王子様」
 と言った。
「私は王子ではありません。ただの庭造りの息子です」
 兄は答えて、自分が何故ここへ来たかを詳しく話して聞かせた。
 老人は話を聞くと、
「あなたが探しているものは、あの庭の真ん中にあります。そこには金のリンゴの生る木が生えていて、その枝に、もの言う鳥がとまっていますよ。命の水は、その木の下にひっそりと光を映しています。今までにも、この三つの宝を手に入れようとして、大勢の人がやって来ました。でも、誰一人うまくいかないばかりではなく、無事戻ってきた者もいません。宝物を取られまいとして守る、恐ろしい魔法の力にかかかって負けてしまうのです。もしあなたが宝物を手に入れようとなさるなら、後ろの方でどのような声がしても、決して振り向いて見てはいけません。振り向いたりしたら、あなたも宝を探しに来た他の人たちと同じように、灰色の石になってしまうのですよ」
 そのように言った。
 兄は老人の真心がこもった言葉にお礼を言った。そこで、馬を門の所につなぐと、三つの宝を手に入れようとして、庭の中へ入っていった。
 教えられた金のリンゴの木はすぐに見つかった。その枝に、金のリンゴが輝いていた。
 丁度その時、兄が立っている後ろの方で、小鹿の鳴き声と物凄く恐ろしい唸り声が聞こえた。兄は老人に言われたことを忘れ、思わす後ろを振り返って見た。その途端に兄は、そこらにたくさんごろごろしている灰色の石の一つになってしまった。
 兄はとうとう三つの宝を手に入れる事に失敗してしまったのである。
 一方、家にいた弟は、ある日、壁にかけてあるプコが赤く錆びついているのに気が付いた。
「おや、プコが錆びついているところを見ると、兄さんの身の上に、きっと何か良くない事が起こったのに違いない。兄さんがどうなったか、私はこれから調べに行くことにしよう」
 弟は妹に言った。
 弟は出かける時に、自分のプコを家に残して、やはりプコに注意するようにと妹に頼んだ。
 弟も兄と同じように、一頭の馬を手に入れ、その馬に乗って出発した。旅の途中での苦労は、弟も兄に負けないくらいだった。
 上手い事に、弟もとうとう、その魔法の庭へたどり着いた。門番の老人に尋ねると、兄がどうなったか、そのわけを残らず話してくれた。しかし、弟はそれを聞いても別段怖がりもせず、
「今度は私がやってみましょう」
 と、庭の真ん中へ入って行った。
 金のリンゴの側へ来た。弟は、決して後ろを見ないつもりだった。が、後ろの方では、何か美しい声がしたかと思うと、続いて唸り声が聞こえてきた。
(振り返ってたまるものか)
 弟は頑張り通そうとした。けれど、唸り声はだんだん大きくなるばかりで、弟の耳は今にも破れそうになった。
 弟はとうとう我慢をしきれずに、後ろを見た。途端に弟もまた、兄と同じように、そこらにある、たくさんの灰色の石の一つになってしまった。
 家にいた妹は、プコが赤く錆びついているのに気が付いた。そこで、下の兄の身の上にも、また何か悪い事が起こったのを知った。
 それでも妹は気を落とさなかった。こうなったうえは、兄たちがどうなったか、自分で出かけて確かめるよりほかは無いと決めたのである。
 妹は、さっそく出発の支度にかかった。そして、一頭の馬を用意し、鞍にまたがると、兄たちが行った道を兄たちと同じように進んだ。
 妹もとうとう、魔法の庭に行き着くことが出来た。そこで妹は、門から出てきた老人に、自分がはるばるここまで旅してきたわけを話し、
「いったい、兄たちはどうなったのでしょう?」
 と尋ねた。
 老人は、兄たちについて詳しい話を聞かせてくれた。そして、
「お前さんも、兄さんたちみたいにならないように、よく気を付けないといけないよ」
 そう教えた。
 妹は、たいへん利口だった。で、庭へ入っていくときに、耳に蝋を詰めて何も聞こえないようにした。だから庭へ入って行っても、妹には小鹿の声も聞こえなかったし、恐ろしい唸り声も、少しも気にならなかった。
 妹は、無事にリンゴの木の下へ行った。そして、まず初めに、その木の梢にとまっていたもの言う鳥を捕まえた。それから持ち帰って自分の庭に植えるつもりで、金のリンゴの木の若枝を、一本折り取り、持ってきた壺には命の泉の水を汲み入れた。
 引き返すときに、妹はたくさんの石が転がっている所へ来た。そこで妹は立ち止まり、
「どうすれば、私の兄たちの命を蘇らせることが出来るのでしょうか?」
 と言った。
 すると、もの言う鳥がそれに答えて、
「石に、命の水をかけなさい」
 そう言った。
 不思議な事に、もの言う鳥の声は、蝋を詰めた妹の耳にもはっきりと聞こえた。


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 妹は石に水をかけた。と、生き返ったたくさんの若者たちが、元気そうに飛び出してきた。兄たちの他に、知らない若者が大勢いた。みんな、この庭の宝探しに来て石にされた者たちだった。妹のおかげで、誰もが命を取り戻したのだ。
 兄や妹達と一緒に、その若者たちもみんな、ぞろぞろと庭造りの家へ帰ってきた。そして、金のリンゴの木の若枝は、みんなの手で庭の真ん中に植えられた。それから、その木の下に泉が掘られて、底の方に命の水が入った壺が置かれた。
 庭造りの家の庭は、これまでにも増して、大変な評判になった。
 王様も、三つの宝が揃ったその庭を見においでになり、ひどく感心された。そこで王様は、健気なこの三人兄妹のために宴会を開くことにし、庭にたくさんのテーブルやいすを運ばせて、城の者たちも、お祝いの席へ招いた。
 話を聞いてみると、王様には、この兄妹達が庭造りの本当の子供ではない事がだんだん分かってきた。で、王様は、いったい誰がこの兄妹達の生みの親なのか、それが知りたいと思った。が、それは、本人の兄妹たちにも分からない事だった。
「誰か、本当のことを知らないものかなあ?」
 王様がそう言った時であった。
 もの言う鳥が、くちばしを開けた。そして、この兄妹が庭造りに育てられるようになったわけを詳しく喋った。おかげで、産まれたばかりの赤ん坊を川に投げ込み、その代わりに猫や犬の子を連れてきた悪い姉たちの行いも、すっかり知れてしまった。
 王様はこれを聞くと、飛び上がるほど驚いた。そして、教会の控室に罪もなく閉じ込められていたお妃を気の毒がり、
「すぐに救い出せ!」
 と、家来に言いつけた。
 間もなくお妃は救い出された。その代わりには、同じ部屋に二人の悪い姉たちが閉じ込められた。
 こうして、お妃はやっと自分が産んだ王子や王女に巡り合うことが出来た。その喜びがどんなだったかは、言うまでもないだろう。
 この後、王様の一家には、長い幸せが続いた。
 庭は相変わらず美しかった。王様は一家中でたびたびこの庭へやってきた。そこでは庭の真ん中に金のリンゴが実った木が茂り、その枝には、いつもものいう鳥がさえずっていた。また、木陰には命の水の泉が尽きることなく湧き出ていたのである。




~おしまい~

2020.04.18 小麦のたたり

 今日はオランダの民話、『小麦のたたり』をお送りします。

 今回の話は割と有名かな……?


 では、さっそくスタート!


小麦のたたり



 昔、オランダに、スタフォレンという町がありました。この町に、心の優しい一人の金持ちが住んでいましたが、奥さんはたいそう欲深な、怒りっぽい人でした。
 お金持ちの男は船をたくさん持っていて、船に品物を積んで方々の国へ行っては、品物を売ったり、また、向こうから品物を買い入れてきたりして、商売をしていました。
 船が荷物を積んで、スタフォレンの町から出ていくとき、金持ちの男は、その船の船長に必ず、
「向こうから帰る時、何か珍しい物や、美しい物を持ってきておくれ。妻に贈ろうと思うから」
 と頼みました。
 そこで船長は忘れずに、行った先の国の美しい絵や、彫り物や、素晴らしい布地や宝石など、また、自分の国では見られない珍しい鳥や獣を持って帰りました。
 船が帰ってくると、金持ちの男は早く奥さんを喜ばそうと、すぐにそれらの品物を奥さんの目の前に並べてみせました。ところが奥さんは、これまでたったの一度も、嬉しそうな顔をしたことが無いのです。
「全く、張り合いがないったらありゃしない。何をやったら喜ぶのだろうか」
 と、金持ちの男はがっかりしていました。
 ある時、金持ちの男の船が、ドンチヒという所へ商売をしに行くことになりました。金持ちの男は、今度こそ奥さんを喜ばそうと、奥さんに、
「お前が欲しいと思う物をなんでも言ってごらん。そうしたら、船長に頼んで、それをダンチヒで見つけてもらうから」
 と聞きました。すると奥さんは、
「私の好きなものは、世界中で一番素晴らしい物ですわ。世界中で一番の物なら、何でもいいのです」
 と答えました。
(妻の好きなものが分かったので、今度こそは妻を喜ばせることが出来るだろう)
 と、金持ちの男は大喜びで、すぐに船長を呼ぶと、
「妻へ贈り物にするから、ダンチヒへ行ったら世界で一番素晴らしいと思う物を見つけて来てくれ。それから小麦をたくさん買い込んでくることを忘れないように」
 と頼みました。
 まもなく船は、スタフォレンの町から離れていきましたが、船の中で船長は、
(はて、世界中で一番素晴らしい物って、何だろう)
 と考えましたが、なかなか思い当たりません。
(うーん、困ったなあ。さっぱり分からないぞ。だが、待てよ、主人は小麦を買うのを忘れるなと言っていたが、その小麦が世界で一番いい物ではなかろうか。だって小麦は人間の命をつなぐパンのもとになるのだから、世の中にこれほど良い物は無いだろう)
 と、船長は考え付きました。
 でも、自分だけの考えでは心配だったので、水夫たちにも聞いてみる事にしました。
「出かけてくるとき、わしは主人から、世界で一番いい物を見つけて持ってきてくれと言われたのだが、それは何だと思う」
「さあ、何でしょう。なかなか分からないですねえ」
 水夫たちも、やはり首をかしげるばかりで、何も思い当たりません。船長は困ったように、
「本当に、何を持って帰ったらいいだろうね。ところで主人は小麦を買うのを忘れるなと言っていた」
 と言ったところ、水夫たちはポンと膝を打って、
「あっ、それ、それ、それですよ。世界で一番いい物は小麦ですよ。何しろ小麦は、人間の命をつなぐパンになるものなんですからね」
 と、みんなが言いました。
「ああ、これで安心した。みんなの考えも私とすっかりおんなじだった。だから、世界で一番いい物は、もう、小麦で間違いない。小麦なら、捜さなくてもどこにでもあるからすぐ手に入る」
 と喜びました。
 船は間もなくダンチヒに着きました。船長は、積んでいったいろいろの品物を全部売りつくしてしまうと、今度はたくさんの小麦を買い込みました。それからすぐに、スタフォレンの町へと戻ったのです。
 帰ってくると船長は、
「持って行った品物は高い値段でみんな売れました。それから、世界で一番いい物を見つけてきました」
 と、主人の金持ちの男に知らせました。
 金持ちの男はとても喜んで、いつもは滅多に喋らない無口な人なのに、その日はニコニコしてよく喋りました。奥さんが驚いて、
「あなた、今日はどうなさったのです、ばかに楽しそうですね」
 と尋ねると、
「ああ、お前がどんなに喜ぶかと思ってね……。まあ、それは後のお楽しみだ。昼ご飯が済んだら私についてきなさい」
 と、嬉しそうに言いました。
 お昼ご飯が済むと、金持ちの男は、
(今度こそ、妻の喜ぶ顔が見られる!)
 と、胸をワクワクさせながら奥さんをダンチヒから帰ってきたばかりの船に連れて行きました。すると、船長が二人を出迎えて、二人を船の倉に案内していき、水夫に倉の戸を開かせました。船倉の中には、小麦が山のように積まれているだけで、別に変ったものも見られません。奥さんは不思議そうに、
「これはただの小麦じゃありませんか。これがどうしたのです?」
 と聞きました。
「ああ、小麦だよ。これこそ世界で一番いい物じゃないか」
 金持ちの男は、奥さんの顔を見ながら得意そうに言いました。
 ところが奥さんは、喜ぶどころかぷんぷん怒って、
「なんですって、世界で一番いい物ですって? 冗談じゃありません。あなたは私を騙しましたね。そんな小麦なんかみんな海へ投げ捨ててしまうといい」
 と、大声で文句を言いました。
 すると、波止場に集まっていた乞食たちが、奥さんの大きな声を聞きつけ、船の側へ寄ってきて、みんな地面にひざまずきながら、
「どうか奥様、その小麦を海なんか捨てないで、私達に恵んで下さい。私達はお腹が空いてペコペコなのです」
 と、一生懸命頼みました、
 それを聞くと船長も、
「小麦が気に入らないとおっしゃるのでしたら、それを可哀想な人たちに分けてやってください。そうすれば、人々は奥様をご立派な方だと褒め称える事でしょう。是非、お願いします。その代わり、この次の商売の時は、どんな遠くにでも出かけて、奥様のお気に召すものを必ず持って帰りますから……」
 と、奥さんに頼みました。
 けれども、物凄く腹を立てている奥さんは、誰の頼みも聞き入れず、水夫たちをにらみながら、
「さっさと小麦を海へ放り込んでおしまい」
 と命令しました。


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 水夫たちは勿体ないと思いましたが、命令なので仕方なく、小麦をザブン、ザブンと海の中へ投げ込みました。奥さんはせいせいしたという顔で、一粒残らず全部水の底に沈むまで船の上に突っ立ってみていました。
 これには、さすがの優しい金持ちの男も、顔色を変えて、
「もう、これから先、私は決してお前を喜ばせようとは思わない。それに、お腹が空いて食べる物も無い可哀想な人たちは、みんなお前を憎むだろうし、お前はこんな酷い事をした罰が当たって、きっと食べ物に困るようになるに違いない」
 と、奥さんを怒りました。
 奥さんは、ぷいと横を向いたまま、心の中で、
(ふん、私が食べ物に困るだなんて、何を馬鹿げた事を言っている。私には使い切れないほどのお金があるのに……)
 と思っていました。そして奥さんは、自分の手の指から指輪を外して海の中へ投げ込みながら、大声で、
「みんなよくお聞き! もしも、いま沈めた私の指輪が、また私のところへ戻るようなことがあれば、私は食べる物に困るかも知れない。だが、そんな事が起こらない限り、決して食べ物に困る事はありませんよ」
 と言いました。それだけ言うと奥さんは、一人で船を降りていき、乞食たちの間を通り抜けて、さっさと自分の屋敷へ帰ってしまいました。
 家に帰った奥さんは、夫の言った言葉が癪に触ってたまりませんでした。そこで奥さんは、自分はどんなに金持ちであるかという事や、外国から買い入れたいろいろの珍しい品物を友達に見せびらかして気晴らしをしようと、次の日おおぜいのお客を招きました。
 みんなが席についてご馳走を食べていると、召使が奥さんの側へ来て、
「今コック長が、魚を料理しようとしたところ、魚の口から珍しい物が出てきました。それでコック長がそれを奥様にお見せしたいと申しております」
 と告げました。
 奥さんは飛び上がるほど喜んで、お客たちに、
「私は、いつも世界中で一番素晴らしい物を自分の物にしたいと思っていましたが、どうやらその願いがかなったようです。今、その品物をここへ持ってくるそうです」
 と言いました。
 お客たちも喜んで、
「まあ、どんなものでしょう、早く見たいわ」
 と待っていました。
 間もなくコック長が、金のお盆を恭しくささげて宴会場へ入ってきました。コック長は、奥さんの前に行くと、丁寧にお辞儀をしてからお盆を差し出しました。
 お盆の上の品物をひと目見た途端、奥さんの顔は見る見る真っ青になりました。
 そのはずです。それは昨日、自分が夫の言った事に腹を立てて、
「この指輪か戻って来ない限り、私は絶対に困るようなことは無い」
 と言いながら、船の上から海に投げ捨てた、その指輪だったのです。
 金持ちの男は、奥さんにあんな酷い事をされて、悲しみのために床についていましたが、指輪が戻った夜、とうとう死んでしまいました。その次の日には、無い物は無いほどいろいろの、値段の高い商品をしまっておいた倉が火事になって、あっと言う間に全部灰になってしまいました。
 そればかりではありません。まだ夫の葬式も済まないというのに、商売をしに出ていた四艘の船が大嵐に遭って、みな沈んでしまったという知らせが、奥さんの所に入りました。
 こうして、あれほど金持ちを自慢して威張り散らしていた奥さんは、たちまちの内に貧乏人になってしまったのです。家や道具を売り払い、住むところもなくなった奥さんは、乞食のようになって、食べ物をもらおうと町中を歩き回りました。
 けれども人々は、可愛そうな者に何も恵まなかった奥さんを憎んでいたので、食べ物を恵んでくれる人は一人もいませんでした。奥さんの身体はすっかり弱って、一年と経たない内にある馬小屋で、ボロボロの服を着た可哀想な姿で死んでしまったのでした。
 そんな事があってしばらくの後に、スタフォレンの漁師たちは、潮が引いて海面が低くなった時、水の底に何か青い物が一面に生えているのを見つけました。その青い物は小麦だったのです。そこはまるで野原のようで、小麦は波にもまれてゆらゆらと揺れ動いていました。
 小麦と言っても、そこは砂地ですし、塩水に浸かっているので実は一つもつきませんでした。それどころか、そんなものがあるために、船の出入りが出来なくなってしまったのです。そうなれば、もう、商売も出来ません。
 町の人たちは日増しに貧しくなっていき、あれほど豊かで栄えたスタフォレンの町は、すっかり寂れてしまったという事です。




~おしまい~

 サイトを更新しました。

 最近多いですが、今日も『文庫本コーナー』です。『ホビー雑誌コーナー』の記事も、サイト用に作り直さないとなぁ……。


 あと、今日はアメブロの方にも記事を書いてます。

 誕生日占い系の本の話ですが、結構当たってて笑いました(笑)。


 さて、本文の方は『にせ王子』の完結編です。

 では、スタート!


 王様は、一言も言いません。
 お妃とラパカーンの顔を、代わる代わる見比べていました。
 とうとう、お妃に向かって言いました。
「なるほど、お前の言う事はもっともだ。しかし、お前が王子だという若者は、証拠の剣を持っていないではないか。どちらが本当の王子か、これは困った事になった。こうなったら、本当の王子を知る方法は、一つしかない。森の仙女に会って、たずねてみる事だ。すぐ、一番速く走る馬を連れてこい」
 王様は、さっそくただ一人で、馬にまたがって仙女のいる森へ出かけていきました。
 その森は、都からあまり遠くない所にありました。そこにはアルトザイデという仙女が住んでいて、代々の王様が難儀にあった時に、助けてくれると言われていました。
 森の真ん中に広い空き地があって、その周りに高いシダーの木が生えています。そこには仙女が住んでいるという噂があるので、誰も恐れて近寄りません。
 王様は、馬を木につないで、空地の真ん中に立ちました。そして大声で言いました。
「親切な仙女様。私の先祖は、危ない目に遭った時、度々あなたに助けてもらいました。私も今、困った事が起こっています。どうか、良い知恵を授けて下さい」
 すると、大きなシダーの木がぱっと開いて、中から頭巾で顔を隠した長い白い服の女が現れました。
「あなたはサーアウド王ですね。あなたがここへ来たわけは、よく知っています。さあ、この二つの箱を持ってお帰りなさい。そして、二人の者に好きな箱を取らせなさい。そうすれば、本当の王子が分かりますよ」


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 こう言って、金や宝石の飾りのついた美しい象牙の箱を渡しました。
 王様はお礼を言って顔をあげると、もう仙女の姿は消えていました。
 王様は二つの箱を持って、お城へ向かいました。帰る道で箱のふたを開けてみようとしましたが、どうしても開きません。蓋の上にはダイヤモンドを散りばめた字が書いてあります。一つの箱には“しあわせと宝”もう一つの箱には“名誉と徳”と書いてあるのです。
「なるほど、どちらも人の欲しがるものだ。私でも、どちらを取って良いか分からないな」
 王様は、独り言を言いました。
 御殿に帰ると、王様は自分の前に台を置いて、二つの箱を並べました。それからお妃を始め、大臣や女官たちを広間に集めました。
 一同が両側にずらりと並ぶと、王様は、
「新しい王子を、ここへ連れてきなさい」
 と、お側の者に言いつけました。
 ラパカーンは、高慢な顔で広間へ入ってきて、王様の前にひざまずきました。
「お父様、何の御用で御座いますか」
 王様は、椅子から立ち上がって言いました。
「お前が私の本当の息子かどうか、分からないという者があるのだ。それで、今日はみんなの前で、お前が本当の王子だという証拠を見せてもらいたい。ここに、箱が二つある。どちらでも、お前の好きな方を取りなさい。そうすれば、お前の本当の身分が分かるのだから」
 ラパカーンは、立って、箱の前に行きました。どちらを取ろうかとしばらく考えていましたが、とうとう“しあわせと宝”の箱を取ることにしました。
「お父様、私は、あなたの息子に生まれて本当に幸せです。これからも、ずっと幸せで、お金や宝をたくさん持って、楽しく暮らしたいと思います。ですから、この箱を頂きます」
「よろしい。お前が本当の王子かどうか、後で分かるだろう。しばらく向こうで待っていなさい」
 と、王様は言って、今度は狭い部屋に閉じ込めてある若者を連れて来させました。オーマールはやせ細って、悲しそうな顔をしています。
「あのき○がいも、すっかり弱っているらしいね」
 と、家来たちも可哀想に思いました。
 王様は、オーマールにも、
「二つの箱の内、お前の好きな方を取りなさい」
 と言いました。
 オーマールはよく気を付けて、箱の上の字を読みました。そして“名誉と徳”と書いた箱の上に手を置いて言いました。
「王様、私は今度の旅で、酷い目に遭いました。そのおかげで、幸せはすぐなくなることが分かりました。また、大切な宝も人に盗られたり、無くなったりすることを知りました。それで、どんなことがあっても無くならない物が欲しいと思います。それは、名誉と徳です。名誉は泥棒も盗ることが出来ません。また、勇気や親切や、正直などの徳は、私の心の中にあるので、死ぬまで無くなりません。ですから、私は“名誉と徳”の箱を頂きたいと思います」
「よろしい。それでは、二人とも、自分の好きな箱の上に手を置きなさい」
 と、王様は言いました。
 それから王様は、東の方を向いて祈りました。
「神様、どうぞ、本当の王子をお教え下さい」
 お祈りを済ますと、王様は段の上に立ちました。並んでいる人々は、息をつめて箱の方を見守りました。
 広間はしいんとして、ネズミの走る足音も聞こえる位です。
 王様は、厳かに言いました。
「箱を開けなさい」
 すると、今までどうしても開かなかった箱が、ひとりでにぱっと開きました。
 オーマールの箱の中には、ビロードのきれの上に小さな金の王冠と、笏(しゃく)が入っていました。ラパカーンの箱には、大きな針と糸が入っていました。
「めいめい箱を持って、ここへ来なさい」
 王様は言いました。そして、オーマールの箱から小さな冠を出して、掌に載せて眺めました。すると不思議、冠は見る見る大きくなって、とうとう普通の冠の大きさになりました。
 王様はオーマールの頭にその冠を置いて、額に接吻しました。
「お前こそ、本当の王子だ。今まで偽物に騙されていた、愚かな私を許しておくれ」
 王様はこう言って、心から王子に謝りました。
 それからラパカーンに向かって、厳しく言いました。
「この大嘘つきめ。卑しい仕立て職人の分際で、まんまと王子に成りすまして、この私を騙しおったな。切り刻んでも飽き足らないほど憎い奴だが、命だけは助けてやる。さっさと消え失せるがよい。お前は、腕の良い職人だ。これに懲りて、これからは、真面目に洋服屋で働くがよい」
 ラパカーンはウソがばれたので、恥ずかしいやら、情けないやら、両手で顔を隠して一言も言えません。
 オーマール王子の前に、ぺたりと額を付けて、涙を滝のように流して謝りました。
「王子様、どうぞお許し下さい」
「よし、許してやる。このアパシッド王家は、代々、友達には親切にし、敵は許してやることになっている。だから、安心して帰っていきなさい」
 王子様は、自分を苦しめたラパカーンを、快く許してやりました。
 王様はそれを見て、心から喜びました。
「おう、心の広い、優しい子じゃ。お前こそ、私の本当の息子じゃ」
 と、両手を広げて、力いっぱい王子を抱きしめました。王妃も駆け寄って、うれし泣きをしながら接吻をしました。
 大臣や女官たちは、それを見て叫びました。
「アパシッド王家、ばんざい。新しい王子様、ばんざい」


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 喜びに沸き返っている広間から、ラパカーンは、こそこそと自分の箱を抱えて出ていきました。
 王様の厩(うまや)には、ムルパアがつないでありました。これはラパカーンが、自分のお金で買った馬ですから、それに乗ってお城から出ていきました。
「オレはとうとう、王子様になったと思ったけど、あれは夢だったのかなあ。でも、ここに、金やダイヤモンドを散りばめた象牙の箱を持っている。やっぱり、王子様になったのは夢じゃなかったのだ。でも、もう、何もかもおしまいだ」
 ラパカーンはとぼとぼと、アレキサンドリアの町へ帰っていきました。
 他に行く所も無いので、前に働いていた洋服屋へ行ってみました。昔の仲間がせっせと働いています。
「こんにちは」
 ラパカーンは、恐る恐る店へ入りました。
 立派な身なりをしているので、主人は金持ちのお客だと思いました。
「いらっしゃいませ。何か、お入り用で御座いますか」
 丁寧に言って、愛嬌を振りまきました。ラパカーンは笑って、
「親方、私ですよ。ラパカーンですよ」
 そう言われてよくよく見ると、なるほど、ラパカーンです。主人はかっとなって、
「こいつ、よくもぬけぬけと帰ってきたな。おーい、みんな来てくれ。持ち逃げのラパカーンめが、帰ってきたぞ」
 と、大声で職人や弟子たちを呼びました。
「なに、あの見栄っ張りのラパカーンが帰ってきたって」
 職人たちは火熨斗(ひのし)や物差しを持ったまま、飛び出してきました。
「こいつめ、よくも図々しく帰ってきたものだ。性根を叩きなおしてやる。それ、これでも喰らえ」
 職人たちは、火熨斗や物差しを振り上げて、力任せにラパカーンを打ちました。
「ちょっと、私の言う事も聞いて下さい」
 ラパカーンは叫びましたが、誰も言い訳を聞こうともしません。頭から足の先まで、散々打ちのめして、積み上げた古着の上へ打ち倒しました。
「この横着者め、持ち逃げした礼服はどこへやった。お前のおかげで、わしは王様から散々なお叱りをくったぞ。そのうえ、信用はがた落ちだ。さあ、あの礼服をすぐ戻してくれ。でないと、お前を訴えてやるぞ」
 主人はかんかんに怒って喚きたてました。
「お許しください、ご主人様。あの時は魔が差したのです。この償いはきっとします。これから心を入れ替えて、今までの三倍働きますから、どうぞ、勘弁して下さい」
 ラパカーンは、ほこりだらけの床に頭を擦り付けて頼みましたが、聞いてくれません。
「駄目だ、駄目だ。お前みたいな嘘つきの見栄っ張りの言う事なんか、あてになるものか」
 主人と職人たちは、また、めったやたらにラパカーンを打ちのめしました。そして、死んだようになったラパカーンを、外へ放り出しました。


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 ラパカーンの服はずたずたに破れ、体中、傷だらけです。しばらくして、やっと正気に返ったラパカーンは、宿屋までたどり着きました。
「あーあ、酷い目に遭わされたなあ」
 ラパカーンは、粗末なベッドにどさりと倒れ込みました。体中の傷がずきずき痛みました。
「世の中は厳しいものだなあ。ちょっとの間違いでも、許してくれないのだからなあ。綺麗な顔も、綺麗な服も、何の役にも立たなかった。オレみたいな者は、いくら望んでも、王子様にはなれないんだ。もう、これからは夢みたいなことを考えるのはやめよう。そして、真面目に正直に働くことにしよう」
 ラパカーンは、こう決心しました。ラパカーンの見栄っ張りは、職人たちの物差しで叩き出されたと見えます。
 次の日、ラパカーンは大切に持ってきた象牙の箱を宝石屋に売りました。そのお金で小さい家を買って、“ラパカーン洋服店”と書いた看板を出しました。
 それから、箱の中に入っていた針と糸を出して、自分の破れた服を繕いました。縫い始めると、針はひとりでに動いて、ボロボロに破れた服を、元の通り綺麗に繕いました。ラパカーンは驚きました。
「これは不思議だ。王様は、どこかの仙女からもらってきたとおっしゃったが、普通の針とはまるで違う。それに、糸も、いくら縫っても無くならない。この針と糸があれば、オレは独りでいくらでも仕事が出来るわけだ。嘘つきのにせ王子の私に、こんな良い贈り物を下さって、有難う」
 ラパカーンは、心から仙女様にお礼を言いました。
 店を開いてから、ひと月もしない内に、ラパカーンの洋服店は町中の評判になりました。お得意が増えて、一人では縫いきれないほどたくさんの注文が来ました。
 けれどもラパカーンは、手伝いの職人を雇いません。いつも一人きりで、窓を閉め切って働きました。
 こうしてラパカーンは、箱の蓋に書いてある通り、幸せになっていきました。宝もだんだん増えていきました。
 ところで、オーマール王子の方はどうでしょう。強くて勇ましいオーマール王子の噂は、ラパカーンの住むアレキサンドリアの町でも評判でした。
 しかし、他の国の王様たちは、オーマール王子に攻め滅ぼされはしないかと、びくびくしていました。そして、隙があったら、反対にオーマール王子を攻めてやろうと思っていました。
 ラパカーンはその噂を聞いて、
(王子様も、外から見るほど楽じゃないなあ)
 と思いました。
 こうして、ラパカーンはあの箱に書いてあった通り、幸せに、お金持ちになって、町の人からも尊敬されて暮らしました。




~おしまい~